139.外伝44.1988年 フリードリヒ著 「日本の行動論」
――1988年
1900年頃から1950年頃までの日本の政策について論じた著作は、日本国内よりむしろ海外の方が多く発表されていた。経済学、政治学、戦争論などなど多岐に渡る専門的な学者や著名な政治家も日本についての著作を残している。
日本で有名なものとなると、イギリスの著名な経済学者が残した「日本経済論」だろう。これは日露戦争後からの日本の経済政策とその意図を分析したものになる。
「日本経済論」の内容を少し触れてみると、日本は日露戦争後、領土より資本を重視し大陸利権を他国に売り払った。その資金を国内投資に振り向け技術力を鍛え製造業に特に力を入れた。その結果、欧州大戦前には債務国から債権国へと日本は変貌を遂げていたのだ。
欧州大戦後の独墺への支援も経済学的な見地から見ると妥当な政策であると著者は論じている。日本は自国の経済圏を独墺に拡大し、独墺に投資をすることによって巨大な経済圏を築く。さらにはトルコなども取り込み世界恐慌が起こる前には、円経済圏だけでイギリスのブロック経済を上回るほどにまで成長していたのだった。
金本位制からの離脱、金融緩和と政府投資による需要喚起による恐慌対策により、円経済圏は全く恐慌の影響を受け付けなかった。経済政策の成功結果を持ち円経済圏は世界一の経済圏として確固たる地位を築いたと「日本経済学論」は結論つけている。
その後の経済においても、円経済圏は世界経済の中心として繁栄を極めている。今の世界のありようを決めた転換点は、恐慌対策だろうと著者は結論つけている。
余談ではあるが、この著者は大の日本通として知られ出身地のイギリスにいくつかの日本庭園を残している。日本人から見ても本格的なその庭園は、現在観光スポットとして人気を博しているのだった。
政治から論じたもので変わったところでは、フランスの「脱植民地論」が話題になった。フランスは欧州大戦の戦勝国であったが、世界恐慌の影響で経済が振るわず仮想敵国ドイツに経済力で大きく水をあけられてしまった。
そのためドイツ脅威論がフランス国内で優勢となり対独強硬政策の結果、フランスはドイツと戦争状態になる。二度目の欧州大戦でフランスベルギー軍はドイツと日本の連合軍に敗れ去り、フランスは賠償金無し、欧州大戦時でドイツから獲得した領土を返還するだけという寛大な講和条約を結ぶ。
フランスが欧州大戦でドイツに当たった過酷な平和条約と比較される寛大な平和条約がどちらがその後の経済発展をもたらしたのかと言うと、戦勝国にとっても敗戦国にとっても寛大な条約だと近年評価が固まる。
フランスでは対独講和条約締結後、日本の対外政策の研究が盛んになる。ドイツが領土拡張政策を放棄し、対外融和路線を歩んでいるのは日本の影響であることは明らかで、このたびの寛大な条約も日本の意向に沿ったものだろうから、日本を研究しようという流れとなった。
「脱植民地論」の作者はフランスの著名な政治家で、彼はフランス敗戦後に閣僚になった。彼が閣僚になった頃のフランスは、国内も海外植民地も危機を迎えており、特にフランス領インドシナで発生した動乱はもはや当時のフランスの国力では手をつけられないレベルになっていた。
彼は日本の台湾に対する政策、ドイツのフランスから返還された植民地カメルーンへ対する政策を研究し、フランス領インドシナを分割し独立させるようフランス元老院に働きかけ、歴史的なインドシナ独立政策を実行した。
当時のフランスの対植民地政策を百八十度転換させるその政策は、当初フランス世論の反発を受けたが、海外では絶賛される。政策が進み、順調に独立させた元植民地から利益が入って来るようになると、フランス世論も彼の政策を絶賛するようになる。
今でこそ、脱植民地政策として一般的な「元植民地の政情を安定させ経済発展させる」という手段は、彼の功績によるものが大きいと現代では言われている。
そんな彼が出した「脱植民地論」は発売当時から話題になった。「脱植民地論」は日本がどのようにして独墺を始め円経済圏を発展させ自国の利益にしてきたかを論じている。
陰謀論の代表作はノンフィクションとして世に出たが、多くの者はフィクションだろうと噂する「ある党首に告白」だろう。統一ソ連の初代党首の回顧録的に書かれたこの著作では、ロシア公国の建国についてという項目がある。
その中で日本はロシア革命を予期していて、白軍が圧倒的不利な状況になると分析していたと述べる。ロシア革命発生当初、赤軍が脆弱で白軍は比較的軍事力を持っていた。しかし白軍はまとまりを欠き、赤軍には優秀な将軍が揃っていた。
ともかく、日本はロシア革命「発生前」から、白軍が敗れることを予期していて自国の防衛圏とするためにロシア公国成立の絵図を描いたという。ロシア革命が発生した直後から、白軍へ極東に集まるように声をかけつつ、アメリカとイギリスも抱き込んだ。
その結果、半数以上の白軍が狭い極東地域に集結し、日英米によってバイカル湖に防衛線が構築される。赤軍にこの防衛網を突破する手段はなく、ロシア公国が成立したと著者は述べる。
物語としては興味深いが、いくら統一ソ連の党首が著作者とはいえ、いささか妄想が過ぎるとの書評が多い。
本年度1988年に発売されたフリードリヒ著「日本の行動論」は日本でもベストセラー作品になった話題作で、著者の幅広い専門知識からの分析が売りである。
フリードリヒは1899年に生誕したオーストリア学派の重鎮で、その守備範囲は多岐に渡る……経済、哲学、政治、心理学に至るまで著作を多数残し、ノーベル経済学賞の受賞者であった。
彼の著作の中で「陰謀論」的なことが語られている箇所があり、多くは彼の創作だろうと言われているがその中でも有名になった部分となると――
――日本は神に守られた国である。
この文章は彼の著作の帯にも書かれ、日本のテレビでもこの部分が多く語られた。
曰く、日本は地震大国であるが「偶然にも」避難訓練の最中に地震が発生したり、無謀で理解できないと言われた政策も数十年後には「最善」と評価されたり、日露戦争後に方針転換した際に国内が一切乱れなかったり……と枚挙にいとまがない。
この「奇跡的」ともいえる日本の足取りを私がかんがみるに、「日本は神に守られた国である」と結論つけたいと思う。という言葉でその箇所は締めくくられていた。




