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黒色の魔道師  作者: リケ
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プロローグ

レカール歴 356年

ジクシオ


 粗末な小屋の中で、一人の女が呻いている。

 寝台に横になり、汗で前髪を張り付かせた女は、その顔を苦痛に歪ませていても尚、美しい。深いダークグリーンの髪は寝台に乱れて散らばり、女の苦痛の程を表しているかの様にも見える。その腕は強く握れば折れそうなほどに細いと言うのに、腹ははち切れんばかりに膨らんでいる。

 女は今まさに、その腹に宿った命を産み落とそうとしているのだった。

 陣痛に呻く女を、もう一人の女が見下ろす。年頃は十代後半といったところか。まだ少女と言ってもいいような若い娘である。冴え冴えとした青い髪を持つ少女は、感情の伺い知れない目でじっとその出産の様子を見ているのだった。

(はたして……)

 少女は幾度となく繰り返し考えたことを今もまた考える。

(産まれるべきなのか、否か)

 元より少女にその決定権は無い。彼女の仕事はただこの出産を見守る事であり、そしてその結果に従って後の行動を起こす事だ。

 けれども彼女の主もまた、この出産を阻むべきか否かを決められなかったのだろう。今寝台で呻く女の居所を知り、女が孕んでいる事を知っても何の行動も起こせずにいたのだから。

 主の命令で密かにこの女を監視し続けていた彼女は、たった一人の出産が始まった気配を察知して小屋の中に入った。

 それでも手助けをするでもなく、ただ冷めた目で女を見下ろすだけだ。

 呻く女の足の間から、赤子の頭が覗く。

(黒)

 少女はその赤子の髪を確認し、知らずふっと息を吐いた。冷めた目に僅かに苦みが覗く。

 そうしてどれだけの時間が経っただろうか。

 小屋に赤子の産声が響く。

 真っ赤な顔を歪め、大きな声で泣く赤子は、素人である少女の目にも健康そのものに見えた。

(無事生まれてしまったか……)

 少女はほんの一瞬目を瞑って感傷ともつかない想いに浸る。けれども一秒にも満たない間に再度開かれた目は、冷徹そのものだった。

 その目がゆるりと、出産を終えたばかりの女を見る。

「お願い……」

 憔悴した声で、母となった女が少女に呼びかける。

「お願い、一度でいいの。子を抱かせて。お願い……」

 少女はその言葉には答えなかった。ただ冷徹な声で告ぐ。

「聖殿は既に、貴女を生かすべきではない、と答えを出しています」

 女はそれに弱々しく首を振った。

「一度だけ……この腕に抱かせて。それだけでいいの。お願い……」

 女は寝台から身を起こす事もできないままに懇願する。その声に湧き上がりそうになった、虚しさにも似た感情を、少女は封じる。女の再度の願いに答えぬままに言葉を紡ぐ。

「私は貴女を至上の目標に、魔法を学んできました」

 少女にとって女は、幼いころからずっと尊敬と憧れ対象だったのだ。だからこそ。

 だからこそ許せない事もある。

「さようなら」

 そう呟いて、少女は女の胸に短剣を突き立てた。女の目から光が失せる。あっけなく絶命した女を前に、少女は少しの間その顔を眺めた。短剣を引き抜けば、血が溢れて寝台を濡らしていった。

 血の匂いが充満する小屋の中で、母の死も知らぬまま赤子の泣き声が響く。

 少女はその赤子をそっと抱き上げた。黒い髪を持つ赤子。まだ開かれないその目の色を、少女は思う。もしそれが、黒であったなら。

 少女は、自身の漆黒の目を僅かに眇める。

「哀れな子」

 子の母を殺した少女はそう呟いて、静かな足取りで小屋を後にした。

 小屋には、虚ろな目で虚空を見つめる女の遺体だけが残った。


********


レカール歴 372年

ジクシオ


 白い空間だった。

 壁、床、共にしみ一つない純白。アーチ状の天井は高く、一点に収束するように湾曲している。そしてその一点からは眩い光が注がれていた。その真下、部屋の中心には同じく真っ白な祭壇が据えられている。部屋全体が、発光しているかのようにひたすらに白い。

 その部屋の中に佇む数人の人間たち。彼らもまた、白いローブに全身をつつみ、まるで部屋と同化するかのようだ。彼らは祭壇を同心円状に囲み、それぞれがそれぞれに任された詠唱を続ける。

 古き力ある言葉による詠唱は、歌の様に部屋の中に満ちる。事実、それは歌と言っても過言ではない。古き力ある言葉による詠唱は、その拍子、音程も全て定められたとおりにこなさなければならない。ほんの僅か音程がずれただけで、ほんの僅かタイミングが合わなかっただけでその詠唱は意味を違えてしまうのだ。

 ましてや九人の人間でそれぞれ違う語句、違う音程、違う拍子でありながら、定められたタイミングがずれてはいけないのだ。となっては、成功させるのは困難を極める。長い歴史の中でも、今行われている詠唱が成功したという確かな記録は残っていない。

 けれども彼らは今の所、それを何一つ違わずに、既に丸一日、長い長い詠唱を続けていた。

 それでもまだ先は長い。

 深くフードを被り顔のうかがい知れない術者たちからは、疲労の程度も読み取れない。ただ間断なく、不揃いなようでいて不思議な調和を感じさせる詠唱が続く。

 三日間に渡るこの儀式を成功させる、その為に。

 真っ白な部屋に、ただ彼らの唱う声だけが響く。


********


西暦 2014年

日本


 少女は歩きなれた夜の道を歩いていた。手に最寄りのコンビニのビニール袋。中には数種類のパッケージのチョコレートが入っている。

(これ続けたら、太るよなあ……)

 すっかり習慣になってしまった夕食後のチョコレートには、すでに親も渋い顔をしつつある。自分の小遣いで買っている事、そしてその習慣ができた理由が、迫る高校受験へのストレスにある事、を知っているから今は何も言われないだけだ。最近、両親の少女に対する扱いは腫れ物に触る様になっている。

 少女自身とて、この習慣を続けるのは良くないと分かっている。少女は無意識に、頬の目立つ位置にできたニキビに触れると、白い息を吐いた。

(別に、そんな良い高校行けなくてもいいんだけどな)

 ピンからキリまである私立高校の全てに落ちるという事は多分ない。少女が受ける事を決めた私立高校の一つは入試の成績で勝手にクラスをレベル分けしてくれる。その最底辺の合格ラインを下回る事は無いだろう。親も私立高校に入学することを否とは言っていない。

 だから少女自身は将来に対しては別段不安を抱いていなかった。彼女が抱く受験へのストレス、というのはそれとは少しだけずれている。

 真面目だけれど、やる気が感じられない。

 大人しく、周囲への関心が薄い。

 少女を良く知る人間が少女に下している評価はそんな所で、それは間違っていない。少女自身ですら、自分をそうと認識している。

 少女が受験に感じるストレスとは、「必死で勉強するのが当たり前」というその空気そのものと言えるかもしれない。それまでプレッシャーを与えてこなかった少女の両親も、少女が自身のレベルよりも1ランク低い公立高校を志望校に選ぼうとした時には待ったをかけた。

「こんな機会だから、もう少し頑張ってみてほしい」

 両親が少女に願ったのはそんなような事で、「失敗してもいい」という言葉と共に提示された高校は少女のレベルよりも2ランクほど上だった。

(別にサボってるわけじゃ無いけど……)

 比較的簡単に合格できそうだから、という理由で選んだ高校は、反対されてまで希望する程のものでもない。「失敗してもいい」という言葉に逃げ道を見出した少女は、両親の希望を大人しく受けた。

(努力すればいいだけ)

 でも努力とはどの程度すればいいのか。普段より少し多く勉強すればいいのか。過去問や参考書を全て終わらせればそれは努力したとみなされるのか。好きな漫画や小説をどれくらい我慢すべきなのか。睡眠時間を惜しんで深夜まで勉強する姿を見せるべきなのか。

 そんな事を意識してしまう事が鬱陶しい。

 それでもそんな少女とて、模試の判定ランクが勉強をするに従って徐々に徐々に上がっていくことは素直に嬉しかったし、そうやって分かりやすく「努力」の結果が見えてくれれば両親も喜んだ。

 手が届かない高校では無い。今では少女もそれを理解している。現に既に少女の成績は合格圏内に入り始めており、模試の判定結果も安定しないながらも良い結果を出し始めている。

 正しく努力できていれば、合格できる高校。

 そんな意識が、少女を却って悩ませる。

 両親だって、「失敗していもいい」とは言っていたけれど、落ちたらやっぱりがっかりするだろう。学費の事だってある。私立のお金が辛いのならば両親だってこんな提案をしなかっただろうが、公立に受かるに越したことはない。

(でも受かったらきっと、凄く喜んでくれる)

 これまで特に大きな期待もされず、可もなく不可もなく、を体現したかのような無気力な人生をそれなりにのびのびと生きてきた。そんな少女に、初めてかけられた「期待」だったのだ。

 できればそれに応えたい、と少女本人は明確に意識していないながらも思っている。

 だからこその、ストレス。

 それでもそれは少女の精神を追いつめる程の物ではない。それは受験生誰もが大なり小なり抱える類の物であって、少女のそれは寧ろ軽くさえある。少女としても、自分がストレスに潰れるとは一切考えていなかった。むしろ今習慣付いてしまったチョコレートを、受験後にちゃんと辞められるかどうかの方が心配である。

(帰ったら十五分だけ漫画読んで、それから参考書進めよう)

 少女がそんな事を考えた矢先。

 白い光が少女の目をさした。

(車?)

 とっさにヘッドライトの光だと思った少女は道端に身を寄せる。けれども見てみればそれはヘッドライトなどではなく、少女の目の前に光そのものが浮いているのだった。

(なにこれ)

 光源も良く分からないそれは、ただの光の塊のように見える。少女は未知の現象に怯え、その光から距離を置こうとした。目を離す事もできないまま、背を塀に付けたままずるずると移動する。

 けれども光は、少女に付いて来るかのようにすうっと移動する。

「っひ!」

 思わず小さく悲鳴が上がる。いよいよ逃げようとした少女の機先を制するように、光が瞬く。そして次の瞬間、その光量が増した。その圧倒的な光を前にして、少女は思わず腕で目を庇い、瞼を固く閉じた。


********


レカール歴 372年

ジクシオ


 白い光から目を庇ったまま少女はしばらく硬直し、やがて恐る恐る腕を下げ、目を開けた。

 見なれた夜道が消えている。

(はい?)

 そこにあるのは、白い部屋と、そこに佇む白いローブの者たち。

 祭壇の上、白いローブの者たちを見下ろす様に佇みながら、少女は呆然とする。

 白いローブの者たちの中から、丁度少女の目の前に立っていた一人が一歩二歩と前に進み出て、ローブのフードを後ろに払った。

 その露わになった顔、白銀色の目と髪をしたその男は、現実離れしているほどに美しい。

 けれども状況に混乱している少女には、その美しさをも恐怖の対象でしかない。思わず一歩、後ろに後ずさる。

 白銀の美しい男はそんな少女の前に跪いた。

「我らが呼び掛けに応えし異世界からの客人(まれびと)よ。どうか我らを救いたまえ」

(異世界? まれびと?)

 気が付けば少女を囲む人間たちは皆フードを脱いでいる。男女入り混じった彼らの髪は、皆乳白色の淡い色合いをしているという共通項こそあれど、様々な色をしていた。水色、緑、金、灰色、桃色……。それらは皆、染めたもののようには見えない。日本に、いや世界のどこを探しても、自然に存在する筈がない髪色もある。

 そうして彼らは、一斉に少女の前に跪いた。

(ちょっと、やめてよ……)

 振り返っても、そこにあるのは白い部屋と跪く人間のみ。ついさっきまでいた筈の、生まれ育った町はどこにも無い。

 少女は、自分が尋常ならざる方法で全くの知らない場所へと連れて来られた事を認めないわけにはいかなかった。


 身に纏った服。コートのポケットの中のハンカチと財布とiPhone。右手にぶら下げたコンビニ袋とその中のチョコレート。

 それまで少女と共にあった世界の中で、少女に残されたのはたったそれだけ。

 悩みも、家族も、友達も、これから形作るはずだった未来も、何もかもから切り離されて、少女は異世界へと呼び出された。



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