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天河に秘めたる ~奏琶国烈女伝~  作者: 五十鈴 りく
第2部

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21◇汚れを落として

 展可が目を覚ました時、部屋には誰もいなかった。黎基はどこかに行ってしまったらしい。


 体を起こすと、頭が痛んだ。昨日、散々泣いたからだ。


 汚れた格好で黎基の(しんだい)の上におり、砂や乾いた血が白い布地の上に散らばっていた。展可は慌てて(しんだい)から下り、手で汚れを払った。


 このひどい恰好をなんとかしなくては、と思い至る。

 本当は心が痛くてそんなことを気にしたくないけれど、黎基の手前このままでいてはいけない。

 少し拭いて取れる汚れではない。水を使わせてもらいたいと、展可は替えのさらしなどを持って部屋の外へ出た。


 外へ出ると、そこには女官がいた。身なりは奏琶国の女性の衣とは違い、前で留め合わせるようにできていて、帯を使わずにストンと足元まで隠れる。それに衣と同じ臙脂の帽子を被っていた。


 この砦で女性に会うのは初めてだ。ダムディン王の身の回りの世話をする女官なのだろうか。

 その女官は何故か、展可にまで礼をしながら畏まって言った。


「お食事と湯浴みのご用意ができております」

「殿下はこちらにはいらっしゃいませんが?」


 黎基が今、どこにいるのかを展可は知らない。だからそれ以上言えることがなかった。

 しかし、女官は顔を上げると困ったように言った。


「いえ、あなたのためのご用意です。陛下からそう申し使っております」

「陛下からですか?」


 これは、黎基がダムディン王に頼んだということだろうか。展可が落ち込んでいるから、気遣ってくれたのかもしれない。

 それにしても、身に余る。受けていいものか戸惑っていると、女官は言った。


「はい。どうぞこちらへ。お断りにならないでください。私が叱られてしまいます」

「……よろしいのですか?」

「ええ、どうぞ」


 と、女官は優雅に展可を誘った。

 この砦で湯殿を使える者など限られている。

 けれど、こんなにも汚れている今、湯を使わせてくれるという誘惑には抗いがたいものがあった。そうしたところが、男にはなりきれていないのだ。


 ――さすがに昨日のようなことはもうないとしても、黎基といる時が長いから、余計に汚れたままではいられない。

 癖毛を一生懸命梳いて撫でつけていた子供の頃と、展可は何も変っていないのかもしれない。



 湯殿は石造りの床に、そこで湯を沸かせる竈と、簡素な石をくり抜いた湯船が用意されているだけで飾り気はない。風通しがよい格子窓だが、衝立があるので中が見えることはないようだ。


「では、衣をお脱ぎになってください」


 女官に言われた。展可は、うっ、と言葉に詰まる。


「後は一人で入れます。どうぞお気遣いなく」


 どこから黎基の耳に入るかわからない。展可が女だと知っているのは今のところ、同郷の人々と袁蓮だけである。これ以上増やしてはいけない。

 しかし、女官は引かなかった。


「ひどい汚れですもの。一人では落としきれませんわ」

「い、いえ……」

「さあ、お早く」


 嫋やかな女官だが、きっぱりとした口調であった。展可は渋々髪を解き、(たん)を脱いだ。胸を押さえつけるさらしを見ても女官は驚かなかった。


「あの、私は諸事情で男として従軍しております。ここで見たことは他言されませんようにお願いします」


 そう言うと、女官は首を傾げた。


「それはおかしなことですね。いつも親王殿下の夜伽をされているのでしょう?」

「ち、違います! 殿下は私を男だと思っておいでですから」


 毎晩同じ部屋で寝起きしていれば、そういう誤解を受けるのは当然なのだ。だからこの女官も展可に気を遣ったのだろうか。

 女官は衣を脱いだ展可のことをじっと見て、それでうなずいた。


「私がとやかく言うことではございません。さあ、お体をお清めしましょう。こちらにおかけください」


 小さな台を勧められ、展可がそこに座ると、今度は首から下げた守り袋に目を留めた。


「首から下げた袋も濡れてしまいますのでお外しください」

「これは外せません。大事なお守りですので」


 袋が濡れたところで中の天河石は無事なのだ。体を洗うついでに袋も洗えばいい。

 女官は諦めたらしく、展可に湯をかけた。武真国は気温が低いから、余計に湯があたたかく感じられて気持ちがいい。皆がこんな贅沢を味わってはいないのに、少し申し訳ない気もした。


 女官は無口で、余計なことは言わなかった。湯浴みの流れだけを説明し、淡々と展可の汚れを落としてくれる。

 さっぱり綺麗になった頃には体からよい匂いがした。なんの香料だろうか。

 髪も丹念に水気を拭き取り、梳かしてくれる。


「このお着物を着てはせっかく洗った意味がございません。洗って戻しますので、しばらくはこちらを着ていてください」

「そこまでお世話になるなんて、申し訳ないのですが」

「いえ、陛下の(めい)でございます」


 ダムディン王がそんな指示をするだろうか。するわけがない。

 ぼんやりと考えながら着せられたものをよく見ると、武真国の衣装だった。白に裾が水色、淡い色合いだ。着方がよくわからないのでされるがままになっていたが、粗方着終わってみると、どう見ても女物である。


 ダムディン王たちはこんなものを着ていない。

 最後にはジャラリと装飾品まで首から下げられた。


「ちょ、ちょっと待ってください。これって……」

「陛下の(めい)にございますれば」

「そ、そんな命令がありますか?」


 展可が愕然としていると、女官は展可の手を引いた。


「では、お食事でございます。こちらへどうぞ」


 こんな格好を誰かに見られたらどうしよう、と思ったが、見られたらまず武真国の女性だと思われるだろう。男で通っている展可と結びつけて考える者は少ないかもしれない。そう願いたい。


 体があたたまったせいか、空腹であったことを思い出した。そのせいもあり、展可は女官に逆らわず、連れられるままについていった。

  

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