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35.鬼の雫は、勇者グスカスをあざ笑う




 雫は鬼族と呼ばれる、亜人の一種として生まれた。


 鬼族は、元々はこの世界にはいない種族だった。


大穴ワンダーホール】を通して、一族はこちらの世界へとやってきた。ようするに彼女は、この世界における異世界人と言える。


 さて。


 そんな雫は、両親や親戚たちとともに、この世界の片隅で、ひっそりと暮らしていた。


 だがある日、雫たちの暮らす集落に、魔王が襲来。自分以外の鬼族、すべてを亡き者にした。


 雫は自身の無力さを嘆き、そして魔王への激しい憎悪を募らせた。


 だが自分は無力な子供。


 そしてこの世界において、自分以外に信頼できる人間はいない。


 なぜなら自分は異世界人であり、雫を知る親しき人たちは、魔王の手により死んでしまったからだ。


 雫はこの世界においてひとりぼっちだった。


 一人きりでこの世界を生き抜くだけの能力が無かったため、彼女は奴隷に落ちた。


 王都にある娼館に売り飛ばされ、娼婦として、雫は働くことになった。


 幸いにして、雫は飛び抜けて美しい美少女だった。鬼族の女は、みな絶世の美女として生まれるのである。


 娼館のオーナーは、そんな自分の容姿を高く買ってくれていた。


 あくまで商品としてだが、それでも丁重に扱ってくれた。


 だから娼婦として働かざるをえないことに対して、雫はさほど嫌悪感を抱いてなかった。


 最も腹立たしいことは、自分の両親を殺した魔王。その魔王に、一矢報いることのできない、非力な自分に対して。ただ自分の力のなさにだけ、雫は怒りを感じていた。

 家族を殺したあの魔王が憎い。憎い。憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い。


 あふれんばかりの憎悪を、しかし雫はいっさい表に出さなかった。


 顔に出してしまえば、自分の商品としての価値が下がってしまうから。


 娼婦は何より、男に気に入られる必要があった。


 むすっとした女や、いつも怒っているような女に需要がないと。雫は他の娼婦たち、周りを見ながら、学習したのだ。 


 また雫は自分の見た目を、客観的に評価できていた。自分には見た目だけしかないことも、わかっていた。


 だから雫は、商品価値を下げないよう、心の内に沸き立つ感情を、必死になって押さえ込んでいた。


 幼いうちから、そうやって憎しみを押さえ込んでいたからだろう。


 いつからか、雫は自分の感情を、百パーセント、完璧にコントロールできるようになっていった。


 煮えくりかえるような憎悪を胸の内に抱えながらも、ニコニコと無邪気な笑みを浮かべ。男にこびるすべを、雫は身につけたのだ。


 怒っていても笑える。悲しくても笑える。どんなときでも笑える。


 感情を完全に制御できる。それが、雫の唯一無二の武器だった。


 さて。


 娼婦として働ていたある日。ついに魔王が打ち倒されたことを、雫は知る。


 雫は歓喜した。自分の両親の敵を、討ってくれた人間がいると!


 雫はその日だけ、自分の感情を制御できず、感涙にむせた。


 ありがとう……ありがとう! と名前も知らぬ恩人に、雫は両親のかたきを討ってくれたことを、ひたすらに感謝した。


 そしてこうも思っていた。両親のかたきを討ってくれた人に、会いたいと。切実に、思っていた。


 ……そんなある日。


 雫のもとを、ひとりの男が尋ねる。


 銀髪の青年は、雫に向かってこう言った。


【あなたの一番会いたがっている人に、会わせてあげましょうか?】



 ……これが、第二王子キースとの、ファーストコンタクトである。



    ☆



 12月23日。


 雫はこの日も、いつも通りに目を覚ます。

 ここは雫に割り振られた寝室だ。雫はかつて、娼婦として娼館で働いていた。


 だが今はキースに買われ、この王城でキースの部下として働いていた。


 雫は目を覚ますと、湯浴みをして、第二王子に朝の挨拶をする。


 その後雫は食堂へ行き、あの【豚】に食わせる【エサ】を取りに行く。


 食堂にて。


 厨房で働くおばちゃんが、雫に挨拶をしてくる。


「雫ちゃん、おはよう」


 雫はパァッ……! と明るい笑みを浮かべると、


「おはようございます、おばちゃん!」


 と、明るくそう言う。


 求められているであろう、【純粋無垢なる少女】として、聞いている人間がそう認識できるしゃべり方で、雫は挨拶する。


「今日もあのバカ王子の食事を取りに来たのかい?」


 雫は、感情のスイッチを持っている。スイッチを押せば、声、表情、所作。そのすべてを完璧に【押したスイッチの感情どおり】に、表現できる。


【怒】のスイッチを、雫は押す。


「もうっ! おばちゃん駄目ですよ! バカ王子なんて言っちゃ!」


【尊敬する人間グスカスをけなされて、怒る雫】を完璧に演じながら、雫は言う。


「グスカス様ですよ! もうっ! ぼくの大事な人をそんな風に悪く言うなんて! ぼく怒っちゃいますからね!」


 かわいらしく頬を膨らませ、ぷんぷんと怒る【演技】をする雫。


 ……本当は内心、一ミリたりとも怒ってない。むしろこのおばちゃんと同意見だ。あの【豚】にエサを持って行くのは、苦痛で仕方ない。


 それでも雫は、心の中の思いをいっさい出さない。求められている【キャラ】を、完璧に演じるのだ。


「まったくほんと、あのバカのどこに惚れてるんだか」


 ……そう。


 自分は、【勇者グスカスに心酔する、純粋無垢なる奴隷の少女】なのだ。


 それを他人は求めているのだ。あの【豚】を含めて。


 だから雫は、心の中にどんな感情を秘めていようと、求められている【キャラ】を演じる。演じられる。


 ……本心は、決して表に出さない。キャラは、決して崩さない。


 いつどこから、あの【豚】に、雫の振る舞いが演技だと、バレてしまうかわからない。


 ゆえに雫は、誰の前でも、【求められているキャラ】を演じ続ける。


 ……ただひとり。

 

 あの人の前だけは、例外だが。


 それはさておき。


 食堂で【豚】の【エサ】を手にした雫は、その足で牢屋へと向かう。


 その足取りは軽い。さも【今からグスカス様に会える! 嬉しい!】と思っているかのような足取りだ。


 もっとも内心では、あの【豚】とまた顔を合わせないといけないのかと、内心で辟易しているのだが。

 

 雫は牢屋にたどり着く。そして【豚】の【飼育小屋】の前までやってくると、


「おはようございます、グスカス様っ!」


 最高の明るい笑顔を浮かべて、【豚】に挨拶するのだ。


【豚】は雫が来ると、


「ちっ。今日も朝からうっせえな、バカ雫」


 フゴフゴと、【豚】らしく鼻息荒くそう言う。自分より下の人間に対してしか、偉そうな態度をとれない【豚】。


 さげすむ感情を心の中にとどめ、雫は【喜】の感情スイッチを押しっぱなしにする。


「えへへ♡ すみませんグスカス様♡」


 その後【豚】がニヤニヤと気持ちの悪い身を浮かべながら、益体のない会話をする。


 世界で一番無駄な時間だが、しかしこれは自分に与えられた【仕事】だと、自分に言い聞かせる。


 そう、キースから自分に与えられたミッション。それは、この【豚】に気に入られること。ただそれだけだ。


【豚】は男だ。男に気に入られるように振る舞うことなど、娼婦をしていた雫にとって、呼吸をするのに等しいくらい簡単だ。


 何をされても笑う。さもあなたに好意を持っているんですよみたいな感じで振る舞う。


 自分の胸や尻など、男がセクシャルを感じるような部分を、無意識に押しつけたり、見せつけたりする。


【豚】は男の中でも、特に知能が残念な部類だ。この【豚】を自分のとりこにすることなど、赤子の手をひねるが如くである。


 現にこの【豚】、いとも容易く、雫に心を開いている。アホすぎる。


 ちょっと献身的につくし、笑顔を振りまいているだけで、【豚】の心は、コロッと雫の手に墜ちた。


【豚】はエサを、わざとゆっくりと食べている。この【豚】は、ちょっとでも長く、雫にこの場に居てもらいたいみたいだ。


 本当は一秒でも早く、このくさい豚小屋から出て行きたいのだが。


 その気持ちを、雫はおくびにも出さず、【豚】の相手を務める。


【豚】を相手しながら、もう一つの仕事をする。


 キースから与えられたミッションは、大きく分けて二つ。


 1つ。先ほども言ったとおり、【豚】に気に入られること。


 そしてもう1つは、


「グスカス様! 今日もグスカス様の大冒険をお聞かせくださいませ!」


 この【豚】を精神的に苦しめることだ。



 ーー雫は真実をすべて知っている。



 誰が魔王を倒したのか。その人物がいまどうなっているのか。そしてこの【豚】が、彼にどんなことをしたのか。


 すべて、余すことなく、自分の上司であるキースから聞いている。


 キースから真実を聞かされたとき、雫は初めて、人を殺したいと強く思った。


 キースに止められなかったら、今頃ナイフを持って、この【豚】の胸にナイフを突き刺していただろう。


 だがキースは言った。それじゃあ駄目だと。


 この【豚】には、死よりも苦しい罰を与える必要があると。


 雫はキースの考えに、心から賛同した。


 雫とキースは、英雄ジューダスを神聖視するという点において、似たもの同士だった。


 簡単に言えば、ふたりとも【ジューダス信者】なのだ。いや、狂信者と言っても良いレベルである。


 キースは真なる英雄ジューダス様のために、全力を尽くしている。


 ならば自分も、キースの大願成就のため、そしてジューダス様のため、全力で自分に与えられた仕事をこなすのだ。


 雫は【豚】を見ながら、わくわくするような表情を浮かべる。


「今日は魔王とのバトルの様子をもっとじっくり教えてください!」


「お、おう……そ、そうだな。や、やつは主に魔法を使ってきた! それをオキシーの反射スキルで……」


【豚】は必死になって、わかりもしないことを、口にしている。


 ……てめえがわかるわけないだろ、この豚。てめえはジューダス様たちを残して、真っ先に帰った臆病者じゃねえか。


【豚】は魔王討伐の様子なんて、知るはずもない。しかし雫に気に入られるよう、必死になって、苦しみながら、嘘をでっち上げる。


 雫は自分の感情をコントロールできる。だからこそ、相手の感情も、手に取るようにわかる。


 相手が喜んでいるのか。怒ってるのか。悲しんでいるのか。楽しんでいるのか。


 相手の心の内を、見透かすことができる。

 だからやつが、最も苦しむ場面を、雫はわかっている。だから無知なふりをして、【豚】が苦しむ場面を騙らせる。


【豚】が必死こいて嘘をつき、その嘘に自己嫌悪していることなど、雫は把握済みだ。


 だからこそそこを攻めるのだ。【豚】が精神的に参ってしまうまで、徹底的に追い込むのが自分の仕事ミッション


 すべては大願成就のため。


 すべては、英雄ジューダス様のため。


 キースが、自分の戦場で戦っているように。自分も、自分の武器をフル活用して、自分の戦いをしているのだった。



    ☆



【豚】の相手をしたあと、雫はキースの部屋を訪れる。


 執務机の前で、キースは何やら話していた。


「……はい。ええ。ああ、そうなんですねジュードさん」


 ……どうやらキースは、【英雄】様と【通信魔法】で会話中のようだ。


「……王都にいらっしゃってるのですか。ええ。え、挨拶に来てくださるんですかっ? 嬉しいです!」


 キースは本当に嬉しそうだった。それはそうだ。英雄様と話せるんだから。嬉しくてしょうがないのだろう。


 ああずるい。自分もジューダス様と会話したい!


「……へぇ。キャスコさんも、そこにいるんですか。ええ。なるほど、皆さんでこちらに……。おお、デートですか! 頑張ってくださいね!」


 それじゃ、と言ってキースが【通信】を切る。


 キースは雫を見て、ニコッと笑う。


「ご苦労様です、雫。今日も大変だったでしょう? 紅茶を入れますので、ソファにおかけなさい」


「そ、そんな! いいですよ!」


「遠慮なさらず。一緒にお茶しましょう」


 上司がそう言うので、遠慮するわけには行かない。雫はソファに座る。


 キースは紅茶を入れて、雫に出してくれる。ああ、優しいひとだなぁと思う。


「それでキース様。情報通り、ジューダス様は王都に、降臨祭デートをしに来られるんですね」


「ええ。なので予定通り、計画を実行に移します」


 キースはほほえみながら、紅茶をすする。

「24日はハルコさん。そして25日がキャスコさんの順番だそうです」


「ああ、なら日程の修正は必要ありませんね。計画通り事を進められそうですね」


 雫も紅茶をすする。


「実行は25日。やり方は雫、あなたに一任します。上手くグスカスの感情を逆なでしてください」


「了解です。後は手はず通りにっ」


 雫はカップをからにする。そして立ち上がる。知らず気分は高揚していた。


「雫。まだ気が早いですよ」


 キースは雫の心の中を、見透かしたように、ほほえみながら言う。


 この人はすごい。誰も気付くことのできない、雫の心の中をのぞき見ることができるのだから……。


「ですがキース様っ。これで大願成就に、大きく一歩近づくではありませんかっ!」


「そうですね。これが成功すれば……。ですが裏を返せば、失敗すれば大きく計画が遅れることになります」


 キースは笑みを崩さない。立ち上がると、雫の肩にぽんと手を置く。


「ですが気負うことはありません。僕はあなたを信頼しています。計画は成功します。僕の【技能スキル】がそう言ってます」


 この人の言葉は、人をやる気にさせる不思議なチカラがある。


 雫は大きくうなずいて、


「お任せください! キース様! すべてはジューダス様のために!」


「ええ、ジューダス様のために。がんばりましょう、雫」


 ジューダス信者のふたりは、明るい笑みを浮かべながら、手を取り合う。


 雫は久しぶりに、心からの笑顔を、表に出すのだった。

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