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35.冷たい雨

 



 静まり返る競技場。

 聞こえてくるのは、空から降り注ぐ雨の音と心臓の鼓動だけだった。


 試合途中から降り出した雨でピッチは荒れ、足元に見えるボールは所々泥が付いている。

 傍から見れば汚いだろう。

 ただ、俺にとっては……皆の気持ちが宿ったボールだった。


 ふと視線を上げると、漆谷高校のゴールキーパーと目が合う。

 言葉に出さずとも、互いが何を思っているのかはよく理解できた。


 後は気持ちの問題だ。

 強く願った方が勝つ。


 全国高校サッカー選手権大会宮城県予選、決勝。

 0対0のまま、迎えた運命のPK戦。

 ここで決めれば明進高野の勝利が決まる、大事な場面。

 キッカーは俺だ。


 緊張の一瞬、主審の笛が鳴り響く。

 俺はいつも通り助走をとり、ギリギリまでキーパーの動きを注視する。

 わずかに動いた重心を見逃さず、力強くボールを蹴り込んだ。


 スパッ


 ゴール右上の隅。

 会心の場所に吸い込まれたボール。


 この瞬間俺達は……念願だった選手権への切符を手に入れた。



 ◇



 全ての片付けを終えて外へ出ると、幸い雨は上がっていた。

 相変わらず空を雨雲が覆ってはいたけど、まるで俺達の勝利を歓迎してくれるような雨上がりには嬉しさを感じる。


 時折、雲の合間から見える閃光と地響きのような音に耳を傾けながらいると、ポケットからテンポの良いバイブの振動が伝わって来た。


 (もしかして花か?)


 そんな期待を込めてスマホを手に取ると、画面には知らない番号が表示されていた。

 不思議に思いながらも、俺はスマホを手に取り画面をスワイプすると、ゆっくりと……耳へと当てた。


 ≪もしもし? 日向君?≫


 知らない番号から掛かって来た電話の主は、最初誰だか分からなかった。


 ≪そうですけど……≫

 ≪……ごめんね? 私、嘘を……付いた≫


 ただ、その呼び方と声の感じから春さんっぽい気がした。


 ≪嘘って……はっ、春さんですよね? 嘘って何ですか。何の事ですか!≫

 ≪ごめんね? 今更……けど、私はもう隠し切れそうにない≫


 その声は、驚く程暗くて憔悴し切っていた。まるであの春さんとは到底思えない程に。

 そして隠し切れそうにない……その言葉が当てはまる人物を……俺は知っていた。


 ≪隠すって……まさか花の事ですか?≫

 ≪そう……花の事。私は日向君に嘘を付いた≫


 ≪なっ、何かあったんですか春さん! 花に何があったんですか!≫

 ≪ごめんなさい。隠していて……あのね? 今、花は……仙宗大学病院に……入院してる≫

 ≪えっ……≫


 入院。

 その言葉に驚いた。

 と同時に、その意味が分からなかった。


(一体なんで? なぜ?)


 ちゃんと言葉になったのかは分からない。けど、必死に伝えようとした。

 そんな思いが通じたのか、暫くして春さんがゆっくりと声を零す。そして……教えてくれた。


 ≪2週間ほど前に、お義母さ……いえ、花のお婆ちゃんが亡くなったの≫


 それは想像以上に衝撃的だった。

 顔を合わせた時も、元気な様子でなんでもこなせる姿を見ている。


(まさか?)


 そんな言葉が喉から出かけた。けど、この状況で嘘なんて付ける訳がない。つまりそれは……本当の話。


 その日、朝早く起きてくるはずのお婆ちゃんがなかなか起きて来なかった。だから春さんが様子を見に行くと……そこには布団が乱れ、掻き毟った跡が残る冷たい姿があったそうだ。


 結果として、その不幸が……花を変えた。

 小さい頃から仲が良くて、テディベアの作り方も教わる位の関係。花にとってどれだけの存在だったのかは何となく理解出来る。

 その人が亡くなった。それも突然。


 昨日まで元気だったのに、目覚めるとそこには既に居なかった。

 その事実が、花にどれだけの傷を負わせたのか……それは俺自身にも垣間見えていた。

 そう、その日こそ……花が俺にメッセージを返してくれなくなった日だったのだから。


 その日から、花は部屋に籠るようになった。

 お葬式やらを済ませると、ご飯も余り食べなくなって……その変化は今まで見た事がない位で、それこそ症状を知った時以上だったそうだ。


 話し掛けても、返事はあるけど弱々しい。

 スマホは机に置きっぱなしで、既に充電すらなくなっていた。

 ただベッドの上で両ひざを抱えながら座っているだけ。


 だから春さん達は決めた。花を助ける為に決めた。……入院させる事を。


 もちろん、俺にも教えるべきかどうか悩んだそうだ。ただ、時期が時期。前から花に選手権予選が始まると聞いていて、その日程も覚えていた。間接的に、俺が最後の大会に賭ける思いも聞いていた。

 だから……言えなかった。


 俺と病院で行き会った時も、娘を心配してくれる事が嬉しくて言ってしまいそうだった。

 でも、まだ大事な試合が残ってる。この事実を伝えた事で、プレーに支障が出たら……それこそ娘の望んだ事を裏切ってしまう。


 そう考えると……言えなかった。

 申し訳ない気持ちになりながら……許して貰えないと覚悟しながら……口には出来なかった。


 でもそんな我慢も限界を迎え、俺に連絡してくれた。

 そして全てを……話してくれた。


 ≪ごめんね? 許して貰えないのは分かってる。でも……もう我慢が出来なかった。こんなにも花の事心配してくれてる日向君に、これ以上嘘なんてつけなかった≫

 ≪春さん……≫


 その全てを知った時、俺は何とも言えない感情に包まれていた。

 それは勿論、悲しみでも……嘘を付いていた春さんへの怒りでもなかった。


 ただ単純に……


 ≪話してくれてありがとうございます。本当にありがとうございます。でも最後に1ついいですか?≫

 ≪うん。何でも言って?≫


 ≪教えてください。花の……病室を≫


 花に会いに行きたい。それだけだった。



 ◇



 春さんから電話が来て、どれくらい経っただろう。

 電話を切ってから、急ぐように家まで戻って来たのは覚えている。勿論、机の上の大切な袋を手に取って。


 額にポツリと零れる冷たい滴。またもや降り注ぐそれを目の当たりにして、ようやく傘を忘れた事に気付いた。

 ただ、タイミング良く到着したバスのおかげでそこまで濡れる事はなく、俺は難なくバスへとの乗り込む。


 窓際の席に腰を下ろすと、強くなってきた雨が窓に打ち付けられた。それらに合わせるように稲光が姿を現し、豪快な音を響かせる。

 一瞬で変わってしまった空模様。

 瞬く間に荒れた天気。


 それはどこか似ていた。誰のとは言わない。けど思い当たる節は……あった。


 鼓動がハッキリと聞こえる。

 走って来た反動だろうか、それとも違う事が原因なのか……はたまたその両方か。

 それでも今は何の意味もない。とにかく俺は会いたかった。一刻も早くその顔を見たかった。


 何度も乗っているバスのはずなのに、今日に限ってはその進む速度は半分以下に思える。まるで遠回りでもしているかと疑いたくなる位に。

 そんな時間の中で、さっきの電話の話が何度も何度も頭の中を……交差する。


(花……大丈夫なのか)


 こうして色々な感情が混じり合いながら、ようやくバスは病院へと到着した。

 中へ入ると、日曜日とあって静まり返った院内。

 廊下を歩く俺の足音だけが妙に響いていた。


 ドアに記された病室の番号。

 それらが春さんから聞いた数字へと近付く度に、少しずつ足が重く感じる。


 早く会いたい。勿論その気持ちでいっぱいだった。

 けど、徐々に体を蝕んで行くのは……自分が見た事のない花の姿。


 嫌な予感がする。

 想像を絶する姿だったらどうしよう。


 希望と嬉しさ、最悪な状況が入り混じる中で、ついに俺は……その場所へと辿り着いた。


 春さんから聞いた番号。そしてその下に記された匙浜花の名前。

 間違いない。この中に、花は居る。


 ただ、その扉を開けるのには……時間が掛かった。

 本当に開けて良いのか? 早く開けろ。 本当に良いのか? 色んな事が頭を過る。そして何より、例えようのないショックを受け、規則正しい生活が困難になった花。そんな彼女は……



 ―――症状が悪化する事無く、過ごせているのだろうか―――



 それを確かめる、踏ん切りがなかなかつかない。

 ただ、そうなのかどうかは会って、見て……目の当たりにしなければ何とも言えない。


 俺は何度か深呼吸をした後……ついに意を決して、手に力を込める。

 そして、ゆっくりとそのドアを開けて行った。


 その先に広がるのは綺麗な病室。

 大きな窓に、手前にはシャワー室も設けられていた。その奥にはベッドが置かれている。少しだけ膨らみが見えて、花がそこに居るのは間違いなかった。


 俺はゆっくりと近付いて行く。

 そして、ついにその視界に……花を捉えた。


 ベッドの上、そこに……花は居た。

 上半身を起き上がらせて……そこに居た。

 けど、その雰囲気は……まるで違う。

 俺の知っている花じゃない。


 その長い髪は健在だった。

 けどその頬は少し痩せて、その目は……虚ろ。


 まるで別人のような花を目の前に……なかなか声が出なかった。それ以上前に進めなかった。


 そんな時、ゆっくりと花が俺の方を向いた。

 目が合った瞬間、思わず慌てるように声が零れる。


「よっ、よう花! 元気か?」


 焦るように、とっさに浮かばせた作り笑顔。

 いつもの花なら、一瞬驚いた表情を浮かばせた後、優しく微笑むはず。俺は心のどこかでそれを願った。それを望んだ。


 けど、それは……叶わなかった。

 全てが夢であって欲しい。そう強く……願った。




「えっ……あの……どちら様でしょう?」




次話も宜しくお願いします<(_ _)>

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