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第57話 懐かしい過去


 じじいが部屋を出ていってから、わりと時間が経った。

 はっきり言おう。暇だ。


「エレン君エレン君、しりとりでもしましょう」


 しりとりをしようと言った俺に、エレンは不思議そうにしながら頷いた。


「いいですけど……他にやることないんですか?」

「お互い身一つで来ただけなのに、暇潰しできる物なんか……いや、ありますけどね。四次元ポケットじみた魔法のおかげで」

「四次元……?」

「おっと口が滑った。どうでもいいことなので忘れてください」


 後で教えようとは思っているが、エレンだけ抜け駆けさせるのは良くない。どうせなら勇者候補が全員いるときに、皆で教わってもらおう。

 素直に頷いてくれたエレンに笑いかけ、俺は「じゃあしりとりの『り』から始めましょう」と言った。

 ふははは、同じ語尾で攻めてやるぜ! やがて無くなる語彙に苦しむがいい!


「では俺から行きますよエレン君。林檎!」

「えっと、ゴミ」

「み、み、み……」


 いかん。咄嗟にみかんが出てきてしまった。次に出てきたのがミシシッピなんていう、地球の川の名前だ。えーと、み、み……。


「おじいちゃん……?」

「水着! ……おじいちゃん?」


 突然聞こえた声に首を傾げる。ドアの方を見ると、控えめにこちらを覗いている幼女がいた。確か俺に似た名前の……そうそう、ニアだったか。

 ニアは部屋の中を見渡している。どうやらじじいを探しているようだが、生憎と、今はここにはいないんだ。

 困ったようにその場で立ち尽くしている様子を見ていられなくて、俺はゆっくりとニアに近づいた。すぐ前で膝をつくと目線が同じくらいの高さになった。


「おじいちゃん、今はいないんですよ。もう少しで来ると思うんですが、一緒に待ちます?」


 ニアは不安そうに俺を、そしてエレンを見つめている。

 うーん、可愛いな……。子供っていうのは可愛いもんだが、自分に娘がいた影響か、女の子が可愛く思えて仕方ない。

 一度泣き出すと大変だったのも、今ではいい思い出だ。


「おじいちゃん、どこ……?」


 よく見れば彼女の手元には一冊の絵本がある。あれか、じじいに読んでもらおうとしたのか。読み聞かせには合わないと思うけどな、あの人……。

 不安に揺れる瞳が今にも涙をこぼしそうな姿が、いつの日かのシエラと重なった。この子よりも小さかったシエラは、最期にどんな絶望を感じて、どれほど泣いたことだろう。

 そう思うと焦りが生まれて、俺は無意識に片手をニアの前に差し出した。

 ニアが手を見たのと同時に、手の平から水の魔力を放出させる。その水は一瞬で、とある動物の形の氷になって固まった。


「わぁ、すごい……!」

「ペガサス。聞いたことはあるかい?」


 笑顔になってくれたことに安堵しながら聞いてみると、ニアは氷像から目を離さずに頷いた。どうやらお気に召したようだ。

 シエラが泣いていると、よく魔法を見せて機嫌をとったものだ。子供には誰にでもこの手段は使える。


「どうやってつくったの?」


 可愛いなぁ。こんなに目をきらきらと輝かせて……。こんな純粋な子が、成長していくにつれて闇を知っていくなんて、考えたくもない。


「魔法でちょちょいのちょいさ。さて、何かリクエストはあるかな?」

「お花もつくれる?」

「もちろん!」


 ペガサスをニアに渡しながら、ゴミのない床にそっと手をかざす。少し力を入れるだけで、床には透明な花々が咲き誇った。


「すごぉい……! ねえ、ニアもつくれる?」

「はっはっは、お安いご用だとも」


 なんせ、モデルが目の前にいるから簡単なのだ。

 ニアの姿を見ながら、横に手をかざす。シエラもこうやって魔法をねだってきたなぁ。懐かしいなぁ。


「さ、できたよ」


 だが、懐かしんでばかりだったからだろうか。

 自分では気づかずに、ニアが自分の姿である氷像を見て首を振ったときに俺はようやく、所望されたものとは違う人物をつくったのだと分かった。


「これ、ニアじゃないよ?」

「え……」


 おかしいなと、軽い気持ちで氷像を確認すると、確かにニアよりも小さくできている。俺は実物大にするつもりだったんだが。

 着ている服を見てみても、ニアの服よりもフリルが多いし豪奢だ。形だけで高級品だと分かる代物だ。今は氷だけど。

 最後に顔を見るときには、俺は自分の弱さに苦笑していた。

 俺が造ったのは、最後から二番目に見たシエラの姿だったのだ。


「うーん……本物のシエラの方が可愛い」

「しえら? って、だれ?」

「さて、誰でしょう?」


 言いながら、氷像を消滅させた。ニアが残念そうな声を上げるのを聞きながら、改めてニアの像を造り上げる。

 不満顔はどこへやら、ニアは自分の氷像の周りをくるくると回りながら、すごい、すごいと騒いでいる。

 子供の機嫌とは変わりやすい。大人になっても、すぐに機嫌が変わるやつはいるけどな。俺とか。


「教官、子供好きなんですか?」


 あ、いけね。存在忘れてた。いや覚えていたけど、視界に入るなー程度で……。ごめんエレン……。

 興味深そうに俺が造ったの氷像たちを横目で見ていたエレンは、今度は意外そうに俺とニアに視線を向けている。

 そんなに意外なことだろうか。いくら死刑囚になるような犯罪者だからって、子供が嫌いとは限らないだろ?


「まあ、嫌いではありませんよ。俺達も通ってきた道ですし、何より可愛い。人類の宝では?」

「それもう『好き』って言っていいと思います」

「じゃあ、好きです」


 ちなみにロリコンじゃないぞ。本当の本当に、普通に好きなだけだ。


「お兄ちゃん!」

「はいはい、何だい?」


 “他人”から“知り合いのお兄さん”くらいに格上げされた気がする。子供だとこんな簡単に警戒心って解けるんだな。くそ、可愛い。


「何でもつくれるの? お洋服も?」

「氷でならね」


 服を作ってほしいなら、ちゃんと見繕ってもらった方がいいと思うが、それはそれだ。

 今すぐに着たいものがあるなら魔法の方が早い。魔法だから、氷でも冷たさを感じないようにできるし問題ない。


「あのね、こういうお洋服、着たいの!」

「どれどれ……。ああ、なるほど」


 見せられたのは、ニアが持っていた絵本の登場人物ーーお姫様、だ。

 やっぱり女の子っていうのは王女に憧れるんだな。実際はそんな楽しい立場ではないが、今求められているのはそういうことじゃない。

 わくわくしている様子のニアに微笑みかけ、俺は彼女の服の上を装飾するように氷をまとわりつかせた。今は普段着だから簡素なワンピースだが、パーティーに着ていくようなドレスに見せかけていく。

 フリルはもちろん、細かな飾りも忘れない。一つ一つを小さく細かくすることで動きやすいようにして、重さも闇魔法で誤魔化す。首飾りを作って、耳には愛らしいイヤイングを着けた。仕上げにティアラを飾れば、完了だ。

 俺が手を離すと、それまでじっとしていたニアが体を捩って自分の格好を隅々まで見た。頬が徐々に紅潮していく。


「かわいい! すごいすごい!」

「気に入っていただけてなによりです、お姫様?」


 執事気分になって大仰な仕草で一礼するも、お姫様は「違うもん!」と赤い頬を膨らませてしまった。

 え、何か違うの……。


「王子様がいるの!」

「王子……あぁ、姫と来れば王子だな」

「王子様とダンスする!」


 ニアは絵本を広げて、王子が姫をダンスに誘っているページを見せつけてきた。

 王子かぁ。エレンにでも任せようかな。躍るなら、俺よりエレンの方が身長的にも……、あまり変わらないか。

 下を見れば、ニアが見ているのは俺だ。王子役をやれと言いたいんだろうな、これは。すっかり懐かれてしまったようだ。


 仕方ない。構い始めたのは俺なのだ。こうなったらとことんこの子に付き合ってやろうじゃないか。

 まずは闇魔法で年齢をもっと幼くする。幻影で見せかけるだけでもいいと思ったのだが、踊るときに困るので実際に若返った。自分自身に若返りの呪いかけるだけだ。数時間も経てば元に戻る。

 次に、ニアにやったように自分を着飾った。服の上に、昔着ていた服のような装飾を施して高級感を出す。手袋もするか。

 髪もあの頃のようにオールバックにしてみて、っと。

 よし。これで、ニアよりも装飾品は少ないが、だいぶ派手になったはずだ。昔と違うのは髪と目の色、そして仮面がないことだろうか。

 一応年齢は七歳くらいを目指した。少し身長差がある方が女性は喜ぶ……と思ったのだ。詳しくは知らない。


 ニアが目を丸くしているのを愉快で、自然と口元が綻んだ。いけないいけない。“王子”を気取らなくては。


「私と躍っていただけますか? ニア様」


 まだ変声期を迎える前の、高い声が響いた。懐かしいな。まだエルと出会ったばかりも、こういう声だった。

 ニアは満面の笑みを浮かべて、絵本のお姫様のように「よろこんで!」と返した。





 闇魔法で幻聴の音楽を流し、周囲を狭いダンスホールに見せかけ、俺とニアはステップを踏む。

 というか、ほぼ俺がニアにダンスを教えているだけになっているような気がする。


「下ではなく私を見てください、ニア様。あぁ、踏んでも気になさらないで……」

「ご、ごめんなさいっ!」

「ほら、もっと気を抜いて? せっかくの可愛らしいお顔が強張ってしまっていますよ」

「ひゃうぅ……!」


 うん。楽しい。

 ヤバい。楽しい。

 王子が本業だった頃はこんな気楽におだてられなかったが、今こうしてやってみると案外楽しいものだな。

 “理想の王子様”を演じてみせる俺に、毎回ニアが照れるのだ。五歳くらいに見えるけど、女の子だよなぁ本当。

 少し離れたところでエレンが胡乱げにこちらを見ているのは気にしない。気にしないことにしている。


 ニアは躍るのは初めてなのか、何度も俺の足を踏んでいる。しかし軽いから痛くないので問題ない。社交界に出てからは踏まなければいいのだ。

 俺も躍るのはしばらくぶりなのだが、意外といけている。体が覚えてくれていたようだった。


「はい、ここでターン!」

「は、はい!」


 促すと、小さな体が不格好にくるりと回った。

 まだ幼いのだから、これだけできれば上々じゃないか。ダンスなんて慣れれば簡単だ。


 さてと、そろそろ終わるべきだな。あまり続けても疲れるだけだし、ニアも充分満足そうにしている。

 俺は曲調をクライマックスにさせ、ニアを持ち上げて優雅に一回転してみせた。


「きゃあ!?」


 驚きの声を上げて俺に抱きつくニアに、心底からの笑顔を向けた。


「ありがとう、ニア。楽しかったよ」

「に、……わたしも!」


 最後に二人で何ステップか合わせて踊ると、音楽が穏やかに鳴り終わった。



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