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第17話 修羅を纏う姫――鎧が語ったもの

外のざわめきにロザリーナが振り返った瞬間、

廊下の向こうからブーツの音が、弾けるように迫ってきた。


「ロザリーナさんっ……!!」


まるで矢のようにポコランが飛び込んできた。

肩で荒い息をくり返し、ほとんど転がるようにロザリーナの前に立つ。


「どうした?」


ロザリーナは表情こそ変えないが、

胸の奥では“嫌な気配”が、眠気の残滓を削り落としていた。


ポコランは息も整えず、言葉を押し出す。


「馬車が来ました! 三台です!

 村の人……二十七人……全員、逃げてきたんです!」


「……馬車?」


「はい! でも追っ手が――黒帝断罪軍の先方隊が迫ってて!

 でも、ニコル隊が……全部、仕留めました……!」


ロザリーナの眉が、ごくわずかに動いた。


「……状況を、最初から説明してくれ」


「あっ、ああ……!」


ポコランは、今朝の一部始終を必死に語りはじめた。

ロザリーナは無言で聞く。

言葉ひとつひとつを胸の奥に沈めていくように。


「……そうか」

ロザリーナの声は低かった。

“砦が音を消していた理由”が、すべて氷のように繋がった。


外から、村人たちの弱々しい足音と、馬車を引く車輪の軋みが届く。


「村の人、いま……砦の中に!」

ポコランが指を指す。


ロザリーナが王館を出ると、

中庭には三台の馬車が着き、疲弊した村人たちが降りていた。


その先で――

ベニバラとガルデンが、群衆を王館背後の石造りの教会へと導いていた。


ガルデンの声は厳しくもどこか暖かい。


「まず休め。

 水と温かいものを運ばせる。

 子どもと老人を先に中へ」


ベニバラは無言のまま周囲を見渡していた。

剣こそ収めているが、眼差しの鋭さは消えない。

昨夜よりも遥かに深い覚悟を纏っている。

(王が下した命を正しいものにすることが自分の責務だった)


◆ ◆ ◆


ロザリーナが、駆け寄ってきたアズへ問う。


「……私の武器は?」


アズは、ぱっと表情を輝かせる。


「鍛冶屋に預けてあります! こっちです!」


アズは小走りに案内し、

ロザリーナは静かにその後を歩く。


ポコランもついてきた。

昨日より足取りはしっかりしているが、顔の絆創膏がとれていない。



【村の鍛冶場】


北側の鍛冶場では、朝の赤い炉火が唸っていた。

鉄の匂い、熱した金属音――砦の“生の音”が肌を刺す。


アズが声をかける。


「できてますか?」


「おう、そこにな」


髭面の鍛冶屋が短く返した。

だが、並ぶ鎧と双剣は、どれも驚くほど丁寧に手が入っている。


ロザリーナはそっと鎧に触れた。


肩甲の緩んでいた留め金は直され、

五年の旅でくすんだ金属は、薄い光を取り戻していた。


ロザリーナは鎧を身につけ、ゆっくりと双剣を抜く。


――シュ、シャッ。


刃の重心は揃えられ、手に吸いつくような切れ味がよみがえっていた。


「……助かった。ありがとう」


深く頭を下げたロザリーナに、鍛冶屋は目を丸くした後、ふっと笑った。


「いや、あんた……五年も一人で戦ってきたんだろ?

 剣はガタガタだったが――」


鍛冶屋は双剣を眺め、低く唸る。


「――その軽さ、その切れ味、

 ……あんたが只者じゃねぇことだけは、よく分かったわ」


ポコランが隣で胸を張る。


「ロザリーナさんは、本当にすごいんです!」


アズも苦笑しつつ頷いた。


「僕も昨日……死ぬかと思ったけど……

 ロザリーナさんに助けてもらって、ほんと……すごくて」


「主語と動詞が死んでるぞ、ポコラン」

と、アズが突っ込む。


「それでいくらですか?」

アズが訊ねる。


鍛冶屋は頭を掻いた。


「いらねぇよ。

 あんたらがいなきゃ、俺たちは黒帝軍にとっくに殺されてる。

 ――いい武器で、また人を救ってくれや」


ロザリーナは静かに目を伏せる。

――兄を探さなければならない。

彼女は“ずっとここにいるわけにはいかない”とは言えなかった。


三人が鍛冶場を出ようとした時――


「おい、ちょっと待ちな」


鍛冶屋の声にロザリーナが振り返る。


「……何か?」


親父はロザリーナの胸当てを指差した。


「剣はボロボロだったのに……

 鎧に、剣傷が一つもねえんだ。

 あんたどうやって戦ってる?」


アズがロザリーナを見る。

ポコランも息を呑む。


ロザリーナは淡々と言った。


「剣は……避けるものだろ」


鍛冶屋はぽかんと口を開けた。


「避ける……だけ……?」


少し遅れて、ポコランがごくりと喉を鳴らす。

昨日の村の戦いを思い出していた。

(ロザリーナさん……  確かに一度も、鎧に剣を――受けていなかった……)


鍛冶屋は首を捻りながらも、 最後にこう呟いた。


「……乱世の戦場で“鎧に傷がない剣士”なんてよ。  

 ――そんな奴、聞いたこともねぇわ」


砦に吹く冷気が、

ロザリーナの栗色の髪をふわりと揺らした。


その静かな横顔は、

嵐の前のように――どこまでも澄んでいた。


――◇――


その頃――


王館の奥、厚い扉に閉ざされた密議の間。

燭台の揺れる光の中で、ヴァレンティスは静かに口を開いた。


「……報告を」


ベニバラが膝をつく。


「黒帝断罪軍の追手は、ニコル隊が殲滅しました」


ニコルが続ける。


「……交戦の痕跡と死体も隠してきたが、

 ――そろそろ痕跡隠しも限界かと」


ガルデンが低く続ける。


「これ以上続けば、敵は必ず“森に何かある”と気づくでしょうな」


ニコルは腕を組んだまま苦笑する。


「交戦のたびに隠してきたが……

 いつ嗅ぎつけられてもおかしくない。

 敵が本格的に動いたら――ここも終わりだ」


ベニバラが睨む。


「遊撃隊長、お前は砦の重要性を――」


「分かってるさ」

と、ニコルが遮る。

「だから言ってる。……来るぞ、近いうちに」


短い沈黙が落ちた。

誰も言葉を選べないほど、そこにある予感は重かった。


ヴァレンティスはゆっくりと立ち上がり、三人を見渡す。


「……黒帝断罪軍の影が、ついに我らの喉元まで伸びてきたか」


ベニバラの喉が小さく鳴る。


「陛下、いかがいたしますか」


王は迷いなく命じた。


「ベニバラ――兵力の再点検を。

 ガルデン――避難経路、民の再配置を進めよ。

 ニコル――警戒網を再構築し、外部を洗え」


三人は即座に胸に拳を当てた。


「「「はっ!!」」」


だが、ヴァレンティスの声はその直後、さらに深く沈んだ。


「この砦は、民が辿り着いた“最後の希望”だ。

 ならば……我らが応えねばならぬ」


ベニバラは胸に拳を当てた。


「御意」


ガルデンも深く頭を垂れる。


「お任せあれ」


ニコルは短く頷いた。


「あいあい」


ヴァレンティスは静かながら鋼の響きを帯びた声で締めくくった。


「――気を引き締めよ。頼むぞ」


三人が部屋を駆け出した後。

王の周囲に、ひどく静かな沈黙が落ちた。


その沈黙の奥で――

ヴァレンティスは、確信していた。


死はもう、扉の前まで来ている。


まだ見ぬ圧倒的な死の気配が、

ゆっくり、しかし確実にこの砦の外壁を撫でていた。

――まるで、次に叩く扉を選んでいるかのように。

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