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第53話 化け物の正体は

 三人称です


 話が終わり、カップが空になったジルベルトのためもう一杯紅茶を入れた方がよいのかか悩んでいるとき、()()を感じた。

 魔法について常人より遥かにたくさんの特訓を積んだ者には分かる、しかし普通の魔術師でも感じ取れるであろう強大な魔力を。


「空気が揺れてる……」


 魔力を感じたのだろうジルベルトが身構えている横で、レイシェイラはその魔力の持ち主を思って立ち上がった。


「あぁ……何があったんだ」


 そう遠くないところから魔力と共に発せられる激情も読み取れ、レイシェイラは顔をしかめながら部屋を出た。

 自分の後から部屋を出たジルベルトに(ことづ)けをするのも忘れない。


「君は1階にいろ。ボクについてきたりは……しないよな? 今感じている魔力のことが、ボクがどうにかするから。取り敢えず他の勇者香舗といればいい」


「何が何だか理解できないが……了解だ」


 若干顔をしかめているがレイシェイラの言葉に頷きクラスメートの元へ行くからだろう、1階へ下りていった後ろ姿を見て、彼のとある噂について思い出した。


(どっかの令嬢が彼に求婚しているって……本当かな?)


 今度クリフに調べるよう言おうと記憶の引き出しに仕舞い、さっさとノアに宛がわれた部屋に向かった。


 その部屋のドアを開けようとすると何故か開けられない。ドアノブがひんやりしていたのでドアの周りを火の魔法で温めると案の定、ドアは動いた。


(魔力の暴走か……。面倒なことならなければいいけど、っと)


 ドアを開けた瞬間に黒い霧のようなものがもやもやと部屋から出てきたので咄嗟に避けるが、それはただ何ともなく漂っているだけだった。

 黒い霧に手を当ててみても冷たいだけで、怪我などはしない。


(何だこれ……っつ。パチッてした?)


 手を霧の中で振っていると急に痺れたので手を引っ込めたが、よく考えると先程の『パチッ』は静電気によく似ていた。

 まだちょっと痛いと思い顔をしかめていると、黒い霧の一部が手にまとわりついた。


「うわっ、やめ……え?」


 霧はすぐにレイシェイラから離れた。その時には手に残っていた痛みは全て消えていた。否、()()()()と言うべきか。

 黒い霧、冷えた空気、走る電気、癒えた痛み。これら4つはノアの取得属性魔法と関係している。

 彼は『アディニス』の時は闇以外の3つを、『ノア』の時は治癒以外の3つを使えると周りに言っていたのだが……当然、4つとも満遍なく使えるのだ。ただ、まったく同じ属性を使えたら疑われるかもしれない――同じ属性を使える人間などいるのだが、用心して――と思い、彼が勝手に使い分けただけなのである。



 4つの魔力が無差別に人に干渉するのは良くない。すこぶる良くない。この魔力はもやもやと広がり続けている。

 ノアはどうなっているのか。あの、妻と娘と仲間の復讐を誓った友人は。

 死んだと思って1度は再会を諦めたあの人に何があったのか確かめるため、レイシェイラは魔力が充満する部屋の中へ足を踏み入れた。






 部屋に入ってすぐドアを閉め、かつて教わった無属性魔法――空間を切り離す魔法を思い起こし、かざした手に魔力を集めた。念には念を入れるため、この部屋を外から切り離すのだ。


 うろ覚えの呪文を呟くと、成功したかも確認せず更に中へ進んだ。進んでいくにつれて濃くなる霧と強くなる寒さ、走る電気と癒される痛み。


「ははっ……脱獄して早々、何してるんだよ……。本当、何があったのやらっうわぁ!」


 ぐにゃっとしたものを踏みつけ、レイシェイラは盛大に転んだ。

 何があったんだと足元に目を向ければ、そこには探していた人物が転がっていた。霧が濃すぎて床にいると分からなかったのである。


「アディニス! ……寝てるのか?」


 見れば本人は固く目を閉じた状態で仰向けになっている。その表情はとても苦しげだ。息も粗い。


「悪夢か……。呪いの類いかな?」


 この世界には魔法とは別に『呪術』というものが存在するのだが……それは確か滅びた民族しか使えなかったはずだ。生き残りくらい、いるかもしれないが。

 悪夢を見せられ、苦しめられているなら、起こさなければならない。しかしそういった種類の魔法を解くには光魔法が必要になる。

 レイシェイラの取得属性魔法に光はない。従者であるクリフも、光は使えない。

 ノアの生徒だという彼らのなかに光魔法を使える者はいるだろうか。あれだけ人数がいるのだ、1人くらいは……。


 他人に自分から話しかけるのは死ぬほど嫌だがノアの苦しみには代えられない。レイシェイラは生徒に助力を乞うことにした。

 決意に頷き踵を返そうとしたら、ちょうどノアの目が開いた。


 声をかけようとしたけれど、その瞳の奥に底知れぬ殺意が窺えてそれができなかった。

 殺意の籠った瞳から涙が溢れ、


「クソが、ッァアアアアアアアッ!!!」


 迸る激情の叫びに、本能的な恐怖がレイシェイラの全身を駆け巡る。

 ノアの魔力の暴走が酷くなればレイシェイラなどすぐにやられてしまう。尋常ではない特訓量で自らを鍛えたノアの前では、殆どの魔術師は赤子同然なのだ。

 ともすれば友人に背を向け、逃げ出したい衝動にかられたが、涙が零れる瞳を見て理性を取り戻す。


「許さねぇ許せねぇ許すわけにいかねぇ……殺してやる……! 殺してやる!!!」


 誰に向けてそれを叫んでいるのか、分からない。けれど彼がここまで怒るのだから、きっとエレノアとシエラ――彼の大切な人達についてのことなのだろうと分かった。

 傍にいるレイシェイラに気づかず下を向いて身体を震わせ、襲いくる激情を抑えるために悪態を吐きながら泣き続けるノアの姿は、とても弱々しかった。


「アディニス」


「殺してやる……殺してやる……」


「アディニス」


「あいつは、俺自身の……俺だけの、獲物だ……」


「アディニス」


「エル……シエラ……」


「アディニスッ!!」


 下を向いて蹲るノアの背中を思い切り拳で殴り、力を抜かした隙に胸ぐらを掴んだ。


「アディニス、ボクを見ろ!!」


 虚ろな目は止めどなく雫を溢すが、焦点を合わせない。合わせて、この世界を見ることを拒否するかのように。

 自分の仮面を剥ぎ取り虚ろな目をキツく睨み続けていると、やがて視線がかち合った。


「れい、しぇいら……? 何で……」


「何でじゃない! 魔力を暴走させちゃった君のとこに来てみたら何だよ、これ! さっきから電気がバチバチバチバチボクを攻撃して、その度に治癒されるんだ! 痛いよ!」


「……………すまん……」


 虚ろながらに魔力を自分に収め、ノアは目を伏せた。掴んでいた胸ぐらを離すとその場にへたり込み、力なく項垂れる。


「レイシェイラ……あのさ」


「何だよ?」


「妙な雰囲気の子供っぽいやつ、見なかったか……?」


「子供なら君の生徒が――」


「違う。もっと、凄いやつだ。君ならあの異質さが分かる。あの、凶暴な力を……」


 誰のことを言っているのか分からないが、ほぼ部屋で引きこもっていたレイシェイラには心当たりすらない。


「そいつが君に悪夢を見せたのか?」


「……ああ」


 今度は心底憎らしいという表情を浮かべるノア。感情の浮き沈みの激しさにレイシェイラは彼が心配になるが、憎悪の感情で逆に冷静になったのだろう、ノアは袖で目元を拭い、両手で自分の頬を勢いよく叩いた。


「後悔してばかりじゃ駄目だな。あいつの正体と弱点を知らないと。話はそれからだ」


 赤く腫らした目を細め、「ごめん、心配かけた」とレイシェイラに謝る。形作られた笑顔はこれ以上ないほど完璧で、非の打ち所もない。

 レイシェイラには、その完璧な笑顔に恐怖を感じられた。


「アディニス、君……」


「うん? あ、説明しなくちゃだった。あのな、レイシェイラ」


「違う。アディニス、ボクが言いたいのは」


「どうした?」


 にこりと微笑む様はきっと世の婦女子を腰砕けにさせられるだろう。黄色い悲鳴を浴びせられ、本人がいい気になっている未来が垣間見えた。

 ただし彼にときめくのは、その笑顔の裏を感じることのできない者だけだろう。

 裏、と言っても何なのか説明することは難しい。だから――


「レイシェイラ?」


 ――困ったようにこちらを覗き見るノアに、伝えられる言葉を、見つけられなかった。


「……いや、何でもない」


 首を振って返せば、「そっか」と何の気もなしに頷かれた。






 改めて状況を説明されると、頭の中で箇条書きにして纏めてみる。


「君が昨日殺した貴族の屋敷の使用人が全員惨殺されたのが1つ。

 その原因が、小さな男の子の外見をした化け物。

 そいつは人の感情と魂を喰らうおっかないやつ。

 君が発動させようとした魔法を封殺し、いつの間にか君を悪夢へ誘い込んだ。

 悪夢の中だと気づいた君がそいつに攻撃しようとしたら目が覚めた。つまり逃げられたってことか」


「うん、そう。訳の分からんことばかり言ってたぞ」


「とんだサイコ野郎だな。で、他に特徴は?」


「他かぁ……」


 うぅむとノアは唸る。記憶を掘り返し、胸糞悪くなりながらも特徴を思い出そうとする。

 やがてぽんっと右の拳を左の掌に打った。


「目が赤かった。この国の王族以外で赤って何かいたような気がしたんだが、思い出せなかった」


「赤い目……?」


 どこかで聞いたことがあるような、と今度はレイシェイラが唸った。


「赤……赤……赤、ねぇ……。何だろう、ずっと前、どっかで……」


「あー、無理にはいいよ。他のやつにも聞……」


「そう言われると余計に思い出したくなるだろ!」


「お、おう。頑張れ」


「君も考えたらどうなん……おぉっ、来た! 思い出したよアディニス! 流石ボクだ!」


 ドヤァ! と思いきり自慢げに友人を見る。ノアに思い出せなかったことを自分は思い出せた、と愉快な気持ちなのだ。

 先程まで引き気味だったノアは、思い出したと聞いて目をギラつかせた。


「で、何なんだあれは?」


「ズバリ、魔族さ! 小さい頃にお伽噺として母から聞いた。魔族は皆、目が赤いんだ」


 魔族なんてここ数十年、人間と関わっていないとも聞いている。彼らは力は強いが人数が少なく、徐々に力を失っていったのだとも。

 数百年前はその魔族と人間が争って世界が壊滅しかけた、なんて話もある。


「魔族、ねぇ……。やっぱり異世界らしいというか、なんというか……」


 その単語を聞いたノアはノアで、ここが異世界だということを再認識する。『魔』がつく生き物がいるのは、地球では有り得ないからだ。

 この世界には()物も悪()も、最近では()王も出てきたが、普段はその名称を聞かないからつい忘れてしまう。

 だが、これで次の行動への目処は立った。あの化け物が魔族で正しいのか確信はないが、予想すらつかないよりはいい。


「ありがとな、レイシェイラ」


「当たり前だ」


 顔の半面に火傷を負った美女は、ふんっと勢いよく鼻から息を吹き、ニヤリと笑った。


「エレノアとシエラちゃんを夢の中であっても傷つける奴は、ボクにとっても敵だからな!」


「え、俺は? 俺も酷い目にあったよ?」


「君はともかく、エレノアとシエラちゃんにあんなこと……!」


「ねぇ、お」


「さぁアディニス、ちゃっちゃとそんなサイコ魔族なんかやっつけろ! エレノアとシエラちゃんのために!」


「だから俺は――ッ!?」


 わざとらしくも悲痛な叫び声を上げて泣きそうになるノアが面白くて、更に口の端を吊り上げた。

 今のこのふざけたやり取りが楽しくて、とても大切で、レイシェイラはノアの笑顔に恐怖したことを自分から忘れ去った。


 次からノア目線に戻ります。

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