第2楽章 40節目
夢を見ていた。
これは夢だとわかる、とても現実的な夢。明晰夢というのだろうか。
「お兄ちゃん、誕生日おめでとう」
「あら美穂、今日は早いのね。ふふ、お兄ちゃんにおめでとうを言うためにきちんと早起きするなんて、良い妹じゃない。ハジメもおはよう、お弁当はそこね」
「……そんなんじゃない。偶々早く目が覚めただけだから」
「ハジメは朝練でいつも早いからなぁ。次の大会が引退前の最後だろう? 今度は優勝まで行けるといいな」
「朝から次々と言わないでよ……追いつかなくなるじゃん。美穂、ありがとう。母さんもお弁当ありがと。父さんも、うん、去年は先輩たちのお陰もあったけど、今年も良い一年も入ったし、良いところまでいけるんじゃないかな」
僕の意識とは別のところで、中学生の頃の僕が家族にそう答えている。
そう、この頃の僕は、毎朝バスケ部で練習に出ていた。最後の大会に向けて、ミニバス経験もある一年生達に、一年間頑張ってきた二年生。それに加えて最後の夏を迎える三年生。皆がそれぞれ一つの目標に向けて練習を重ねていた。
もう思い出せないけれど、そういえば確かにそんな事があった気がする。でも、本当にそんな会話を交わしたかは定かではない。
でも、幸せな夢。
場面が飛ぶ。
ここは覚えていた。中学最後――そして、家族で最後に祝った僕の誕生日。
母さんも父さんも定時に上がって。
母さんは予約しておいてくれたケーキを、父さんはお寿司とピザという、当時の僕が何を食べたいかを聞かれて欲望のまま答えたものを買ってきてくれて。
美穂がこんなに食べたら太るよ、とか言いながら嬉しそうだった。
「「「ハジメ(お兄ちゃん)、15歳の誕生日おめでとう!!!」」」
「ふふ、ありがとう。父さん、母さん、美穂」
そして、並べられたご馳走を猛然と消費していく僕と美穂を呆れたように見ながら、父さんと母さんが会話をしている。
「来年はハジメも高校生だし、そろそろ彼女とかと誕生日を祝うようになるのかしらね」
「……そうだな、どうなんだ? ハジメ。隠さなくて良いんだぞ? 小遣いも増えるぞ?」
「いや、残念ながらそんな予定も相手もいないから……って悲しいことを誕生日のお祝いで言わせないでよ二人共」
ここも覚えていた。
一字一句同じかはわからないけれど。僕の脳の中ではきちんと保存されているのだろうか。
薄れていくのは、浮かばなくなるだけで、きちんと記憶の中にしまわれているのであれば良いなと、夢の中の『僕』の中にいる僕は、そんなことを考える。
ここは暖かい。
とても、当たり前に暖かい。
でも、また、時間が飛んだ。
ちょうど一年飛んだことに僕は気づく。
寒い。とても寒い。
同じ場所、同じテーブルの上にケーキが置いてあった。
コンビニのちょっとしたケーキ。昔好きだった、コンビニスイーツの中でも少しお値段高めの大きめのケーキ。
『(翔)すまん! 週末には向かえるから、一緒にいいものでも食おう。高校生活には慣れたか? 誕生日おめでとう、ハジメ』
『(ハジメ)いいよいいよ。水曜日なんて平日の真ん中だし、そっちは今深夜でしょ? なのにこうして連絡くれてありがとう。高校生も何とかやってるよ、大丈夫』
当時と変わっていないスマホのメッセージアプリに叔父さんからの謝罪とお祝いのメッセージが届いていた。それに僕は淡々と返している。
そう、水曜日だったな、と思う。
初めての、誰にも祝われることの無かった誕生日。
誕生日に凄く拘っていたつもりは僕には無かったけれど、でも、それまでの家族のお陰で、誕生日はケーキで祝うものという想いもあった僕は、何となくバイトも入れずに、コンビニで買ったケーキで自分を祝ってみようとしたのだった。
覚えていなかったけれど、思い出した。
確か、僕は一人で食べるケーキに、全く味がしないことに愕然としたんだ。
一人の家。一人の食事。
動かなくなっていく感情。
冷たいなにかが、僕に染み込んで包んでいく。
◇◆
ブブ――ブブ――。
スマホが震えていた。
学校とかでも音が出ないようにと、常にマナーモードにしている僕のスマホ。
目を覚ます。
『千夏』
液晶に、最愛の彼女の名前が写っていた。
僕は、全てが夢ではなかった事に落胆し、でも全てが夢ではなかった事にほっとする。
「おはよう、千夏、今何時?」
「おはよう! ハジメ! 今? 朝の6時前、何か目が覚めちゃってさ、本当は日付が変わる瞬間にしようか迷ったんだけど、やっぱりおはようと一緒に一番最初に言いたいと思って……17歳の誕生日おめでとう! これで少しの間だけ、1歳違いだね」
「……あはは、ありがとう、千夏」
「どうかした? ううん、ちょっと待ってね」
「え? 千夏どうしたの?」
凄く元気にしてくれるいつもの声で、笑顔がその先に見えるような声で、僕を真っ先に祝ってくれた千夏は、何かに気づいたようにして電話を切った。
そして、再び電話をかけてくる。次は、音声だけではなくて顔が見える形だ。
僕は少し迷って。敵わないなと思いながら、通話ボタンを押した。
「……やっぱり」
「何でバレるかな。時々千夏が遠くからでも見えてるんじゃないかと思うよ」
「どうして泣いてるの? ハジメ」
「……言葉にすると子供みたいなんだけどさ。ちょっとだけ夢を見て」
「うん」
僕と千夏の間には約束がある。
どうしても話したくないことは話さなくて良い。
でも、少しでも話したい事は、相手に気を遣って話さないなんてことは無しにする。
まだ、癖で自分の中に言葉をしまい込んでしまう事がある僕らは、そうして決め事にすることで話す言い訳を自分たちに与えていた。
だから、僕はこうして話す。
情けないことでも。
「家族が居ない事が夢じゃないことと、千夏が彼女で居てくれることが夢じゃないことがわかって、何か声を聞いたら勝手に出てきちゃった……ふふ、言っとくけど、元々涙もろかったわけじゃないんだからね?」
「バカ。そんな涙はいくら流したっていいのよ……すぐに行くから」
「ええ? 朝だよ?」
「誕生日の朝に寂しくて泣いている彼氏に、夢じゃないよって言って抱きしめてあげる彼女って、最高に良くない?」
「自分で言う?」
「取り敢えず行くから」
そう言って電話が切れた。
恐らく最速でメイクから何から準備をして本当に飛ぶように来てくれるのだろう。
「朝ごはん、作ろう」
きっと何も食べずに来るのだろうから。
僕はそう呟いて、起き上がる。
(そういえばさ、父さん、母さん。一年遅れだけど、友達と彼女とで、祝ってもらえるような僕になったよ)
今日は、17歳の誕生日。心の中で夢の中の父と母に告げる。
もう冷たさは、無かった。ただ暖かさだけが、残っていた。




