加速 《挿絵あり》
ダレスは揚々と続けた。
「犯人はナイフを直接差しているわけじゃあない。そうさせるように仕向けているんだ。それがあの薬ってわけだ」
ロイとルーザには理解ができなかった。薬の現物を知っているのはこの中でダレスだけなのだ。
「その薬はそんなに危険な物なのですか?」
「ああ、俺はまだ触ってない。……あの薬は猫の血の香りがする」
猫の血は吸血鬼に猛毒で触るだけでも皮膚を溶かす作用があるのだ。昔から吸血鬼は毒故に猫を殺めず、大切にしている。
しばらくの沈黙。皆それぞれ考えを巡らせていた。
すると思い出したようにルーザがロイに尋ねる。
「キャンディの様子を知っているか?」
「キャンディ、ですか? いえ、知ってのとおり私は今ベルレネディアの方にいますのでしばらくは帰っていませんが……」
「……そうか。仕事はあとどれくらいで片が付くのだ?」
ロイは不思議に思った。ルーザは仏頂面で分かりにくいが、他人の住み家や相棒との生活にあまり干渉してくることはなかった。
最近キャンディは感謝祭の準備が始まり忙しく、二回ほど集会を欠席している。ロイはふた月以上キャンディの顔を見ていなかった。
「もう少しで、帰れるとは思います」
「そうか。最近事件が多発している。少しキャンディの様子も見ておけ」
キャンディが人間と仕事をしているから心配だったのだろうか、ルーザの瞳はわずかに陰りを見せた。ロイは自分の相棒の心配までさせてしまったことと、相棒の管理のできなさを恥じた。
ジャックが新しく紅茶を注いでいるとラルムヴァーグに繋がっている扉が勢いよく開く。
そこにはルーザの相棒であるカユと、美しい女性が夜会の余所行きで立っていた。
「おーい! 戻ったぞ」
カユは手を振り、いつも通りニコニコと明るい笑顔を振りまいた。濃いグレーのジャケットが髪の黄色をよく映えさせていた。存在感のあるシルクハットには薔薇のコサージュが散らばっている。
ルーザはカウンターに促す。
「二人ともご苦労、座れ」
「色々な話聞けたよ、いい話も悪い話も。しっかしすげーのな、ケイの奴! 見ろよ、ドレス着て化粧すれば女より女だぜ。東国出身は皆こんなに華奢なのか?」
カユが興奮気味に椅子に座る。後ろの可憐な女性はまさしくサヴァラン夫人の時のケイなのだ。その顔は口角が下がり、不機嫌であることが一目でわかった。綺麗なドレスを纏ったケイは低く、早口に言った。
「うるさい。こっちは重いしきついし毎回女の姿では適わん。女の服はどうしてこんなに苦しいのだ。……だいたいカユ、女より女ではない。我は今“女”なのだ」
ケイは人間出身の吸血鬼であるため月の祝福の従者である。その能力の名前は“陰陽の体躯”ケイの体は男にも女にもなることができるのだ。
この世に生を受けた時は男であるために子を成すことはでず、姿形のみが女になることができる。相棒のダレス曰く身体が変化する瞬間はこの世のどんな生物よりも恐ろしいという。
「おー!この間仕入れたドレスじゃあないか。やっぱり髪色に合わせてピンクでよかったな」
ダレスが軽く口笛を吹く。その瞬間、ケイはきつく自分の相棒を睨んだ。
リボンをふんだんに使った可愛らしいドレスは華奢な体によく似合っている。丁寧に巻かれた髪をうっとおしそうに払うとケイはダレスのからかいに応じることもなくジャックの元に寄った。
「我は着替える。マスター、部屋を借りるぞ」
「どうぞ、ごゆっくり」
カツカツとピンヒールを鳴らして足早に扉の奥に消えてしまった。
「喋るとぜーんぜん可愛くないのなー」
カユはへらへらと笑って頬杖をついた。
ダレスも同じように口元に笑みを浮かべ、声色を替えながら言った。
「あら、旦那様知りませんのォ? ケイ奥さまは“陰陽の体躯”ですので可愛らしい声も出せるんですのよ」
「まじで? うわー、聞かせてもらえばよかった。あいつってば東国の言葉しか喋れないふりするんだもん」
「お前の前では絶対聞かせぬぞ!」
一瞬扉が開いてケイの唸る声がする。ダレスとカユは目を合わせ大げさに肩を竦めた。
「……カユ、報告しろ」
ルーザは表情を変えることなく言った。
カユははいよ、と抜けた返事をすると大きなシルクハットを脱ぎ、カウンターに置いた。
「今日の夜会はマスカレード……仮面舞踏会だな。規模はそんなには大きくなかったけどこいつのせいで誰がいたのかは正確に把握できなかったんだ」
カユは仮面を取り出した。派手に飾り付けられているそれは蝋燭の火に照らされてきらりと光った。カユはハットの隣に仮面を並べて続けた。
「そこで変な話を聞いたんだよ。“血を飲まなくても飢えを感じない薬がある”って。今日の夜会は人間もくる夜会さ。そんな話が聞けるなんてちょっとおかしくないか?」
「ほう……」
ルーザは低く唸るような声を絞った。その目は早く続きを言え、と命令しているようだった。
「なんでも社交界では平然と取引を行ってるんだってさ。まるで麻薬のようにね」
「ちょっと待ってください。いつの間に潜入捜査を行っていたのですか?私は何も聞いていませんよ」
ロイが手を挙げた。副団長の自分を差し置いて捜査を行うなど初めてのことだったからだ。いつもはルーザが命令を出す前に副団長の二人には必ず許可を取っているために把握していない捜査はなかった。
同じ副団長であるダレスは捜査を知っていたらしくロイの肩をあやす様に叩いた。
「悪いな。状況が状況だったんでお前さんには言わないで秘密裏に行ってたんだ。今までは俺とケイでいっていたが、検死が間に合わないんで今夜はカユに行ってもらったのさ」
ロイは伏し目がちにそうですか、と息を漏らした。
ティーカップには怒りと不安に満ちた表情の自分が映し出されている。ロイは慌てて頬を触るといつもの穏やかで柔らかな表情に戻した。




