第7話 最強の剣 VS 最強の盾、その瞬間
――同日・昼。
王館の前――
頭上の陽が石畳を照らしつけ、
空気が熱に揺らいでいた。
しかし、その中心だけが異様に冷たい。
広場の中央で向かい合う、二つの影。
鋼壁の軍神――シャーロット・ベニバラード。
戦場の双剣姫――ロザリーナ・エルデンハート。
「……やめときなって、ベニバラ」
ニコルが半獣耳をピコピコ揺らしながら、
どうにか二人の間に割って入ろうとする。
だがベニバラは、まったく聞く耳を持たなかった。
「この砦の守りは私に任されている。
ならば、戦力になるかどうか……確かめねばならん」
金細工の小盾が太陽を弾き、
金剣が眩い稲光を纏う。
その構えは、まさしく「無敗」の威圧。
対するロザリーナは、
双剣を静かに握るだけで、風すら寄せつけない。
ニコルがさらに声を上げる。
「ちょっと、ホントにやめよってば! シャーロ──」
ビキッ。
ベニバラの眉がわずかに跳ね、
ニコルは即座に三歩後退した。
アズとポコランは、ただ息を止めて見守るしかない。
砦最強の女将軍に、距離を詰める勇気など誰にもなかった。
ベニバラが一歩前へ出る。
「――さあ、どこからでも斬りかかってこい」
ロザリーナは俯いたまま、まったく動かない。
風が一筋、二人の間を通り過ぎる。
アズが震える声でささやく。
「ベ、ベニバラ将軍……!」
「心配するな。」
ベニバラは笑った。
だがその瞳だけは、獣のように鋭い。
「ちょっと試すだけだ」
ニコルの首に、汗が伝った。
「いや、ちょっとって顔じゃないんだよねぇ……
あんた、二カ月前に黒帝八将の一人を倒したばっかでしょ……?」
ベニバラは聞かない。
視線はただ、ロザリーナのみ。
「私がやられるとでも思っているのか?」
「……それはないけど」
ニコルの声は蚊の鳴くようだった。
金盾と金剣が、刺すような光を放つ。
ロザリーナが、静かに顔を上げる。
青銀の瞳が、まっすぐにベニバラを射抜く。
「……殺さぬ戦いは、したことがない」
そして、双剣を――鞘に戻した。
ポコランが小さく息を呑む。
「こざかしい! 来ぬのなら、こちらから行くぞ!!」
ベニバラが地を蹴った。
石が弾け、風が裂ける。
一歩で五歩分の距離を詰める“軍神”の突進。
「ウオリャァァァッ!!」
金剣が、一直線にロザリーナへ――
その瞬間。
ロザリーナの前に、巨大な影が割り込んだ。
――グガツゥゥゥゥン!!!!
雷鳴のような衝撃が広場を割った。
次の瞬間――
空 気 が 砕 け た。
――ブゥィィィィィィィン!!
低い響き音。
目には見えぬ衝撃波が円環となって広場を走り、
石畳の表面に蜘蛛の巣状のひびが瞬時に走る。
地面が低く唸り、
石壁が震え、
砦の見張り台にいた兵が思わずつんのめった。
ベニバラの金剣
×
ガルデンの大盾。
――それが正面衝突したのだ。
金属の衝突音ではない。
世界そのものが歪んだような、音の“破裂”。
風が逆巻き、空気が押し潰され、
熱と冷気が同時に渦を描く。
アズが声を震わせる。
「な……なに……これ……!」
胸が押しつぶされ息が吸えない。
そのあまりの圧に、ポコランは尻もちをついた。
「これが、命を懸ける剣……僕のとは全く重みが違う」
ポコランの腕には、鳥肌が立っていた。
しかし、ロザリーナは一歩も動いていない。
「やめぬか!!」
老将は、大盾に左肩を添えたまま、
重戦車のように前屈姿勢で突進する。
「じいちゃんの鉄壁クラッシャー……!」
アズが思わず叫ぶ。
前を塞ぐ全てのものを粉砕し、平地にしてしまうガルデンの盾技。
ベニバラはその突進を、後方へ回転して避け、
石畳にドン、と降り立つ。
「バカな!! 本気で斬るわけがなかろう!」
ベニバラが苛立ちを隠さず吐き捨てる。
だが―― その瞳には、一瞬の驚きが混じっていた。
(俯いていたはず……しかし、私の初速に、斬り込むのではなく、
一瞬で距離を取る選択肢を見切っていた。
この女――私とは違う次元で戦場を見てきたのか?)
胸の奥に小さな引っかかりが残る。
その間に、ニコルが慌てて近づく。
「シャーロ……いやいや、ベニバラ!
ロザリーナ嬢は今日ず~~っと戦ってるんだよ?
疲れてるから、このくらいにしようよ~!」
ベニバラは苦い表情で剣を収めた。
「……ふん」
ガルデンは大盾を下ろし、ロザリーナに頭を下げた。
「すまぬ。
ベニバラに悪気があるわけではないのだ」
ロザリーナは無言で背を向け、歩き出した。
笑みは無い。
その背は、静かだが―― 誰も踏み込めない鋼の空気をまとっていた。
アズは、その背中をしばらく動けずに見つめた。
(……すごい。
あのベニバラ将軍と向き合っても……揺れもしないなんて)
◇
ルドグラッド砦の一角に、小さな石造りの建物があった。
昼間だというのに薄暗く、窓は厚い布で覆われている。
中からは、くぐもった笑い声と、酒と薬草の混じった匂いが漏れていた。
砦の酒場だ。
「いやぁ~、ここが砦の“情報の泉”ってわけよ」
ニコルが両手を広げてみせる。
「泉っていうか……古井戸ですけどね」
アズが小声でツッコむ。
ロザリーナは無言で扉を見つめていた。
その瞳に、わずかに期待と不安が揺れる。
「――兄さんのことを知っている者が、いるかもしれない」
そう言われて、あの後、ニコルの案内でここまで来たのだ。
ニコルが木戸を軽く蹴る。
「ごめんくださ~いっと。
みなさん、今日も元気に生き残ってますか~?」
軋む音とともに扉が開き、ひんやりとした空気が三人を包んだ。
――◇――
【黒帝断罪軍・廊下】
玉座の間の扉が閉じた瞬間、廊下の空気はひどく重く沈んだ。
グラ=シャルンの赤黒い眼が、闇の中でぎらりと光る。
復讐の焔――その一点だけが、この暗がりを焦がしていた。
「……ザイラス様の関心が薄かろうとも――俺は違う」
左肩に残る深い裂傷。
割れた鎧の継ぎ目には、まだ乾ききらぬ黒い血がこびりついている。
――あの女の剣閃。
――あの目。
脳裏に焼きついたはじめて味わう屈辱が、グラの剛腕を震わせた。
「……次は必ず屠る。
あの女の首は――この俺の獲物だ」
その横で、蝙蝠の魔翼をゆるく閉じた男が、口角を上げた。
魔翼の処刑者・ヴァルザーク。
干からびた獣皮のような赤褐色の魔翼が背でひらめき、
長い闇色の髪が流れる。
血の気を失った肌と、獲物だけを見つめるような暗紅の両眼――
全身に纏う黒鋼の軽装甲は、まるで死神の儀礼服のようだった。
「まあ……俺も行く。
面白そうな女剣士と、その“お仲間”ども――退屈しのぎには、ちょうどいいだろ?」
そして、さらに無言の一歩。
ドルグ=ハルザード。
岩塊と獣骨を無理やり繋いだような漆黒の重甲冑を全身に纏い、
巨大戦鎚をズリ……ズリ……と床に引きずりながら進む。
兜の奥の瞳は、感情の色を失った鉄の光。
その歩幅だけで、廊下の兵が思わず後退する。
「逃げ込んだのが……城塞だろうが……ただの壁に過ぎん。叩き潰すのみだ」
こうして――
グラ、ヴァルザーク、ドルグの三将と、
グラの軍・四百五十による報復進軍が決定した。
グラの胸にはなお、燃えたぎる想いがあった。
(必ずや……八つ裂きにしてやる……!)
(あの女だけは――俺の獲物だ……!)
牙が鳴り、額の三つ目の瞳がわずかに光を増した。
この三人が動くということは、破壊と処刑と復讐のすべてが、
あの砦を襲うことを意味していた。




