陥落
ロイはベルレネディアを風が如く速さで走り、集会所のあるシュツメンヒを越えラルムヴァーグに戻ってきていた。
時を数えれば二時間と半刻は過ぎている。
森の中を走り続け気づけば、館の近くまで来ていた。
ラルムヴァーグは夜を迎えている。ロイは気配を消し、家の傍までよるとドアノブを確認する。鍵はかかっていないようだ。
息を整えると、ロイはゆっくりドアを開けた。
「……っ?」
置かれていたテーブルやハンガースタンドは壊れて転がっている。室内の散乱ように思わず体がびくりと跳ねた。凶暴な動物が中で暴れまわったかのような惨状だった。
それと鼻をつく何か嗅ぎ慣れない臭い。柔らかい香りの中にもどこかクセのある臭いはロイの体が嗅ぎ続けることを拒否した。
ロイはシャツの袖で鼻を覆うと自分の荷物をそっと置き、警戒を強めながらキッチンに回る。
そこもまた、リビングと同じような悲惨さで奇妙なことにテーブルウェアのシルバーナイフだけ綺麗に抜き取られていた。
――現在のところ被害者は25人、全員がシルバーのナイフによる失血死だ。
ルーザの言葉が頭をよぎる。
誰かにキャンディがやられているかもしれない。もしくはキャンディが……最悪の可能性を考え、気配を消し、息を止める。
足音に気を付けながら耳を澄ますと、僅かな息遣いが2階から聞こえてきた。
壁に沿い、自分の身を隠す様に階段下まで体を這わせる。
階段は最も軋みやすいため、手摺に上りゆっくりと足を滑らせ、息を辿っていくとそれはロイの部屋から聞こえてきた。
ドアは開放されていて、規則的な息だけがロイの鼓膜に伝わる。そっと中の様子を見ると荒れた自室の中に眠るキャンディの姿があった。
思わず漏れそうになった悲鳴のような息を押さえて、周りをよく観察する。
移動した物こそ多いが、何も私物が持ち出された様子はない。
今日は新月の翌日……二日月。月明かりはごく薄く、部屋内を照らすことはなかった。
暗い室内、ベッドの中身である羽根に囲まれてキャンディは天使のように眠りこんでいた。
ロイは先程キッチンで調達してきたランプに明かりを灯す。そして、階段まで静かに戻ると普通に廊下を歩きだした。ギシギシといつものように廊下を軋ませて……それはあたかも今帰ってきたように自室に入った。
「キャンディ、大丈夫ですか?」
心配そうに声を震わせ何度か肩を揺らす。キャンディは苦しそうに顔を歪めるとゆっくりと瞳を開けた。
「ロ、イ?どうしたの……?」
「仕事が終わったので戻ってきたんです。あなたが私の部屋にいたので起こしたのですよ」
ロイはこの状況が“普通”であるように話を進める。
「あ、そうなんだね。長い間お疲れ様」
キャンディはいつものように目を細めた。
不自然に散乱した部屋、何事もなかったように微笑むキャンディ。だがその顔はロイの知っている相棒の物とは違い痩せこけていて何か塗ったのだろう顔の白もドロドロに溶け、瞳の紫が落ちそうなほど出ていた。
明らかにただの栄養失調ではない彼の様子を見て、ロイは小さく息を飲みそして再び朗らかに笑った。
「ありがとうございます。あなたも大変だったのでしょう? クリスマスやヴァレンタインのシーズンで活躍したと聞きましたよ」
「そんなことないよ。僕はまだお父様のサポートだからさ」
艶のない髪をいじりながらふらりと立ち上がったキャンディをロイはとっさに支える。
「ごめんね。なんだかフラフラしちゃって」
「寝起きですから仕方ないですよ。さぁ、座って」
ロイは力強く支えると、そのまま抱えながら立ち上がった。
キャンディは促されるままに椅子に座ると口元だけは以前のように笑みを作り話し始める。
「ロイはここ幾月かどうだった? 毎回思うんだけど図書館の整理って大変そうだよね。だってロイって本を書いたりしなきゃいけないんでしょ?」
「ええ、なかなか大変でしたよ。本は全て手書きでないといけませんから。見てください、少し指が腫れているでしょう」
そういうとキャンディの目の前に指を広げる。本当だ、と心配そうに見つめる彼にロイは質問を投げかけた。
「大丈夫ですよ。こちらでの生活はどうでしたか? 変わったところはありませんか?」
「うん、大丈夫。僕も実家にいることが多かったから」
微笑むキャンディに、ロイはほんのわずかに眉根を寄せた。
彼にはこの現状が見えていない。そしてロイ気付いてしまう。
――膝丈のズボン。その下の靴下止めには無数のナイフが挟んである、と。
ソレはアクセサリーのようだった。投げナイフを装備するがごとく規則的に備えてある。
足に手を掛けた時点でいつでも抜き取れるように刃の方向もきれいに揃っていた。
犯行の決定打にロイは少しずつ身を引いていく。
キャンディとそしてロイ自身も逃げることができないようにドアをゆっくりと閉めると、相変わらずの微笑みで“いつも通りの会話”を演じてみせる。
「そういえば、今年のキングはキャンディ、あなたがやると聞きましたよ。どんな仮面が仕上がるのか今から楽しみです」
ロイは素早くドアノブと近くのスタンドに針金を巻いた。これならば自分も逃げることはできないが彼も同じ。その間に団員の誰かが来るはずだろうとロイは覚悟を決める。
「か、め、ん……?」
キャンディの態度が一変する。その温度差と彼の醸し出すオーラに、ロイの微笑みも強張った。
「ええ、去年のアップルの仮面も見事でした」
「ロイ」
目の前にはいつの間にか立ち上がったキャンディがいる。
紫の瞳はギラギラと光り、もう気品ある優しいものとは違っていた。




