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36.歩んだ日々

 



「……さん?」


「桜さん!?」


 ハッキリと耳に入った声に、思わずハッとして顔を上げる。


「どうしたの? ボーっとしちゃって」


 目の前で顔を傾げながら、そう呟く女性。

 ライトに照らされた室内。

 それらが目に入った瞬間、どういう状況なのか理解したのは一瞬だった。


(やばっ。少しボーっとしてた)


「すいません。ちょっと作品の事思い出しちゃってて」

「そうなの? まぁそれはそれで仕方ないわよ?」


「いえ、日南(ひなみ)さんを目の前に申し訳ないです」

「忙しい所足を運んでもらったのはこっちだし、気にしないで? (さくら)信長(のぶなが)先生?」


 桜信長。

 その名前で呼ばれる様になってどのくらいだろうか。

 とはいえ、今となっては本名と同じくらい思入れのある名前だ。



「先生って……止めてくださいよ」

「何ってんの? 立派な先生でしょ」


 そんなやり取りをしていると、ふとテーブルに置かれた1冊の本が目に入る。


 10月31日に季節外れの桜が咲くまで。

 表紙に書かれた題名と、隣に書かれた桜信長という名前。

 間違いなくそれは、自分の作品だった。


(……先生か)


 桜は、花の好きな桜の花から。信長も花が好きだった武将から。政宗という名前も考えたけど、花に怒られそうな気がして信長にした。

 今思えば、ものすごく単純な名前だ。

 それにまだ慣れない呼ばれ方に、背中が痒くなる。

 ただ、それと同時に嬉しくも感じた。


 10月30日。

 東京都内のとある映画館。

 控室に座る俺、葵日向はしみじみそう感じている。


 誰も君のことを忘れる事はないのだと。


「そうですか……ありがとうございます」


 あの日、花の病室を訪れてから……8年の月日が経った。

 正直、あれからいろんな事があって、自分でもどうしていいか分からなかったのは事実だった。


 でも、いつも頭の中に合って、思い出すのはやっぱり花の事。


 ―――どうせなら今日の自分はこれだけ色々な事を知れて、幸せな1日を過ごしたんだよ? って明日の自分に自慢したいじゃない。そしてそんな日記を読み返して、だったら今日はもっと色んな事知って、昨日よりも幸せな1日にしてみせるって思えたら……その日がもっと楽しくならないかな?———


 常に前向きだった花の言葉や言動。

 思い出すたびに、何もできない自分が虚しくなる。

 それを体現するにはどうしたらいいのか。

 考えに考えた結果、俺がとった行動は……花との出会いから全てを、本にする事だった。

 目に残る形で残したい。自分がいつ記憶をなくしても、いつまで経っても忘れられない様に。


 そして完成したのが、目の前に置かれている本。


 書かれているのはその殆どが俺の実体験だ。とはいえ、登場人物の名前は勿論変えてあるし、セリフだって一言一句正確かと言えばそうでもない。建前上は、実体験を交えた作品となっている。


 それでも、花と出会ってからの内容は……記憶は……間違いない。


 自分の記憶と、自分が残したノートがその証拠。

 むしろノートに書いてない、高校に入ってからの数千文字の方が割と曖昧だ。


 本の内容だって、今思えば本当に日記の様な文脈で、ライトノベルなんて言えない気がする。

 ただ、花との思い出を忘れたくない。

 その一心でパソコンと睨めっこをし、作り上げた作品。

 こうして無謀ながらも、色々な出版社のコンテストに応募した結果、運良く拾ってくれたのが目の前に座る日南編集長が居る青空出版だった。


 新人作家の書いた処女作。

 帯には辛うじて『青空ライトノベル大賞特別賞受賞』と書かれてはいたものの、知名度のせいかあまり注目はされなかったよ。

 でも、運が良い事にSNSを皮切りに徐々にその人気は広がってくれて、勿体ないくらいのヒット作となった。

 しかも気が付けばアニメ化、そして実写映画化まで。


 その試写会が、あと1時間もすれば始まる。

 思い出すだけで、なんて運が良いのだと思わずにはいられない。


「いえ、全部日南編集長と烏真(からすま)社長のおかげです」


 後日聞いた話だと、青空出版編集部内では当初、俺の作品は現状のヒットジャンルとはかけ離れている為、良くて1次選考。最終選考には残らない予定だったそうだ。

 それに待ったをかけてくれたのが、日南編集長と下読みに参加していた青空出版烏真社長。

 正直、青空出版は大手とは言えない中堅の出版会社。とはいえ社長自ら下読みをしている事に驚きを隠せなかったけど……


『なんか知らないけど、読み終わった後に胸にずっと残る温かい感覚があった』


 2人の感想が、嬉しかったのは言うまでもない。

 まぁ結果的に、運よくここまでヒットしたのだから、2人に対しても恩返しができた気がする。


「本当に特別賞を戴いて、ありがとうございました」

「まぁあの時は自分達の直感で強引な感じもしたけど……ここまで来たら編集部の皆も、私と烏真社長の先見の明を崇めてるから問題なしよ?」


「ははっ。本当ですか?」

「それに、文学に少しうるさい2人の娘も大絶賛だし……お母さんの力を見たか! って、こっちの方がスカッとしたものね? 私の方がお礼言いたいくらいよ? ふふっ」

「えっと、希乃さんと詩乃さんでしたっけ? それなら良かったです」


 烏真社長と日南編集長には本当にお世話になった。


「全然よ~? でも本当に試写会に参加してくれてありがとう」


 特に日南編集長には頭が上がらない。

 極力素性が分からない様にしたくて、メディア等からの対面での取材への対応や、その他諸々かなり手を煩わせているのは分かっている。


 書籍の発売日も10月31日にしてもらえた。

 流石にアニメについては無理だったけど、この試写会も何とか都合を付けて、この日に段取りを組んでもらえた。

 だからこそ、この試写会へはどうにかして出席しようと思った。


「これ位はしなきゃ思いまして。まぁ、顔は隠させてもらいますけど」

「ふふっ、隣にあるクマさんの被り物ね?」


 ソファの隣には、大きな熊の顔の被り物が置いてある。

 イメージとしては、あの日俺が花へプレゼントしようとしていたテディベアなのだが……顔を隠して公の場へ登場するにはもってこいだと思った。


「ちょっと気合い入れて用意してみました」

「流石ね。ありがとう」


(これくらい、どうってことないですよ)


 そんな事を皮切りに、俺と日南編集長はある意味いつも通りの雑談をしながら、試写会までの時間をゆっくりと過ごした。


 本の増刷。

 今後の取材。

 アニメ2期の事。


 話せば話すほど、楽しみが増える。

 聞けば聞く程、自分は運が良いとしみじみ思う。

 そんな時だった。

 日南編集長がふと思い出したかのように、物語のラストシーンのついて口にする。


「そういえば、あのラストシーン。あれ今も思うけどグッとくるよ?」

「本当ですか? ありがとうございます」

「記憶をなくした花と寄り添って、また1から思い出を作る日向……最初に花に救われた日向が、今度は花を救える存在になりたいって決意をするところがねぇ。良かった」


 烏真社長と日南編集長も、この作品が俺の実体験も交えた作品だという事は知っている。

 もちろん実際は殆ど実体験だけど……2人共本のこの部分が実体験かどうかなんて根掘り葉掘り問いただす事は決してなかった。

 だからこそ、純粋にラストシーンに感動してくれているのだろう。


 俺と花の名前はそのまま。

 高校や病院、その他登場人物の名前は変えている。


 ただそんな中、そのラストシーンについては何とも言えない自分が居る。

 褒められても、素直に喜べない自分が居る。


「そうですか……なら良かったです」


 なぜならその部分だけは……俺が事実とは異なる事を描いた部分だったから。




次話も宜しくお願いします!

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