第2楽章 19節目
陽射しが差し込んでいる事で、佳奈は目を覚ました。
佳奈の住んでいるマンションは、西向きの窓、東向きの玄関だ。つまり、日が差し込んでいるということは、太陽が傾いた結果である。
(うわちゃー…………慣れないお酒なんて飲んだもんだから、完全に寝過ごした。大学の講義は、まぁ今日のはいいかぁ)
少し頭痛がするのを感じて、とりあえず水分を取るべく冷蔵庫からお茶を取り出して飲む。
お茶の隣の食材達は昨日急いで入れたまま。これが完全に自分のためだけのものになるのかな、と自然と暗い方に向かう思考を振り払うように、首を振って佳奈は伸びをした。
初恋でもなく、初めての別れでもない。
でも、初めて自分から、別れを切り出した。
それが理由なのか、それとも今までに比べて随分と心の柔らかいところまで触れさせていたからだろうか。
今までは大抵、請われて付き合って、少しして隠しきれなくなった自分のこの変な感覚に気持ち悪いと離れていかれるを繰り返す恋愛だった。
『……そうか、便利だが面倒だな。気にするな、俺も気にしない』
だから、自分から言って付き合ったのも、改めて嘘か本当かが解ってしまうみたいだということを言葉にしたのも、そして、認めてもらったのも初めてだったのだ。
真司の言葉には本当と優しい嘘とがあって。
そして、きっと言っていない事も沢山あって。
あんな事を言ってしまったけれど、その居心地の良さに、つっけんどんでいて、いつも気遣ってくれた不器用な優しさに、踏み込まなかったのは自分だった。
(鹿島さんには、悪いことしちゃったかなぁ…………)
そう思う。
泣いて、泣いて、泣いて。
ぽろぽろと涙をこぼしたままにしていた自分のことを、ただ無言で、でもきっと少しだけゆっくり走ってくれたんだと思う。
「今日は雨が特に強いですからね…………では、お身体にお気をつけて」
最後にそう告げられた。メイクも何もかもボロボロになっていたはずなのに、何も言わなかった。
鹿島さんは絶対に何一つ悪くないのに、どこか申し訳無さそうにして玄関まで送り届けてくれた。
真司をよろしくお願いします。というのも違う気がして、佳奈は何も言えないままだった。
水分が身体に染み渡ったからか、頭痛が和らぐ。
少し画面を見る気力も湧いて、置きっぱなしにしていたスマホを取って、充電器に差し込んだ。
低電力モードに切り替わった通知の他に、いくつかの知り合いからのメッセージの通知が来ている。
学校の講義を無断でサボったので同じコマを取っている子からの連絡に、体調が悪いから休むね、と返して、CM系のものをスライドして削除していると、最新のそのグループのメッセージに行き着いた。
『(優子ちゃん)こんにちは』
『(優子ちゃん)えっと、突然なんですけど今日って空いてますか? 放課後千夏ちゃんと駅前のファミレス寄っていくんですけど』
『(千夏ちゃん)早紀と玲奈は部活なんで。後付き合ったばかりの優子の惚気を一人で聞くのもあれなんで是非』
『(優子ちゃん)いや、千夏ちゃんにだけは言われたくない』
『(千夏ちゃん)なんでよー』
真司絡みで仲良くなった年下の友人たち。
千夏に対しては話していないが、優子に対しては自分の感覚の事も――自分のうっかりが元だが――話していて、何だか受け入れられた上に初めて役に立てた気がした。
そして、二人共、とても良い彼氏と恋愛中で、皆可愛くて大好きだ。
だからこそ、少しだけ優子のセリフにくすりとしつつ、佳奈は少し申し訳ない気持ちになる。
でも、この年若い友人たちにもちゃんと伝えておかないといけないだろうと思って、少し考えて、そのままメッセージを送った。
『(佳奈)あはは、参加したい、って言いたいところなんだけど。あたしさ、真司と別れちゃったんだよね。やけ酒? して今起きたところです』
そう送った後に、驚きと寝坊を意味する少し明るい感じのスタンプを二つほど繋げておく。
すると、すぐさまスマホが震えた。
メッセージの返事かと思って見ると、千夏からの通話がかかってきていて、え? と思いながら佳奈は通話ボタンを押す。
「…………えっと、もしもし?」
「佳奈さん! 今日空いてますか!? 一緒にお話しましょう!」
千夏の元気な声が聞こえて、それに明るい声で答えようとして、佳奈は先程自覚していた以上に自分自身にダメージを受けている事に気づいた。
明るい声色が、出せない。
「えっと、千夏ちゃん? その…………」
「うち、佳奈さんが迷惑じゃなかったら、お話聞きたいです。駄目ですか? あ、代わる?」
「佳奈さん、私も…………そういう時はいっぱいいっぱい愚痴っちゃうのが一番いいです。一人で居ないで、話した方がいいって教えてくれたのは佳奈さんだから、その」
千夏の後に、優子の声も聞こえて、佳奈は不意に涙ぐみそうになる。
昨日、もうこれ以上出ないと思ったのに、さっき飲んだお茶がもう涙に変換されてしまったのだろうか。何とか声を出しても鼻声で、弱音のような言葉しか出なかった。
「…………グス、千夏ちゃん、優子ちゃん、ありがど……でもさ、目も腫れてるしメイクも気力が無くて」
「じゃあ家、家いっちゃ駄目ですか?」「……心配なんです」
スピーカーにしたのか、二人の声が同時に聞こえる。
電話越しで、分からなくても分かった。本当に心配してくれているのだ、この二人は。
時計を見ると、針は午後の4時を迎えるところだった。
同時に、今の時間を意識すると空腹をも自覚してお腹が鳴る。
高校生の女の子二人に、この散乱した部屋をお見せするわけにもと思いながら、こんな時なのに冷蔵庫の食材達のことも気にしてしまうのは、きっと嬉しいから言い訳を探しているのだろうか。
「…………甘えていいかな、そして、良かったらご飯食べていく? 使いたい食材もあってさぁ」
「「行きます!」」
同時に勢いよく答えてくれた二人に感謝して、佳奈は家の場所を送るねと言って通話を切った。
さて、と言って佳奈は部屋を見渡す。
少し片付けて、換気をして、そして、美味しいご飯を作ろうと思った。
(あぁ、そうか。一人で居ないほうがいいっていうのは、こうして誰かがいたら動こうとする気力がわくからなんだねぇ)
初めて知ったそんな感覚に納得しながら、佳奈は部屋を整え始めた。
そして今更ながらに気づく。
部屋に紅い光が差し込んでいるということは、昨日あれだけ降っていた雨はもう、上がっているのだった。




