04
嫌そうな顔をする二人とは対照的に、王はくつくつと笑った。
「嫌がらせで話を滞らせてもな。イライザ、勘弁してやれ」
「我が君の仰せのままに」
敬愛する王の仰せとあれば、イライザに逆らうつもりはない。けれどもイライザはくすりと笑うと、態度を一変させて背筋を伸ばした。間延びした口調が嫌ならこれならどうだ、と自らの表情を作り直す。
冷たい表情を作ってすっと黒髪黒目の少年、ルウィンに目を向ける。背を真っ直ぐに伸ばし、硬質な声を心掛けて言った。
「ではルウィン、この少女に何をしたのかを言いなさい」
豹変したイライザの態度にルウィンとレイスがぎょっとした顔をする。特にルウィンの反応は顕著で、警戒を露わにイライザを睨みつけた。
「やめろ!」
毛を逆立てた猫のようだと、イライザは思う。
イライザには妹が居る。一卵性双生児の、顔だけならそっくりな妹だ。そしてルウィンはイライザの妹を嫌っている。
冷たい表情に真っ直ぐな背筋、きびきびした動作、きっぱりした話し方は妹のものだ。それらを真似れば、イライザは妹のように見える事だろう。例え胸元が開き体の線を出した服が、妹が決して着ない類の物であろうと。嫌がられるくらいには似ていたらしい。
「あら酷いのねぇ? 止めろって言うから改めたのに」
「イライザ、その位にしておけ。それよりはまず、客人に挨拶をしたい」
「あらぁ、申し訳ございません。我が君」
イライザはさっきから混乱した様子でおどおどしている少女に目を向けた。黒髪黒目の平坦な、見慣れない顔立ち。けれどもその視線には、どこか人を引き付ける物がある。それが強い力を示す色だからだろうか。漆黒の睫毛に囲まれた漆黒の瞳というのは、それだけで酷く魅力的だ。この少女自体には何の力も無いらしいが。
「簡単に紹介しますわねぇ。ここに居る素敵な男性は私の主ですの。アスロ様、と言いますわぁ」
少々阿呆に聞こえる間延びした口調は地だ。ただ、レイスやルウィンといった一部の人間と接するときにやや強調しているだけである。なぜ敢えて嫌がる事をするのかと問われれば、そういう性格だから、としか答えようがない。
レイスやルウィンを嫌っているわけでない。寧ろ非常に好ましく思っている。だからこそ嫌がる顔を見たい。つまりはそういう性格なのである。
「そして私はイライザですわぁ。アスロ様の護衛ですの。よろしくお願いしますわねぇ。ミズキ様」
にっこりと笑いかけると少女はやや怯んだ。しかし、レイスはこれのどこを見て少年と言ったのか。僅かだが胸があるのが見て取れるというのに。
「あの……彼は?」
客人の少女、瑞樹の目線が落ち着き無くルウィンの方に彷徨う。その視線に、ルウィン本人が答えた。
「俺は、ルウィン。あんた、ミズキっていうの?」
「あ、はい」
素直に頷く瑞樹に、イライザはやや複雑な気分になった。
(何よりもまず害が無い事……そして、従順である事……)
今回の召喚の儀で、呼ぶ客人に対して付けた条件は、髪と目の色だけでは無い。いくら強大な力を持っていたとしても、こちらに敵意を持たれたり逆らわれたりすれば却って危険なだけである。故に、その性格についての条件が掛けられている。
人を殺した事が無い事。人に殺意を持った事が無い事。生きた物を傷つける事に抵抗を感じる事。傷つけられてもそれが敵意と直結しない事。滅多に自らの意を通そうとしない事。他者に命じられる事に抵抗が無い事。その他にも、色々。
すべては、害がなく、従順な人間を指定するための条件だ。
(絶大な力を持っていながらそういう性格、って人間を呼ぶって時点で無理だと思ったけどねぇ……)
元より、性格的な面を示す条件は、曖昧になりがちでどう解釈されるか不明な部分が多い。それもイライザには危険に思えた。だからずっと召喚に反対し続けていたのである。
結局、何の力も持たない、色だけの少女が来たのであるが。
(可哀そうに……)
元々召喚の儀に懐疑的であまり期待していなかっただけに、この場で一番客観的に瑞樹の事を考える事ができ、同情できるのはイライザだった。きっとごく普通に生活をしている人間だったであろうに、貧弱な少女の身でたった一人、異郷に呼ばれてしまったのである。
おまけに来て早々、厄介な人間に目を付けられた。
(どぉ考えてもレイスの失態よねぇ……)
本来、この聖殿には魔力耐性が高い人間しか居てはいけないのである。その理由はルウィンの存在にあった。
黒髪黒目……本来は絶大な力を持つ「黒色の魔道師」であるルウィンは現在、その力を幾重にも封じられている。しかしそれでも、強い力を持っている。封じても封じ切れないほどに、彼の力は強いのだ。そんな彼を閉じ込める檻とも言える聖殿は、元々魔法の影響を受けにくいように建てられており、封じられた今のルウィンが暴れても傷つかない程度には頑丈だ。
同様に、そこに居る人についても、魔法の影響を受けにくい人間が集められている。レイスのように髪や目の色が薄い人間は、魔力をほとんど持たないが魔力耐性が強い。魔力を殆ど持たない、というその体質は言い換えれば魔力をほとんど受け付けない、という意味でもあるのだ。ここに居るのはルウィンが何かしようとしてもできない程度には、その耐性がある人間しかいられない。
逆に、魔力が多い人間は魔力を多く生み出すが、その分多く吸収もするので魔法の影響を受けやすい。そういった弱点をほとんどの魔道師は自らの周囲に結界を張る事で対処する。イライザとて現在、自分と王の周りに入念に結界を張っていた。
しかし、瑞樹は、結界も何も張られないままここに放置されたのだろう。
イライザは少女の体に埋め込まれた魔法の術式に目を向ける。
「それにしてもぉ……どこで覚えたのかしら。こんな術」
左目を眇めて片眼鏡越しに、少女にかけられた術を解析しようと試みる。いくらイライザであっても、どうもすぐには読み切れなさそうだ。
分かるのは、その術式によってルウィンと少女の間に、何かの繋がりができていること。
(使い魔の術に似ているわねぇ……)
しかし似て非なるものだ。それに、ルウィンにそんな術を教える人間が居たとも思えない。
「自分で考えた。通信と視覚共有の応用だよ」
ルウィンの答えにイライザは驚愕する。この少年は力を持っているだけではない。術を構成するセンスも筋金入りだ。
しかし、その言葉で術の核となっている概念がおおよそ読み取れた。
「感覚共有……かしら?」
それは瑞樹の感覚をルウィンが共有する、という術であった。瑞樹が見たもの、聞いたもの、感じたものを、ルウィンはその気になれば共に感じる事ができる。イライザがそうと説明すると、それに王が眉をひそめた。瑞樹はまだ良く分かっていないらしく、呆けている。いくら子供であっても、少女が少年にその感覚を読み取られるなど、嫌であろうに。
「イライザ、解除できるか?」
「無理ですわぁ。ルウィン本人が解除しない事には」
見た限りでもかなり強引に、深く少女に結び付けられた術である。普通程度の魔力耐性さえあればここまで深く魔法に侵略されることなど無かっただろう。こうまで根付いた魔法を無理に解けば、少女は壊れるだろう。
王が考え込むように顎に手を当てた。その目に冷酷な計算がよぎるのが、イライザには見て取れる。
(ルウィンも何て事をするのかしらねぇ……)
ルウィンは、産まれながらの大罪人だ。
この聖殿内から出る事が叶わず、一生を飼い殺されて生きる事を望まれている。本来だったら殺すべき命を、その絶大な力をいざという時に利用するために生かされているのだ。
聖殿の外を知る事が叶わないルウィンが、外の世界に焦がれて少女の感覚を無理矢理自分につなげたのかと考えれば、気持ちは分からなくもない。イライザはルウィンの事を嫌っていない。だから外を見たいという少年の衝動を、極普通のものとして受け止める事ができた。
けれども王はそれを許しはしないだろう。
だとしたら、無力な客人に待つ未来は。
「そうか……折角の客人だ。残念だが……」
王の目がイライザに向く。殺せ、と言われるのだろう、とイライザには分かっていた。ルウィンに深くつながる少女など、危険極まりない。聖殿の外に出して、徒にルウィンに外の情報を与えるわけにもいかない。
そして、何の価値も無い子供を聖殿内で保護する理由などどこにもないのだ。
しかし、王がその言葉を発する前にルウィンがそれを遮った。
「ミズキが死ねば俺も死ぬよ?」
一瞬にして空気が凍る。
部屋の中に居る人間全員からの凝視を受けて、ルウィンはつと笑って見せた。
「疑うなら解析しろよ。感覚だけじゃなくて命も繋いだんだ。どれも一方通行でミズキから俺にしか流れないけどさ」
瑞樹が死ねば、その死はルウィンに伝播する。しかし、ルウィンの側からは感覚と同様その死も伝わらない。そう言っているのだろう。
そうと聞いて少女に埋め込まれた魔法を見れば、確かにそれらしき記述を見る事ができた。イライザはそれを読み込んでいく。
(肉体的な損傷を……伝える?)
感覚を共有する術式は、少女が感じた痛みをも伝える。精巧な術は単なる痛みに留めず、その肉体的な損傷度合いも読み取ってルウィンに伝えるのだ。
改めてルウィンを見れば、少女に繋がる術はルウィンに自身にもかかっている。それが伝わった傷の情報をもとに、ルウィンを傷つけるように構成されているのだった。ルウィンが望む時だけ発動する感覚共有と違い、こちらは常時発動とされていた。
「……嘘では、無いようですわねぇ」
「そうか……」
王はルウィンを殺さない。ルウィンは大罪人であり、そしていざと言う時の切り札でもあるのだ。国を取り巻く状況が、召喚などに頼る程に不穏な今、ルウィンを失う事はできないだろう。
「一度王宮に戻ろう。イライザ、お前には客人にかけられた術の解析をしてもらう。詳しくどういう術か、そして本当に解除できないのかを調べろ」
「我が君の仰せのままに」
「レイス、お前は引き続き客人の世話を頼む。聖殿にイライザの部屋も用意しろ。……ルウィンがこれ以上、事を起こさないように手を打ちたいものだが……まずは、そうだな……イライザ、客人に結界を張れるか?」
「できますわぁ。けれども意味はあまりありませんわねぇ。もう既にルウィンとの間にラインができてしまっていますもの」
結界は既に結ばれている魔術的なラインを切る事はできない。ルウィンであれば、そのラインを通じて客人に新しい術を掛けることもできる。客人本人に魔力耐性があるのならその抵抗力を期待できるが、イライザが簡単に見た限りでも、少女の魔力耐性はゼロに等しかった。
「……そうか。イライザ、レイス、それぞれ何か対処が無いか考えておけ」
「我が君の仰せのままに」
「承りました」
こうして瑞樹はひとまず、引き続き聖殿で保護される事になったのだった。




