第2楽章 67節目
夜のバーベキューは楽しくて、それぞれみんなはしゃいでいる。
ここにいる子たちと居るのは、生まれ持った少し不思議な体質を持つ佳奈にとっては、とても居心地が良いものだった。
(ほとんど嘘がないっていうのも凄いよね)
人は悪意の有無に関わらず、日常で嘘をつくものだと佳奈は知っている。
ちょっとした見栄や、話を合わせるための肯定。時には息を吸うように話の中に嘘を交える人も居て、佳奈の中ではそれを笑顔でやり過ごす術は必須スキルだった。
尤も、時には想いの強い嘘には反応してしまうのだけど。
自然、人付き合いは上辺のものが苦手になっていく。その結果が高校を辞めることになった出来事であったりもするのだが。
(ふふ、こういう風に会話できる子たちとだったら、あたしも一緒に楽しく高校生活もできたのかもしれないなぁ)
男の子たちも、高校の時の男子と比べると、皆嘘がほとんどなかった。
真司やハジメは言わないことはあるけれど、嘘はつかないし、イッチーは正直というか、むしろ思ったまま言葉に出している性格なので、そもそも佳奈じゃなくてもわかりやすい。
和樹は時々誤魔化しはあるのだけど、良い意味で周りに影響を受けて、言葉をきちんと話すようになった。
そして女の子たちが佳奈の中では驚きではあるのだけれど、会話の中でほとんど嘘というものが無い。
千夏も優子も玲奈も、話を合わせるのが得意ということはあり、また、優子については佳奈の事を知っているからなのだろうけれど、その上で変に取り繕ったり誤魔化しのようなものが無いのは、それぞれの関係性によるものなのだろうと思っていた。
こういう対等の関係というのは珍しい。
だからこそとも言える。
普段、それこそ大学やバイト先でのやり取りであればそこまで気づかなかったかもしれないのだけど、河原での会話の中で違和感があった。
先程少し寒くなってきたから入っているけど、皆は楽しんでねと、建物に入っていく慎一郎を見て、真司に少しお手洗いに行ってくるねと告げて佳奈はその後を追う。
違和感を確かめてみようと、佳奈がそう思ったのはやはり真司の慕っている兄の事で、機会も作れそうだったからではあった。
でも何より――――。
僕は大丈夫だよ。
ただの日常会話の中で、どうしてそんな部分に強く感覚が反応したのか。
あれから何度か会話をして、注意してみていたけれど慎一郎は真司と同様に嘘の少ない人だった。そして、恐らく家柄もあるのだろう、言葉をきちんと扱う人。
だからこそ、思い至ったそれについて、佳奈は真司に相談できなかった。
昔、佳奈が中学生くらいのころ、一度だけそんなことがあったのだ。
二階が家にもなっている母のお店の常連で、佳奈のことも可愛がってくれていた壮年の男性。久しぶりに来た時の事だった。
『お酒を控えるように言われたって言ってましたし、肝臓に気をつけてくださいよ、長く搾り取りたいんだから』
『あぁ、わかってら。まだまだ元気なつもりだ。また寄らせてもらうよ』
そこに嘘が見えて。それから彼のことを見かけることはもう無く。
数ヶ月して、もう肝臓がだめで、覚悟の中で挨拶に回っていたらしいのだと、お客さん伝いで佳奈は知った。
(…………!)
そんな感覚と似ていたと思い出しながら建物に入り、二階に足早に上がっていく慎一郎を追って上がった佳奈は、一階からは見えなくなったところまで行って、そこで蹲っている慎一郎に気づき駆け寄った。
「慎一郎さん? え、大丈夫ですか!?」
明らかに悪い顔色で、心臓を抑えながら懐から錠剤を出して飲んだ慎一郎は、驚いたように佳奈を見て言った。
「……はぁ、はぁ。え? 佳奈さん? あはは、ちょっと睡眠が足りていなかったのかな、立ちくらみがしちゃってね」
嘘だった。
「っ!? …………あの、お水持ってきます!」
「……待って。水なら大丈夫。持ち歩いているんだ。いつも通りなら後少しで落ち着くから、ちょっとだけいてもらえるかな? これなら人も呼ばなくていいから」
慌てる佳奈を落ち着かせるように、慎一郎が穏やかにそう告げて目を瞑るのを、佳奈ははらはらと見ていた。
◇◆
「情けないところを見せたね。皆には、特に真司と玲奈には……心配をかけたくないから黙っていてくれるかい?」
錠剤を飲み込んで、息を整えた慎一郎がそう笑うのを、佳奈は笑顔を作ることが出来ずに聞いていた。
そして、尋ねる。
「……どこが悪いんですか?」
「ふふ、いや。本当に大丈夫なんだよ? 昔からの持病みたいなものでね」
前半が嘘。後半が真実。
「ごめんなさい。こういう聞き方は良くなかったです…………私は昔から、誰かのつく嘘に敏感で、今の慎一郎さんの言葉の嘘もわかります。真司ですら知らないんですね、かなり悪いんですか?」
「嘘に……? そんな事が、いやでも――――そうか、なら隠し事はできないってことなのかな?」
「いえ、全部がわかるというわけでもないんですけれど…………その、慎一郎さんの言葉にはほとんど嘘がないのに、昼も、今も、体調の『大丈夫』の部分だけが嘘を感じて、ごめんなさい。真司のお兄さんの事だから気になってしまって」
佳奈がそう告げると、慎一郎は今度こそ観念したように呟いた。
「そうか。まぁ、いずれバレることではあるんだけれどこういう形は予想していなかったな……最近こういう発作が少しだけ増えていてさ」
「……発作」
「心臓が少し、生まれつきで良くなくてね……不整脈が起きるんだよ…………俗に言う心臓病っていうやつさ。本当はとても長い病名だったりもするのだけどね。悪くなっているわけでもなく、すぐに命に別状があるわけでもない。でも激しい運動や興奮は禁物で、急に僕の鼓動は止まるかもしれない。まぁ主治医たちによると、日常生活を送っていれば『止まる可能性は低い』そうだけれどね。今日は少し、外で風に当たりすぎたのと、『楽しすぎた』から頑張ってくれちゃったのかな」
そこには、佳奈の感じられる限り一片の嘘も無かった。
嘘か冗談だと思えれば良かったのに、佳奈にはそれは許されることはない。
「でも、そんな大事なことを真司が知らないんですか?」
「それは僕の希望。まぁ本当に普段は大丈夫なんだよ? 嘘は得意だしね」
「それは……」
言葉に詰まる佳奈に、笑って慎一郎が続ける。
「後はそもそもとして家の事情もあって、公言することではないからね……勿論父と祖父は知っている。そして佳奈さんにも少し謝らないといけないね」
「え?」
最後に少しだけ慎一郎は申し訳無さそうに言った言葉に、佳奈は疑問の声を上げた。
「成長とともに、問題がなくなる可能性もあったんだけれどね。どうもそういうわけではなかったから……聞いているよ。そのせいで婚約の問題と後継の問題が真司にも降り掛かって、父が君に余計な事を言ったと。まぁ、僕のこれが無くても、真司の方が適性があることと、僕が絵の方面が好きだというのは事実なんだけれど、あの子はあれで家ややるべき事というのを大事にしすぎる事があるから」
そして、黙ったままの佳奈に、だからね、と慎一郎は続ける。
「ありがとう」
「……慎一郎さん」
「僕が言えた義理ではないんだけどさ。あの子は良い顔をするようになった。それは佳奈さんのお陰で、そしてきっと皆のおかげなんだろう。だからお礼を言いたくてね」
「だからこうして招待してくれたんですか?」
「それもある。いい機会だと思ったしね。あの子は、変わったとは言っても自分から夏休みの旅行のお誘いを友だちにするようにはまだ見えなかったからね」
「……ふふ」
そして、そんな冗談のような口調に佳奈がようやく笑みをこぼすと。
「というわけで、佳奈さんには家の事で迷惑をかけるかもしれないけど。後――――」
佳奈に対して慎一郎はそう言って、更に続けようとしていたが、佳奈はそれに先んじて言った。言いたいことはわかっている。その上で佳奈が思う気持ちは伝えておく。
「わかりました、真司には言いません。その、慎一郎さんが本当に真司を大事にしてるとわかったので。嘘が一つも無かったので。…………でも、それは真司には慎一郎さん本人から言うべきだと思ったからで、言ってあげて欲しいと、私は思います」
「…………そうだね、ありがとう」
そして、慎一郎と佳奈は最後まで、その会話を聞いている誰かに気づくことはなかった。




