33.米寿の経営戦略
米寿のガラス扉を押し開けるとカウベルが鳴って来客を知らせた。それに呼応するようにりんご体型のおばちゃんが厨房から顔をのぞかせる。いつも通りの愛想のいい笑顔だった。
「こんにちは」
「あらやだ、また来てくれたの? 毎度ひいきにしてもらって悪いわね」
エプロンのひもを背中で結びつつ世間話などしてはいるが、その目には憔悴の色がありありと見て取れた。やはりあの接客態度が最悪な中華料理屋『烏龍飯店』のあおりを受けているのだろうか。経営不振はまだ続いているらしい。
「そういえば、烏龍飯店に行きましたよ」
「あらそうなの? 向こうは繁盛してた?」
「ええ、それはもう」
ここはごまかしても仕方がない。才介は素直に答えてから、「だけど、二度と行きたくないです」
「あらまあ、それはどうしてかしら?」
「店員の態度が悪いんですよ。客のことは何も考えていません。料理とは真剣に向き合えているようですが、それだけではいけませんよ」
「そうねえ。食べてくれる人がいることに感謝し、顧客の満足になるべく添うようにサービスするくらいじゃないと料理人は務まらないと思うわ。いくらおいしい料理でも精神状態は味に影響を与えるからねえ」
「そこで提案なんですけど、米寿でも雨の日は冷房の温度を上げる。エアコンが苦手な女性や高齢者のためにブランケットを用意するなどの工夫が必要なんじゃないでしょうか。反対に、晴れの日はかき氷を無料でサービスするとかいいと思います。やっぱりご家族連れが楽しめるのがベストでしょう」
ふくよかな女性は瞳孔を大きくして、バンダナ越しに頭を掻いた。
才介は出過ぎた真似をしてしまったことを恥じた。相手は当店舗の経営者なのだ。まさしく釈迦に説法ではないか。気まずさを払拭するために、急いでハンバーグ定食の食券を購入する。
「盲点だったわ」
彼女は夕焼け色に染まった飲食店街を眺望するように視線を遠くに投げてから、やがてそう言った。
「才介くんの言う通り、対岸の火事では済まされないわね。大衆食堂の意義を見失っていたわ。まずはファミリー層を取り込んでいかないと」
「そのことなんだけどねー、お母さん」
渡辺が食器受け渡し口から顔をのぞかせる。彼女は今日も学校を休んでいた。
「米寿はお店の中だけじゃなくてー、お弁当やデリバリーサービスも必要だと思うんだー」
「真理子。お弁当宅配なんて誰がやるの? うちには従業員を雇っている余裕なんてないでしょう」
「そうだけどー、このままじゃじり貧だよー。抜本的に変えていかないとー」
排気音やクラクションなどの騒音が通りをにぎやかに彩り始める。帰宅ラッシュの時間帯にさしかかったようだ。それでも駐車場には一台も自動車が侵入してくる気配はなかった。
「北島さんところのラーメン屋も店を畳むらしいしー、うちも昔ながらのやり方じゃ厳しいよねー」
「真理子。うちの状況知ってたの?」
「当たり前でしょー。どこの娘だと思ってるのー?」
のらりくらりとしているようでなかなかの慧眼だ。才介は渡辺真理子のスペックを再認識した。
「お弁当は私が作るからー、あとは配達員だよねー」
「さらりと店の看板を背負って立つみたいなこと言わないで。それはお父さんの認定試験に合格したらの話よ」
「じゃあ合格したらー、お弁当を販売してもいい?」
「いいわよ。好きにしなさい」
「ありがとうー」
認定試験があるとは跡継ぎも楽じゃないな。
才介はそう思いつつ口をはさんだ。
「それも結構ですが、この飲食店街全体で協力するべきだと思います。米寿だけが変わるのではなく、街ぐるみで変わりましょう。そうしないと北島さんのラーメン屋みたいにつぶれてしまう店舗が増えますよ。ここは老舗の料理屋さんが多いのが魅力です。新参者にでかい顔ばかりされるのも心外でしょう」
いつの間にか瓜生のように一席ぶっている自分がいた。なるほど悪くない気分だった。
「弁当を売り出すなら、お弁当の宅配をしてくれる『うきうき弁当』と業務提携するとかどうですか? 地域で一丸となってこの窮地を乗り越えましょう」
「そうだねー。妙案だと思うよー。この地域限定で食べ歩きのスタンプカードを作ったりするのもいいんじゃないかなー? 飲食店街を巻き込むつもりならそれくらい規模の大きいことをやってみようよー」
「なるほど。チェーン店は参入出来なくても、個人経営の店だったら協力してくれそうだ」
「そんなの絵空事よ」
「いいえ、実現させましょうよ。俺も手伝います」
昔の俺だったら袖手傍観していただろうか。そう考えてから、ふん、くだらねえと吐き捨てた。
渡辺の母親は思案顔で食券を受け取ると、
「いい友達をもったわね」と娘にほほ笑みかけた。「うきうき弁当さんには私から訊いてみるわ。真理子はそれまでに腕を磨いてなさい」
「はーい!」
嬉しそうな声がところ狭しと店内に響き渡った。




