第2楽章 28節目
玲奈と共に歩み寄ると、タクシーを見送っていた石澤はこちらに気づいて、そして明らかに玲奈を見てぎょっとしたような反応を見せる。
それを見て、普通に声をかけようとしていた早紀は目を細めた。
「何その反応? 後、これはどういう状況なの?」
「えっと、どうって?」
「んー、どうしても言えないなら無理には聞かないけどさ。相澤と佐藤にイッチーがいて、タクシーで何処かに行くのをあんただけ見送る図ってのが気になったんだけど」
石澤の下手な誤魔化しに、早紀がそう言うと、石澤はうーん、と少し悩むようにして言った。
「いや、わりい。俺の事ならいいんだけどさ。俺のことじゃないから言えないっていうか……」
「……もしかして、私には関係があることじゃありませんか?」
「…………それも、言えねぇ」
それに対して、玲奈が少し考えるようにして、そう告げる。
言えないという石澤の台詞が、何よりも明白な答えだった。
そして、玲奈がくすりと微笑んだ。
「先程、早紀さんとも話していましたが。石澤さんは変わられましたね」
「え…………?」
そんな玲奈の言葉に、石澤が少しぽかんとしたように玲奈を見て、早紀を見た。
同級生に対して成長という言葉を使うのはおかしなものだが、噂を吹聴していた頃に比べれば、随分と成長したように早紀も感じるので頷いてみせる。
「……ふふ、私も今の方が素敵だと思いますよ」
それに、更にくすくすと笑うようにして玲奈が褒めるものだから、照れたように石澤がそっぽを向くようにしていているのを見えた。
(…………?)
早紀は少しだけ、心の中でもやもやする何かを感じてしまう。
そして、それを振り払うように首を振った。ただ玲奈にデレデレしているのがちょっとムカついただけ。そう考えて何故ムカつくのかは努めて無視する。
(大体、あいつだって私のことそういう対象として見てないしね)
そう、あの日も教室でからかうように聞いて、恐れ多いと言われたのは早紀の記憶に新しい。
千夏に気があったやつだし、早紀とはタイプが違う。だからこそ友人関係でいれているのだろう。
誰にとも無く言い訳するようにして早紀は内心で結論づけると、それよりも気になっていたことを聞いた。
「……えっと、どういう事なの? 玲奈に関係があって、あの三人の中の誰かに関わりがあること?」
玲奈の言葉にもそうだし、石澤の反応にも疑問符ばかりが先行する。
それに対して、玲奈は早紀と石澤を見るようにして、「少しだけお茶していきませんか?」と言った。
◇◆
玲奈は、話しやすいので、と四人がけの向かい合った席で、前に並んで座ってもらった早紀と石澤を見た。二人共、あの後黙って頷いてくれたのだが、早紀は不思議そうに、石澤は少し落ち着かない感じで座っている。
どうしてあんな事を言ったのか、自分でも珍しいことだと思った。
でも、先日祖父から言われた言葉と、どうにも調子の悪そうな昔馴染のことが気にかかってはいたのだ。
玲奈と真司は、優子達のように幼馴染と呼べるほどの間柄ではない。
元々幼少期から、婚約者であった慎一郎とは交流があったものの、その弟であり同年代である真司とは、どちらかと言うと努めて事務的に接していた覚えがある。
でも、間違いなく昔馴染みではある。
十年という月日の割には浅く、でも、月日と家の関係性からは薄くはない。
時折共に美術館などに連れて行ってもらっていた慎一郎との会話の中では出てくること、そして、そんな兄を慕う弟としての真司を見ては来た。
『そろそろ、本格的に動こうとしているようだ。あれにも考えがあるのだろうし、だからこそ、自由判断に委ねているのだろう。ただ、時期が迫っていることは自覚しておきなさい』
だから、祖父に改めてそう言われたその翌日、見たこともないほど集中を欠いている事を外に出している真司を見て、何も結びつかないほどには鈍くは無いつもりだった。
昔馴染であるから気づく。でも、幼馴染と呼べるほどの近さは無いから、言うことは無い。
かつては、やりたい事を話していた貴方も、いつしかやるべき事を話すようになり、そして、正しい事を選ぶようになって、つまらなさそうな目をするようになりました。
知っています。あの人がそんな貴方の事を心配していたのも。
知っています。貴方があの人には好きな道を歩んでほしいと願っている事も。
玲奈は恋愛感情というものには疎い自覚がある。
幼少期から、形とは言えど婚約者という歳上の男性がいて、そしてその男性の人となりにも、そういう家に生まれたということも、自分が置かれた立場にも不満というものが無かった。
だから、そういった情緒が形成されづらかったのではないかと自己分析している。
勿論慎一郎のことは慕っていた。
でも、それは恐らくは恋ではない。千夏や優子、早紀といった高校からとはいえこれまでになく気安く、近く接している友人たちを見ていてもそう思う。
真司との婚約についても、納得はしているし不満は覚えていないのも、恋ではない証明だろうと。
ただ、それでも。
その感情とともに表情を様々に変えていく周囲の友人を見て、何も思わないわけでは無いのだ。
だから、直接的な会話を交わしたことは殆どないまでも、玲奈の大事な友人たちにアドバイスをして、いつも柔らかい笑みを浮かべている彼女と、真司。そして今の状況については気にしていた。
実は家のためにと、決まった道をと受け入れている玲奈などよりも余程家に縛られている自由で不自由な昔馴染のことを。
「早紀さんには初めて話をするのですけれど」
そう、玲奈は話し始める。
まずはこれまでの事を。
そして、全く予想もしていなかったという反応の早紀に、恐らく真司から大筋を聞いているのであろう石澤に告げた。
「簡単ですが、私の事情はここまでです。では、これからの話なのですが、石澤さん。私も関わりがあることで合っていましたか?」
「…………」
その沈黙が何よりも明白な回答だった。
そして、少し考えて石澤が言う。
「二本くらい、電話してきていいか?」
それににこりと笑って、玲奈は「お願いします」と告げた。




