44.勇者グスカスは、罰を受ける【後編】
勇者グスカスは、夢を見ていた。子供の頃の夢、ありし日の夢だ。
それはグスカスが、10歳だった頃の話だ。
『…………』
朝。グスカスは目を覚ます。
そこは自分にあてがわれた部屋だ。大きな部屋には、たくさんの物であふれかえっていた。
最新の玩具。吟遊詩人の話す物語を集めた絵本。
その場にあった物は、どれも高価で、とても平民が手出しできないような代物だ。
それでもグスカスが望めば手に入る。欲しいと言えば、何でも手に入るのだ。
『…………』
グスカスは立ち上がる。そしてベッドの脇に置いてあった、ハンドベルを鳴らす。
『おはようございます、坊ちゃま』
ほどなくして、自分の世話係であるメイドがやってくる。
『ちっ……! くるのがおせえんだよ! おれさまを待たせてるんじゃあねえ!』
やってきたメイドに、グスカスはハンドベルを投げつける。メイドの顔に当たる。
『も、申し訳ございません……ぼっちゃま……』
『ちっ……! さっさとおれさまを着替えさせやがれ』
メイドが不愉快そうに顔をしかめる。
『あ~? なんだよその態度はよぉ……』
グスカスがにらみつける。
自分は勇者だ。選ばれた存在なのだ。誰からも愛されるべき存在に、このメイドは、あろうことかにらみつけている。悪感情を向けてくる。
『おまえおれさまにそんな態度取って良いと思ってるのかよ!』
グスカスが怒鳴り散らすと、メイドの女は、言った。
『……もう我慢できない』
メイドは立ち上がると、部屋を出て行こうとする。
『お、おい待てよ!』
グスカスは立ち上がり、メイドの後をつけていこうとする。だがメイドは立ち止まり、振り返って言う。
『もう我慢できません! あなたのわがままにはもううんざり! 今日限りでお世話係を辞めさせてもらいます!』
大人から、大きな声で怒鳴りつけられる。グスカスはびくっと体を萎縮させるが、
『あ、あーそうかよ! でていけよ! 辞めちまえ! 父上にはおれさまから言っといてやるよ!』
そう言うとメイドはさらに顔をしかめる。ドアを乱暴に開けて、外に出て行ってしまった。
『……………………ち。また辞めやがった。これで何人目だよ』
グスカスは独りごちる。
これは今日に限った話じゃない。自分に与えられた世話係は、すぐにやめていくのだ。
『……なんだよ。なんでやめてくんだよ。どうして、おれのそばから、みんな消えてくんだよ』
グスカスは、そう呟く。
……幼いグスカスには、わからなかったのだ。どうしてみんな、自分の元を離れていくのかと。
なぜなら、彼を叱りつける大人は、この城にはいなかったからだ。
グスカスは王の息子。当然、部下たちは自分を叱れない。間違えをただせない。
子供の間違えをただしてくれるのは、親しか居ない。
だがその親は、どちらもグスカスに、注意なんて一度もしてこなかった。
……まあ、ひとりだけ、自分にあれこれうるさく言ってくるおっさんが、いるけれど。
彼は城に常駐はしていない。
各地で発生してる、魔王軍の相手をしているため、ここにはあまり帰ってこないのだ。
『……はやく』
帰ってこないかな、という言葉を、グスカスは飲み込む。バカか。あんな口うるさいおっさんなんて、居ない方がせいせいする!
……だがこの場に彼がいれば、どうしてメイドが怒って出て行ったのか。教えてくれるかも、知れなかったけれど。
『……うるせえ。あんなおっさんのこと、どうでもいいし!』
グスカスは気を取り直す。
自分で服を着替えて、部屋を出た。
廊下を、胸を張って歩く。勇者とは、王の息子とはそういうものだから。
目指す先は、家族たちのもとへだ。
朝起きたら、まずは家族に挨拶しにいくものである。
やってきたのは、弟キースの部屋だった。
『おらキース! おれさまが遊びに来てやったぜ!』
ドアを開けるが、そこには……。
『……ンだよ、いねえのかよ』
部屋には誰も居なかった。どこへ行ったのだろうか……?
次にグスカスは、妹たちの部屋を訪れる。第一王女、第二王女の部屋へいくが……。
『いねえし……。どこいったんだ……?』
と、そこでグスカスは、思い出した。先日新しく、家族が増えたことを。
『…………』
グスカスは進路を、母の寝所へと向ける。
廊下を歩き、到着したのは、母の居るだろう部屋。
グスカスはドアの前に立つ。
ドアノブを手にした、そのときだ。
『『かわい~~~~~~~~~♡』』
中から幼い女の子の声が、聞こえてきた。
グスカスは、恐る恐る、ドアを開ける。
中に居たのは……母と、そして弟、妹たちだ。
ベッドに、母が座っている。
その周りに、弟と、そして妹たちが居る。
母の胸には、先日生まれたばかりの妹、第三王女ミラピリカが、抱かれていた。
『おかあさま♡ わたくしにピリカを抱かせてくださいまし♡』
第二王女サンクマリカが、母にそうせがむ。
『ちょっとマリカ! あたしの方が先よ! あんたはすっこんでなさいよ!』
そういうのは、第一王女ヴィクトリカだ。
『ヴィクトリカおねーさま。ひどいですわ。わたくしのほーがさきにいったのに~……』
長女のヴィクトリカ、次女のサンクマリカ。そして先日生まれたミラピリカ。
さらに……。
『ねえさまがた。ピリカが起きてしまいますよ』
ほほえみながら言うのは、第二王子キースだ。
『たしかにキースの言うとおりね……。マリカ、あんた黙って引っ込んでなさい』
『あら♡ ヴィクトリカねえさまのほうが、うるさかったですよ♡』
『マリカあんたねー!』
ぎゃあぎゃあと、賑やかに騒ぐ妹たち。母とそして弟は、その姿を見てほほえんでいる。
『…………』
さて、その一方でグスカスはというと……。
その輪の中に、入ろうとしなかった。
『…………』
グスカスは、中に居る家族たち……いや、中に居る彼女たちを見やる。
彼女たちの、髪の毛を見る。
第一王女も、第二王女も。
第二王子も、そして第三王女も。
みな、母と同じ、銀の髪をしていた。
『…………』
グスカスは、自分の髪の毛を触る。自分の髪は、輝くような金色だ。
あのおっさんジューダスは、太陽の色だと言って褒めてくれたが。自分は、この髪の毛が……嫌いだった。
『…………』
中の家族たちは、みな銀の髪の毛をしている。母も、兄弟たちも。
家族の輪の中だけで、自分だけが、この金の髪の毛なのだ。
……それは、まるで自分だけが、のけものにされているように思えるのだ。
自分だけが、異質な存在であるように、思えてしまうのだ。
『…………』
グスカスは、中に入らず、そのまま部屋を後にしようとした、そのときだ。
『おや? どうしたのだグスカスよ』
『父上……』
やってきたのは、父グォールだった。
真っ白な髪をした、初老の父を見て、グスカスはため息をつく。
『中に入らぬのか?』
『……入らねーよ』
あの輪の中に、グスカスは入れなかった。あの場に居る人間たちと、自分は違うから。
グスカスは知っている。あの中に居る【母】は、自分の本当の母ではないことを。
その証拠に、母と自分とは、髪の毛の色が違う。
銀髪じゃないと、あの中に入れない。それが通行証のように、幼いグスカスには思えていたのだ。
『……ふむ』
父にそんな心情は、伝わらないだろうと思い、グスカスはその場をあとにしようとした……そのときだ。
『では、わしも中には入らないことにしようかな』
と、そう言って、グスカスをよいしょと持ち上げたのだ。
『な、なにすんだよ親父! 離せよ!』
グスカスが暴れる。親から抱っこされるなんて、恥ずかしいじゃないか。
『おおグスカスよ。おぬしも大きくなったなぁ』
ニコニコしながら、グォールが言う。
『うっせえ! 離せってば!』
『そうか? いやそうだな。おぬしはもう10だった。もう子供じゃないな。子供扱いしてすまなかった』
グォールがグスカスを下ろそうとした。グスカスは慌てて言う。
『お、おい! べ、別に下ろせなんて……言ってねえよ!』
離せとは言ったけど、別に下ろせと入ってない。親に抱っこされていることは、恥ずかしいけど……でも、嫌じゃないのだ。
『ん? そうか。そうだったな、すまん』
そう言って、父がグスカスのことを、ぎゅっと抱きしめる。……途方もない安心感を覚えるグスカス。
ちらり、とグスカスはグォールの頭を見やる。
『父上も……髪の毛、真っ白なんだな』
言って、凹むグスカス。母や兄弟たち、そしてこの父さえも、自分とは髪の毛の色が違う。
父とも違うのか……と凹んでいると、
『仕方あるまい。もう歳だからなぁ。昔はおぬしと同じで、綺麗な金髪だったんだがなぁ』
と、父が言うではないか。
『父上も……金髪だったの?』
『ああ。わしも、そしておぬしの母も、おぬしと同じ色をしていたよ』
言われ、グスカスは泣きそうになった。
そうだ。母や兄弟たちとは違っていても、この人は。
この人だけは、自分と同じなのだ。
この人だけは、父だけは……自分の味方なのだ。
『……おやじ』
グスカスは、父にしがみついて、ぼそっと言う。
『……母上みたいに、すぐに死ぬんじゃねーぞ』
グスカスの言葉に、父が目を丸くする。父はほほえむと、『ああ、わかっているよ』と笑い、グスカスの髪の毛をくしゃくしゃとなでる。
そして、こう言ったのだ。
『おぬしが一人前になり、わしから王位を継ぐその日まで……わしはずっと、おぬしのそばに居るよ』
☆
……話は戻って、現代。
降臨祭での騒動が終わって、数日が経った、早朝のこと。
勇者グスカスは、ひとり、王城の門の前に居た。城を追い出され、これから当てもない旅に出るところだった。
「…………」
グスカスの背後には、誰も居ない。
見上げるほどの大きな城があるだけだ。
心配してやってくる人も居なければ、引き留めてくる人も居ない。
グスカスは……一人だった。
「…………」
父が自分に下したのは、王位継承権剥奪の上に追放処分。
つまり自分は、最初からこの家にいなかったという扱いになる。
第一王子という立場を奪われ、そして王位を継ぐという権利を、剥奪されたことになる。
「…………」
グスカスは、おもむろに【ステェタスの窓】を開いた。
これには、自分の能力値や、そして自分に与えられた【職業】が表示される。
かつて。
そこには、二つの職業が書いてあった。
【王子】
【勇者】
グスカスは、ふたつの職業を持っていた。世界でも珍しい事例であった。
本来なら、職業はひとりにつきひとつだった。だがグスカスだけが、特別だった。
さて。
かつて職業欄には、二つ書いてあったのだが……。
「…………なんも、ねえ」
職業欄は、なんと、空欄になっていたのだ……。
今現在、グスカスは【無職】ということになる。
「王子でもなければ……勇者でもねえ……ってことか……」
追放処分を言い渡されたその日。
グスカスは、職業欄から王子の職業が消えた。そして、なぜか勇者の職さえも消えたのだ。
……そして職業が消えたことで、グスカスの能力は、大いに減少した。
腕力や丈夫さといった、能力値は大いに退化。
そして保有していた【技能】も、無くなっていた。
今この場において、グスカスはとてつもなく貧弱な存在へと、成り下がっていた。
この状態でだと、あの弟とけんかしても、負けてしまうだろう。
「……ちくしょう」
グスカスは惨めな気持ちになった。その場にしゃがみ込んで、ひとり泣く。
「全部……全部なくなっちまった……ちくしょう……ぢぐじょ゛ぉ゛ー…………………………」
後から後から、涙が垂れてくる。
グスカスは、すべてを失った。
王子という立場も、勇者という特別さも。
帰る家も、兄弟も。
地位も、名誉も。
そして……。
「おやじ……おやじぃ~………………」
唯一の味方だった、父親さえも。自分を、外に追いやった。いらないものとして、捨てられた。
あの日。
父親は約束したはずだった。
「ずっと……ずっと俺のそばにいるんじゃなかったのかよぉ~…………」
家族と上手くやっていけなくて。家族の輪に入っていけないで居た、グスカスに。
唯一優しくしてくれたのが、父グォールだった。
グォールは、どんなときでも、グスカスの味方だった。なのに……。なのに……。
その父からさえも見捨てられた。唯一の味方さえも、失ってしまった。
「…………………………………………………………俺は、からっぽだ」
グスカスは呟く。
「俺には……なんもなかった。なんもなかったんだ……」
失って、ようやく気がついたのだ。
満ち足りていたと思っていた、自分の人生には。その実、何もなかったのだと。
自分が持っていたものはすべて、誰かから与えられた物だけだったたのだと。
地位も、名誉も。勇者の職業さえも、自分のものじゃなかった。
全部誰かから与えられ、グスカスがただ、持っていただけにすぎない物だったのだ。
何一つとして、自分で勝ち取っていた物はなかったのだ。
だから……こうして与えられた物を没収された後。
なにひとつとして、自分の手には……残っていないのだから。
そう……。
自分には、何もない。
何もかもを失った。
自分は、からっぽだ。もう、何もない。
ひとりで……。
さみしい……。
と、思っていた……そのときだった。
「グスカス様ぁーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!」
背後から、大きな声がした。
自分を呼ぶ声……? いや、そんなものあるわけない。
皆自分の元を去って行った。
自分を気にかけるものなの、誰も居ないのだ。
先ほどの声は、幻聴だ。
グスカスはその場から離れようとするが……。
「グスカス様ぁあああああああああああああああああ!!!!」
やはり、幻聴じゃないのか?
はっきりと、声が聞こえた。
グスカスは、振り返る。いやまさかと思いながら。
そして……そこには、居たのだ。
「雫……」
銀髪に、褐色の、鬼少女。
雫が、グスカスの元へ、笑顔でやってきたではないか。
「おまえ……どうしたんだよ……?」
喜びよりも、戸惑いの感情の方が強かった。グスカスは、こちらに駆け寄ってきた鬼少女に、尋ねる。
雫はグスカスのそばまでやってくる。
そしてにこりと笑って、こう言ったのだ。
「グスカス様、ぼくを、一緒に連れて行ってください!」
連れて行ってください……?
一瞬、何のことを言ってるのか、理解できなかった。徐々に、理解が及んでくる。
こいつは、ついてくるといっているのだ。一緒に、追放されるといっているのだ。
そのときの……喜びの感情は、とてもじゃないが、言葉で表せなかった。
グスカスはしばし呆然と、鬼少女を見やる。そしてじわり……と涙が、自然とこぼれ落ちた。
それと同時に、疑問もわく。
「……雫。どうしてだ?」
「はい? どうして……とは?」
グスカスは立ち上がる。
この小さな少女を見下ろしながら、尋ねる。
「どうして……俺と、一緒に来てくれるんだ?」
それがわからなかった。グスカスはこの少女に対して、何もしてこなかった。
酷い言葉を投げかけたこともあった。ボコボコに殴ったこともあった。横柄な態度をとり続けていた。
とてもじゃないが、この子が自分についてくる理由は、見当たらなかった。
だからわからなかった。どうして、一緒に来てくれるのか? どうして、一緒に居てくれるのかと。
「そんなの、ひとつしかないですよ……」
すると雫は、にこりと笑った。
頬を赤らめて、目を潤ませて。
まるで、恋する乙女のように……。
まるで、愛する人に言うように……。
「ぼくがグスカス様のことを……愛してるからです!」
……その言葉を聞いて、グスカスは。
雫に対して、とてつもない、愛おしさを感じた。
「雫……」
グスカスは、雫に近づく。小さな体を、そっと抱き寄せる。
「雫ぅ…………」
ぎゅっと抱きしめる。すると確かなぬくもりを感じた。ぎゅっ、と雫も抱き返してくる。
「雫ぅーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!」
グスカスは、力一杯叫んだ。胸にあふれる喜びの気持ちと、少女に対する愛おしさを、表現するように。
「好きだ! 俺も! お前のことが好きだ! 好きだぁぁああああああああああああああああ!!!!」
もう、グスカスの頭に、あの白髪少女の姿はなかった。
あいつよりも、今目の前で、愛してると言ってくれたこの少女のことを。
グスカスは、好きになっていた。愛していた。
すべてを剥奪され。何もないと気付かされ。
何もない自分に、それでも雫は、愛してると言ってくれた。
その優しさに、グスカスのすさんだ心は、癒やされた。その大きな愛が、グスカスの胸に空いた穴を埋めてくれた。
もうこの子しかいない。
俺には、この子しかいなかった……。
「好きだ! 愛してる! ずっと俺のそばに居てくれ! 俺のそばから、居なくならないでくれーーーーーーーーー!!!」
早朝の空に、グスカスの声が響く。
切実すぎる願いが、そこには込められていた。
雫は、自分の胸の中で、ぎゅっと抱き返してくる。
「はいっ! ずっとあなたのそばにいます! 死が二人を分かつまで、ずっと、ずっと!!!」
グスカスはその言葉に、途方もない安堵と、安心、そして安らぎを感じた。
グスカスは思った。この子を、もう絶対に手放さないと。
空っぽになり、何もなくなった自分がつかんだ、唯一の存在を……。
グスカスは、絶対に手放すまいと。決意を込めて。
小さな少女のことを、いつまでも、抱きしめているのだった。
☆
……だから、気付けなかった。
胸の中で、雫が。
冷たく、酷薄に、笑っていたことを。
グスカスは……気付けなかったのである。
次回で4章終了、5章へと続きます。
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