06
イライザの仕事は本来、王の護衛である。最も得意としているのは防御の為の魔法であり、それに次いで攻撃魔法が来る。術の解析や解除といった事は得意分野ではない。それでも並みの魔道師に比べれはずっと優れてはいる。けれどもイライザよりもそれに優れた人間がいる事は確かで、その筆頭がイライザの妹だった。
(でも今回は、あの子は使えないわよねぇ……)
ルウィンとイライザの妹は、互いに心底嫌いあっている。元々ルウィンに基礎的な魔法を教えたのは妹であり、そういった面でも妹が解析するのが良いとは思うのだが。妹ではルウィンから情報を聞き出す事はできないだろう。ましては、今回イライザが受けているもう一つの命令をこなすことなど、絶対に無理だ。
イライザは、解析の傍ら、できればルウィンに術を解除させるように説得しろ、と言われていた。そして、それが無理なら客人とルウィンの様子をできるだけ探れ、とも。
イライザだってルウィンには結構嫌われているのだから、無理だと思ってはいたが。けれども敬愛する王の命令である。やれる事はやるつもりだ。
王宮に戻ってすぐ護衛の任を引き継いだ彼女は、早速聖殿に向かった。聖殿の本殿に直接通じる移動陣は無いため、まずは離宮に移動することになる。
現在の聖殿は本殿への立ち入りを、極限られた人間にしか許していない。それは元々ではあったが、ルウィンを内部で閉じ込めるようになってから一層その審査は厳しくなった。聖殿は広いが、しかしその内部に居る人間は十数人しかいない。そして誰もが、魔力耐性の高い「聖官」だ。
生身の魔力耐性がそれほど高くない…寧ろ低いイライザが聖殿内で過ごすには、常に結界を張っていなければならない。
(疲れる日々になりそうねぇ)
部屋が与えられればすぐに、そこに厳重な結界を張るつもりである。その為の道具も持ってきた。けれどもなるべく早く終わらせたいのは確かだ。いくらイライザでも、結界の常時展開は辛い。
王宮に戻ったその日のうちに一人引き返してきたイライザを、聖殿の憲兵は驚いたように見た。訝しげではあったが、本人確認のための水晶球で確かにイライザだと確認できれば、何も聞かずに通す。
その彼らまでもが、召喚の儀の成否を気にしているのをイライザは知っている。
(いつまでだんまりが持つかしらねぇ……)
現状では、召喚の成否については完全に秘すると王は決定していた。王もまだ、あの幼い客人をどうするか決められないのだろう。
(まぁ殺す方向で考えてるみたいだけどねぇ……)
成功したのに意味が無かった、というのは、単に失敗したより性質が悪い。失敗は次の成功に希望をつなげるが、成功に意味がなくなってしまえば、それは完全に得る物が無いからだ。捉えようによっては「失策」とも言える。
国民の希望の為にも、自らの失点にしないためにも、客人の少女を消して単なる「失敗」にしたい、というのが王の考えではないかと、イライザは推測していた。
王は決して、善良な人間ではない。
それでも、王が国の事を真実考えている事を知っているイライザは、王に忠実を誓っていた。
瑞樹に与えられた部屋に戻って来たイライザは、ルウィンがまだそこに居た事に驚いた。ルウィンは基本的に人嫌いだ。とっくに立ち去ったと思っていたのである。
レイスが複雑な顔でイライザに目を向ける。
「王はなんと?」
「しばらくはぁお口にチャックぅってところかしらぁ?」
イライザの口調に、レイスとルウィンはやはり嫌そうな顔をする。はっきりと顔を顰めるルウィンと違い、レイスはそこまで露骨でないにせよ、嫌そうな気配は隠せていない。
そういう反応がイライザを楽しませていると二人は気付いていないのだろうか。全くもって可愛いものだと思う。レイスはイライザよりも遥かに年上ではあったが、イライザにとってみればレイスは未熟だ。だからからかいたくなる。
そしてそれよりも。嫌そうな顔をしながらもこの場を立ち去らないルウィンに、イライザ生来の悪戯心が騒いだ。
「ミズキちゃぁん? ちょっと調べていいかしらぁ?」
イライザとルウィンとレイスの間で、落ち着きなく視線を彷徨わせていた瑞樹は、イライザの言葉に頷く。
が、いきなりセーターを捲り上げようとしたイライザの手に驚愕する。
「うぇっ!」
変な声を上げてイライザの手を阻止しようとする瑞樹に、レイスがさっと目を逸らす。しかしルウィンはというと、一向に遠慮する気配も無く面白そうに瑞樹を見ている。
「ちょっ! すみません! 私女の子です! 一応女の子ですから!」
「大丈夫よぉ。私も女だからぁ」
「見てますから! ルウィンさん見てますから!」
真っ赤になって裾を掴む少女に、イザベラは思わず口元をニィ、と歪める。中々彼女好みの反応である。
「ですってぇ? ルウィンどぅするぅ?」
「いや、そもそも剥く必要ないんじゃない?」
「やぁねぇ……それ言っちゃうぅ? 折角見せてあげよぉかと思ったのにぃ」
「俺こんな子供の体に興味ねぇって」
「私十五歳ですけど!」
「あらぁ? 興味持って欲しいのぉ?」
「そういう意味では無く……!」
耐えかねたようにルウィンが笑い出した。
ここに来てからずっと、どこかとぼけた反応しかしなかった瑞樹の、必死な様子が可笑しかったのである。
「イライザさん……からかわないないで下さい……」
ぐったりと訴える瑞樹にイライザはいつもの笑顔で答える。
「私は真面目よぉ?」
「こいつはこういう奴だから諦めろ」
そう言いながら、ルウィンが瑞樹の頭を撫でた。瑞樹には分からない事だが、ルウィンが自分からそうやって人に触れるのは珍しい。レイスが密かに目を丸くする。
そうとも知らない瑞樹はじっとりとルウィンを見上げた。
「ルウィンさんも面白がってないで早く助けてほしかったというか、何というか……」
「悪ぃ、あんたの必死な顔が面白くて止め損ねた。でもちゃんと助けただろ?」
「うぅ…ありがとうございます……?」
二人のやり取りにイライザは目を眇める。レイスに視線を向けると、さっきからずっと複雑な顔をしているレイスが目線を返した。
(随分仲良くなったみたいねぇ……)
人嫌いの気があるルウィンがこの場に留まっていたことから感じていたことではあるが、この会話を聞くにそれが確信に変わる。
ルウィンはどうやら、この客人の少女を気に入ったらしい。
王にとっては歓迎できない事態だろう。こうなっては術の解除をさせる事はできないだろう。
(ミズキを生かす前提でどうするか考えた方がいいかしらぁ?)
明日にでも王に報告しておいた方がよさそうだ。
しかしそう考えると、客人とルウィンを接触させてしまったレイスの失態は大きい。王には聖官を罰する権限は無いため、レイスに具体的な罰が課せられることは無いだろうが、何らかの報いは求められるだろう。
このジクシオという国に於いて、聖殿と王は本来並び立つ存在である。
王は民を守り、聖殿は王を監視する。そういう形で成り立ってきたのだ。
王は必ずしも正しい事を求められてはいない。王に求められているのは国の「利益」であり、「力」である。そして、聖殿はと言えば常に「正しさ」を持って王を監視する機関なのだった。
王の力がその権力と武力からなっているのに対して、聖殿の力は民の信頼から成り立っている。
だが、十六年前まで国を蝕んでいた「凶王」を止めたのは聖殿ではない。それによって、今の聖殿は民の信頼を失墜していた。今では実質、王に主導権を握られている。
ルウィンを理由に、聖殿に務める人間が減った事も痛い。その分、精鋭になったと言えなくもないが、その人員からして王よりの思想を持つ人間が多い事をイライザは知っている。
(レイスもそれに異論がないみたいだしねぇ……)
レイスは基本、王に忠実だ。聖殿の最高責任者であるレイスのその態度も、イライザからすれば問題だと思うのだが。
今の王はイライザも信頼している。しかし、次の王、そのまた次の王が信頼できる保証などどこにも無いと言うのに、それを止める機関である聖殿が王の下の位置に甘んじてしまっていいものか。
そういった諸々を考えても、イライザからすればレイスは甘いのである。
かといって王の護衛の魔道師であるイライザは、聖殿に口出しする立場にはない。同じ魔道師でも聖殿に忠誠を誓う妹なら別だろうが、妹は盲目的に聖殿に従うばかりである。
国の形も不変では有り得ない、と考えれば、聖殿が形骸化するのも致し方ないと言えるのかもしれない。事実、王はそう考えているようである。
何にせよ、今の国は王の手に握られている。
瑞樹をどうするのかも、王の意によって決まるだろう。
「んぅ~そろそろ本当ぉに調べてもいいかしらぁ?」
話を続ける瑞樹とルウィンに問いかければ、瑞樹がやや警戒した様子ながらも頷いた。
「はい。あの、脱がなくていいんですよね?」
「勿論よぉ。ルウィンはどぉするぅ? できれば色々聞きたいわぁ」
「別にいいけど。解析終わんないとお前、帰んないんだろ?」
「そぉねぇ」
「じゃ、さっさと終わらせる」
早く終わらせたい、という点に置いて、イライザとルウィンは意見を同じくしているらしい。イライザとしては非常に助かる。製作者の説明が得られるのであれば、解析は早く進む。
イライザは瑞樹の心臓に魔力を通して、術式を可視化する。左目の片眼鏡を通せばイライザには術式が見えるが、それよりも可視化したほうが解析は楽なのである。
赤い光で浮き上がる複雑な文様に、瑞樹は目を丸くした。
「綺麗ですね」
イライザもそう思う。精緻に組み上げられた術式は美しい。ルウィンのオリジナルだというその術式は、やや荒削りなところを含みながらも美しい構成であると言えた。
最も、瑞樹は単に赤く光る模様を綺麗だと言っただけなのであるが。
自らの体に埋め込まれた術を見てそう評する少女を、ルウィンは軽く笑う。
「お前ホント、呑気だな」
それはルウィンがあまり見せた事のない、優しいともいえる表情だった。




