8・屈辱の聖女(コリンナ視点)
「どうして私じゃダメなのよ!」
姉のフィーネがランセル公爵家に向かった後、私──コリンナは自室で荒れていた。
部屋にあるものを片っ端から投げたせいで、室内はなかなかの惨状である。
庶民の給料三年分に相当する硝子のコップが割れてしまったのは、少しもったいない気がしたが……また買えばいいだけの話だ。大した問題ではない。
そんなことより。
「ふーっ、ふーっ」
こんなもので私の苛々はおさまらない。
息を整えながら、私はランセル公爵家から縁談話がきた時の話を思い出していた。
『ヘルトリング伯爵の令嬢に、ランセル公爵から結婚の話が舞い込んだ』
その話を聞いた時、私は「ついにきたか」と内心ほくそ笑んだ。
私は聖女だ。
人々は私に羨望の眼差しを向け、なんでもやってくれる。
しかしどうしても『伯爵令嬢』という身分は、格落ちな気がしていた。
そんな私に公爵家から縁談話がきたのだ。
先日の戦場では、血まみれのレオン様を見て怖気付いて逃げてしまったが……そんなのは落ち度にならないはずだ。
問題は。
『レオン様はフィーネを指名している……?』
ということであった。
『手紙にはそう書かれている。まあなにかの間違いだろう。あの醜女に、公爵家から縁談話がくるはずがないのだから』
『確かにそうね』
お父様とそんなやり取りをした時も、私は疑問にすら思わなかった。
そして馬車に乗ってランセル公爵家に着いた時、あの男……レオン様は露骨に顔を歪めた。
『俺が呼んだのは、フィーネのはずだったが? 君は違うな。これはどういうことだ?』
『レオン様は勘違いされているようです。聖女はこの私、コリンナですわ。あのフィーネは、ヘルトリング伯爵家での汚点でしかないのですから』
『どうして聖女がどうこうという話が出てくる。俺には君がなにを言ってるか分からない』
ますますレオン様の機嫌が悪くなるのが分かった。
まあ、でも。話していれば、レオン様の誤解も解けるだろう。
ほんとに……フィーネったらこんなところでも足を引っ張るんだから! これで縁談話がご破算になったら、タダじゃおかないんだから!
姉に対する怒りで、頭がどうにかなってしまいそうだった。
しかし彼もわざわざ私を追い返すような真似はしなかった。
席に着いて、私は真っ先にテーブルに置かれていたものに目がいった。
『あら、このマカロン。私のものですか? 頂いてもいいですか?』
『勝手にしろ』
吐き捨てるようにレオン様が言う。
彼の傍にいた執事が紅茶を淹れる。どこかで見たことある顔なんだけど……気のせいかしら?
そしてマカロンに口を付けると、早くも私は後悔した。
あ、甘すぎるっ!
こんなもの、ただの砂糖の塊だ。
私がいつもお菓子として頂く最高級のマカロンは、もっと上品な味をしている。
ランセル公爵ともあろう方が、こんな安物のマカロンを出すなんて……私をコケにしているのかしら。
『どうした? 手が止まっているが……』
『いえいえ、そんなことありませんわ。とても美味しいです』
しかし本音をおくびにも出すわけにはいかない。
私は我慢して、手に持ったマカロンを紅茶で無理やり流し込む。でも二つ目はいらないわね。
その後、にこっと笑顔を取り繕い、レオン様と言葉を交わし始めた。
『先日はすみません。突然、体調が悪くなりまして……戦場を後にしてしまいました。体調が万全なら、聖女の奇跡ですぐに治せたというのに……』
『そのことはいい。俺にとっては忘れたい出来事だからな』
そりゃあ、あんな瀕死の容態になったものね。忘れたいに決まっている。
『ですが、今は回復されているようなんですね。助かってよかったですわ』
『あの場には優秀な軍医がいたからな。そのおかげもあって、怪我をする前より健康なくらいだ』
『軍医……?』
確かあの場にはフィーネもいたと思うけど……。
あの役立たずが、レオン様の傷を癒せるわけないわよね。仮にそんなことがあったとしたら、見た目以上にレオン様の傷が大したことがなかったということ。
なにかの聞き間違いだろう。
そう思った私は、そのことを深く問いただしたりしない。
『まあ……レオン様にとっては、どうでもいいことかもしれませんね』
『…………』
レオン様は無表情なまま。
なにを考えているか分かりにくい。
こんなんだから、その歳まで独身なのよ!
『縁談の話に移りましょうか。この度は──』
その後、レオン様といくつか言葉を交わしたが……『フィーネじゃないと意味がない』と取り付く島がなかった。
そして縁談話になんの成果も得られず、屈辱に塗れた帰宅となったわけだ。
「お父様もお父様よ。フィーネを結局、ランセル公爵家に向かわせるのだから」
無論、お父様もそんな真似は嫌だったはずだ。
お父様は誰よりも、フィーネのことが嫌いだった。
だから戦場に放り込ませて、あわよくば死んでくれれば……そう考えていた。
しかしお父様の期待を裏切って、フィーネは今まで生きている。
「さっさと死ねばいいのに……」
そんなヘルトリング伯爵家の汚点を、レオン様の前に出したくないんだろう。
だけどレオン様がフィーネを呼んでいるのはどうやら事実のようだ。
伯爵家である私たちが、その頼みを無下にすることは有り得ない。
お父様は断腸の思いで、フィーネを向かわせたといったところだろう。
「フィーネもすぐに帰ってくるはずだわ。あの男にどんな酷いことを言われるやら」
そう思って、溜飲を下げる。
そしてレオン様は気付くだろう。やっぱり勘違いだった……と。私を再び求める。
「なんてったって、私は聖女なんだからね」
人々の憧れの的。
私と結婚するなら、世の男性はどんな貢物でも寄越すだろう。
だけど凡夫とは結婚するつもりは、さらさらない。
最高級の私に釣り合う男は、それと同等……いや、それ以上に上等なものでなければいけないからね。
「それに……もし手に入らないなら、全て壊しちゃえばいいわ。私にはその力があるのだから」
私は自分の手の平を見る。
黒炎が右手に宿る。それは聖女らしからぬ邪悪な揺らめきであったが、不思議とそれを見ていると安心感を覚えた。
「ああ、結婚話を断られて、泣きながら帰ってくるフィーネを見たいわ。そうすれば、ちょっとは気が晴れるからね!」
その頃、フィーネがレオンとの間で契約結婚を成立させていたことを、無論コリンナは知らなかった。




