第15話 影迫る道――決断の刻
ヴァレンティスが静かに問う。
「……何が起きた?」
王館の食堂に駆け込んできた兵士は、片膝をつき、震える声で報告した。
「丘の上の見張りから伝令です!
数台の馬車がこちらへ向かっています!
しかし――黒帝断罪軍の十名ほどが、その馬車を追っております!」
一斉に空気が凍りついた。
ポコランが思わず立ち上がる。
「そ、それって……!」
兵士は苦しげに続ける。
「馬車が到着するまで三刻。
ですが黒帝断罪軍の先方隊が迫っており……
このままでは途中で全滅する恐れが……!」
アズが息を呑み、
ニコルは食卓の下で拳をぎゅっと握りしめる。
だが――最も重く沈黙を落としたのは、ガルデンだった。
「……なぜ、馬車がこちらへ向かう?」
その声は、石壁を揺らすほど厳しく低かった。
兵士たちはお互いに顔を見合わせる。
そのうちの一人――遊撃隊の中隊長、マクレブが前へ出て膝をついた。
「……申し訳ありません。
我が遊撃隊のクレセントが……
昨日、黒帝軍に焼かれた村の遺体を葬った際、生き残った少女と老人に、
“逃げろ”と助言したようです」
ベニバラの瞳が細く光る。
「逃げる先に、この砦を教えたのか?」
「も……申し訳ありません……!」
その瞬間、入り口の人垣の影からクレセントが飛び込むように現れ、
泣き崩れるように両膝をついた。
「申し訳ありません……! 申し訳ありません……!
また……黒帝断罪軍は村を襲うと思ったんです……!
生き残る道は、この砦しか無いと……!」
「マクレブ、おまえはそれを知っていたのか?」
ニコルが歩み寄り、マクレブを見下ろした。
「先ほどクレセントから……申し訳ありません」
その瞬間だった。
ガルデンが、石壁を砕くほどの音を立てて立ち上がる。
「――なんてことをしたのじゃ!!」
怒号が、食堂の空気を一気に燃え立たせる。
続けてベニバラが椅子を蹴り、鋭い音を立てて剣を抜いた。
「馬鹿者が!!
ここは“隠し砦”だ!
黒帝断罪軍に存在を知られれば――落城は時間の問題!!」
剣先が、涙に濡れたクレセントへ真っ直ぐ向かう。
兵士たちの頬から色が引き、剣の柄を握る指が汗で滑った。
「貴様のせいで、この砦の千の命が危うくなるのだ……!」
「ご……ごめんなさい……!」
クレセントは額を床に押しつけ、震えながら嗚咽を漏らす。
その音だけが、広い食堂に小さく響いた。
アズが叫んだ。
「将軍!! ダメです!!」
ニコルが飛び込んだ。
「やめろ、ベニバラ!!」
だが、剣の軌道は止まらない。
鋭い殺気がクレセントを貫かんとした、その瞬間――
「――待ちなさい」
王の声が響いた。
時間が止まったかのように、空気が凍りつく。
ヴァレンティスは、ただ手を上げただけだった。
しかし、その声音には逆らうという概念すら許さぬ“王の力”が宿っていた。
ベニバラは歯を噛み締めつつも、剣を静かに止める。
クレセントは声にならない謝罪を繰り返した。
「……申し訳……ありません……!」
ニコルは深く息を吸って、ベニバラに向き直る。
「ベニバラ。
あんたが砦を守りたいのは分かってる。
でも――俺には、クレセントの気持ちが痛いほど分かる」
金色の瞳が、いつになく真っ直ぐだった。
「村を焼かれ、家族を吊るされ……
あれを見て黙ってられる方が、どうかしてる。
逃げ場を失った村人が、この砦を“最後の希望”にしたって……
責められないだろ?」
アズも力強く頷く。
「そうです……!
助けを求めて来た人たちを、見捨てたくない……!」
しかし、ベニバラは迷いなく首を横に振った。
「援軍を出せば、黒帝断罪軍に砦の存在を知らせることになる。
砦は落ちる。みんなが死ぬ――。
いつも夕食時に来る、あの幼い子もだ。
……おまえにそれが分かるか!」
ガルデンも厳しく言い切る。
「砦を守るのが我らの責務じゃ」
ニコルは、唇を噛んだ。
軽口の影は消え、ただ一人の戦士としての顔が残っている。
そして――決意の声を上げた。
「だったら……俺の遊撃隊で行く」
ベニバラが目を見開く。
「正気か、道化……!」
ニコルは拳を握りしめ、王へ一歩踏み出した。
その瞳は、いつもの軽さを捨て、ただひとつの願いだけを抱いていた。
「陛下……!
俺の遊撃隊を出させてく――」
「――ニコル!!」
食堂そのものが震えるほどの怒号が響き渡った。
普段は柔らかく、静かに言葉を紡ぐヴァレンティス。
その王の声が、今は剣より鋭い怒気に満ちていた。
ニコルの言葉は、刃で断ち切られたように途切れた。
全員が一瞬、呼吸を忘れる。
ヴァレンティスの鋭い眼光がニコルを貫いたあと、
ゆっくりとベニバラたちへ向けられる。
「待てと言ったはずだ!!」
王の一喝は、雷のように空気を裂いた。
「はっ!!」
ベニバラ、ガルデン、アズ、兵士たちが一斉に跪く。
膝をついたのは恐怖からではない――
“王の意志そのもの”が場を支配していた。
ポコランも慌てて膝をつき、背筋を伸ばす。
沈黙。
その中心で、王の怒りだけが鋭く、しかし静かに燃えていた。




