20.賢者キャスコは、勇者グスカスの元を去る
キャスコ・トゥエールは、現国王グォールの妹、その娘として生を受けた。
王族の一員として生まれたキャスコ。彼女は生まれた時から、国王の息子・グスカスと付き合いがあった。
グスカスはキャスコと年齢が近く、同じ王族。
グスカスの、いい遊び相手になってくれるだろうと、国王はキャスコを、息子の側に置いた。
グスカスの遊び相手を、キャスコは無理矢理任されたのだ。
キャスコは、その役目が嫌で仕方なかった。
勇者グスカス。彼は生まれた瞬間から、女神より【勇者】の称号を与えられた、希有な存在だった。
普通、人間は15歳になると、女神様から【職業】と【技能】を授かる。
だがグスカスだけは例外的に、生まれ落ちたその瞬間、【勇者になって魔王を倒せ】と女神自らが降臨し、グスカスにそう命じたらしい。
生まれた瞬間から、特別だったグスカス。その特別さが、グスカスという人間を根っこから腐らせた。
自分は特別な人間だ。だから何をしてもいいと、幼いグスカスは、本気で思っていた。
そのせいで、キャスコは何度も、グスカスから酷い虐めを受けていた。
自分は勇者だから、何をやっても構わない。例え相手が女の子であろうと、虐めても叩いても構わない。なぜなら自分は特別な人間なのだからと。
グスカスから蹴ったり殴られたりは当たり前、髪の毛を引っ張って泣かされたことも、何度あっただろうか。
キャスコは両親に泣きついた。グスカスに虐められたと訴えた。
だがそのたびに、両親は言った。
『グスカス様に逆らってはいけませんよ』
勇者の使命を女神から直接与えられ、そして親馬鹿な国王の一番目の息子として生まれたグスカス。
彼を叱りつけるもの、また注意するものは、この世に存在しなかった。
ゆえにキャスコは、いくらグスカスに虐めを受けても、誰も庇ってくれることはおろか、むしろそんな事も我慢できないのか! と叱られる始末だった。
なにも、キャスコは悪くないのに。
誰もグスカスを叱ることはできなかったし、いつも被害に遭っているキャスコのことを、庇ってくれたり、慰めてくれる人は、いなかった。
勇者という立場が、グスカスの人生を根底からねじ曲げたように、勇者の身近に生まれたという立場が、キャスコの人生をねじ曲げようとしていた。
だがそんなある日、キャスコに転機が訪れた。
それは7歳の誕生日のことだった。
グスカスがそうであったように、女神が直々に参上し、キャスコに【勇者の従者】としての能力を授けたのだ。
【賢者】という希有な【職業】、【技能】、そして魔王討伐せよという使命を、女神から直に与えられた。
この日からキャスコは、勇者グスカスの従者として扱われることになった。
勇者とは魔王を倒すもの。グスカスが生まれたその日、魔王は復活を遂げ、各地に魔王の軍勢が出現した。
勇者は魔なる物たちを滅する必要があった。だがしかし、ここで問題が一つ。
それはあまりに、勇者が幼すぎたことだ。
キャスコが7歳の時、グスカスはまだ10にいくかいかないかくらいだった。まだ子供だ。
戦う力は備わっていたが、それでも『子供にそんな危ないことをさせられるか!』
と主張したのは、他でもない、グスカスの父・国王グォールだった。
国王は息子を、危険な場所へ行かせられないといって、魔王の軍勢の相手は、【彼】に一人で行わせていた。
そこに、キャスコ、そしてキャリバーという、ふたりの勇者の【従者】が加えられた。
国王は言った。
『息子を危険な場所へ行かせる訳にはいかない。息子が成長するまで、おぬしら従者だけで、魔王軍の相手をしてこい』
と。
その当時、勇者の従者は【3人】いた。キャリバー、キャスコ……そして【彼】。
キャスコは恐ろしかった。まだ自分は7歳だ。強い力を持っているかもしれないとしても、戦いなんて怖くて、したくなかった。
そんな中、その【彼】が、国王に進言したのだ。
『いやいや、この子たちに戦いは早過ぎますよ。俺がこの子らを育てます。そんで戦えるようになってから実戦投入する。それでどうでしょう?』
従者の3人目は、ジューダスと言った。
彼は15歳の時、【指導者】という特別な【技能】とともに、女神から【魔王討伐】の命を、女神より与えられていたのだ。
キャスコたちより前に、勇者の従者として既に各地で活躍していたのだ。
幼い勇者の代わりに、魔王軍の相手をしていたのは、誰であろう、このジューダスという青年だった。
さてそのジューダスという青年に、キャスコ・キャリバーの両名は、教育を受けることになった。
だが当時のキャスコは、軽く男性恐怖症だった。誰のせいか言うまでもないだろう。グスカスのせいだ。
幼い頃から、男にいじめられ、父にはいじめられていてもかばってもらえず、男性という存在が、恐ろしい化け物か何かだと思っていた。
ゆえにキャスコは、最初、ジューダスという青年が、グスカス同様に怖かった。
さて。
ジューダスから勇者の従者としての訓練を受けることになった、初日。
控え室で待っていると、いつものように、グスカスがやってきたのだ。
『おらキャスコ! 俺様が遊びに来てやったぞ!』
頼んでもないのに、グスカスが満面の笑みを浮かべながら、キャスコの元へやってくる。
『今日は何のパンツはいてるんだ? え? 見せろよおら! 勇者命令だぞ!』
『……や、やめてください』
スカートの裾を押さえるキャスコ。グスカスはニヤニヤと笑いながら、スカートをめくろうとしてくる。
『隠すな! 父上に言って死刑にするぞ!』
『や、やめてよぉ……』
と泣きそうになった、その時だ。
ごちんっ!
と、グスカスの頭に、げんこつを食らわせる人間がいたのだ。
『なにすんだよおっさん!』
見上げるとそこには、背の高い青年がいた。よく見ると、彼は三人目の従者ジューダスだった。
『こらこらグスカス。いくらキャスコのことが好きだからって、そんな風に虐めてたら、女の子に嫌われちゃうぜ?』
穏やかな口調だったが、そこにはきちんと子供を叱る大人の姿があった。
『は、はぁ!? 俺様がこんなブス! すきじゃねーっつのー!』
グスカスが強く否定する。ブスと言われ、さらにへこむキャスコ。
だがジューダスは、
『そんなことねーって。おまえ目が節穴なのか? キャスコちゃんすげえかわいいだろ』
と、そんなことを言った。
……ほわん、と胸に、温かな何かが流れ込んできた。
『てめーのほうが目が節穴だっての! こんなブス!』
『だからー、そういうこと言っちゃ駄目だろ。謝れグスカス。そうしないと、たぶんおまえ将来すげー後悔することになるぜ?』
『は、はぁ? な、なんでだよっ?』
『だってキャスコちゃん、絶対将来美人になる。俺にはわかる。そのときになって後悔してもしらねーぞ』
……キャスコは、泣きそうになった。
自分を肯定してくれたことも、嬉しかったけど、それ以上に。
グスカスからかばってくれる大人がいることが、キャスコは嬉しくってしかたなかった。
『う、うっせー! ばーか! ばーか!』
そう言って、グスカスは離れていく。ジューダスは『やれやれ』とため息をつく。
『……あの』
キャスコはジューダスを見上げる。すると彼は、すっ……としゃがみ込んできた。
大人が、目の高さを、合わせてくれた。それが、妙に嬉しかった。
いつも大人たちは、高いところから、命令するばかりだった。グスカスに逆らうな。虐められても我慢しろと。
『大丈夫かキャスコちゃん?』
『はい……。あの……その、ありがとうございました』
ぺこっ、と頭を下げるキャスコ。彼は笑って『気にすんな。俺たち仲間だろ』と言ってくれた。
その笑顔を見て……キャスコは、顔を真っ赤にした。
大人とは、グスカスにこびへつらうだけの存在だと思っていたのに、この人は、ちゃんとした大人だった。
子供が悪いことをしたら注意し、虐められてる子が居たら庇ってあげる。
ちゃんとした、優しい大人の姿に、キャスコは惚れてしまったのだ。
『その……あの……ジューダスさん、その……』
もはや彼女の頭には、いじめっ子グスカスの顔は浮かんでいない。
頭の中には、目の前の優しい男の人のことしか、なかった。
『これから……よろしくお願いします!』
『うん、よろしくー』
かくしてキャスコは、ジューダスの生徒となり、勇者の従者としての訓練を受けることになったのだ。
その日から、グスカスが虐めてきても、平気になった。だって、庇ってくれる人が、近くにできたからだ。
いや、好きな人ができたからだろう。
☆
話は戻って現代。
キャスコが同僚のキャリバー、オキシーと共に、王都へ帰還したその翌週のこと。
「はぁ……」
キャスコは自分に与えられた部屋で、ため息をついていた。
「……先週は、楽しかったです」
はふん、と悩ましげな吐息を付くキャスコ。久しぶりに愛しい彼の元へ行けて、気分は最高だった。
「……ハルちゃんとまたおしゃべりしたいし、ジュードさんとも、またたくさんおしゃべりしたいなぁ」
早く週末になって欲しかった。
【転移】スキルを使えば、いつでも彼の元へ行ける。
だがしかし、このスキルには、膨大な魔力を必要とする。
なのでそう何度もほいほいと、彼の元へ行けないのだ。一度行ったら、一泊しないと、魔力が回復できない。
だから最低でも二日、休める日でないと、【転移】を使って愛しい彼の元へいけないのであった。
愛しい彼に、会いたくても会えない。それはキャスコにとっては辛いものだった。
「……はぁ、会いたいなぁ」
会いたいけど、しかし今のキャスコには、宮廷魔道士長としての仕事があった。
宮廷魔道士。有事に備えて、戦闘訓練を施された特別な魔術師のこと。
その中でキャスコは、トップに君臨する才女だった。
世界を救った勇者の仲間という肩書きだけじゃなく、魔法の知識と腕は、当代随一と言われた。名実を兼ね備えた、最強の魔術師。
それがキャスコだった……が、本人はそんな地位は、いらなかった。
「……本当は魔王討伐の後、ジュードさんに告白して、お嫁さんにしてもらおうって思っていたのですが」
キャスコはジュードの嫁になる気まんまんだった。断られても、何度でもアタックするつもりだった。
だがその前に、ジュードは姿を消してしまった。あのグスカスのせいで。
「…………」
むかむかと、腹の中に黒い感情が沸き立つ。国王に対する、悪感情だ。
「……はぁ」
宮廷魔道士長の座を与えたのは、現国王だ。
なぜこの地位に置いたかというと、キャスコという人材を繋ぎ止めておくためだろう。
ジュード(ジューダス)という有望株を息子のわがままによって、追放した国王。
彼は愚か者であっても為政者であり、国を回していく立場の人間だ。ジューダスという人材がいかに優れた人物かを、彼はわかっている。
彼の指導能力は、恐ろしい。なにせ仲間になるだけで、ただの人間が能力を三倍伸ばし、有能な人間になるのだ。
1秒もあれば相手を強くできる。彼がいれば軍事力は飛躍的に向上するだろう。
また彼は非常に顔が広い。魔王軍が各地に出現したとき、彼は一人で戦った。
その際にあちこち行って回り、隣国の姫や女王と仲良くなったり、他国の要人たちとのパイプを作ったのである。
人材育成。そして交渉役として、彼ほど適した人物はいない。
話を戻すと、ジューダスという有能株を追放してしまった国王は、焦ったのだ。
簡単に言えば、【ジューダスの後を追って、勇者パーティの優秀な人材が、逃げてしまうのではないか】と危惧したわけだ。
ゆえに国王は、勇者パーティたちが逃げないよう、鎖をつけたのだ。
地位と責任という鎖をつけ、ジューダスの後を追って出て行かないよう、縛り付けたわけだ。
無論出て行くことは簡単である。しかし、そうすると困るのだ。
なぜなら、地位と責任を自ら放棄し、愛しいジューダスの元へ行くと、彼の顔に泥を塗ることになるからだ。
育ててくれた恩師に。無責任なやつだと思われたくなかったから、キャスコは我慢し、今この与えられた場所で、頑張っているのである。
しかし……。
「……正直、もう限界です」
自分に宮廷魔道士長なんて、適してない。もともとキャスコはあまり戦いを好まない性格をしている。
それでも頑張っていられたのは、指導してくれる愛しい彼がいたからだ。
というか、愛しい彼のそばに居たいから、救世軍の一員にいたような気さえする。
「……ジュードさん。ああ……ジュードさん」
愛しい彼を思い浮かべると、体がうずく。キャスコは何度も熱っぽくつぶやく。彼に抱かれる妄想をすると、体が熱くなる。
「……はぁ」
ややあって冷静になった。
「……なにやってるんですか、私。頭を冷やしましょう」
立ち上がり、キャスコは部屋を後にする。
夜の廊下を一人歩く。庭にでも出ようかと思った、そのときだった。
「……あ」
「キャスコ……」
前を歩いていたのは、勇者グスカスだった。
「…………」
「…………」
お互い無言で顔を合わせる。たじろぐグスカス。
彼はここ最近、すっかり憔悴しきっているようだ。目の下に大きなクマができている。心なしかげっそりしている。
だがそれが、どうした。
キャスコはペコッと会釈だけして、その場を離れようとする。
「ま、待てよ!」
がしっ! とグスカスがキャスコの手を握ってきた。
……汚らしい。
「……なんですか?」
冷ややかな目を向け、キャスコはその手を振り払う。汚い。触りたくもない。
愛しい彼を追い出したどころか、汚名を着せて一人のうのうと生きている、卑怯者の手だ。汚くないはずがない。
「お、俺様に挨拶もなしとは、良い度胸じゃねえか!」
グスカスが、よくわからない絡み方をしてくる。
「……会釈したつもりでしたが、見えませんでしたか?」
「ちゃんとお辞儀しろって言ってるんだよ!」
「……すみませんでした、グスカス様。ごきげんよう」
ぺこっと頭を下げるキャスコ。頭を上げて、「それじゃ……」といって、立ち去ろうとする。
グスカスの顔を見ているだけで、気分が悪くなる。だが彼に感情をぶつけることはしない。
すでに怒りは、通り越している。
愛しい人に、汚名を着せて、居場所を追い出したグスカスに対しては。
何もしなくても、自然に怒りは湧いてくる。だがそうしてると疲れる。だから相手にしない。それが一番だ。
顔を合わせているだけでムカムカしてくるが、そこで感情をぶつけず、立ち去る。それが一番の、グスカスへの対処の仕方だ。
「待てよ! おい待てよ!」
グスカスがまた手を掴んできた。顔をゆがめたくなるが、
「……なんですか?」
「なんだよ! それが幼なじみの俺様に対する態度かよ!?」
……何を言ってるのだろうか、こいつは。
「……すみません、幼なじみにふさわしい態度がどのような態度か、わからないのですが」
するとなぜか知らないが、グスカスが晴れやかな表情になった。
「そ、そんなもん、互いの近況とか、最近うれしかったこととか? そういうのを気軽に話し合うとかさっ」
うわずった声でグスカスが言う。
「……はぁ。特に何もありませんでした」
別にこいつに、ジューダスのことを話す気は毛頭なかった。
「お、俺様も特に何もなかったな! 気が合うな!」
「……はぁ。そうですか」
その後も何かにつけて、グスカスは自分に話しかけてくる。キャスコはイライラし出す。
結局この勇者は、いったいぜんたい、何が目的で、こんなふうに無駄な話をするのだろうかと。
というか、自分のキャスコへの仕打ちを忘れたのだろうか、この人は。
あんな仕打ちを、子供の時からしてきた相手に、どうしてこうも親しげに話してこれるのだろう。
罪の意識は、ないのだろうか。
「それでよぉ!」
「……すみません、もう良いですか」
【ステェタスの窓】を開けて、【現在時刻】を確かめる。もう10分も立ち話をしていたらしい。
10分が何時間にも感じた。それほどに、このグスカスとの会話は苦痛だったのだ。
「……私にも仕事がありますので。それじゃあ」
「ま、待ちやがれ!!」
グスカスがまた手を握ってきた。ばしっ、と払うキャスコ。
「……婦女子の手に気安く触ってはならないと、ジューダスさんから教わりませんでしたか?」
父親から教わらなかったのか、とは言わなかった。言うまでもなく、教わらなかったのだから。
彼を唯一注意することができたのは、ジューダスただひとりだった。
それもまあ、目の前のこの勇者を見ていると、その注意は無駄になったのだろうなと思ってしまうけど。
「なんであのおっさんの名前が出てくるんだよ!」
なぜだか知らないが、さっきまで上機嫌だったグスカスが、額に血管を浮かべるほど怒っていた。
「……声を荒げないでください。今は夜ですよ」
「そんなの関係ねえよ!」
つばを飛ばすグスカスに、キャスコは顔をしかめる。顔に付いたつばを、ハンカチで拭う。
「なあおい、やっぱりおまえ、あのおっさんのことが好きなのかよ!?」
「…………」
答える義理はなかった。キャスコは「……失礼します」と言って、その場を離れようとする。
「待て……! 待てってば!!」
グスカスがしつこく食い下がる。イライラとする。何なのだろうか。
別にジューダスのことを好きだからと言って、この勇者に何が関係あるというのか?
「なあハッキリ言えよ。あのおっさんのことどう思ってるのかをよ!」
「……どうして今そのことを、この場で言う必要があるのでしょうか?」
本気でわからなかった。
なぜこの他人である勇者が、他人のプライベートを探る必要があるのかと。
その理由を考えてみたけど、しかし結論は一つだった。
……わからない。
キャスコにとって、なぜこの勇者が、ジューダスを気にするのか。本気でわからなかった。見当すら付かなかった。
「なぁってば! おまえどう思ってるんだよ! ハッキリ言えよ!」
……意図がわからないし、意味もわからない。
ただ、うるさかったので、キャスコは聞かれたことに、素直に答えることにした。
「……はい。私は、ジューダスさんのことを、心から愛してます」
キャスコは聞かれた質問に、素直に答えただけだった。だがその反応は劇的だった。
「~~~~~~~~!!!」
グスカスの顔が、真っ赤になり、その場で地団駄をふみだす。
「クビだ! クビだぁ!!!」
となぜか知らないが、急にグスカスがかんしゃくを起こしたように叫ぶ。
「お、俺のことを好きにならないおまえなんてクビだ! 俺のことを嫌いな人間はこの城に必要ねえんだよ! 出て行け! この城から出て行け! もう二度と顔なんて見たくない! さっさと失せろこのドブスが!!」
そう言われて、キャスコは思った。
……肩の荷が下りたと。
これで、楽になれると。
だからこう答えた。
「わかりました。すぐに出て行きます」
ここを出て行くことは、願ってもないことだった。むしろ嬉しいくらいだった。
欲しくもない宮廷魔道士長としての地位。自分から投げ出すと、恩師に迷惑をかける。
だがしかし、都合の良いことに、今、王子から直接、解雇通告を食らった。
ここを辞める大義名分ができた。……それが本当に、心から嬉しかった。
「え?」
だがなぜか知らないが、グスカスはぽかんと口を開き、目を丸くしている。
「お、おまえ今なんて言った……?」
恐る恐るという感じで、グスカスが聞いてくる。
「だからわかりました。出て行きます。これにて私は宮廷魔道士長を辞め、城を出て行きますと言ったのです」
城を出て行くきっかけをくれたこのグスカスに対して、キャスコは初めて、好感を覚えた。ありがとうと感謝すら覚えていた。
「な、何言ってるんだおまえ? 宮廷魔道士長をクビになるんだぞ? この地位に居れば一生安泰な職業だぞ? それをクビになって……嫌じゃないか? 泣いてそれだけはやめてくださいって言うんじゃないのか?」
よくわからないが、グスカスはキャスコが、この地位にこだわっているとでも思っているようだった。
「いえ、辞めます。国王様にはグスカス様から、事の顛末を話しておいてください」
キャスコは気分が高揚していた。だってもう煩わしい人間関係に悩まずに済むのだから。
「ま、待てよ! おい待ってくれよ!!!」
キャスコは【インベントリ】から、ホウキを取り出す。
そしてホウキにまたがり、飛び上がる。
「それでは、グスカス様。今まで本当にお世話になりましたっ。私はどこぞの田舎で素敵な旦那様と結婚して、平凡に過ごします」
素敵な旦那とは、言うまでもない彼のことである。
やっと愛しい彼の元へ行けるのだ。これで喜ばないはずがなかった。
「待ってくれ! おい! まってくれよぉおおおおおおお!!」
グスカスがなんだか泣き叫んでいる。ホウキの柄を掴んで、泣いていた。
どうしたんだろう。たった今クビにした張本人が、何をすがりつこうというのか?
「行かないでくれ! おまえにまで行かれたら! おまえがいなくなったら、俺は……俺はぁ……!」
キャスコは……よくわからなかった。何を泣いているのだろうかこの人はと。
よくわからないが、どうでも良かった。
それよりも何よりも、一秒でも早く、愛しい彼の住む街へ行きたかった。
キャスコは風の魔法を使う。
突風を吹かせ、ホウキを上昇させる。風に吹かれ、グスカスは手を離した。
「それではグスカス様。さようなら。お元気で」
そう言うと、キャスコはホウキを全速力で走らせる。
部屋に荷物が? 必要ない!
この身一つで、あの人の元へ転がり込むのだ。
幸いにも彼は飲食店を営んでいる。住み込みのバイトが既にいるのだ。なら、同じように住み込みで働かせてもらおう。
早く早く、と急ぐキャスコは、窓から飛び出る。
「待てってばあああああああああ!!」
その後を、グスカスが泣き叫びながら、追いすがってくるではないか。ぎょっ、と目をむくキャスコ。
だが勇者の身体能力の高さを考え見れば、飛行するホウキに追随するのは不可能ではない。
「待ってごめんって! 行かないでくれって! ほんと待てってば!!」
どうしてですかと尋ねても、向こうは「それは……」といって口ごもるだけだ。
彼が自分を引き留める意味を、キャスコはまったく理解できないし、思い当たる部分も、ひとつも思いつかなかった。
手頃な虐めっ子が、サンドバッグがいなくなるのが、惜しい。と思っているのだろうと、キャスコはそう結論づける。
ややあって、街の外が見えてきた。
【転移】スキルが、使える場所までやってくる。
「キャスコ! 俺は……俺は……! 俺はぁ子供の頃から! 俺はぁあああああああ!!!」
と、その時だ。
ちょうど、街の外まで、やってきたのだ、
「さようなら、グスカス様。ごきげんよう」
そう言って、キャスコは【転移】スキルを発動。
グスカスの姿が、王都の風景が、一瞬にして消える。
そしてやってきたのは、ジューダスの住む、【ノォーエツ】の街だった。
キャスコははやる気持ちを抑えきれず、ジューダスの店の前までやってくる。
今は深夜だ。しまった朝まで待たないと! いやでも朝まで待てない! ああでも彼に早く会いたいと思ったキャスコは、
【相手の時間を止める】魔法を、あろうことか自分に使った。
朝になって、魔法が解けるように設定し、自分に時間停止をかける。
すると魔法が解ければ、一瞬で時間が進んだようになるというわけだ。
さて。
一瞬で朝になり、ジューダスの店のドアが開く。
「ふぁあ~…………」
のんきにあくびをする、愛しい彼が目の前に居る。最高の笑顔を浮かべたキャスコが、ジューダスに抱きつく。
「ジュードさんっ!」
「え? キャスコ? どったの?」
のんきな彼が愛おしく、キャスコはとろけるような笑みを浮かべて、こう言ったのだ。
「仕事クビになりました。なので、私を雇ってください!」
……かくして、ジュードの店に、新しいバイト少女がやってきたのだった。
次回から3章に入ります。
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