第2楽章 45節目
「……石澤…………た」
早紀と千夏が呼ばれていった後、和樹がハジメと普通に会話しながら昼を食べている時。
ふっと和樹の耳の中に「石澤」という言葉が入ってきた。
ビクッとして、気になって見ると、掘北が早紀達に何かを話しているのが見える。
会話の内容は何一つとして聞こえてこないのに、自分の名前だけは何故か聞き取れるのは何なのだろうか。少しだけ会話の内容が気になってしまう。
「和樹? どうかした?」
ハジメが一瞬止まった和樹にそう言って、和樹の視線の先を追うようにして少しだけ首を傾げた。
「いや……あーっと、なんかさ。ちょっと俺の名前が聞こえた気がして。会話が聞こえたわけじゃないんだけどさ」
和樹が、何故か少しだけ言い訳のように、鼻の頭をかきながら言葉にすると、ハジメは少し納得した表情で言った。
「あぁ、何か自分の名前が含まれる会話って、変に聞こえたりするよね、よく分かる」
「ん? ……あぁ、なるほど、お前の場合はイッチーがいるもんな」
始めの言葉に和樹は少し疑問に思い、ただその後で自分の中で回答を見つける。
確かに、石澤は居ないが、「佐藤」も「ハジメ」もよく話題に上がっていた。そんな経験も一度や二度ではないのだろう。
「そうそう、まぁ和樹の場合はそういう事もないと思うけど……何か落ち着かない顔だね?」
ハジメは、それにそう答えて、その後で和樹の顔を改めて見てそう言った。
「いや、まぁ女子の話の中で出てくるのは落ち着かないんだけどさ」
そこで和樹は少しだけ口ごもる。それを見て、ハジメが気づいたように口を開いた。
「まぁ、悪いことを言われては居ないと思うよ? 少なくとも僕はそう思うし、千夏や早紀がそれをそのままにもしないでしょ」
「っ…………。あー、やっぱお前はずるいよなそういうのをサクッと言うところが……でもそっかなぁ?」
「だと思うよ? まぁ自分の名前が聞こえてくると、悪口だったりするのは思っちゃうのはわかるけどね、僕も去年さ、そういうこともあったし」
ハジメが何かを思い出すようニヤッと笑って和樹を見てそう言い。
「その節は、ほんっとにすまんかった!」
和樹は平謝りに謝った。
「あはは、嘘々。もう流石に気にしてないって。こうして冗談に出来るくらいにはね……正直、あの頃の石澤は嫌いだったけど、今の和樹は普通に好きだよ」
「お前な? 知ってるか? 俺は結構涙もろいんだぞ?」
「男の涙はいらないなー。まぁそう思ってんのは僕だけじゃないんじゃないかって思うし」
そう言ってニコリと笑うハジメに、和樹はどうしようもなく敵わない気がして、そして、別にそれでいいかと自然に思う自分に笑う。
「変なとこで人たらしだよな、ハジメって」
「いや? だいぶ言葉は選んでるし、『好き』とかそういう言葉を使う相手はだいぶ絞ってるよ。昔ほど変に自信を持たれても微妙だけど、そこはわかってんでしょ?」
「…………そっか、そうだな」
キーンコーンカーンコーン。
そんな話をしているうちに、予鈴が鳴って、和樹が呟く。
「もう休憩終わりか。次の授業なんだっけか」
「英語、早めに来るから教科書用意しとかないとね」
「んじゃ、またな」
そうして席に戻って、用意していると早紀も戻ってきた。
何気無さそうな顔を作って、尋ねてみる。
「随分盛り上がってたな、何の話題だったん?」
それに、何故か少しだけ怒ったような声で、早紀は答えた。
「……女子の秘密よ」
そうしているうちに先生が入ってきて、喧騒が止む。静になる教室の中で質問マズったかなぁと和樹は思いつつ、外を見た。
窓の外は、梅雨とは思えないほど雲ひとつ無い晴天だった。
(まだ夏だし、秋の天気となんとやらって言うほどではないけど、わかんねぇなぁ)
そんなことを和樹は思うのだった。
◇◆
『(早紀)あのさ、今日読み終わりそうだから、続き明日頼んで良い?』
『(和樹)お、今回はえーじゃん、おけ』
『(早紀)部活の後で疲れてはいたんだけど、何か兄貴がさらっとネタバレくれようとするから、読み始めたら止まらなかった』
『(和樹)兄www。まぁ面白いよな』
『(早紀)ね、兄貴も借りて読んだって言ってたけど』
『(早紀)ありがとね』
『(和樹)いやいや俺も布教できて嬉しいしさ』
和樹は、自分が好きなものを好きって早紀に言ってもらえると嬉しいし、と続けようとして、少し考えてスマホで文字を消した。
『(早紀)布教て笑』
『(和樹)友達に良いと思うものを勧めて、良いって言ってもらうのは結構快感』
『(早紀)あーわかるかも』
正直、今の関係は物凄く居心地が良かった。
早紀は美人だし、いざ喋り慣れると取っ付き易い。感覚が合うとでも言うのだろうか。
あっちがどう思っているのかはわからないが。少なくとも和樹としては、異性として意識しないなんてことは勿論無い。
でも、イッチーとのことで失恋した時の表情も、その後の振る舞いも、髪を切った時に感じた潔さのようなものも、全部和樹は覚えていた。
そこに、自分が入れるとは到底思わない。
何より、ハジメやイッチー、真司。早紀、千夏、優子、玲奈、それに学外ではあるが佳奈さんも。
和樹は今の状態が充足感で満たされていて、幸せで。
――――そして、どうしようもなく怖いのだった。
皆、凄いやつだった。
自分で考えて、努力して。しんどい環境にも曲がったりしないで、前を向けるやつら。
まだそこまで深く知らないこともあるけれど、知っていることもある。皆それぞれ、和樹には思いもよらないことで悩んだり乗り越えたりしていた。
何かをすることで、この関係性を崩すのが怖かった。
そんな奴らではないとわかっていながら、あっさりと、和樹が居ない輪にもなりそうで。
自信なんてものはいつだって無い。
虚勢を張らなくなって、努力をするようになって、変わったと言われても。
無いものは、無いのだ。
違うのは、自信なんてなくても、一緒にいて恥ずかしくないようにしたいと思える自分のほうが、余程良いと思えるようになった心だけ。
だから気をつける。間違っても、恋に落ちたりはしないように。
今のところ、その試みは上手くいっていた。
関係性も、和樹の心のなかでも。




