89・嫉妬に狂った愚かな竜
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翌日。
私とレオンは、早速リファリオンの地に足を踏み入れていた。
「数日前のお祭り騒ぎが嘘のように、街中は落ち着いていますね」
宿で荷物を広げながら、レオンにそう声をかける。
「そうだな。このような事態でなければ、君とゆっくり街中を観光したかったが……そうもいかない」
レオンが苦い表情を作る。
素敵な街だと思っていたけど……まさか、こんなにすぐに再訪することになるなんて──。
しかも今回はのっぴきならない事情だ。
「すぐに、バーバラさんの元へ向かいましょう。確か、マルスラン殿下からバーバラさんのいる場所の地図を頂いているんですよね?」
「まあ、待て」
すぐに出発しようとすると、レオンから制止がかかる。
そのまま彼は意外にも室内のソファーに腰かけ、ゆったりとした口調でこう口を動かした。
「着いたばかりなんだ。まだ疲れも残っているだろう。もう少しのんびりしてから行こう。そう急ぐことでもないからな」
「……? はい」
首を縦に振る。
昨日はあんなに気持ちが逸っていたレオンなのに……どうして今更、そんなことを言い出すのだろうか?
私は今すぐにでもバーバラさんに話を聞きたいが、レオンは腕を組み目を瞑り、その場から動き出そうとしなかった。
……まあ、記憶を失ってから、レオンはずっと働き詰めだったしね。
私の前では気丈に振るっていたものの、実は我慢していたのかもしれない。
彼にこれ以上、無茶はさせてはいけない。
そう思った私は、彼と共に時間が過ぎるのをゆったり待つのであった。
──そして夕暮れ。
私たちは、バーバラさんの元へ向かう。
マルスラン殿下から頂いた地図を頼りにそこに向かうと、入り組んだ路地の先に廃墟のような建物があった。
どうやら、ここにバーバラさんがいるらしい。
その仰々しい雰囲気に臆してしまいそうになるが、レオンが私の目を見て頷き、勇気を出して中に入った。
「レオン様、そしてその妻フィーネ様──ご足労いただき、ありがとうございます。私はバーバラと申します」
そう言って、私たちを出迎えてくれたのは齢八十は超えていそうな女性だ。
顔には深く皺が刻まれており、口元の笑みはどこか怪しげな雰囲気を漂わせていた。
しかし、その年齢を感じさせないほど声には張りがあり、瞳には力強い光が宿っている。
「急な訪問、すまない」
「いえいえ、他ならぬマルスラン殿下とレオン様の頼みですから。私たちも早く、あなたたちにお会いしたかったです」
物腰柔らかく答えるバーバラさん。
バーバラの後ろには、彼女と同じ黒衣を身につけた男性が複数人控えていた。
不気味な見た目ではあるが、全員にこやかな表情を作っている。
「まあ、こんなところで長話もなんですから……こちらへ」
バーバラさんにそう言われて案内された場所は、簡素なソファーと机が置かれた一室だ。
しかし、それだけではない。
部屋の至る所には謎のモニュメントが置かれており、その不気味な雰囲気に、思わず身がすくんでしまう。
「見慣れぬものが置かれているな」
それはレオンも感じていたのか。
ソファーに座りながら周りを眺め、ぼそっと声を零す。
「はっはっは、収集癖がありましてな。珍しいものがあれば、つい購入してしまうんです」
とバーバラさんは快活に笑う。
……建物も、バーバラさんたちが身につけている黒衣も、どこか異様な雰囲気を醸し出していたが、今はそれを気にしている場合ではない。今はもっと大事なところがある。
「……では早速、始めましょうか。そちらのフィーネ様も、早く話されたいようですし」
私の内心を読んだのか、バーバラさんがそう説明を始める。
「記憶喪失……そう聞いておられます。間違いないですかな?」
「その通りだ」
「そして、レオン様はご自身の記憶喪失を治したい。そのために、我々に協力を求めた──これも合っていますか」
「ああ」
レオンが短く答える。
「ならば、あなた様方も気付かれているでしょう。竜神祭の本来の目的──に」
元々は邪竜セリオンの怒りを鎮めるために行われていた祭り。それが竜神祭の真の成り立ちだったはずだ。
この問いに対しても、レオンは静かに首を縦に振る。
「ならば、話が早い。今では竜神と崇めているようですが──セリオンはそんなにキレイな竜ではない。元々は人々から記憶を食い、それを養分にしていた邪竜なのです」
「それらの話が真実だとしよう。ならば、どうしてセリオンは人々の記憶を食っているんだ?」
「セリオンには、もう一つの異名を持っているのです──嫉妬の竜と」
バーバラさんの語り口に、自然と話に入り込んでしまう。
「セリオンとルミナは他の神々の怒りに触れ、仲を引き裂かれました。だから……セリオンは許せないのですよ。他の者たちが仲睦まじくしていることに」
「竜などという神々しい存在が、たかが嫉妬でおかしくなるものなのか? 違和感がある」
「嫉妬の感情を舐めてはいけません。嫉妬によって、命を落とした者もいるのですから」
たとえば、コリンナ。
彼女は私に嫉妬するあまり、昔のことも忘れ、闇魔法の力に目覚めてしまった。
そしてバティストも、私やアネットちゃんに固執するあまり、最後には身を滅ぼすことになった。
嫉妬の感情は、己を滅ぼしかねる。
そのことを人一倍理解している私は、息を呑んでバーバラさんの話に耳を傾けた。
「そして、邪竜セリオンの恐ろしさはそれだけに留まりません。人々の記憶を食い、養分を蓄えた時──この地に顕現し、大いなる災いをもたらすと記述も残っています」
「それについては、俺も文献で知った。しかし邪竜の災いとは、どれほどの脅威なんだ? こちらでも調べてみたが、具体的な記述がなに一つ見つからなかった」
「すみません。口惜しいながら、そこまでは我々も掴んでいません。ただ、その竜は『夜に溶け込むような常闇の体躯に、街そのものを飲み込まんとするばかりの存在感を放つ』──と、私どもの間で言い伝えられています。
無論、全てが正しい情報だとは限りませんが、邪竜の力が解き放たれれば、人もたくさん死ぬでしょう」
「人もたくさん……死ぬ……」
思わず、バーバラさんの言ったことを反芻してしまう。
戦場において、命の価値は安い。
だからこそ、なによりも尊ばれるんだけど……その反面、簡単に散っていくのも戦場というものだ。
あんな光景が街中で繰り広げられるのだろうか?
想像するだけで、胸がきゅっと痛くなった。
「我々の目的は、そんな邪竜の怒りを鎮めるためにあります。もっとも……誰にも信じてもらえず、こんな日陰者になっていますが」
とバーバラさんは肩をすくめる。
「だから、こんな人目の付かないところで活動しているということか」
「その通りです」
街では神として崇め──なんなら、セリオンとルミナの関係はロマンティックな逸話として語られているのだ。
なのに、今更『竜神は実は邪竜だったのだ!』と言っても、誰にも信じてもらえず、頭がおかしくなったと思われるのがオチだろう。
私だって、レオンが実際記憶をなくしていなければ、同じ感想を抱いていたかもしれない。
「レオン様の記憶喪失は、そんなセリオンが記憶を食ったせいでしょう。ここ何百年かでは、セリオンの怒りも鎮まり実例はなかったようなので、我々どもも油断していました」
「どうすれば、俺の記憶は戻る?」
「本来なら、邪竜に記憶を食われれば、元に戻ることはありません。邪竜の養分となり、記憶は完全に消滅してしまいます」
「そんな……」
口を手で覆ってしまう。
か細い糸を辿って、ようやくここまで辿り着けた。
だけど、バーバラさんの口から『記憶は完全に消滅してしまう』と聞かされ、私の胸中には絶望がじんわりと染み渡っていた。
「ですが、あなた方は運がいい!」
一転、バーバラさんが手を打ち、声も明るさを帯びた。
「何故なら、我々と巡り会えたのですから。我々は長年、邪竜に対抗するために『記憶食い』の対処法についても調べていました。我々なら、レオン様の記憶を治すことが出来る!」
「そ、それは本当ですか!?」
「はい」
バーバラさんは頷く。
「ならば、すぐにやってくれないか? 報酬ならいくらでも用意する」
「報酬など必要ありませんよ。あなた様は邪竜の被害者なのです。こちらこそ、我々の活動が認められるようで嬉しいですよ」
ニコニコするバーバラさん。
そう言って、バーバラさんは後ろの人たちに視線を移す。
それが合図だったのか、彼・彼女らは私たちを囲むような位置に移動した。
「……なんのつもりだ?」
「レオン様の記憶を戻すためには、儀式を執り行う必要があるのです。なので、場所を移しましょう。ご案内します」
「では、私も付いていっていいですか? レオンのことが心配です」
私がそう質問すると、バーバラさんは残念そうな顔をして首を左右に振った。
「申し訳ございません。儀式は大変繊細なものなのです。他に人が入れば儀式が失敗し、レオン様が命を落とす必要があります。フィーネ様にはここでしばらく、お待ちいただければと」
「え、でも……」
「ご理解ください」
私の言葉を遮って、バーバラさんは他の人たちに視線で合図を出す。
すると彼らの何人かはゆっくりとレオンの両脇を支え、強引に立ち上がらせた。
そしてそのまま、レオンと共に部屋から出ていこうとする。
「レオン!」
心配になり、立ち上がってレオンに手を伸ばす。
しかし他の残った人間たちが、私の前に立ち塞がる。そのせいで、これ以上レオンに近寄ることさえ許されない。
なんで、ここまでされるんだろうか……もしかしたら、バーバラさんの言う儀式はとても危険なものなんじゃ……。
不安になっていると、レオンが部屋から出ていく間際、
「大丈夫だから」
私の方を振り返って、優しい声で言った。
そのまま、レオンとバーバラさん……そして何人かの男はこの場から去ってしまう。
「……っ」
一人になって、寂しさと不安が押し寄せてくる。
しかし、私一人ではこの部屋から脱出することさえ叶わない。今はレオンの無事を祈ることしか出来なさそうだ。
再びソファーに座り直し、胸の前でぎゅっと拳を握った。




