第29話 レイシェイラ・ルティエンス
向かってきた炎の塊は、作り出した大きな水玉で包み込む。炎と水がぶつかり合ったらこの家に被害が出るだろうから、包み込むのだ。
炎が水玉の中で消えたのを確認し、水を消す。
部屋の中の相手がこれ以上魔法をぶっ放す前に、部屋に体を滑り込ませた。
「な、な、な!? だ、誰だよ!? 水魔法を使うなんて、クリフじゃないな!」
「はいはい、煩いから静かにしようか?」
のっぺりとした白い仮面を着けた1人の女性が、薄暗い部屋の隅っこで喚いている。
彼女はレイシェイラ・ルティエンス。ここら辺一帯の商家を纏める大商人の、娘だ。過度な対人恐怖症の阿呆でもある。
仮面を着けているのは、15歳の時に顔に火傷を負ったから。俺と違って、本当に火傷を隠すために仮面を着けている。
俺の場合はただの嘘だったからな。素顔を知られないって大切!
「お前に頼みたいことがあるんだ。金は払うから、いいだろ?」
「い、嫌だ! そういうのはボクじゃなくてクリフに頼め!」
「相変わらずの対人恐怖症だなぁ。ちょっとくらいいいじゃないか」
「絶っっっ対にお断りだね! 大体、初対面の奴なんかの頼みなんか聞かないよ! 君なんて急に押し入ってきた変人だろ! 変質者だ変質者!」
キイキイと喚いて俺を拒絶する。
初対面じゃない……と言っても、当時は俺も仮面を着けていたから、初対面っちゃ初対面だな。
喚くそいつに1歩近付くと、そいつは壁に張り付いて俺から離れようとする。
「く、来るな! ボクに近付くな! ボクを……ボクを見るなぁああああっ!」
何だこいつ。最後に会ったときより人見知りが悪化していないか?
誰かに顔でも見られたか? 爛れた顔を見られて、嫌なことでも言われたのか? だから俺を遠ざけたがるのだろうか?
……だがな? 俺はお前の顔を見ても、何も感じないんだぞ?
「見るな! 見るな! 見るな! 来るなよ! どうせボクは醜いよ! だから見ようとするな! ほっといてくれ!」
「えいっ」
「ぎゃぁあああああああああああああああっ!!」
仮面に指を引っ掛けて、ピンと上に飛ばしてやった。
両手で顔を押さえて隠そうとする相手の両手を掴み、壁に押し付ける。
俯こうとするので、両手首を左手で掴んで、相手の頭上の壁に縫い付けた。空いた右手でその顎を掴んで上を向かせる。
泣きそうなその顔の左半分は、強烈な美貌を誇っている。右半分は焼け爛れてゾンビの様になっているが。半分だけなのが、逆に怖くもある。
ゾンビの様と言えど、前世でホラー系の映画やゲームを制覇していた俺にとっちゃ、大したものじゃないが。
「レイシェイラ、私を見ろ」
「嫌だ、嫌だ、また否定されるんだ……」
「レイシェイラッ!」
「ひっ」
爛れた顔は、漸く俺を見た。
俺は彼女と出会った当時にも浮かべていた笑顔を浮かべ、耳元に口を寄せた。
「久し振りだ、レイシェイラ。贈った仮面を大事にしてくれているのは嬉しいが、成長しないでいるのはいただけないな。───さて、この声に覚えがあるだろう?」
レイシェイラは信じられないように表情を歪めた。まるで幽霊を見ているかのようだ。
まぁ、第1王子は死んだはずだから、そういう顔になってもしょうがないんだが。でも俺は幽霊じゃない。生身の人間だ。
さっきとは別の意味で泣きそうになっている顔を見て、俺は笑うしかなかった。
「声、は、アディニス……だけど、もう死んだ。君は誰だ? ボクを騙しても、良いことなんて無いぞ」
「さっき私は『贈った仮面を大事にしてくれているのは嬉しいが』と言ったではないか。仮面を贈ったのはアディニスだ。ならば私は誰だ?」
「……」
「レイシェイラ。私は復讐したいんだよ。大切な家族を殺してくれた奴等に。その為に、私に力を貸してくれないか……?」
レイシェイラは首を振っているが、信じるのは時間の問題だろう。
まだ悩んでいる間にも、俺は話を進めてしまおうとする。
彼女は俺の嫁と娘があいつらに殺されたことを分かっているだろうと俺は思っている。こいつ自身には情報力なんぞ無いが、側近が情報通だからだ。
俺の家族とは交流のあるこいつのことだ、いずれ協力してくれるようになると確信している。
コミュニケーション力が無くても、技術力だけはあるこいつがいれば、色々と楽になることも多いからな。
だから俺はこいつに、アディニスであることを明かす。明かした方が、都合が良いから。
考えてもみるだけで面倒だ。人見知りのこいつに『ノア』として初めましてをしてると、頼みを聞いてくれるようにまでどれほどの時間がかかるか……。
「くくくっ……私はそう簡単には死なないさ。死ねないからね。まだ、死にたいとは思わない」
「で、でも、アディニスだったら仮面を着けている筈だぞ!」
「あぁ、あれは嘘だよ」
嘘、と言った瞬間に『くわッ!!』とレイシェイラの目が見開かれた。
わなわなと唇を震わせ、今世紀最大級の叫び声を発する。
「嘘だって!? それじゃあ、あれかい、ずっとボクの純情を踏みにじっていたのか!? 仮面を着けていないといられないボクのことを嘲笑っていたのか!! 信じられないよ、君は悪魔だ!!」
「……うるさいなぁ、万年反抗期は」
「誰が反抗期だ、この悪魔めぇええええッ!!」
悪魔ねぇ。あながち間違いじゃないが、そこまでこいつに言うつもりはない。
俺自身は悪魔でも何でもない、ただの人間なのだから。
ところで、こいつは分かっているのだろうか。自分が今、男に若干襲われかかっている状況にいるということを。
俺はレイシェイラの両手首を左手で掴んで壁に縫い付け、右手は顎を掴んでいる。
これを襲われていると言わずに何と言う!?
「……お前、もう私がアディニスだと信じているだろう? だったら協力してくれよ。ちょちょいっと仮面を作ってくれるだけでいいから、最初は」
「アディニスは死んだんだぁああああああああっっ!!」
「俺まだ生きてるから!? いい加減信じろよ! 嬉しすぎて信じられないのかなぁ!?」
「嬉しい!? 何がだよ、アディニスが幽霊になってボクの前に現れたことかい!? それともアディニスの火傷が嘘だったってことか!? 全然嬉しくないからな!?」
「ほう! じゃあ俺はアディニスだと信じるんだな? 今の言葉はそういうことだよな?」
レイシェイラはもう、やけっぱちになったように叫び始めた。いや、まぁ、ずっと叫んではいるのだが。
今は俺の目をしっかりと睨み上げながら叫び始めたのだ。
「いいだろう、認めてやるよ! あの仮面をくれたのがアディニスだなんて、他にはクリフしか知らないもんな! しかもボクの顔を見て何も反応しない奴なんて、アディニスとエレノアしかいなかった!! 声も記憶も口調も反応も同じだなんて、同一人物としか思えないわッ!!」
こいつの顔を見ると、大概の奴は気味悪がるからな。特に、昔の美人だった頃の顔しか知らない奴はそうなる。
昔を知らない奴でも怖がるような顔だが、俺とエルは何とも思わなかった。
俺は前世で耐性が付いていたからだが、エルは何で大丈夫だったんだろうな……?
今となっては知りようもないことだ。
「……手、痛いから放せ」
「おぉ、こりゃ悪かった」
力が強すぎたらしい。掴んでいた手首が赤くなっていた。
レイシェイラは手首を交互に擦りながら、小さい溜め息を吐き、やれやれと首を振った。
「事情は分かった。君にとっては辛いかもしれないけど、君のここ数年間を、ボクの予想でだけど確認させてもらうよ」
「どーぞー」
こいつのことだから、『予想』もほぼ正解だろうな。
レイシェイラは仮面を拾ってキチッと装着してから、ベッドに座って1本ずつ指を立てていった。
「まず、君はアディニス・レイリッジ・レヴェリッジだ。火傷は嘘っぱちだった、革命者様。死んだということになっていたけど、実は生きていた」
「革命云々は不本意なあだ名だが」
「黙って聞いていろ」
「うぃー」
「詳しいことは省いて……、君の妻、エレノア・ジェレマイアと娘のシエラ・レイリッジ・レヴェリッジは3年前のあの時、奴等に殺された。君はそいつ等に復讐をしたい。そして復讐のために、ボクに力を貸してほしい。……という訳だな?」
「そういうことだ」
「ま、いいだろう。手伝ってやるよ。その勢力はボクを殺そうとした勢力だからな。死ぬのは顔だけで済んだけど」
「ありがとう」
「…………………どういたしまして」
何だその間は。折角人が素直に礼を言っているというのに。
気持ち悪がってないで、俺みたいに素直になったらどうなんだ。そうやって震えて気持ち悪がらないで、さ!
でも意外だったな……。協力なんて、怖じ気づいて最初は断るかもしれないと思っていたのに。いずれは俺の望む返事をくれるのだとしても。
俺は、頻りに溜め息を吐く仮面を見つめながら、ちょっとは成長したのかもなと、そう思った。
「協力するってことは物を作るのか……。物を作るって人と会わなきゃいけないじゃないか!! うぁああああやっぱり引き受けなければ良かったぁあああああああっ!?」
……成長どころか退化してるようだな。絶対悪化してるよ、こいつ!
お読みいただきありがとうございますm(__)m
この1話の登場人物
ノア・アーカイヤ 主人公。黒髪黒目。王兄。嫁と娘を殺した連中に復讐したがってる。
取得属性魔法:闇、水、雷
レイシェイラ・ルティエンス 商人の娘。極度の対人恐怖症。元は美人。顔の半分に火傷を負っている。(捕捉:高位の精霊が傷付けたら、治す方法が極端に少ない……とか、作者は設定としてつけるつもりです。次の本文にその設定を書くつもり)
取得属性魔法:火、?




