第2楽章 62節目
休日で誘われてきたものの、和樹は個展というものに来たことがあるわけでもなく、ましてや絵に興味があるわけでもなかった。
どちらかというと、CGや最近だとAIアートの方が興味があるくらいである。
芸術的なセンスがあるわけでもない。
自分で言うのもなんだが、『普通』の感覚の男子高校生だと思っていた。
「…………」
ただ、目の前の一枚の絵から目を離せない。
無言で、何を見るというわけでもなく、絵全体に魅入っていた。
「……き? 和樹? チケットチケット、落としてるよ?」
早紀にそう名前を呼びながら肩に触れられて、和樹はふと我に返る。
「あぁ、わりぃ。そしてサンキュ。何か見惚れてたっていうか……凄えなこれ」
「いや、こっちこそ何か、没頭してそうなとこをごめん。何かうん、うまく言えないんだけど綺麗だよね……」
「ああ、綺麗だ。何だろうなこれ……」
この感覚をうまく言葉に出来ないことに、和樹は自分の語彙の無さを恨みつつ、呻いた。
その絵を見て感じるのは、澄み渡るような青だった。
でも、不思議とよく見ると青が使われている部分は決して多くはない。
清流なのだろうことがわかる小川の流れはせせらぎが聞こえてくるようで、河原には無数の石がゆったりと横たわっていた。
幾つかは太陽の光を浴びてキラキラと輝き、一部は川の水によって濡れて様々な色彩を見せている。
そして、スケッチをしている青年に、少年と少女が描かれていた。
木々から漏れる空の色と、清流の色、そして絵の中の青年が描いているキャンバスには水面だろうか、美しい青が使われている。
空の色と、小川の清流、そして青年の絵。
これらだけが青なのに、全体の爽やかさもあってなのか、見た瞬間に澄み渡る青色が見えた気がした。
写真とも違う、きっとこの場所にいっても、こんなに『美しい』とは思わないのかもしれない。でも行ってみたいとも思う。
アニメで受ける美しさともまた違った。
このリアリティは何なのだろうか。
絵の中の風景はあまりにも生き生きとしており、和樹は一瞬、自分がその場所に立っているかのような錯覚に陥った。
自然の息吹が感じられるかのような、そんな気配に圧倒される。
なのに、和樹の口からでてくる言葉は、綺麗だ、なのだった。
それだけでは表せない何かを今受け取っている気がするのに。
「……上手く言えねぇや、でも行ってみてぇな、ここ」
「わかる、でもここって実際にある場所なのかな?」
「行ってみるかい?」
和樹の呟きに、早紀がそう首をかしげるようにして言ったところで、背後から穏やかな声がかけられた。
「え?」
和樹がそれに驚いて振り向くと、和樹と早紀よりも少し背が高い、細身の青年が立っている。
どこかで見たことがある印象を受けるが、こんな知り合いは居ないはずだった。
「ふふ、急に声をかけてごめんね。君たちは、真司と玲奈の友人だろう? 今日はわざわざ来てくれてありがとうね」
その言葉で、色々な疑問が氷解する。
何故少し見覚えがある印象を受けたのかも、どうして声をかけてくれたのかも。
「こんにちは、真司と玲奈の友人……ではあると思うんですけど。俺は石澤和樹って言います。その、絵は俺は全然わかんないんですけど、この絵、凄い好きです」
「私もこんにちは! えっと、真司と玲奈とは友人です、今日はこちらこそありがとうございました!」
和樹と早紀の声に、穏やかに笑って青年は言った。
「相澤慎一郎です。いつも弟と、妹のように思っている子と仲良くしてくれてありがとう」
「とんでもないです。えっと、こちらこそ? ……すみません慣れてなくて。ハジメみたいにうまく受け答えできればいいんですけど」
「あはは、それこそとんでもない、だよ。あちらのハジメ君や真司なんかは確かに如才ないけれど、君みたいに高校生らしい子がほとんどだし、何より君の言葉にはきちんと誠意がある。だからそういうのを気にするよりも今のままで良いと思うよ」
そう笑う時の表情が、時折佳奈さんに見せる真司と被って、兄弟なんだな、という思いを和樹に改めて抱かせる。
言葉と共に、緊張が和らいで安心したからか、聞きたかったことも口から上手く出てきた。
「うっす、ありがとうございます! ところでさっきのこの絵の場所って本当にあるんですか?」
「あ、確かに私も気になります」
それに早紀も頷くようにして、慎一郎が絵を見ながら口を開く。
「あの場所はうちの別荘がある場所の近くでね、年に一度くらいは行って風通しをしてあげるんだけど、あれだけ熱心に絵を見て、行きたいって言ってくれると嬉しくてさ」
「え、そんなに見られていたんですか? すみません全然気づかなくて。それにしても別荘……やっぱり凄いっすね、でもこの場所と絵を見比べてみたいなって。その、聖地巡礼みたいな?」
「いやいや、僕の絵を見てそんな風に君みたいに若い子が感じ入ってくれるなんて嬉しいからね。それに、真司が『友人』っていう子達がどんな子なのか気になっていたから声をかけてしまったんだけど―――」
「どうされたのですか? 慎一郎さん」
そう和樹達と慎一郎が話していると、ハジメと千夏を伴った玲奈がそう慎一郎に声をかけた。
そして、和樹が振り向くと、その後ろから和樹としても知人と呼べる二人が居て、目を丸くする。
「今日はまた、若い子が見に来てくれるのは嬉しいね。なぁ、慎一郎くん」
「そうですね、こっちの和樹くんはこの絵が気に入ってくれたようで、僕としても嬉しいです」
「そっちの二人もお久しぶりね」
慎一郎とも和やかに会話しながら、こちらに目を向けてそう言ってくれたのは、ストリートバスケのオーナーの雄二さんと美咲さんだった。




