第2楽章 30節目
一人暮らしの部屋でも、意外と九人の人間が入った上でスペースもあるものなのだな、と真司はどこか冷静なような、何かに浮かされているような頭でそう考えていた。
だが、それだけの人数の割に、その場は喧騒も無く不自然な程の静けさに包まれている。
「一番簡単な方法は、貴方ならすぐ思いついている筈だと思いますが、いつまでも連絡が無いのでどういうつもりなのかと思ってはいました」
その原因は、思っていたよりもかなり大所帯になって佳奈の部屋にやってきた中で、一番想定外だった玲奈が言ったこの最初の一言だった。
石澤から来ると聞いたときも驚いたが、実際に来てすぐに、佳奈と少し会話をして頷いていた玲奈は、いつものどこか家の意向に従うのに特に不満もなさそうなイメージとは違っているように思えた。
「…………来て早々に本筋だな。答える前に聞いておきたいが、どういう風の吹き回しだ?」
「私のところにも、そちらの家からの連絡は来ていますので。その上で、少しばかり皆さんに影響されて、改めて昔馴染を気にしたと言えば、信じますか?」
その言葉に、隣で佳奈が頷く気配を感じる。
そして、それだけで真司は自然と他人の言葉を信じることが出来ていた。それが、自分にとっていかに異常なことで稀有なことで……どうしようもなく当たり前になっていたことなのかを思い知らされる。
真司は少しばかり、ここ数日の自分を自嘲気味に見つめて、首肯して答えた。
「この場で無ければ、正直信じられなかったかもしれないが……まぁ少しばかり反則技があってな、信じる」
「反則技……ですか? まぁ良いです、それで、どういうつもりだったのですか? まさかあれだけ自由であろうとしていた貴方が、家の正しさのために折れようとは思っていませんよね?」
玲奈が、少しばかり挑発的に、それでいてどこか本当に疑問に覚えているように、そう尋ねる。
真司は改めての、唯一と言って良い同じ立ち位置からの彼女の問いに少し止まり、ゆっくりと答えた。
「もしかしたら、そのまさかだったかもしれねぇと思ってる……ふん、そう意外そうな顔をするな、自分でもそう思っている…………俺が正しさに拘って家に縛られたままであることについてではなく、高校の友人なんてもののお陰でこうしていられて、その状況をこうして認めている心境である事自体がな」
「……そうですわね、それで、先程の問に戻りますが、どうなさるおつもりですか?」
どうするか、か。
どうしたいかを自覚したばかりの自分だが、薄っすらと視えてきているものはある。
だが、それを言葉にすべきかどうかは未だ分からないでいた。
「ねぇ玲奈ちゃん。ごめんね、少しだけ横からで聞いていいかなぁ? 真司はわかってるみたいだけど、簡単な方法って、何? そんなものがあるの?」
玲奈がそういうのに真司が答える前に、佳奈が口を開く。
それで、ふと見回すと、ある程度事情を知っている何人かも同様の疑問を持っていそうだった。
「そうですね、それは真司さんからの目線だけだと分からないかも知れません。いえ、敢えて選択肢に入れていなかったのかもしれませんが……簡単な事です、私が婚約をお断りすればいいのです」
「あ、なるほど!」
玲奈の言葉に、佳奈がそう呟き、しかし、同様に疑問を持っていそうだったハジメが首を傾げながら言葉を発する。
「そういう意味なら僕も少しだけ疑問だったんだけど聞いても良いかな? あまりさ、興味本位みたいな感じで聞いていいか迷ってたんだけど」
「構わねぇ、正直、今だからこそ言うが俺は自分の思考が枠を破れていない感じがしてるからな。そしてそれを爺さん達にも見抜かれてるんだろうとは思う」
「……素朴な疑問なんだけどさ、なんで最後のところで自由意志に任されてるの? 僕は小説とか映画とかの知識でしかないけど、そういうのって家の利益が優先ってなるのは理解できるんだ。ただ、その婚約とかそういう部分で、自由意志に任されてるのが意外だった」
「なるほどな。まぁ、時代やタイミングっていう意味もあるだろうがな。例えば俺の親父なんかは、完全に政略結婚だったと聞いている…………いやでも待て、あの合理性の塊のような爺さんに、家が全ての親父が居て、ある程度のあそびがあるのは不自然か。何故だ」
あくまで、より良い正解が導き出せるのであればという代案があった場合のためと、年齢によるものかと思っていたが、いざそう尋ねられると、真司の中でも少し違和感が出てきていた。
「ちなみに私の、法乗院の家のみで言えば。お祖父様と、相澤家の祖父の宗全様が旧知の間柄であることが二つの意味で挙げられますね」
「二つ?」
真司が思考の海に沈んでいる中で、玲奈とハジメが会話をしている。
「ええ、一つは家の長が旧知の間柄で有るが故に、公にする前であればいくらでも調整が効いて、後私の意思を優先してくださるお祖父様であるからですね。そして、もう一つは、そもそも法乗院としては、確かに次代に取って商家との繋がりは必要ではあるものの、相澤の家で無ければならないということはないからです。今この約束があるのも、旧知の間柄であるからですから」
「えっと、ごめん。わかったようなわからないような」
ハジメが腹落ちしていない表情をしているのに、玲奈が言いづらいだろうことを真司は告げた。
「要は、相澤家にこそメリットがある話だということだ。元々法乗院は旧家の中でも本当に旧くから影響がある家だ。法に関わるということは、政治の世界にも関わるということでもあるからな……対してうちは旧家ではあるが、頭角を示したのは戦後である商家。最近の、特にこの地域一帯についての影響はかなり大きくなっているのは間違いないが、格という意味では一つ落ちる」
「なるほど、理解した気がする。つまり、その格の差がお祖父さん同士の交流のお陰で埋まっていて、そこが自由意志の元ってことだね…………あれ、でも――」
ハジメの言葉に、おそらく同様に辿り着くその疑問に真司は頷く。
「あぁ、そうだ。その場合は俺がきっちりと玲奈を、言い方はわりぃが捕まえておくように言いそうなもんだ。だが、俺はそういう意味ではあまり言われたことはねぇし、兄貴もそうなんじゃないかと思っている。まぁ、素で仲睦まじい様子に見えてはいたけどな」
そう言って、真司は再び少しの思考とたどる。思考は、ある意味では普通の、しかし正しさを判断するには辿り着けなかった結果を導こうとしていた。
そもそも始まりから間違っていたのかもしれない。だとすると、これまでの自分の、なんと滑稽なものか。




