43・幸せな軍医、サイラス邸に到着する
馬車に揺られて半日。
ようやくレオンの弟──サイラス様の邸宅に辿り着いた。
「やあやあ、今日は遠いところから来てくれて、ありがとう」
人懐っこい笑顔を浮かべて、サイラス様が玄関で出迎えてくれた。
柔らかい雰囲気の男性である。
感情表現がそれほど豊かではないレオンとは対照的に、朗らかな印象を受けた。
だけど目元がレオンとよく似ていて、このあたりはやっぱり兄弟だなと思った。
「こ、こちらこそ、本日はお招きたいただき、ありがとうございます。まだ勉強中の身であり、多々お見苦しいところを見せるかもしれませんが、何卒……」
「そんなにかしこまらなくても十分だよ。今の僕は公務からも外れて、家業は兄に任せて好きに生きている道楽ものだから」
苦笑し、サイラス様が答える。
やっぱり話しやすい印象も受ける。
私は人見知りするタイプなんだけど、サイラス様の前だったら、それほど緊張しなかった。
「アレクも久しぶりだね。元気にしてた?」
「はい」
アレクさんも短く答える。
あれ……?
いつものアレクさんと違っているような……。
何故だか、サイラス様のことを警戒しているような雰囲気を感じる。
サイラス様はレオンの弟だし、話に聞いてみると会うのは初めてじゃないのに……どうして、そんな顔をするんだろう?
「アレクも相変わらずだ。あ、そうそう。紹介するのは僕だけじゃなくて……」
疑問に思っている最中、サイラス様が後ろに視線を向ける。
「アネット、出てきなさい。兄のお嫁さんとアレクに挨拶をなさい」
先ほどからサイラス様の背中に隠れている女の子。
サイラス様が話しかけると、女の子は無表情のまま背中から顔を出した。
「…………」
しかしなんの返事もない。
人懐っこいサイラス様とは違い、お人形さんのような印象を受ける女の子であった。
失礼かもしれないが、瞳に生気が宿っていないと言うべきだろうか──どこを向いているか分からなかった。
五歳くらいだろうか。
女の子は私とアレクさんをじーっと見て、口を開こうとすらしなかったが、私はこんなことを考えていた。
この子、可愛い……っ!
陶磁器のような肌。
全体的に漂う物憂げな感じ。
それら全てが私の嗜好ど真ん中で、つい抱きしめたくなってしまった。
まあ、いきなりそんなことをするのは失礼すぎるので、我慢するけどね。
贅沢を言うなら、この子の無垢な笑顔が見たいと思ったけど……一向に表情が変わる気配がしない。
「アネットちゃん、よろしくね。私、フィーネといいます」
アネットちゃんに視線を合わせて、そう挨拶をする。
しかしアネットちゃんは無表情のまま、再びサイラス様の背中に隠れてしまった。
「ははは、ごめんごめん。アネットは昔からこうなんだ。人見知りするタイプで、僕や元妻以外に懐こうとしない。僕ですら、アネットの笑顔を見たことがないんだ」
それはちょっと驚き。
私ならともかく、親であるサイラス様の前でも笑わないなんて。少し異常な気もする。
しかし世の中には色々な子どもがいる。そういう子どももいるんだろうと自分を納得させた。
あまり笑わないなんて、昔の彼女を見ているような。
遠い昔のことを思い出し、私は懐かしいような寂しいような──複雑な気分になった。
「さあさあ、長旅も疲れだろう。挨拶はこれくらいにして、まずは荷物を置いてきなよ。部屋ならフィーネ様とアレクの、二人分を用意してるから」
「ありがとうございます。では、お言葉に甘えて……」
そう言って、サイラス様に案内してもらう。
家の中は結構広い。私やアレクさんに部屋を用意しても、まだまだ全然余るくらいだ。
ちなみに……使用人のような人物は常駐していない。
定期的に家事をやりにくる人はいるらしいけど、エマさんのように住み込みで働く侍女も皆無。
公爵家の人間なのに、これだけ慎ましく生きようとするのは珍しく映った。
伯爵家の私ですら、家の中には複数の使用人がいたからね……。
まあお父様や妹のコリンナが贅沢好きだったので、家の規模以上に見栄を張っていた節はあるけど。
ここも公爵家の人間としては慎ましいというだけで、平民とは比べものにならないくらい立派だ。
もしかしたら私の感覚がずれているかもしれない──そう思うことにした。
そんなことより、私が気になったのは。
「アレクさん? 先ほどから口数が少ないように思えますが、どうかされましたか? 体調でも悪いんですか?」
「いえいえ、そんなことはありませんよ。私も久しぶりにレオン様の弟様に会えて、いささか緊張しているだけです」
アレクさんを気遣うと、彼からは気丈な言葉が返ってきた。
ほんとかな?
私やレオンでしか気付けないと思うけど、さっきから色々なところに視線を巡らせているような……。
まあアレクさんもそういう日があるんだろう。深く考えなかった。
「わあ……! 広いですね!」
サイラス様に部屋まで案内され足を踏み入れると、想像していたよりも中は遥かに広くてキレイだった。
「ごめん、こんな狭い部屋しか用意出来なくて……実家はもっと立派だっただろ?」
「いえいえ、そんなことはありませんよ。同じくらいです」
これは本当。
レオンの屋敷では、臨時の部屋をあてがわれていた……が、私と結婚が成立したのち、別の部屋に移ってもらう話が出た。
とはいえ、私が「このままでもいい」と固辞したため、その部屋のままになっている。
広すぎたら、それはそれでお掃除が大変だしね。
そのようなことを説明したら、レオンに『どうして君が掃除のことを考える必要があるんだ』と溜め息を吐かれたことを今でも思い出せる。
「だから──ありがとうございます。サイラス様はレオンに似て、とてもお優しいですね」
「話に聞いてた通り、謙虚な人だね。兄が惚れるのも理解出来るよ」
肩をすくめるサイラス様。
その後、「なにかあれば言ってね」と言い残し、サイラス様とアネットちゃんは去っていった。
「アレクさんも隣の部屋なんですよね?」
「ええ。私はフィーネ様の護衛ですからね。なにか不測の事態が起こらないとも限りませんし、出来るだけあなたの近くにいたかったんです」
とアレクさんが返事をする。
不測の事態……って、アレクさんは考えすぎなんじゃ?
屋敷の外に出るならともかく、中にいる限りはなにも起こらないはず。
レオンには『気負いすぎるな』と言われたけど……それはアレクさんにこそ言う台詞だと思った。
「少しゆっくりしましょう。アレクさんと一緒にいたから、道中は飽きなかったけど……ちょっと疲れたから」
「では、紅茶をお淹れいたします」
「それは有難いですね。でも、アレクさんも体を休めるべきです。ここは私が──」
先んじて動こうとすると、それよりも早く、アレクさんがどこかに行ってしまった。
そして一分も経たないくらいだろうか。
アレクさんは部屋に戻ってきて、「どうぞ」と私に紅茶を渡してくれた。
どこから取り出したんだろう──そもそもいつ用意したんだ──と思ったが、アレクさんのこういう姿を見るのは初めてではない。
「あ、ありがとうございます」
だから──全く戸惑っていないというのは嘘だけど、テーブルの前に座って紅茶を頂いた。
美味しい……!
こんな短い時間で美味しい紅茶を淹れるなんて……アレクさんの素早さに、あらためて感服した。
「さすがはアレクさんですね。《疾風の騎士》の二つ名はだてではありません」
「お褒めにいただき光栄です。ですが、その二つ名は恥ずかしいので、あまり言ってほしくないんですが」
苦い顔をするアレクさん。
「紅茶に限らず──この屋敷にいる間、なにかを口にする場合は、必ず私の前でしてください」
「どうしてですか?」
「毒──い、いえ……フィーネ様の口に合わないかもしれませんので」
なにかを言いかけたように思ったけど、アレクさんはすぐにそう言い直した。
私が首を傾げても、彼はニコニコと笑っているのみ。
「私のために、そこまでしてくれるなんて……ありがとうございます。レオンとはしばらく会えないけれど、アレクさんがいてくれて本当によかったです」
「これが私の仕事ですから。それにしても……フィーネ様、変わられましたね」
「なにがですか?」
「昔はなにかあれば、すぐに謝っていました。なのに、先ほどからお礼の言葉ばかりでしたので」
そういえばそうだった……。
元々の私は感謝を伝えるより、謝罪の言葉が先に出ていた。
それは実家にいる頃、なにかあればお父様やコリンナの逆鱗に触れ、酷い目に遭っていたからだ。
謝ることが私の社交術だった。
だけどレオンと結婚して、随分と私も前向きになったものだ。
レオンの弟様にお会い出来て、気分が上がっているというのもあるけど。
やっぱりここに来てよかった。
後はアネットちゃんと仲良くなれればいいんだけど──アレクさんが淹れてくれた紅茶を啜りながら、そんなことを考えていた。
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