如月羽生の場合
「さて、次は如月さんの事件です」
「自分は後回しって訳ね。いいわよ。あたしの罪を教えて頂戴」
「教えはしません。自分で気付かないと意味がありませんから」
「そうだったわね……」
鼻白む様子もなく、素直に受け入れる羽生さん。その顔からは、何を考えているかは分からない。
「しかし、実際のところ、如月さんはすでに気付いているのではありませんか?」
「あたしが、死のうとした理由について?」
「そうです」
「そう、ねえ……まあ、自分の漫画家生命に限界を感じていたとか、そんな感じ?」
努めて軽い口調を保っているが、顔色の悪さは隠せない。
「そこまで分かってるのなら、俺が言うことは何もありませんね」
「ないことないでしょ」
「そうッスよ。分かんねェことだらけじゃないッスか」
疑問符を浮かべる羽生さんに、大介君も同調する。
「さっきの話だと、センセーを殺したのオレなんスよね? オレが、センセーを刺した――色々と突っ込み所満載なんスけど」
「どこに突っ込む隙があると言うんだ、桐山」
鋭い視線を大介君にスライドさせる。
「どこにって――じゃあ、順番に聞いてきますよ? 六番目の横山さんは別として、他は全部絞殺だったじゃないスか。何でセンセーだけ刺殺なんスか。何でオレは、センセーを刺殺したんスか」
「それなら答えは簡単だ。直前に起きた未遂事件が包丁を使ったモノだったからだ。その後の殺人も刃物を使わなければ不自然だろう」
「だから」円卓をドンと叩き、大介君は勢いづく。「そこッスよ! おかしいっしょ! 自殺幇助なんスよね!? 被害者は犯人に協力して、完全犯罪になるように仕向けたんでしょ!? 何で未遂になるんスか!? 矛盾してません?」
「矛盾はしてないよ」
冷気を感じさせる程のクールさで、鹿島さんは続ける。
「桐山は勘違いをしている。そもそも、未遂事件と殺人事件の犯人が同じという前提が、まず間違っている」
「例の狐顔の男ッスか? あれって結局、どうなったんスかね?」
「大介クン、あたしの描いた絵、見てない訳?」
二人の遣り取りを静観していた羽生さんが、ここで口を挟む。
「――ああ、あれッスか……いや、オレも色々あって……」
「見てないんだ」
呆れたように、軽く溜息を吐く。確かに、あの時の大介君は謎の写真にかかりっきりで、それどころではなかったのかもしれない。
「あれを見れば一目瞭然なのに……」
「似顔絵と言うのは、警察が描いた例の似顔絵を、如月さんが自分の絵で描いたというヤツかい? 私も話は聞こえていたんだが――結局、あの絵に何の意味があったのかな?」
事情を飲み込めていない尾崎さんが説明を求める。説明してほしいのはこちらも一緒だ。その件に関しては一部始終を傍観していた筈なのに、肝心な部分は未だに何一つ分かっていないのだ。
「如月さんのは、どちらかと言えばポップで可愛らしい絵柄です。写実的な似顔絵とは根本的に絵のタッチが異なる。異なるタッチで描かれている以上、どうしたって受ける印象が変わってくるんです」
「つまり、どういうことかな?」
「これよ」
大介君の机に置きっ放しになっていた似顔絵を手元に出現させ、皆に見せる羽生さん。この絵自体は以前にも見ていた。糸目で細面の男性が、彼女特有の可愛らしい絵柄で描かれている。似ていると言えば確かに似ているけど――鹿島さんの言う通り、受ける印象はまるで違う。
「それに、これ」
続いて出現させたのは漫画雑誌。真ん中辺りのページを開き、前に突き出す。『アカルイアシタ』だ。二人の人物が向かい合って何かを話し合っている場面のようだ。一人は主人公らしき人物で、もう一方は三十代らしき糸目が特徴的な細面の男。
「……これって……」
思いがけない出来事に、思わず唸ってしまった。
漫画の人物と似顔絵の人物が、瓜二つだったからだ。
雰囲気が似てるとか、そういうレベルではない。髪型から服装、ホクロの位置まで酷似している。
「どういうことですか」
「見たまんまだって……」
どこか気だるげに、羽生さんは説明を始める。
「それ、あたしの漫画に登場する新城保ってキャラなんだけど――あたしが警察に描かせた襲撃犯人の似顔絵は、そのキャラ造形を元にしていたって訳」
とは言っても、漫画のキャラが現実世界に飛び出して作者の羽生さんを襲った、ということではないだろう。そんな訳がない。
つまり。
「未遂事件の犯人なんて、最初から存在しなかったのよ……」
頭を抱え、呻くようにそう言う。
「如月さんの事件は、一から十まで自作自演だったんだ」
憔悴した様子の羽生さんから、鹿島さんが解説を引き継ぐ。
「如月さんは、自分で自分の右手を刺したんだよ。こう、右手をテーブルの上に置き、そこに突き刺す形で包丁を振り下ろした――」
分かりやすく、ジェスチャーを交えながら話す鹿島さん。
「手の平ではなく手の甲が刺されていたのは、それが原因だ。現場から凶器が見つかっていないことから考えると、刺したのは自分の部屋なんだろう。吸水性の高い、例えば生理用ナプキンなどで傷口を覆えば、途中に血痕を残すこともない」
説明のためとは言え、男性からそういう単語が出てくるとドキッとする。
「路上に出たところで、傷口を覆っていた小道具を鞄の奥に隠す。その上で警察に通報すれば、通り魔事件の完成だ。警察も被害者の鞄までは調べないだろうしね」
「なんでそんなことするんスか」
羽生さん殺しの実行犯、大介君が不服そうに唇を尖らせる。
「その部分、どう考えても余計ですよね。ありもしない通り魔事件演出して、自分の漫画からキャラ引っ張り出して――話をややこしくしてるだけじゃないッスか」
「恐らくそれは、突発的なモノだったんだろう。計画自体は数ヵ月前から綿密に練られていた。七月十三日の午後に、桐山が如月さんを蒲田の住宅街で殺すことも、ずっと前から決まっていた。ただ、通り魔事件に関しては計画に含まれていなかった。明らかに、彼女が発作的に行ったモノだ」
「だから、何の意味があって――」
「まだ分からない?」
固く、乾いた口調で、羽生さんが尋ねる。
「自殺なんだってば。あたしは、あたしを殺したの」
「センセーを殺したのはオレなんでしょ? センセーはただ、自分の右手を刺しただけで――」
「それが自殺なんだっての」
焦点の合ってない目で自分の右手を見つめる羽生さん。
その右手からは、幾筋もの血が流れている。
「利き手って、大袈裟じゃなく、漫画家にとっては命な訳。その右手を自分で駄目にするってことは、漫画家としての自分を殺すってことなのよ」
流血はいつしか円卓に滴り落ち、血溜まりを作っている。
「……あたし、その時はまだ、どこかで迷いがあったんだろうね。心のどこかで、まだ自分はやれる筈だとか、もうちょっと頑張ればいつしか報われるだとか、そんな甘ったれたことを考えてた訳。そういう想いを断ち切るために、あたしは、まず漫画家であるあたしを殺したの。背水の陣で、計画に臨むためにね」
溜息を吐き、目の前を左手で払う。それだけで大量の流血も血溜まりも、きれいさっぱり消え失せる。
「ううん、それも誤魔化しかな。あたしはやっぱり、悔しかっただけなのかも。悔しくて、悲しくて、腹が立って――その気持ちを、自分の右手にぶつけたのね。発作と言えば確かに発作。あの瞬間、あたしは絶望の発作に襲われていたのよ」
「悔しいって……自分に対して、ッスか?」
「全部よ。あたしの漫画が分からない読者も、好き勝手なことばかり言う編集者も、口では適当なこと言いながら内心見下してる周囲の奴らも、世間体のことしか考えられない家族も――あたしは、全部が許せなかった。悔しくて悔しくてしょうがなかった。だから、普通に自殺するのは、何か世間に負けた感じがいて、ヤだったの。あくまで被害者でいたかったのよ。今冷静に考えると、何て屈折した痛い女なんだって感じだけど」
「そんなに悔しいなら、生きて戦い続ければよかったじゃないか。そういう選択肢はなかったのかな」
どこまでも穏やかな声で、尾崎さんが尋ねる。
「あたし、もう三十三よ? この年になるまで、二十年以上も漫画のことしか考えてこなかったの。まともに働いたこともなく、男も家族もなく、一人で、そういうもの全部犠牲にして――その結果が、これよ。笑えるでしょ」
「三十三なんて、私にしてみれば十二分に若いが」
「疲れたのよ。どうしようもなく、疲れたの。描いて描いて描いて、足掻いて、もがいて、それでもウケない。伝わらない。それでようやく、気付いたのよ。ああ、あたし、才能なかったんだって……」
「雑誌に連載できたのなら、才能も十二分だったと思うんだが」
「全然。あたしなんて――ダメよ。ダメだから、すぐに打ち切られるのよ。才能、なかったの……」
「それでも、足掻き続けるしかなかったんじゃないのかな」
「足掻き疲れたんだってば……」
どこか投げ遣りな態度でそう言い、天を仰ぐ。そのまま、右手を差し出す。
「あたしにも、お酒頂戴。飲まなきゃやってられない」
頷き、黙ってグラスを差し出す尾崎さん。渡されたそれを、一気に飲み干す。やっぱり、とても不味そうに見える。
「あーあ、何だったんだろ。馬鹿な女が馬鹿な夢見て馬鹿みたいに足掻いて馬鹿みたいに絶望して、結果、馬鹿みたいな計画に乗って馬鹿みたいに死んでっただけなんだからね」
「どんだけ馬鹿って言うんスか」
「本当だからしょうがないわよ。愚かで自分本位で甘ったれで被害者面で――そういうのを、馬鹿と言わずに何て言う訳? 死んだら全部終わりかと思ったのに、そんなこと全然ないし――」
新しい酒を瞬時に出現させ、高速ペースで消費していく。
「大介クン、一時期あたしの漫画ずっと読んでくれていたよね? 死んでから評価されるなんて皮肉なもんだって思ってたけど、それだって、結局は漫画のキャラが似顔絵に似てるって気付いたからなんでしょ? しかも、それに気付いたのがあたしを刺した人間だってんだから、さらに笑えるじゃない。皮肉の二乗よ。ホント、やってられない」
「違います」羽生さんの言葉を、大介君は強く否定する。
「最初は、本当に面白くて読み続けてたんです。キャラの一人が似顔絵にの男に似てるって気付いたのは、結果論ッスよ。ってか、面白くなきゃ、そこまで読み続けることなんてできねェし」
「ありがと……ね」
グラスに口をつけたまま、寂しそうに微笑む。
対する大介君の視線は、グラスに移動している。
「そうだ。センセー、オレに刺される前、ベロベロに酔っ払うまで酒飲んでたんスよね? あれって結局、何だったんスか?」
「あたしの気持ちにもなってよ。後ろから首締められるんじゃなくて、正面から心臓刺されるんだよ? 痛いし、怖いじゃない。それこそ、飲まなきゃやってられないっての」
過度のアルコールは恐怖心や痛覚を麻痺させる。尾崎さんとは全く違う意味合いで、この人はアルコールを口にしたのだ。
「ついでに言っちゃうと、殺害現場が蒲田だったのにも意味はあったのよ? あたしの自宅アパート、東矢口じゃない。最寄りは蓮沼。でも、大介クンは南浦和に住んでる。あたしのとこに来るには、蒲田駅で東急池上線に乗り換えなきゃいけない。だから、乗り換えしなくてもすむように、蒲田を殺害現場に選んだって訳。大介クンは中学生だしサ、お姉さんなりに気遣いしたって訳よ」
「あの、オレ、電車の乗り換えくらい普通にできるんスけど……」
大介君、ムスッとした様子を隠そうともしない。
「計画段階でもそう言ってたっけ。直前であたしが勝手な行動起こして、刺殺に変えちゃったこともそうだけど――大介クンには、結構自分の意見押し付けちゃってたね。今さらだけど、ゴメンナサイ」
グラスを置き、頭を下げる。
「いや、別にいいスけど――ってか、センセーは完璧に思い出したんスか? オレはそっちが気になるんスけど」
「一応ね。ただ、今は個別の事案を片付けてるトコだし、あたしからはこの辺にしておくわ。後は、鹿島クンに任せた」
尾崎さんと同じことを言って、バトンパスを完了。
もう一つのバトンは、大介君に渡された。




