23・疾風の騎士
男の喉元からつーっと細い血の筋が出来て、地面に滴り落ちる。
もちろん、アレクさんもそれは以上は押し込まないものの、彼の尋常ならざる気に男は言葉を発せずにいるようだった。
「マルコ、てめえ! こんなところにいやがったのか!」
一秒が一分に感じられるほどの凝縮された時間。
その静寂を切り裂くかのように、野太い男の声が訓練所に響き渡った。大柄な男がこちらに駆け寄ってくる。
ゴードンさんだ。
「ん……? 誰かと思えば、フィーネじゃねえか? どうだ? 元気にやってるか」
「はい、おかげさまで。そんなことよりも……」
「ん?」
ゴードンさんが、アレクさんと剣先を突きつけられている男──マルコさんというらしい──に顔を向ける。
「おお、アレクもいたのか」
「はい。そんなことよりもゴードン。この騎士は教育が足りていないようですね。これは上司であるあなたの責任では?」
「それは……反論出来ねえ。言い訳にはなるが、そいつは騎士になってまだ日が浅いんだ。訓練をよくサボりやがるし、困ったもんだよ」
とゴードンさんは頭を掻いた。
──どうしてこの状況を見て、軽い世間話をしているかのようなんですか!?
朗らかな雰囲気の二人を見て、私は混乱していた。
しかし気軽そうだったのはアレクさんとゴードンさんだけだったみたいで。
「た、隊長〜」
さっき突っかかってきた威勢はどこにいったのか。
マルコさんが情けない声を出す。
「マルコ、てめえはどうしてそんなに泣きそうなんだ?」
「こ、この臆病坊や……じゃなかった。アレクさんが怖くって……」
「そりゃそうだろ。その様子だと、てめえがアレクに喧嘩を売ったんだろ? 『疾風の騎士』に喧嘩を売るなんて、バカな真似をしたな。まあその気概は誉めてやってもいいが」
呆れた様子でゴードンさんが口にする。
疾風の騎士?
アレクさんのことを言ってるんだよね……?
そう思い、アレクさんの顔を見る。
彼は私の視線に気づいて、ニッコリと笑みを向けた。
「丁度いい機会だ。アレクに教えてもらえ。本当に強いヤツってのはどうなのかを」
「これ以上はさすがに嫌ですね」
一瞬アレクさんは顔を顰めて、マルコさんから離れた。
解放された彼はへなへなとその場にへたりこむ。どうやら腰が抜けたようである。
「大丈夫ですか?」
あまりにも可哀想だったから……私はそう言って、マルコさんに治癒魔法をかけてあげた。
血が出ているとはいえ、薄皮一枚が傷ついただけなので、治癒魔法で治すまでもないと思うけど……。
「フィーネ、そんなヤツに貴重な治癒魔法を使わなくていいぜ。唾でも付けとけば治る」
「でも……」
「フィーネ様はお優しい方ですからね。そういうところにレオン様は惚れたのです」
ゴードンさんの言葉に、アレクさんが柔らかく答えた。
なにか聞き逃してはいけない言葉が聞こえた気がするが、それよりも今の私は治癒魔法に集中していた。
「……はい。これで完了です。どうせだから、肩凝りも治しておきましたよ。どうですか?」
「あ、ありがとう……」
ぼんやりと私を見上げるマルコさん。まだ腰が抜けたままだけど、この調子だと大丈夫そう。
「そんなことより、アレクさん。先ほど疾風の騎士という言葉が聞こえたんですが……」
「あまりフィーネ様には知られたくなかったんですけどね。なんだかダサいですから」
苦虫を噛み潰したような表情になるアレクさん。
「こいつはな、こんな顔をして騎士の中でもかなり強い部類に入るんだ」
そんな彼の代わりに、ゴードンさんが答えてくれた。
「執事なんて真似をしていなかったら、隊長になっていただろうな」
「そんなに……」
「疾風のごとき速度で動けるアレクは、音もなく敵を殺す。敵はアレクの背中を見てから初めて、自分が絶命したことに気付くんだ。疾風の騎士はそんなアレクに、オレが付けてやった異名だ。どうだ? カッコいいだろう?」
「付けるなら、もっとまともな異名を付けてくださいよ」
アレクさんはそう嘆息する。
「そんなに強いのに、どうして執事も兼任しているんですか?」
「私は争いが嫌いですからね。本来なら騎士になりたいとすら思っていなかったんですよ。しかし実家が代々、騎士を輩出している一家だから……仕方なく、有事には剣を取っているだけです。それに……レオン様をお守りしたいですからね」
そう言うアレクさんの表情は憂いを帯びているように見えた。
確かに……アレクさんが纏う雰囲気は、戦場に似つかわしくない。
先ほど、マルコさんの後ろに回り込んで、剣を突きつけた時の殺気には思わず鳥肌が立ってしまったけれど。
「そんなアレクと、最強のレオンがいてなお、勝てなかったバティストの強さが際立つな」
「全くです」
一転、空気が重苦しいものとなる。
バティスト……どこかで名前を聞いたことがあるような。
「それはどなたでしたっけ……?」
「剣神バティスト。帝国にいる最強の剣士と呼ばれる男だ。先の戦場ではアレクとレオンがバティストに戦いを挑んだが、二人揃って返り討ちに遭っちまった」
「その戦いで傷ついたレオン様を、フィーネ様が助けてくださったということですね」
そんな事情だったんだ……。
正直、今の動きを見てアレクさんが負けているところが想像しにくい。レオン様だって同じだ。
そんな二人を相手取って、遅れを取らないどころかあれだけの傷を付けるなんて……。
バティストの恐ろしさが、聞いているだけで十分に理解出来た。
「す、すごくお強いんですね」
「ああ──しかしあの戦場でのバティストは少々異常だった気がするんだがな」
「そうですね。今まで彼とは何度か剣を交えたのですが、あそこまでは強くありませんでした。だからこそ、レオン様と戦いを挑んだわけです。あの時の彼は……そう、なにかに操られているようでした」
神妙な面持ちで考え込む二人。
しかしここで考えても結論は出ないと考えたのか。
「おっと、そろそろオレは訓練に戻らないとな。そうしねえと、こいつみたいにサボる輩が出てくる。なあ、マルコよ」
「ひっ!」
ゴードンさんに視線を向けられると、マルコさんは短い悲鳴を発した。
「さっさと行くぞ! アレクに鍛えられた性根を、オレがさらに磨きあげてやる!」
「い、嫌だ……もう、走りたくない……」
救いを求めるかのようにマルコさんは手を伸ばすが、そんな彼の首根っこをゴードンさんが掴む。
そしてずるずると引きずるように、その場を後にしていった。
「……ごちゃごちゃ言っていましたが、要はゴードンの厳しい訓練に付いていけなかっただけのようですね」
「そのようです」
マルコさん……頑張ってください。
手を合わせて、彼の健闘を祈った。
「では、そろそろ屋敷に帰りましょうか? あなたも治癒魔法も使ってしまいましたし」
「はい。ありがとうございました、アレクさん。疾風の騎士の強さが分かって、私も勉強になりました」
「あなたにあまり、その名前で呼んで欲しくないんですがね」
嫌そうな表情を作ったアレクさんを見て、私はクスクスと笑うのだった。




