第12話 純白の剣姫、晩餐の席にて
――夜。
王館の広間には、ささやかな灯りがともされていた。
壁に掛けられた燭台。
揺れる炎が、石壁に淡い影を作る。
長いテーブルには、簡素な皿と木製のカップが並べられていた。
粗挽きの黒パン。
根菜と少量の肉が入った薄いシチュー。
樽から移された、ほんの少しだけの葡萄酒。
それでも――
砦にとっては“最大限のもてなし”だった。
「本当に、陛下自ら晩餐を?」
アズが、王館の廊下でそわそわしている。
ニコルは肩をすくめた。
「まあ、“王都の英雄様”が来たわけだからねぇ。
しかも村ひとつ救って、八将の一人を追い返すなんてさ~」
「ニコル殿。……王の前では軽口は慎んでください」
ベニバラの側近である女兵士の厳しい声がして、前を通り過ぎる。
その腕には、純白の布――いや、ドレスが抱えられていた。
アズが目を丸くする。
「それは……?」
女兵士は、少しだけ視線を泳がせて言った。
「……ベニバラ将軍からです。
晩餐に出る服をお持ちでないでしょうから、と」
差し出されたのは“純白の礼装ドレス”。
明らかに“この砦には似つかわしくない”ほどの豪華さだった。
広がるスカートは二重のフリル。
胸元と袖には、金糸と宝石のようなビーズ刺繍。
裾には透ける薄布が何層にも重なり、光を受けて虹のように輝く。
どう見ても――
どこかの王女様が舞踏会で着るような、華やかなドレス。
アズは呆然としながら言った。
「えっ……これ、本気で……?
ベニバラ将軍、こんなの着たことないでしょ……」
女兵士は気まずそうに視線を逸らす。
「ベニバラ将軍は……“晩餐だから、最上級の礼装を”とだけ……。
あと……“無骨な剣姫がドレスを着られるのか、見ものだ”と」
ニコルがニヤニヤしながら口を挟む。
「なるほどねぇ。
たぶんベニバラは、ロザリーナ嬢が
“ナイフもフォークも使えずにワインをこぼす”って思ってるんだよ」
アズが目を丸くした。
「そんな皮肉のために……このドレスを?」
女兵士は、さらに声をひそめる。
「……そして、“汚したら私が文句の一つも言ってやる”と……」
「うわぁ……」
アズがドン引きする。
ニコルは耳をピコピコ動かしながら、笑いを噛み殺す。
「まあ、ベニバラなりの“試す”ってやつだよ。
あの人、負けず嫌いすぎて、性格も雑なんだよねぇ~」
◇
――夜。
王館の広間に、やわらかな灯火がゆらめいていた。
顔中が絆創膏だらけのポコランを含めて、
ロザリーナ以外の全員が席に着いていた。
燭台の炎が黄金色の輪郭を揺らし、
簡素な晩餐の準備のために行き交う給仕たちの影が、
石壁に淡く伸びては揺れる。
そんな中――
広間の扉が、きぃ……と静かに開いた。
その瞬間だった。
燭台の炎が、ふっと揺れを止めた。
そこにいた全員の視線が、一斉に吸い寄せられた。
アズの手が止まり、
ニコルの耳がぴくりと立ち、
ベニバラの眉がわずかに跳ねる。
そこに立っていた影――
純白のドレスに身を包んだロザリーナだった。
栗色の髪は丁寧にまとめられ、
肩から腰にかけて流れる布は滑らかで、高貴で美しい曲線を描き、
胸元の銀と金の刺繍は、燭火の光を淡く受けて瞬く。
裾に重ねられた薄布が、歩くたびに空気をすべり、
まるで幻のように揺れる。
その姿は、剣士ではなく――
まるで、王国の失われた“姫”そのものだった。
アズが息を呑む。
「き……きれい……」
ポコランは目を見開いたまま固まっている。
(さっきまでの“旅の剣士”じゃなくて……
本当にどこかのお姫様みたいだ……!)
ニコルは口笛を吹きそうになり、
横からベニバラの視線が突き刺さってきたため、慌てて口を閉じた。
「いやぁ~、これはこれは……
どこかの“宮殿の王女様”が迷い込んだのかと思いましたよ~?」
ニコルの言葉に、ロザリーナの眉が、ほんのわずかに寄る。
「……からかわないで……ほしい」
ニコルは肩をすくめた。
「ほら見ろよアズ、完璧な歩き方、完璧な姿勢。
これで“旅の剣士一本です”なんて言うんだから、
世の中って信用ならないよねぇ~?」
アズは、完全に見惚れたまま、こくこくと頷いた。
ロザリーナは、ベニバラのそばまで歩み寄る。
「……ありがとう。
このような服を、もう二度と着ることはないと思っていた」
ドレスの送り主――ベニバラは、
ほんの一瞬だけ視線を揺らし、すぐに表情を引き締める。
(な……何だ……
想像していたより……ずっと……)
思わず言葉が出ない。
本来ベニバラは、
不器用な剣姫が踵の高いヒールでこけたり、
コルセットの前ホックが飛んだりしたら
皮肉の一つでも言ってやろう――
そのつもりで豪奢なドレスを選んだのだ。
だが、それは――完全に裏目に出ていた。
ロザリーナは、王の前に静かに一礼し、
給仕が椅子を引くと、淡い動きで腰を下ろす。
その様子を見たヴァレンティスは、穏やかに目を細めた。
ニコルが、顔中絆創膏だらけのポコランを見て、
わざとらしいほど大きなため息をついた。
「いやぁ陛下、ポコランくんはすごいですよ?
治療所の寝台から『王様のおもてなしに泥を塗るわけにはいかない』とか言って、無理矢理這い出てきたんですよ。
折れない心、将来大物になるか、先に寿命が尽きるか、どっちかですねぇ~」
ポコランは、ニコルに頭を掻きながら笑われ、恥ずかしそうに俯いた。
ヴァレンティスは柔和な笑みを浮かべる。
「ポコラン。その熱意、嬉しく思う」
「は、はい!」
「どうぞ、召し上がれ」
ポコランは、骨付きの鹿肉に手を伸ばす。
ロザリーナはパンを手に取り、
まるで王都の晩餐のような洗練された手つきで口へ運んだ。
食べ方の所作、
手首の角度、
フォークとナイフの扱い。
どれを取っても、
この砦の誰とも違う――**正統の“王家の所作”**だった。
(――王家の食卓の作法を、まだ忘れていないのか)
(あの日から、ずっと一人で歩いてきたはずなのに……)
ヴァレンティスが、深く静かに頷く。
「物資が乏しい。
あなたの働きに見合うもてなしができぬことを、王として詫びる」
テーブルに並ぶのは質素な料理ばかり。
だが、それは兵士たちの割り当てを削って用意された、“最大限”のもてなし。
ロザリーナは静かに首を振った。
「いえ。
これほどのもてなしを受けられるとは……思っていなかった。
……感謝する」
その声は淡々としていながら、嘘は無かった。
ベニバラは、表情こそ崩さなかったが、
心のどこかで舌を巻いた。
(……ワインをこぼすどころか……
王族の晩餐に座っても遜色ない……?)
杯を掲げる。
「戦場を生き抜いた新たな仲間と、新たな剣に。
――そして、まだ見ぬ戦場のために」
ガルデンも、静かに杯を上げる。
ニコルは大げさに。
「いやぁ~、この顔ぶれで飲めるなんてねぇ。
生きてるって素晴らすぃ~!」
「軽い。
お前の剣と同じだな」
即座に刺すベニバラ。
「これでも、精一杯の真面目顔なんだけどなぁ~♪」
広間に、ささやかな笑いが広がった。
アズは横目でロザリーナの横顔を見る。
(笑って……ない)
完璧な所作で食事をしながら、
ロザリーナの表情はどこまでも静かで、
顎を引いて、どこか恐縮しているような気配さえある。
気取らず、
誇らず、
見せびらかさず、
ただ静かに座っているだけ――なのに。
アズは思わず息を呑んだ。
(……ほんとに、どこの王女様なんだよ、この人……)




