閑話7-7
「ほんとうに!?」
僕の言葉にあおいちゃんの瞳が輝くように見開き、嬉しそうに小さな手を両手で合わせた。その様子に、千夏も微笑む。
「本当だよ。お父さんとお母さんがとっても心配してたから、早く会いたがっているんだね」
「うん!」
僕がそう言うと、あおいちゃんはしっかりと頷いた。
その間に、頼んでいたケーキセットが運ばれてきて、千夏があおいちゃんに取り分けるようにする。安心したおかげもあるのか、あおいは先程までよりもにこにこしながら、満足そうに頬張っていた。
しばらくすると、店のドアが開き、若い夫婦が慌ただしそうに中を覗く。その瞬間、あおいちゃんが席から飛び上がった。
「お父さん!お母さん!」
声を上げて、あおいちゃんはその夫婦に向かってぶんぶんと手を振る。その様子を見て、僕と千夏は微笑んで立ち上がり、二人に会釈する。
そして、気づいた夫婦は足早に僕らの元に歩み寄ると、深々と頭を下げて、そして母親の方がすぐにあおいを抱きしめた。
「あおい、本当にごめんね。目を離してしまって…………気づいたら貴女の姿が見えなくて、慌てて探し回って近くの交番にも行ったんだけれど、迷子が多かったみたいで連絡も行き違ってしまって。本当に無事で良かった! 貴方たち、本当にありがとう、貴方たちのお陰で、娘が無事でした。もうなんと御礼を言って良い事か」
「聞けば旅行中だと言うのに、不安がっていた娘のためにご一緒してくれたそうで、本当にありがとうございます」
そして、あおいちゃんの母親が、娘を抱きしめながら僕たちにそう言って、その父親も傍に立ち本当にほっとしたようにそう続けた。
何というか、思っていた以上にいいご両親に見えて、あおいちゃんが以前に言っていた喧嘩や父親が家を出ることについて、今の彼らの様子からは想像できなかった。
そっと横目に見ると、千夏は少しだけあおいちゃん達の様子に目がうるんでいる。
もしかしたら少しうがった見方をしていたのは僕だけだったのかもしれない。
「いえいえ、僕たちも楽しい時間を過ごさせていただきましたから、ねぇ千夏」
「うん、あおいちゃんも楽しんでくれていたと思いますし」
「あおいね、すっごい楽しかったの! あのね、お兄ちゃんに肩車してもらってね、それでね――――」
僕らの言葉に、あおいちゃんが力いっぱい頷いて、そう言ってくれた。
「もうあおいったら、お母さん達は本当に心配したのよ…………でも、良かったね。お姉さんたちに助けてもらったんだね」
あおいの母親がそう言って、改めて少し涙ぐんだ目で僕らに感謝の意を示すのに僕らは首を振る。
「あの……お客様方、よろしければ追加の椅子をお持ちしましょうか?」
そうして僕らが話していると、店員さんが気遣ってそう話しかけてくれた。
「あ、確かに……えっと、もしよろしければ、まだあおいちゃんが食事を終えていないので、一緒に座っていただけませんか?」
◇◆
時間は太陽が西の空に傾き始め、周囲の景色に淡いオレンジ色が滲み始めた頃、座席にそれぞれ座った僕らは改めて自己紹介をしていた。
「改めまして、笹木望と言います、こちらは妻の慶子。娘が本当にお世話になりました」
そんな挨拶から始まった会話の中で、僕らもまた二人で旅行に来ていることや、あおいちゃんと出会った時の状況を話し、そして僕らも、彼らが岩手県の方から旅行に来ている事、あおいちゃんが葵ちゃんであったことなどを知った。
更には――――。
「あら、葵がそんな事を? ふふ、それは変に気を遣わせてしまったわね…………それにありがとう、今日あったばかりのこの子のために、今踏み込むような質問をしてくれて」
少し打ち解けてきた中で、千夏が意を決したように、父親と離れ離れになると葵ちゃんが言っていたこと、そして、自分の両親が離婚して、寂しいと思うことなどなどを話したのだ。
だが、それは僕らの杞憂だったようで。
「実は、私が出ていくというのは事実ではあるのだけれど。それは仕事の都合でね、東京の方に転勤することになったんだよ。引っ越しの費用などの補助も出るし、家族皆で引っ越しもしたいのだけど、葵は幼稚園の年長だからね。途中からではあちらだと保育園も幼稚園も中々難しいとも聞くし、何よりこちらの友人とも中途半端に離れ離れになってしまう。そこでどうするかを話し合う中で、妻とも口論になったりしてね…………葵にはそれをそんな風に見られていたんだな」
「葵、ごめんね。お母さんもお父さんも嫌いになったわけじゃなくてね。ほら、喧嘩するほど仲がいいっていうから」
「えー? じゃあお兄ちゃんとお姉ちゃんも喧嘩するの?」
望さん達の言葉に、なるほど、と思っていた僕らだったが、最後の葵ちゃんの質問に首を傾げた。
そういえば、あまり喧嘩というほどの物はしていないかもしれない。
「うーん、そうだねぇ。時々ちょっとしたじゃれ合いみたいな喧嘩はするけど、今のところ無いかな? でも喧嘩するほど仲がいいっていうのも本当だよ?」
「そっかぁ」
千夏の言葉に、葵ちゃんはにこりと笑って納得したようだった。
単身赴任は大変だと思うけれど、想像していたものよりも余程良い。良かった。
そんな事を思いつつ、僕は望さんたちに言う。
「でも、そういう事なら良かったです。ところで、今日は皆さんこちらに宿泊なんですか?」
「そうだね。車で帰れる距離ではあるのだけれど、せっかくだからゆっくりしようと宿を取ってあるよ…………えっと、あまり気にしてなかったけど君たちも?」
「ええ、駅前のホテルを取ってます……えっと、一応お互いの保護者の許可も得てますのでご心配なく」
何となく何を気にされているのか分かった気がして、僕は苦笑しながら望さんにそう告げる。
「そっかぁ、東京だもんなぁ。最近の子達は進んでいるって聞くし……明日の予定は決まっているのかい? 良ければ、何か御礼をと思っているんだけれど」
それに、少し違った方向で納得してくれたらしく望さんだったが、その後に言ってくれた言葉に僕は首を振った。
「いえいえ、こちらとしても成り行きではありますし、楽しかったですし。一応明日はチェックアウトしたら、龍泉洞の方に行ってみる予定です」
「ここから龍泉洞かい? 随分と不思議なルートを選んだね、いや、三大鍾乳洞とは言われているのは勿論知っているが」
「あはは、いや、実際そうだとは思うんです。ただ…………その、死別した両親の想い出の旅行のルートらしくて。その時の両親はレンタカーを借りたようなので、完全に一緒とはいかないんですけれどね」
「なるほど……」
僕の言葉に少し考えた望さんは、慶子さんにも目配せして続ける。
「では、明日の朝、龍泉洞の方に、またはせめて盛岡の方まで車で送らせてもらえないだろうか? 御礼になるとは言えないのだけど」
「え? それは、バスにしようかとも思っていたので助かりますが、いいんですか?」
「勿論だとも。というか先程岩手の方と言ったが、私達は盛岡市に住んでいてね、遠回りということもないんだよ」
僕と千夏は顔を見合わせ、一瞬迷ったが。
「お兄ちゃんとお姉ちゃんも一緒に車に乗って帰れるの!? あおいそれがいい!!」
そう言ってくれた葵ちゃんの一言に、僕らは笑いながら頭を下げたのだった。
◇◆
その夜、僕と千夏はホテルの一室で夕食後、二人でお茶を飲みながらゆっくりしていた。
千夏がぽつりと呟く。
「えへへ、何か色々あったけど、葵ちゃんのおかげでより楽しかったね。二人の時間も満喫もできたし、さっきの海鮮もめちゃくちゃ美味しかった!」
「そうだねぇ…………」
僕は、それに同感と頷きながら、でも少しだけ別のことを考えたりしていた。
当たり前のように、それは千夏に気づかれ。
「どうかした? 少しだけ考えてたよね」
「……いや、大したことじゃないんだよ? ただ、旅行に来る前に涼夏さんに言われたことがあってさ。葵ちゃんや、そのご両親を見て、思い出してた」
それに、千夏は少し眉をひそめるようにして言った。
「お母さんが? また余計なこと言ってないよね?」
「ああいや、違う違う、そうじゃなくてさ――――」
あれは予約をしている時、千夏が席を外したときのことだったか。
『今思うと、本当に親孝行なんて全然出来てなかったから。もう出来ないからってわけじゃないんですけど、想い出って言ってた場所に位行ってみたかったんですよね。だから涼夏さん、千夏と行くことにも賛成してくれて、むしろお手伝いしてくれてありがとうございます』
それに、涼夏さんは少しだけ考えるような素振りをして、言ったのだ。
『そうね、叔父様はお子さんがいらっしゃらないものね…………じゃあ、私が言って良いのかしら』
『……涼夏さん?』
『あのね、ハジメくん。世の中には色んな人がいるけど基本的に親はね、何かして欲しいと思って産んだりはしないわ…………もうね、ほんっっとうに大変なんだから! 産まれてきた子に何かして欲しいなんて気持ちじゃ絶対無理。この子に何かしてあげたい、無事に生まれて、幸せになって欲しい。そんな気持ちだから、産むのよ?』
『あ……』
『だから、親孝行できなかった。なんて思わなくて良いわ。めいいっぱい楽しんできなさい。願わくばそこに、うちの娘も共に楽しんでくれさえすれば、母親として何も言うことはないから』
そんなやり取りがあったことを告げると、千夏は少し照れたように顔を背けた。
「全くさ、格好つけちゃってまぁ」
「でもさ、僕は凄い気が楽になったっていうか……涼夏さんが居てくれて良かったって思ったよ」
「うーむ。彼氏が母親と仲が良すぎるのも嬉しいけど複雑……ね、ハジメ」
「うん、なに?」
むむ、と難しい顔をしつつ、千夏はふとニヤッとした顔を作って、告げる。
「いつかまた、三人なのか四人なのかはわからないけれど、家族で来れたら良いね」
その言葉に、僕は咄嗟に千夏のお腹を見てしまい、そして自分の言葉によるものにも関わらずその意味に顔を赤くした千夏に、「違うから」と叩かれた。
――――え、これは仕方無くないかな? 僕が悪い?
そうして予想外の事もあった一日目も、穏やかに夜も更けていくのだった。




