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82・もやもやの正体

「フィーネ様、少しお時間よろしいでしょうか?」


 自室で調べ物をしていると、廊下からエマさんが中に入ってきた。


「またレオン様の記憶喪失について、お調べになさっているのですか?」


 エマさんは私の手元の本を見て、そう問いを零す。


「その通りです。サイラス様でも分からないのに、私がどうにか出来るとは思えませんが……なにもしていないというのも、落ち着きませんので」

「なにかご成果は……?」

「いいえ」


 がっくしと肩を落とす。


 あれから──いくつか本を読んでみたけど、やはり目新しい情報は手に入らない。

 サイラス様の言う、記憶喪失を治す『鍵』も分からず、もどかしい日々を過ごしていた。


「気を落とさないでください。レオン様がどうかなってしまう前に、このままではフィーネ様が倒れられてしまいますよ」

「ありがとうございます。それで……エマさんは、なんのためにここに? 晩ご飯の時間はまだだと思いますが……」


 と問いかけると、エマさんは真剣な眼差しでこう告げた。


「フィーネ様のことが心配になったのです」

「私が?」

「はい」


 頷き、エマさんはこう続ける。


「先日から、フィーネ様はずっと浮かない表情をしています。もちろん、レオン様のことが心配なのでしょう。ですが、それ以外にもなにか心配事があるみたいで……」


 困ったように眉を八の字にするエマさん。

 彼女も自分の仕事があるのに、わざわざ私のことを心配してくれるなんて……。

 彼女の心遣いが嬉しかった。


「そうですね……なんだか、ずっと心がもやもやしているんです」

「もやもや?」

「はい。レオンは記憶をなくされても、私に優しく接してくれています。だけど、どこか違和感があります。その違いはどこにあるのか──と思いまして」


 他の騎士たちを、厳しく指導していたレオン。

 そして先ほど、書庫で顔を合わせたレオン。

 私が知るレオンそのものだ。


 だけど……なんと言えばいいのだろうか。

 今まで短くない時間をレオンと過ごしていたからこそ、強烈な違和感を抱いているのだ。


 さらに、フェリシテさんの手紙。

 二人の関係はどこまで進んでいたのだろうか──そう考えると、他のことが手につかなくなった。


「どうしてなんでしょう……」

「いえ──フィーネ様がそう感じられるのも、仕方がありません。今のレオン様はまるで、昔に戻ったかのようですので」

「昔に……戻った……」


 確か騎士の訓練所で、ゴードンさんも不意に呟いていた言葉だ。


 そういえば私は、昔のレオンを知らない。


 若くして公爵家の当主となってから、身を粉にして働き、そのおかげでみんなから慕われる男性になったというくらいしか。

 私も今の生活に満足していて、レオンの過去をことさらに知りたいとも思ってこなかった。


「フィーネ様と出会う以前のレオン様は、常に気を張り詰めているような方でした。こちらが心配になるほどの……です」

「責任感が強いお方ですものね。周りを不安にさせないように弱音も吐かなかったと、ゴードンさんからお聞きしました」

「その通りです。余裕がなく、全てのことを一人で解決しようとしていた……といいますか。もちろん、表面上の変化は極僅かなんですけどね。レオン様をずっと傍でお見守りしていないと、気付かない変化です」


 それに──とエマさんは続け、語気を強くしてこう言う。


「今のレオン様は酷いです! 何故なら──フィーネ様を大切にされていないからです!」

「私を……? ですか。ですが、レオンは私になに不自由なく生活してほしいと言って──」

「そんなのは、当たり前のことじゃないですか! フィーネ様は公爵夫人なのですよ? 不自由ない生活を送れるのは当然です」


 むーっと頬を膨らませるエマさん。

 私のために怒ってくれているのは分かるけど……ひまわりの種を詰め込んだハムスターみたいで、可愛いと思ってしまった。


「私に魅力がないためでしょうか。やはり、レオンにとって私は負担で──」

「だーかーらー! そういう風に、フィーネ様を不安にさせる時点で、以前までのレオン様と違うと言っているのですよ」


 そこでエマさんは、なにかを閃いたかのように「そうです!」と大きな声で言って、


「きっと、フィーネ様が感じている『もやもや』は、過去のレオン様をよく知らないためではないでしょうか? 自分の愛する人の昔が気になるのも、仕方がないですからね。寂しさを感じるといいますか……」


 と続けた。


 ……なるほど。

 もしかしたら、彼女の言う通りかもしれない。


 私はレオンの過去をよく知らない。

 もちろん、基本的な情報は知っている。だけど、そのどれもが表面的な情報ばかりで、レオンの深いところまで知れていなかったかもしれない。


 訓練所の一幕も、そうだった。

 騎士に厳しく接するレオン。幼馴染のゴードン様と仲睦まじそうにしているレオン。

 ──それらを、周りも当然のように受け入れている光景に、私だけ置いてけぼりをされたように感じ、寂しさが膨らんだのだ。


「ありがとうございます。エマさんとお話しして、少し気が楽になりました」

「フィーネ様の一助になれたなら幸いです。もし、まだもやもやを感じるようなら、レオン様とお話ししてみれば、いかがでしょうか? 気になることがあったら、いくらでも質問してみていいと思いますよ」

「そうですね……ですが、今はレオンの記憶を治すことが先決。私が我慢すればいいだけのことなのに、果たして彼を付き合わせていいのか……」


 過去のレオンをよく知らなかったことは、いわば私の責任だ。

 それなのに、ただでさえ忙しいレオンの時間を奪うのが申し訳ない。


「相変わらず、フィーネ様は自分を第一に考えませんね〜。うーん……私から、昔のレオン様の話をするだけでは不十分ですし、それなら──」


 エマさんはこう続ける。


「確か、記憶喪失を治すためには、思い出の品々や場所を巡るのがいいとサイラス様はおっしゃっていましたね?」

「はい」


 その中に『鍵』が隠されているかもしれない。

 だから、なおさら普段通りの日常を過ごす中で、『鍵』を見つけるべき──と、サイラス様はおっしゃっていた。


「でしたら、私にいい考えがあります。レオン様の過去も聞けて、『鍵』を見つけることが出来るかもしれない、とびっきりの方法です」


 ニコッとエマさんは笑って。


「二人の思い出といえば、真っ先に私も思い浮かぶことです。今度はフィーネ様から、レオン様を──」

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