ぱさぱさ
それからキャンディは二週に一度タエの研究室に向かうことになった。
ふた月もすると足は勝手に研究室の方へ動き出す。
クリスマスも終わり、皆新年の訪れに心を躍らせているようで、街の人々は一様に浮かれている。
日が経つにつれ感謝祭の準備も始まってくる。もうそろそろテーマを絞らなければいけなく、キャンディは日々頭を悩ませていた。
宿の一室の扉を開ける。その仕草は慣れたもので、タエとの時間は仕事に追われるキャンディにとっては安息の時だった。
今日も彼女は柔らかい微笑みでキャンディを迎えてくれた。
「キャンディ、また少し痩せたかしら?」
タエはいつの間にかミッド伯爵ではなくキャンディと呼んでいた。
「最近は忙しい日々が続いているからね。仕方ないよ」
「櫻薬はちゃんと飲んでちょうだいね。心配よ」
「大丈夫、毎日飲んでいるよ」
キャンディは大き目のソファーに寝転んだ。いつもここで採血が行われるのだ。
くつろぎながら待っていると、デスクの方からタエの悲鳴にも近い声が聞こえた。
「ああ、いけない。前回のサンプリング結果を宿に忘れてしまったわ。ごめんなさい、キャンディ。すぐ戻るわ」
タエは羽織を脱いで研究室を出た。とても焦っていたようで、大きな扉の音が部屋中に響き渡った。
キャンディはタエのいない研究室を見渡す。
机にはたくさんの資料や、薬品、機材が置いてあり素人目では到底理解できるものではなかった。
その奥ではタエの助手、タカナシが無言で作業している。
キャンディはここに何度も来ているが、タカナシと会話をしたことがない。
タエと話しているところは見たことがあるがぼそぼそとした声で東国の言葉で会話をしていた。
そもそも年齢はどのくらいなのか、何故タエの助手をしているのか……彼に対する疑問はここに来るたびに増えるばかりだ。
しばらくタカナシの様子を眺めているとタエが戻ってきた。
「おまたせ。ごめんなさいね」
タエは持ってきた結果の用紙をめくるとペンで何かを書き込んだ。
キャンディはシャツの袖をまくり、タエに差し出す。タエは注射針を取り出すとキャンディの腕に差した。ちくりという鈍い痛みが走る。
注射針を抜くと素早く試験管に移す。手早い動きにキャンディは見入っていた。
「なにかしら?」
視線に気づいたタエは振り向き首を傾げる。
「ううん、なんでも」
誤魔化すようにキャンディは慌てて笑みを作った。
「この薬、とても変わっているよね。可愛い花の形だし。匂いも花みたいだ」
キャンディは自分の持っていた櫻薬を取り出した。
「これはサクラという花を模ったのよ。永京に咲く花なの。薄いピンクの色でとても綺麗なのよ」
「へえ、見てみたいな。僕が永京に行ったときは見かけなかったから」
キャンディは指で櫻薬をいじった。
「きっと春ではなかったのでしょうね。短い間しか咲いていられないの」
そう言ったタエは少し寂しそうな顔をした。
「タエはサクラが大好きなんだね」
「ええ、そうね」
タエは窓の方に目を向ける。サクラの髪飾りがしゃらりと揺れた。
夕日が入る窓際。タエの姿が淡いオレンジに照らされた。
その姿は儚く、そして美しく、サクラという花はきっと彼女のような花なのだろうとキャンディは思った。
タエの後方、日差しが入る窓に黒い影が映った。手のひらほどの大きさの影がひらひら飛び回っている。
コウモリだ。
日中ではあまり見かけないコウモリがいるのはきっとキャンディを探してのことだろう。
キャンディは急いでソファーから飛び起きた。
「タエ、ごめんね。僕、行かなくちゃ」
「ええ?止血がまだよ」
「大丈夫!またくるから」
キャンディは注射痕から染み出る血を舐めとると急いで外に出た。
外に出て右腕を伸ばすと、コウモリがどこからともなく現れキャンディの腕に止まった。
足には赤い薔薇のタグがついている。これはBlood ROSEからの文ということだ。慌てて羊皮紙をはずして確認する。
――至急、集会所へ ルーザ
送り主の性格を表すような固い文字に心が震える。
定期集会までの日は遠く、しかも副団長でもない自分が呼び出されることは珍しい。
吸血鬼殺害事件に急展開があったのだろうか。不安な気持ちを抑えるように、集会所に向かう扉へと足を早めた。




