閑話8-2
朝起きて、僕は夜の料理の下拵えのために準備をしていた。
今日は、千夏とは映画に行って、スイーツの美味しいお店に行ったり、ショッピングモールを見て回ったりする予定である。
「さて、こんなもんでいいかな……それにしても、あの時と比べたら変わったなぁ」
流石にケーキは用意しようと思っているのだけど、今僕が用意しようとしている献立は、物凄く普通だ。
サバの味噌煮に、生姜焼きにサラダ、味噌汁。
『うん…………ってか凄いね、おかず一品だけじゃなくて、サバの味噌煮に、生姜焼きにサラダ、味噌汁までついてきてるのにびっくりなんだけど』
『サラダ以外は冷凍を解凍しただけ、味噌汁もインスタント。だから逆に味は保証するよ。これ食べたら帰って風呂入って寝るといいよ。それにまた、話くらいは聞くよ、友達だから』
僕と千夏が、佐藤くんと南野さんと呼び合っていた頃の、初めての夕食。
千夏に誕生日だから何でも作るよって言って、言われたのが初めて会った時の食べたものを食べたい、だった。
でもそう言われて流石に冷凍ものを使う気にはなれないかったので、せっかくならめいいっぱい自分で手間を掛けて作ろうと、動画を見ながらサバを味噌煮用にさばいてみたり、生姜をすり下ろしたりしている。
少しだけでも良いから、千夏の為に手間をかけたいって思う時点で、どうしようもなく好きだよね、と自分に笑った。
◇◆
朝少し早く起きたらしいハジメと、駅で合流して二つ先の駅の映画館に向かった。
相変わらず、何度会っても最初に褒めてくれるハジメの言葉に、相変わらず、何度言われても湧き上がってくる嬉しさに浸る。
合わせなくても合うようになった歩幅で、千夏はハジメと並んで歩いているのが、好きだった。
話をしながらでも、無言でも。
ただ、好きだなぁと思いながら歩く。
今日のハジメは少しだけ言葉数が少なかった。
でも、楽しんでいないわけじゃなくて、きっと何かを考えてるから。
そういう時は、無理に話しかけるんじゃなくて、そっと横顔を見たりする。
話しかけないといけない時は、少しだけ繋いだ手を引いて、そして、少しだけ思考の海から戻ってきたら、ゆっくりと話しかける。
我ながら、中々いい女の子の動きなんじゃないかと自負しているそれを、ハジメはきっと気づいてくれているんだろうなって思いながら、ちょっと言葉にはしなかったりするんだけど。
「……あ、少しだけ考えごとしちゃってた。せっかくのデートなのに。そして千夏、ありがとね、そっと気づかせてくれるとことか考えまとまるまで置いておいてくれるのほんと好き」
「…………もう」
こういうところだ。
本当に、こういうところなのだ。
大人とか子供とかわからないけれど、別に、凄い特別な言葉とかも使われてないのだけど。
何だか手を繋ぐだけじゃ足りなくなって、でも言葉がうまく出なくて、千夏はハジメの腕をぎゅっと抱きしめるようにする。
「嬉しくないわけじゃ勿論無いんだけど、流石に歩きにくいよ千夏……」
「ハジメが悪い」
「えぇ……」
良いんだ、歩きにくくたって。
この時間が長くなるならそれで。
千夏はそんな事を思いながら、笑う。
◇◆
今日僕らが見に来たのは、漫画が原作で、僕が全巻集めている頭がもじゃもじゃの大学生が、巻き込まれる形で謎を解決していく物語の、ドラマの続編となる映画だ。
ストーリーもそうなのだけど、物語の登場人物達が紡ぐ、言葉や内心がとても好きで、千夏とともに毎巻楽しみにしていた。
映画を見終えて、なんとなく余韻のまま、僕らは外に出る。
そして千夏が上着を着る間は鞄を少しだけ持って、タイミングが来たら、はいって渡して、連れ立って歩いて、予約していたカフェに入った。
そこまでは、お互い何も言わない。
でもきっと、感想はお互い『良かった』なことは、趣味の合い方的に分かっていた。
ただ今は、それより言いたいことがあって――――。
「ねぇねぇ、最後のエンドロール――――」「あれ最後のさ――――」
そして、二人して注文した後で、同じタイミングでそんな事を言おうとして、お互いの言いたいことに気づいて、僕らは笑う。
千夏も同じところで引っかかってると思った。
思ったんだけど、それでもやっぱり声に出して、「同じだろうな」が「同じだった」になるのは、とても幸せな気分だった。
勿論、違うところなんてたくさんある。
一緒に暮らした事もある僕らだから、お互いの癖だって知ってる。
それに、知らないことの中にも、違いがあることもあるだろうとも思った。
でも、そんな風に「違い」なんかを探すより、夢中になったり穏やかになれる「同じ」を探して、好きな人と同じで嬉しいを積み重ねて行くのが、何だか幸せだって知ってしまって。
電話で叔父さんに前に話した時は、『お前さ、いや、お前らか? …………そりゃあ、もっと歳重ねたやつが運が良けりゃ行き着くような、一つの"理"みたいなもんだからな』と呆れたように言われた。
そう言われても、そう思ってしまったんだから、そして知ってしまったんだからしょうがない。
だって今こうして、二人で言おうと思ったことが一緒で、どうしようもなく嬉しくて、あぁ、良いなぁって思ってしまうんだから。
◇◆
ハジメが用意してくれた、千夏がリクエストした献立は、何だか思い出の中に大事に取ってあるはずの味も、温かさも超えてきて。
自分の中でかなり美化しているものを超えてくる現実ってなんなんだろうって千夏は思ってしまう。
しかも――――。
「流石に指輪はまだだとしてさ、何だか良いデザインのがあったんだよね」
そう言って渡されたのは、シンプルなデザインの指輪が添えられた、リングホルダーのネックレスだった。
学生の身で指輪は中々しないけれど、服に隠れるからネックレスならしやすかったりもする。
(……こういうのって、結婚指輪とか婚約指輪をいつでも身につける為に贈ったりするって聞くけど)
貰ったそれを首にかけてもらって、少しだけ軽く頭を撫でられた。
正直ハジメ以外には触れられるのも嫌なのに、目の前のハジメに対してだけは、もっととすら思う。
じっと見ていると、ハジメも千夏の方を真っ直ぐに見て。
そして、珍しく迷うように目が泳ぐ。
それに、千夏は物凄くドキドキしてしまって、でも、無言で言葉を待った。
「ねぇ、千夏……」
「うん、何?」
「あのさ、何度も言ったけど、誕生日おめでとう…………それでさ」
プロポーズでもされるのかと思った。
千夏の頭の中で、まだ後一年必要だし、でも婚約とか。と色々受け入れる前提の言葉が巡っていて。
「急にいなくならないでね…………そのさ、もしかしたら、いつか道が分かたれたとしても。ううん、分かたれるつもりは全然ないんだけどさ。元気でずっといて、僕の前からいなくならないで」
でも続けられた言葉は違った。
千夏の中の感情が、今より更にいっぱいになる。もうこれ以上入らないと、溢れそうだと思っていた器が、また一つ大きくなった気がして――――。
「…………」
ただ千夏は、言葉にはしないでハジメを抱きしめた。
どこにも行かないし、いなくならない。
その約束の重たさと、きっとハジメの中でそんな事を他人に思ってくれるようになった今を思って。
「ありがと、ハジメ。絶対に絶対にいなくならないから……いっぱい気をつけるし、うちはハジメと一緒にいるからね」
千夏はそう言った。
「もっと違うこと言おうと思ってたんだよ? でも何かさ、千夏見てたら、これまでの事とか考えてたら、溢れてきちゃった」
「実はさ、ここでプロポーズでもされるのかと思ったよ?」
そして、言い訳のように、照れ隠しのようにそんな事を言うハジメ、千夏もニヤッと笑って告げる。
「…………まぁ、いつかはね」
そこで否定しないハジメが、やっぱり千夏は好きだった。
この目の前の人を好きになって、好きになってもらえて、良かった。
「ねぇハジメ」
「何? 千夏」
「物凄く沢山のものを貰った気がする誕生日を、ありがとう」
そう言って、もうたまらなくなって、再び、目一杯、今度は抱きつくようにしてハジメの胸に頭を埋める。
ハジメの家の匂い、用意してくれたご飯の匂い、そして、千夏の軽く付けている香水の匂いがした。
(幸せな匂いって、こういうことなのかな)
千夏は考える。
そう思えることはやはりとても、何かモノをもらうよりもずっとずっと尊いものな気がする。
いつかの静寂と同じように、二人を幸せな時間が包んでいた。




