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天河に秘めたる ~奏琶国烈女伝~  作者: 五十鈴 りく
第2部

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37◇王都

 しばらく雨風が凌げる砦の部屋を使わせてもらっていたので、王都までの道のりに天幕で寝泊まりしたのは久しぶりだった。皆には贅沢だと言われそうだが。


 天幕の中、黎基が自分の寝床の近くに呼ぶので、展可はそれを断って端っこの方に(むしろ)を敷いて寝たのだった。


「そんなに離れなくても何もしない」


 少し傷ついたふうに言われて、展可も困惑した。


「いえ、その、そういうことではなくて、ここ最近が近すぎたのではないかと……」

「これからはもっと近くなるのに?」


 平然と言われた。

 ずっと断っているのに、黎基は真に受けていない。目の見えなかった以前ならともかく、今は身分も容姿も何不自由なくすべて兼ね備えた人だから、本来なら手に入らない女性はいないのかもしれない。


 展可も言い寄られると、未だに自分でも信じられないくらいなのだ。それでも、ほだされてはいけない。


「……どうか、ご容赦ください」


 筵の上で三つ指を突いて額を擦りつける。天幕の外の騒がしさが漏れ聞こえているのに、黎基が嘆息した音が展可の耳にまで届いた。


「おやすみ、展可」


 それでも、黎基の声は優しかった。だからこそ、かえって心が締めつけられるけれど。



 武真国の王都アルタンは、展可が思っていたところとは違っていた。

 展可は、武真国は過度に飾り立てることを嫌う風潮があるのだと勝手に思っていた。知っているのは、砦と小さな邑里(むらざと)くらいでしかなく、そうしたところが豪華であるはずはなかったのだ。


「アルタンというのは黄金を意味するのだとか。まさにその名の通りの都ですね」


 劉補佐が馬上からそんなことを言った。


 黄金――その名に相応しいのは、太陽の光を浴びて輝く宮殿がまさに金色(こんじき)であることと、外郭の中の建物の要所要所がやはり金で飾られているからだ。

 もちろん、本物の黄金ではないにしろ、日中にはそう見えるような煌びやかな都である。


 そして、民たちも王の凱旋とあっては歓喜で迎え入れるのだ。華やかな城下の風景である。


「いや、殿下も国民からあれほど熱狂的に迎え入れられるとよいのですが」


 ククッと含み笑いを込めた嫌味な態度を取る劉補佐を、黎基はサラリと躱していた。本当に、この失礼な人を黎基は何故買っているのだろうかと思ってしまう。


「昭甫、これから当分この王都に足止めされるのだから、武真国の官吏と揉めぬようにな」

「そんな馬鹿なことをするわけがないでしょう?」


 と、当人は言うけれど、無意識で失礼なのだから怪しいところだ。

 郭将軍がやれやれといった様子で二人を眺めている。昔は策瑛が庇い、今は郭将軍が庇ってくれている気がする。



 ダムディン王はさっそく、宮殿に黎基を招いた。展可たち侍従もそれについていくのだから、宮殿で寝起きすることになる。

 黎基と同じ部屋にいるのも気まずいので、他の民兵と共にいた方が楽であると展可が言ったら、黎基は気を悪くするだろうか。


 もしかすると、黎基は展可の正体を知っても赦してくれるのではないかと期待してしまう時がある。しかし、それは危険なことだ。


 もし、そうでなかったとしたら、展可のせいで静かに暮らす兄までも危うくしてしまう。迂闊に口に出してはいけない。


 わかっていても、耳元でささやかれ続けると、段々心が解けていってしまう。だからこそ距離は必要なのに、黎基はその距離を置かせてくれないのだ。

 展可は毎日、黎基のささやきと笑顔に耐えながら首を横に振り続けるしかない。


 ただ、幸いと言ってはいけないが、黎基は王都アルタンに着いてからが慌ただしかった。展可と共有する時間はそれほどなかったのだ。常にダムディン王や郭将軍、劉補佐といった人々といて、難しい話をしている。


 一番厄介なバトゥを討ったわりには落ち着かない。

 黎基が貸されている部屋は、宮殿の中でも最上級の客室であった。そこに展可まで入れられるのはおかしなことだが、黎基がそうするようにと言う以上は逆らえない。


 毛織物が敷かれた広い部屋の中、展可はポツリと所在なげに立ち、戻ってきた黎基を迎え入れた。


「お疲れ様でございます」


 すると、黎基はふわりとした笑みを浮かべた。


「展可の顔を見たら疲れも忘れる」

「……それは、よぅございました」


 何もよくはないが、他に言い様がない。


「バトゥを討ってもなかなか落ち着きませんね。まだ一人、兄君が残っているからでしょうか?」

「それもあるが、青巒国とのやり取りもある。あちらがどう出るかによって武真国の今後が左右されるのでな。今は大事な時なのだ」

「青巒国との……フォン・イーハン様を捕虜にしているので、その身柄をどうするかということですね?」


 展可がそれを言うと、黎基はうなずいた。


「そうだ。王族だからな、蔑ろにするわけにも行かぬところだ。どれほどの物資と引き換えにできるかはダムディン陛下の手腕によるところで、我らはただ待つばかりだが」


 これは長丁場になりそうだ。展可は口には出さなかったが、それを感じた。

 その間、黎基とこうして過ごすのだ。


 黎基はうっとりとするような微笑を向けてくる。


「まだ時がかかる。展可が悩む暇はあると思うが、悩むのが嫌なら今すぐに首を縦に振ってくれてもいいのだがな」

「私の答えは変わりません……」


 それしか言えない。なのに、黎基は途端にしょんぼりとして見えた。


「それでも言い続ける私はしつこいか?」


 母親譲りの美貌で切ない目をする。この顔を前に、しつこいなどと言えたものではない。

 展可がどんな思いで断り続けていると思っているのか。できることならうなずいてみたいけれど、どうしてもそれができないのだから仕方がない。


 返答に困ってうつむく展可に、黎基はそれ以上言わなかった。


「確かにこの国は寒い。雪が降るともっと寒いのだろうな」


 窓辺に立ってそんなことをつぶやいた。

 展可もまた、そうですね、と答えるだけだった。

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