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第4話 蒼の剣姫、灰の砦にて

血濡れた朝が、静かに明けていた。


ロザリーナ、ニコル、そしてポコランは、焼け焦げた村を背に、

険しい岩場と薄暗い森の中を進んでいた。


魔王ザイラスの黒帝断罪軍が残した血の匂いが、

まだあたりに立ちこめている。


ロザリーナは一言も発せず、ただ前を見据えて歩を進めた。

その背には、まだ戦場の赤が微かに残っていた。


「はぁ~~……刺激的すぎる朝だったねぇ……?」

ニコルが伸びをしながら、半獣の耳をぴくぴく動かす。


「にしてもさ、お嬢さん。

 さっきの動き、“旅の剣士”ってレベルじゃないよねぇ?

 どっかの隠し領主とか、落ちぶれた王女様とか?

 はたまた……お姫様を捨てて旅に出たタイプぅ?」


ロザリーナは歩調を変えず、目も向けず、ただ言った。


「……兄を探している。それだけだ」


「お、おお……冷た……」

ニコルが頭を掻く。

ポコランは背筋を伸ばし、思わずこくりと喉を鳴らした。


(兄さん……どんな人なんだろ……

 この人の“全部を変えた”くらいの人……)


気配も表情も読めない女が、一点だけ見つめる“誰か”。


その沈黙に、ロザリーナの脳裏で五年前の兄の声が響いた。



「この剣は、ただ重いだけの鉄塊だ。

 だが――誇りを込めた時、初めて《王国の剣》になる」


「私の双剣は、兄さんの大剣みたいに重くない。

 私じゃあ、国は守れないかな……?」


「馬鹿を言うな。

 お前の剣は、王国の希望の剣だ。

 お前は国を、俺はお前を守る。

 それが、俺たちの剣の役目だ」



ロザリーナは、ほんのわずかに胸を震わせた。

焼け焦げた大地の上を踏みしめながら、その温度だけは胸奥に残っている。

だが――その影は、すぐに冷たい表情の下へ沈んでいく。


ただ、歩く。


にこやかな声が、横から割り込んだ。


「そういやさぁ~、まだ名前聞いてなかったよねぇ?」


ニコルが胸に手を当てて、芝居がかった笑みを見せた。


「俺はヴァレンティス軍の遊撃隊長、ニコ・ニコル。

 見ての通り、ネコ科魔獣とのハーフさ」


ポコランも慌てて胸を叩く。


「ぼ、僕は……ポコーレ・ポコランです!」


「はいはい。

 まあ、『名も無き村人』でいいんじゃないの~」


「ポコランです!!」


ニコルはじっと見つめて、ふっと口角を上げた。

「お、主張は一人前。よし、村人Aに昇格」


そして二人の視線が、ロザリーナへ向く。


「で? お嬢さんは?」


ロザリーナは一度も振り返らず、足も止めず――

霧のような声で短く言った。


「……ロザリーナ」


沈黙。


その名は短いのに、場の空気を一瞬で冷やす重さがあった。


「ね、ねぇ……ニコルさん」


ポコランが、不安を押し隠すみたいに声を上げる。


「さっきの戦いで……あいつ、半分“魔獣”でしたよね」


「ああ、グラ=シャルンねぇ」


ニコルは歩調を崩さず、腕を組んだ。


「あいつは、魔王ザイラスの黒帝八将の一人。

 右腕のあの化け物みたいな爪――

 完全に“魔獣の血”が混じってる証拠だね」


ポコランは目を見開く。


「じゃあ……ドレッドサイトも?」


「そうそう」


ニコルは指を立て、ひらひらと振る。


「“恐怖視ドレッドサイト”は、ヒトの技じゃない。

 俺の幻光幕スターダスト・ミラーもそうだけど――

 純粋な魔獣種じゃない、魔獣融合種の連中だけが使える特権、

 『魔獣化異能術デモンビースト・アーツ』さ」


軽い口調なのに、胸の奥がひやりと冷たくなる。


「――で、その《デモンビースト・アーツ》には、いくつか“決まり”があってねぇ」


ニコルは片手をポケットに突っ込み、もう片方の指を折っていく。


「まずひとつ。

 半獣はみんな、一人につき“異能はひとつきり”。

 俺なら幻光幕スターダスト・ミラーだけ、

 グラなら恐怖視ドレッドサイトだけってわけ」


「えっ……二つとか三つとか、持てないんですか?」


「持てたら、こんな世界とうの昔に終わってるって。

 ――で、ふたつ目」


ニコルの耳がぴくりと動く。


「《デモンビースト・アーツ》を使う時は、

 体のどこかに埋め込まれた《魔獣核ビースト・コア》を燃やす。

 普通の体力や魔力とは別腹でね。

 だから、一回ぶっ放したら“しばらくは二度目が撃てない”。

 同時発動も連続発動も――ぜんぶ不可」


ポコランはごくりと唾を飲み込む。


「……じゃあ、“普通の魔獣”は使えるの?」


「純粋な魔獣は本能のままに暴走するだけ。

 それを術式として『制御』できるのは、

 俺たち理性を残している半獣だけってわけさぁ~」


ニコルの声が、湿った森の空気に溶ける。

ポコランは思わず、ロザリーナの背中を見上げた。


「じゃあ、魔獣を食べて魔獣の血が濃くなれば、

 その能力も……」


「ああ、使えるかもしれない。

 だけどな、魔獣の血が濃くなれば、人間性が崩壊する。

 だから、ちゃんと術式として制御できるのは、俺みたいに――」


ニコルは自分の胸を親指で指し、猫耳をピクリと揺らした。


「“理性付き”の半獣だけってわけさぁ~」


ロザリーナの横顔が、風に揺れる。


ポコランはおそるおそる続けた。


「じゃあ……ロザリーナさんの兄さんが……もし……

 魔獣を喰ってたら……その能力も……?」


その瞬間。


ロザリーナの気配が、凪いだ。


怒りでも焦りでもない。

ただ、冬の刃が空気を切るような、凍りつく静けさ。


歩みを崩さず、淡々と言った。


「……どうでもいい。

 生きているなら、それでいい」


焼け焦げた大地を踏みしめる足が、ほんのわずかに強く地を噛んだ。

ニコルは肩をすくめ、呆れたように笑った。


「いやぁ~……アンタ、ほんっとに笑わないねぇ」


少し間を置き、


「……でもまあ、そういう奴、嫌いじゃないよ」


ロザリーナは一言も返さない。

返す必要もないというように、ただ前を見ていた。


――◇――


【ルドグラッド砦】


風が止んだ。


森を抜けると、岩山の谷間がぽっかりと口を開き、

冷えた空気が、ひやりと頬を撫でていった。


やがて、一行は岩山を切り裂くように築かれた、

天然の要害――《ルドグラッド砦》へと辿り着いた。

岩壁に寄りかかるように、その砦は静かにそびえていた。


五年前、世界が二つに割れて以来、王国中の城、砦は次々と灰燼に帰した。

ここは、その猛攻を唯一凌いでいる、魔王ザイラスに抵抗する最後の《希望の砦》である。


迷路のような峡谷の奥。

苔むした巨石の門――この砦の唯一の門が、内側から静かに開く。

その両脇の岩肌をくり抜いた城門の上には、狭い弓兵の射出口が点々と口を開けていた。


門をくぐると、中は驚くほど整然としていた。

広場の端には、花が供えられた小さな慰霊碑。


兵たちは槍を手に訓練を行い、

荷馬車が規則正しく物資を運び、

あどけない子供たちの笑い声が響き、

砦の広場には確かな“生活”が息づいている。


その視線がロザリーナたち三人に一斉に集まる。

警戒と緊張――しかしどこか誇りある眼差し。


ニコルがひらひらと手を振った。


「いやぁいやぁ、元気ですか皆さ~ん!

 王都が滅んでも、こっちはまだ活気あるねぇ~?」


門番の兵士は笑いを噛み殺しながら敬礼した。


「ニコル殿、お帰りなさい!」


「ただいま~。土産は血と汗と――

 あと若干のトラブルねぇ!」


軽い声に兵士は苦笑し、緊張がわずかに緩む。


しかし、ロザリーナは無言のまま砦の中を見渡す。

冷ややかな瞳に映るのは、守るべきものを失った世界の残り火。


(ここにも……戦いが根を張っている)


活気ある訓練の音の中にも、どこか重く静かな沈黙が漂う。

それは、彼らが『最後の砦』にいるという、根深い緊張感の証だった。


広場の中央には、王が拠る王館が静かに構えている。

一行は王館の石階段を上るため、広場を横切った。


そのとき。


広場の中央――

訓練で三人の男をまとめて地面に転がした少女が、ふっと振り返った。


短く切りそろえられた群青色の髪が肩で跳ね、

灰青の瞳がきらりと光を反射する。


老将ガルデンの孫娘。

王国最年少の兵士にして、訓練場の暴れ娘――


アズ・アルバレス、十五歳。


「ニコル! 昨夜はまた野宿してたの?」


小柄な体格からは想像もつかない身軽さで駆け寄ってくる。

腰の二本の短剣がカランと音を立てた。


「はいはい~、また近くの村までねぇ~。

 いやぁ~今日は血なまぐさいお散歩だったよ。

 それに今日は偶然の特別な星の巡り合わせでね――」


ニコルがひょいと右手を上げ、ロザリーナとポコランを示す。


「――ほら、お連れさま付き」


「はじめまして!

 私はアズ……アズ・アルバレスです!」


アズは大きく頭を下げた。

若いのに礼儀正しい――けれどその瞳は戦士の光を宿している。


ポコランは慌てて礼を返した。


「ポ、ポコーレ・ポコランですっ!」


目が合ったポコランの頬が赤い。

ロザリーナは静かに一礼するだけ。

名も告げず、笑みもない。

だが、その沈黙にアズは一瞬だけ見入った。


(……きれいな人。でも、すごく……冷たい)

(……いいよ。そういう大人にも、私いつか“勝つ”から)


アズは軽く首を振り直し、ニコルへ向き直った。


「これから陛下へ帰還報告ですよね?

 私も、ご一緒していいですか?」


ニコルは口端を上げ、子猫みたいに目を細めた。


「もちろんさぁ。

 若いってのは元気でよろしい!」


アズの顔がぱっと明るくなる。


「はいっ!」


ポコランもそれに続き、

最後尾で、ロザリーナは一瞬だけ砦の中の空を見上げた。


赤黒い朝空は、ゆっくりと灰色に沈み、

その向こうで――青い空がわずかにのぞく。


ロザリーナは一つ大きく息を吐いた。


四人の影は王館へと向かっていった――。



その背を見送りながら、数人の兵士がひそかにざわめいた。


「……あの人……どこかで見たことが……」

「王都の……いや、まさか」


微かな記憶が、灰の砦の底で眠りから目覚めようとしていた。

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