第2楽章 34節目
五月というと、年度が変わった後の生活に少し慣れたところに来る、GWという休みから始まることからか五月病という言葉が世の中に蔓延る時期だ。
だが、和樹達学生にとっては、五月の中盤から後半にかけては、そうも言っていられない期間だった。
中間試験。
それが、来週に迫った学生ならではのイベントの名前である。
どこぞの、というか今目の前に居る、高校生の身分にありながら、ごくごく普通に予定を立てて、東北地方への旅行に行って当たり前のようにお土産をくれたカップルとは違い、休み中は部活に勤しみ、休み中であるほど忙しい父母に代わり家の掃除を行ったりした和樹にとっては、リフレッシュということもなく訪れた嫌な時期だった。
和樹の成績は下から数えたほうが早い方だ。
理系なのにと思われるかもしれないが、数学が苦手で平均よりかなり下。国語は現代文は得意だが、古文と漢文は並。その他の教科も、補習を免れるくらいだ。
テスト期間中ということで、部活もなく、普段は――とは言っても普段を知るほどに来たことはないのだが――生徒はそこまで来ていないであろう図書室で、あちらこちらで紙にカリカリと刻まれる音が響いていた。
「あんたそこ、初手から間違ってるけど」
隣に座る早紀の声に、和樹は手を止める。
人がいるとはいえ図書室だ。この空間がそうさせるのかモラルの問題なのか、私語の類は殆ど聞こえては来ない。聞こえるとしても、熱中症対策として解禁された飲み物を飲む音位だろうか。
そのため。大きな声を出せないからと少しこちらに近づいてそう告げる早紀の口元から、耳に少し吐息がかかり、快感ともくすぐったさとも言えない感覚に、和樹は二の腕に鳥肌が立った。
「え……まじで?」
気恥ずかしさからそれを悟られないように、そんな事を言いながら、和樹は少し姿勢を変えて早紀から離れつつ顔を正面から見た。
(…………)
怒っても、笑ってもいない、普通の表情。
それが驚くほど整っていて、和樹は一瞬見惚れた。
横目で煩そうに視線を向けられて、視界に入ろうとしていた去年から比べると、随分と正面から視線を向けられるようになって少し経つ。
それでも、慣れない。
美人は三日で見慣れる? 美人を見たこと無いんじゃねぇのか?
そんな事を考え、二の腕の鳥肌をそっとさすって、染み付いた軽薄さに素の重さを足して自然体を装って答える。
申し訳無さそうなのは、そのままだ。
「……って言っても、その最初がわからんかも」
「あのね……後で現代文教えなさい。ちょっと見てあげるわ」
「サンキュ」
「現代文の教え方次第では、こないだの借りた漫画の借りは無しね」
そう言って、ふふん、と笑う。
少しだけ、他の男子、そして女子もその笑みにざわついた気配がした。
自分もそちら側だったから、気配には敏感だ。
「あのね、ここは使う公式が違うのよ。それっぽい感じで当てはめるんじゃなくて少し位公式の意味も考えなさい」
「……なるほど。意味が初めて分かった気がする。ってことはこっちも同じ?」
「そうそう……ってかこれでわかる時点で、あんたがただ授業聞いてないのがわかるわ」
教えてもらって、ああそういう意味かと少し脳内で意味不明だったことが繋がってくれると、咎めるような言葉で、でも柔らかい笑みを乗せて早紀がそう笑う。
「二人、本当に仲良くなったわよね……意外というかなんというか」
正面で、和樹の中での『仲良さ』を日々更新していくカップルの片割れが何かを言っていた。
意外だと言われるのはわかる。だが、正直言って和樹が早紀と気安くなったのはこの二人のせいでもある。
「……そうね。正直意外ってのも、最近もう気を遣わなくなってきたっていうのも事実だけど、あんた達二人のせいってのもあるからね」
千夏の言葉に、早紀がそう言って、和樹はまさにそれと首を縦に振る。
「僕らのせい?」
「そっちの二人が大体一緒にいるから、何となく一緒に居て、ツッコミ役としても共感と呼吸を養えたって感じだな」
ハジメが少しわかっていないような疑問を発したので、和樹はそう補足した。
「……ふーん」
それに対して、千夏が意味ありげな目線を送るが、早紀が一睨みすることで目をそらす。
まぁ、仲の良さを揶揄されているのはわかるし、正直光栄だと思ってしまうが、ただ、釣り合わないという気持ちがむず痒かった。
こうして、友人で居るという時点で十分だなんて気持ちを感じることになるとは、思っていなかったのだけれど。
そんな事を思いながらいたからか、どこか居心地の悪さを感じたものを脳が変換したのか、尿意を感じてしまった和樹は、ハジメ達に声をかけて席を立つ。
「ねね、ついでにさ、飲み物買ってきてくんない? はい」
そう言ってお金を渡してくる早紀に、頷いて受け取った。
「無糖のストレートティーだよな。もし無かったら、ミルクティーかアップルティーかどっちだ?」
「アップルで」
「あいよ」
そんないつものやり取りに、少しの嬉しさはこみ上げる。
だが、この嬉しさを感じているうちは、釣り合いは取れていないのだろうな、とは自覚している。
でも、それでもいいや、と和樹は思うのだった。




