閑話8-1
7月になってからというもの、夜になっても急激に暑くなってきた気がする。
僕は、窓を開けて換気をするのを諦めて、冷房をつけたままにすることを決めた。
本日は7月7日、俗に言う七夕の日だ。
そして、僕にとっては初めてで、そして、最後になってくれたら良いなと思う恋人の千夏の誕生日でもある。
去年の冬から付き合い始めて、ここまで大きな喧嘩もなく、仲良くやってこれている僕ら。じゃあ、その誕生日は一緒に過ごすのかと言うとそうではなく。
勿論おめでとうは言って、学校でも一緒に過ごしたし、電話もしたりしたけど、この夜は別々に過ごす予定だった。
というのも、今日は金曜日で、最近また夏季休暇などの前で忙しくしていた涼夏さんが早めに帰宅できる予定だった。そして涼夏さんは当たり前のように、一緒にどう? と言ってくれたのだけど。
千夏も進路のこととかを含めて一度話をしたいと言っていて、良い機会だから二人で過ごしなよ、と僕が言ったのだった。
そして、せっかくなら僕らは土日を一緒に過ごそうかということで、今僕は明日に備えて少し片付けをしたり、料理の準備をしていた。
(進路かぁ)
叔父さんには、大学に入れたってところまでは資格は持っておくと便利だぞ、と言われていたし。日本企業のみならず、もしも外資系で働くならば、大学卒業という資格は必須なことも知っていた。
後何より――――。
『ハジメ、お前は俺がそのくらいだった頃に比べて、ちっとばかり大人過ぎるな』
叔父さんは、進路の事を少し話した時に、そう言ってくれた。
言っていることは理解る。僕は子どもではあるけれど、色々あった結果、変に大人のマネごとが上手くなった自覚はあった。
まぁ、そうなった一因は、絶対叔父さんにもあるんだけれど。
『別にな、早く大人なんて立場にならなくたっていいんだよ。大学に行ったって二十二歳とかだろ。その後何年"大人"をやると思ってんだ、焦るなよ』
そして、そう続けられた言葉に、僕はやっぱり人には恵まれていると思ったんだ。
元々大学には行くつもりではあったけれど、楽しむために行っても良いんだ、と思えたのは随分と気楽だった。
尤も、受験勉強というものは高校二年生の夏からでも、もうひしひしと感じていたから、気楽なばかりでは勿論無かったのだけど。
きっと、今頃は千夏は涼夏さんと話をしているはず。
いい誕生日の夜になっているといいな、と思いながら、僕は明日の用意をする。
不思議なほど、千夏といない夜でも寂しさはなくて、家に一人で過ごしていても、心は温かさで包まれていた。
◇◆
「本当にハジメ君と一緒に過ごすんじゃなくてよかったの? 千夏。ダメよ? 彼氏との関係に甘んじて大事にしないのは」
「もう、お母さんったら、大丈夫だって。それにハジメが言ってくれたんだし、凄く大事にされてるし……それに、うちも凄く大事にしたいって思ってるままだよ?」
千夏は、涼夏がそう心配そうに言うのに笑ってそう答えた。
もしかすると、最初の頃であれば、誕生日を共に過ごせない事に、不安を抱いたりもしたかもしれないけれど、今はそんなことはまったくない。
その日は大事だけれど、ハジメは祝ってくれると素直に思えていたし、そして、最近忙しい涼夏と二人で過ごす誕生日の夜も大事だと思えていた。
「……それならいいんだけど。お母さんと過ごすためにって言ってくれたのは、嬉しいんだけどね。やっぱりあなた達、最初の誕生日でしょう? だからね――」
「ううん、本当に大丈夫なの。ねぇ、お母さん。何だかね、毎日幸せなんだよね。毎日これ以上なく好きだなって思うのに、毎日更新されるの……するとね、お母さんとも話したいなって思うし、友達との時間も大事だなって思うし。それに、進路とかを考えるのも大事だなぁって思えるの」
涼夏の言葉に、千夏は最近感じていたことを言葉にする。
ハジメは先月17歳になった。そして千夏も今日、17歳になった。
16歳の誕生日のことは、覚えている。
学校で、ゆっこや早紀にもお祝いの言葉を貰って、どこから広まったのか、色んな人にお祝いの言葉を貰って。
でも、後に身体を壊す程に仕事にのめり込んでいた涼夏は家に帰っても誰もいなくて、千夏との折り合いも悪くて。
ケーキと共にプレゼントは置いていてくれたけれど、何だか仮面を外すことも出来なくて、一人で過ごしていた。
それが1年も経たないうちに、こんなにも変わっていて。
人の心が変わるのには、こんなにも出会いと、タイミングと、そして少しばかりの行動があれば時間は必要ないんだと、そんな事を思ったりしていた。
そして、それを涼夏に話したいなと思っている。
「……そう」
それに、涼夏はそれだけ言って、ほう、と息を吐いて。
もう、ますます子供扱いは出来ないわね。と言った。
「えへへ、でも、お母さんの子供であることには変わりないけどね……後もう一つお母さんに言いたいことがあってさ。うち、色々考えて、ハジメと同じ大学に行きたいって思ってるの、いいかな? 都立大なんだけど」
「うん、頭ごなしに反対なんてしないわよ。考えて……きっとハジメ君とも話したんでしょう? 都立大な理由はあるの?」
「うん、最初はさ、お母さんも大変だし、って思ってたんだけど。前にも心配しないでって言われたし。都立大なら通えるし、学力的にも、無理じゃないと思うし。後ね、ハジメとも話して、出来たら国公立で通えるところが授業料的にもいいかなって。色んな学部もあるし…………それに通える範囲の理由が、ハジメはあの家を空けたくないからって。だからね、うちも一緒にいたいって思ったの」
「そう。相談してくれて本当にありがとう。そして、金銭的には私立でも大丈夫な位の蓄えはあるのよ? 勉強もきちんと頑張るなら異存は無いし、学部とかもね、正直ここにしなさいとかはないし、ハジメ君と同じところの方が、私としても安心ね。二人で頑張りなさい」
そう、涼夏がにっこりと笑って言ってくれたのに、千夏はほっとする。
彼氏と同じところに行きたい、が将来のことを考えるよりも一番の理由なんて、怒られるのではないかと思っていたから。
尤も、それを涼夏に告げると。
「何言っているのよ。将来貴女が仕事をするってなったとしても、余程の専門職じゃなければどこに行っていても学ぶことは出来るし。それに何より、ハジメ君と一緒にいる将来を一番大事にしてるから一緒に行くんじゃないの?」
涼夏にそう言われて、千夏は少し涙ぐみそうになる。
「……お母さん」
「ふふ、さて、じゃあご飯、食べちゃいましょうか。お誕生日おめでとう、千夏。それにしても本当にこんないつものご飯でよかったの? 明日がもしかして二人でなにか食べに行くとか?」
涼夏がそう言って指さした食卓には、千夏の好きな、涼夏が作ってくれた料理が並んでいた。
品数が豪華ではあるが、日常と言えばその通りで。でも――――。
「うん、何だかね、こういうのが食べたくて。ハジメにもね、実はご飯、お願いしてるんだ」
「へぇ、そうなの? 興味あるわね」
「普通のメニューなんだけど、実はうちの中では凄く印象に残っててさ。そういえばさ、お母さんには、うちとハジメがどうやって出会ったのか、言ったこと無かったよね、それと一緒に話聞いてくれる?」
「ええ、勿論。聞かせてほしいわ、あなた達の話を」
そうして、千夏の誕生日の夜は、穏やかに更けていった。




