第56話 魔族について
目を開けると、見えたのは『ザ・田舎』な風景。
畑が点々として存在し、遠くには飼育されているらしき動物。家々はある程度の距離を保って建てられており、その他は平原。
俺が王になれてたら、退位した後に住みたいと思えるような、そんなのんびな村だった。
「エレン君、俺もここに住みたいです」
「……」
「空気も綺麗で、理想の田舎ですよ」
「………」
「ほら、吐き気なんて深呼吸して吹っ飛ばしましょう」
「…………は、……」
『はい』って応えようとして気持ち悪いから止めたやつだな、これ。
口元を両手で押さえてうずくまるエレンの背中を、数十分前のエレンのようにさすってあげた。
「……で、じじいはどこですか?」
うずくまりながらゆっくりと手を上げ、指で指し示したのはここから少し離れた平原の方向。
「いつも、あっちで……」
「はいはい、了解です。おんぶしてあげるので、行きますよ」
一瞬嫌そうな顔をしたエレン。お姫様だっこよりいいだろうが。我慢してくれ、悲しくなるから。
のそのそと背中に乗ってきたエレンをしっかり背負ってから、先程指し示された平原へ、あまり揺れないように歩いた。揺れたら吐き気を我慢できなくなって嘔吐物が俺の背中に――なんてなったら困るから。
平原に到着すると、特に誰もいなかった。
「……ん?」
「え……?」
俺とエレンが同じように呟く。
「エレン君、じじいは?」
「……いつもなら、ここにいるのに」
何かが起きたのだろうか? じじいが行かなくてはならないような何かが?
じじいはあれでも何気に重要人物だから、非常時には動かなくてはならない。そんな非常事態に首を突っ込みたいのが俺だ。
「よし、探しましょう。エレン君、他に心当たりは?」
「……あっち」
次にその指が指したのは、ここから近くにある一件の家。何の変鉄もない、ただの家だ。
「もしかして、じじいの家ですか?」
「はい」
いいなあ。あいつ、田舎生活を満喫しているじゃないか。俺もそんな田舎生活をしたかった……。
落ち込んでいても仕方ないから、さっさと行こう。
気を取り直して、じじいの家へ。近くで見ても、ただの家だ。
「ごめんください」
ノックをするも、反応はない。
耳を澄ますと中が騒がしいので、誰もいないわけではないのだろうが……。
やはり、何かあったのだろうか?
「エレン君」
「はい」
既に背から下ろしたエレンに話しかける。
本人の体調は良くなったらしく、今はうずくまることもなく普通に立っている。ただ、まだ顔色が悪い。
「……ドアを、蹴破ります」
「え、教官、えぇ!?」
何かあってからじゃ遅いだろう?
ドアの修理代くらいなら出せるから、問題ないさ。
そうして足を振り上げ――たら、ドアが開いた。
「ごふぅ!?」
腰の辺りに思いきりぶつかってきた何かを受け止め、数歩後ずさった。
体当たりしてきたのは、小さくて暖かい――幼女だった。
「……じじいの隠し子……?」
5歳程であろう幼女は目をパチクリさせながら俺をじっと見上げている。その顔にはどことなくじじいの面影があった。
「ニア! ニアー!! なぬ、ノア!? 何故ここに!?」
家の中からドタバタと賑やかにやって来たじじい。
この幼女、ニアっていうのか。俺の名前に似てるのな。
「数日ぶりです。ところで、この子は長官の隠し子ですか?」
「なに、俺に似てるか!?」
『でれぇ~』と効果音が付きそうなくらいに頬を緩ませ、じじいは幼女を見る。
幼女はさっきからずっと俺を見ているので、じじいには目もくれていない。
「ニア。おいで」
「……おじいちゃん」
幼女は俺から離れると今度はじじいの腰に抱きついた。
顔が崩れきってるぞ、じじい。
でも、そうか。幼女が『おじいちゃん』と呼んだから、隠し子ではなく孫か。
それもそうだな。実直な性格であるはずのじじいが隠し子なんて……ねぇ?
「立ち話もあれだ。中へ入れ。どうせ用があって来たのだろう?」
「えぇ、まぁ」
「エレンもな。菓子くらいは出すぞ」
「ありがとうございます、じいさん」
幼女を抱き上げご機嫌のじじいからは、孫娘を溺愛しているおじいちゃんという様子が見てとられる。
いいなぁ。俺もじじいみたいな人生を歩みたかった。
もう、叶わぬ夢だけど。
じじい宅には本人と、夫人、そして昨日から息子と孫がいるそうだ。
息子さんは騎士団の幹部格の人間で、しばらくぶりに休みを取れたからじじいに孫を見せに来たとのこと。
嫁さんも来たがっていたようだが、現在は身重なので留守番になったと。
「初めまして、夫人。ノア・アーカイヤと申します」
「初めまして、ノア。夫とは親しい仲みたいだね」
「そうでもありませんよ?」
親しいというか、何だかんだで協力者同士、仲良くやっていたというか。
夫人は「キャロリーナだよ」と名乗った。元傭兵だそうだ。
確かに身体の軸がしっかりしているし、雰囲気が歴戦者のそれだ。まだ相当戦えるんじゃないだろうか。
「して、ノア。何をしに来た?」
「聞きたいことがあります。そこに、エレンを同席させてください」
「ふむ」
遠回しに『自分達とエレンだけで話そう』と言う。するとじじいは頷き、ついてくるよう顎で示すと2階へ上がっていった。
俺とエレンは顔を見合わせ、じじいの後を追うのだった。
「俺の部屋だ。ここなら誰にも聞かれないだろう」
じじいらしい、簡素な部屋だった。必要な家具以外何も置かれていない。
男3人、適当なところに腰を下ろす。
「えー、こほん。じじいに聞きたいのは、一言で言ってしまうと、魔族についてです。以前、調べていると聞いたことがあるので、その時に知ったことなどを教えて下さい」
「魔族だと?」
露骨に嫌そうな顔をするな。俺だって思い出すだけで殺意が湧くくらい嫌なんだから。
一方のエレンは俺が言ったことを理解できていないようで、ぼんやりと俺を見ている。
「それで、魔族がどうしたのだ? まさか……会ったのか?」
じじいの目がこちらを案じるような視線を送ってくる。
そんなに心配しなくても、俺はこうして生きてここにいるのに。
そういえばこいつも夢の中であの化け物に殺されたんだよな。
今は、エレンが側にいるから『長官』とは呼ばないが。
俺はこの人があの監獄の長官であることを心の底から認めている。
元・近衛騎士団団長のアルドヘルム・エイリング辺境伯を、とても尊敬しているのだ。
――口には出さないけどな。絶対に!
「そのまさかですよ。まったく、散々な目に合いました」
「よくそうやって正気でいるな、ノア。廃人になってもおかしくない相手だっただろう」
「そこは俺の精神力が強かったということで」
「そうか……」
あの夢の中でのように、悲痛な表情を浮かべるのはやめてほしい。何でこうも心配してくれるんだ。あんたは俺の保護者か。
……保護者と言えなくもないんだろうな。小さい頃から世話になっているし、監獄に俺を閉じ込めてくれたのもこの人だ。
父親のようなものなのだろうか。前世でも今世でも父親とはあまり関わらなかったから、よく分からない。
それはそうと、エレンが俺達の会話の内容をまったく分かっていない。
「……エレン君」
「はい」
「魔族のこと、知ってますか?」
「お伽噺程度なら」
そうか。そんなものなのか、一般市民の魔族についての知識は。
俺自身は王族だったから、感覚がずれているところがある。転生者だから、というものもある。
ついでに、俺はお伽噺程度のことも知らない。語り聞かせてくれる人がいなかったのだ。悲しいね。
知っているのは、今朝体験したことだけ。魂や感情を喰らうとか、その程度なのだ。
そうなると、魔族について最も詳しいのはじじいである。
先に今朝あったことを話してしまってもいいが、エレンが話についてこれるようにするためには魔族の説明を聞いてからの方がいいだろう。
「そんなわけでじじい、魔族について説明してください。俺もエレン君も全然知識ないので」
「そのようだな」
じじいは少しの間黙り込み、やがて咳払いを1つ、
「魔族に関しては、まだまだ謎が多く、俺の知らないこともある。だが、知っている限りを伝えよう。
まず、奴らは人間とは全く違う種族だ。全てにおいて人間の上位版、とでも言おうか。知能、身体能力、 魔力が桁外れに優れている。
姿形は人間そのもので、見分ける特徴として瞳が挙げられるな。この国の王族と同じ、真っ赤な瞳だ。
普段は我ら人間に接触することはほとんどない。ほんのたまに、あることにはあるのだが……」
そこでじじいは言い淀んだ。
あることにはあるが、それはきっと、奴らが人間の魂を喰らうときなのだろう。空腹になるとやって来るというわけだ。
もう一度咳払いをし、じじいは俺達を――特にエレンを強い眼差しで見る。
「ここまでは多分、お前達も知っていて変じゃなかっただろう。一般的に知られている知識だからな。問題はここからだ」
エレンはごくりと喉を動かした。じじいの真剣な雰囲気にあてられたのだろう。
「あいつらは人の魂を喰らう。感情なども、どうやってか知らないが喰うらしい。どんな感情が好みなのかは個体によって変わるが、魂の喰らい方は一貫している。人を殺して、肉体から離れたそれを……」
「そんな……」
エレンが青ざめていくのを横目で見つつ、俺は頷いた。大体見た通りだ。感情の好みが別れるのは初耳だったが、意外なことではない。
「弱点はないんですか? 何やっても避けられたんですけど、俺。しかも終いには悪夢を見せられて、逃げられましたし」
「弱点は、むしろ教えてほしいくらいだな。それにしても魔族に対してお前が無事でいることが奇跡みたいなものだ。いや、お前だから無事だったのか?」
「あははは……」
俺の実力ではなく、エルのおかげなのだが……これはじじいにも秘密だ。分かっているのだろうが知らないふりをしてくれているのだから、わざわざ厚意を無駄にすることはない。
うーむ、弱点がないとなると対策の立てようがない。あいつが現れたら毎回大勢が殺される、なんて、そんなもの見逃せるはずもないのだが……。
人間を食糧かのようにーー実際あいつらにとって俺達は食糧なのだろうがーー扱われるのは、胸糞が悪い。あいつが本気になったらこの世界の人間の大半は為す術もなく殺されるだろう。
おそらく、魔族が国全体を虐殺するなどの行為に及ばずそれよりも被害を小さくしているのは、その必要がないから、の一言に尽きるだろう。必要以上に魂を喰らうことはしない……人間が家畜を殺して食べるのと同じだな。
「俺も大概荒れた人生送ってきたつもりだけど、ここまで物理的に敵わない相手って初めてじゃね……?」
ちらっちらっとじじいを見ながら呟いてみると、疲れた顔で「だろうな」と返された。
ぶっちゃけ、あの宰相は立場的に、そして情勢的に殺せないやつだった。つまり俺の頭がぷっつんと切れていたら宰相野郎という悩みの種は潰せたのだ。その代わりに国規模の混乱を招いていたが。
「教官」
「はい?」
「魔族が現れたってことは、誰かが……?」
恐る恐る、といった様子で質問をしたエレンに、俺は躊躇なく肯定した。ここまで来たのだ、隠し事もするまい。
「とある貴族の使用人が殺されました。屋敷にいた方々は全員ね」
「他には……?」
「おそらくその屋敷の使用人だけでしょう。運が悪ければ俺も奴のご馳走になっていましたが、まぁ俺は生き延びたので構わないでください」
青を通り越して色が抜けていく顔を見て、やはりまだ耐性のないうちに過激すぎたか、と反省した。
平凡で平和な世界を生きてきたのであろうエレンには、もう少し情報を制限するべきだった。
「……教官は、どれくらい強いんですか?」
「えー、俺なんてーー」
「剣技と魔法を組み合わせたら国で五指に入るんじゃないか」
「ねぇ勝手に答えないで? 謙遜しようとした俺の台詞返して?」
「事実だろう」
素材と師が良かったからね。あと俺の努力っぷり。誰か褒めてくれたっていいと思うんだ。
エレンはどうやら俺とじじいみたいなやり取りをする余裕もないらしく、俯いて黙り込んでしまった。うん……ごめんよ、エレン。ちょっと少しだいぶ判断間違えちゃったな。やっぱり未来ある若者に絶対的強者、しかも無差別殺人野郎のことなんか話すべきじゃなかった。俺がバカだった。未来なんか近々消える俺だって怖いのになぁ。
「ん、こほん。あー、エレン君や。魔族にもきっと弱点はあるはずです。超絶万能な存在なんていません……いないと思う。だからいつの日か魔族なんか現れても返り討ちにできるくらい強くなりましょう。ね?」
「……」
「明日は希望に満ちている! ほらほら、可愛い女の子でも探しにいきましょう。恋でもすればその感情を糧にーー」
「魔王って、魔族と関係ないんですか?」
えっ。真面目すぎる質問じゃないですか? 女の子探しにいこうとか言った俺が馬鹿みたい……。
エレン君は未だに青ざめているが、瞳は爛々と輝いている。絶望なんか知らねーよって感じだ。強いな、この子。流石エレン君。正統派主人公の名を欲しいままにできる人だ。
じじいはエレン君の質問に不意を突かれたように目を見開いたが、やがて少し待つように言い、部屋を出ていった。資料でも探しに行ったのだろう。
部屋には、生きる活力に溢れる我が生徒と自分の馬鹿さに思わず笑ってしまった俺だけが残されたのだった。




