33◇琵琶
黎基を雷絃に託した後、展可は劉補佐と共にそこから少し遅れて進んだ。展可は馬を急かしたかったが、劉補佐に合わせるとどうしてもこうなる。
この時、劉補佐は展可に言った。
「同じ小隊でお前が親しくしている娘だがな」
「袁蓮のことでしょうか?」
他には思い浮かばない。だから間違いないだろう。
急に袁蓮の話を振られ、展可は内心ひどく動揺していた。袁蓮は美少女だから、黎基の妾にどうだろうかとでも言われるのではないかと身構えた。
縁談が嫌で従軍した袁蓮だが、相手が黎基となると嫌な気はしないだろうか。もし、乗り気になったら――と、考えてみる。
展可は袁蓮のことが嫌いではない。変わっているけれど、実は賢くていい子だ。でも、それとこれとは話が別である。
袁蓮は黎基を第一に想ってくれるだろうか。
先走って、気分が悪くなるほどにぐるぐると考えを巡らせていた展可に、劉補佐は面倒くさそうな目を向けた。
「その袁蓮とやらだが、琵琶の腕前はどうだ? 人並みには弾けそうか?」
「び、琵琶?」
この国の女児の大半は琵琶を弾ける。袁蓮もわりと裕福な家で育ったようなので、まったく弾けないということはないだろう。詳しくは知らないけれど。
「そういう話をしたことはないのではっきりとは知りませんが、後で訊ねておきます。でも、どうして急に琵琶なんて?」
すると、劉補佐は軽く目を細めた。その顔が胡散臭い。
「この先の邑で使いたいからだ。ちょっとした演出をな」
何か考えがあるらしい。どうやって、何に使うのかを知りたいけれど、あまりしつこく訊くとかえって教えてくれない気がした。
この時、展可は策瑛のことを思い出した。劉補佐のことを昔なじみかもしれないと言っていた。今なら話を聞けそうだと思い、切り出す。
「あの、劉補佐は李策瑛という男性をご存じではございませんか?」
「は……?」
展可の訊ね方が出し抜けだったせいか、劉補佐は眉を顰める。展可の方が慌てて口数が増えた。
「えっと、確か塘の里の出身で、年は二十三か四かで、面倒見のいい人です。第一小隊のまとめ役なのですが……」
その間も劉補佐は黙っていた。顔が険しい。
かと思うと、溜息をついて力を抜いた。
「知らん」
展可はがっくりと項垂れた。その怖い顔は、思い出そうとしたけれど思い出せないということなのだろうか。
劉補佐は他人に興味が薄そうだ。少し関わった程度では、きっと覚えていないに違いない。
とにかく、こう言われた以上、展可に深入りはできなかった。
「そうですか……」
策瑛にはなんと言っていいものか困る。向こうが切り出さない限り、こちらから言うのはやめよう。
気まずい空気が流れる中、展可はとぼとぼと馬を歩かせるのだった。馬が退屈そうに何度か振り返った。
その後、少しの休息の間に展可は馬を預けると第一小隊の方へ近づいた。袁蓮は地面に座り、瓢箪の水筒から水を飲んでいる。
「袁蓮」
展可が袁蓮に近づくと、小隊の皆がきつい目を向けてきた。
和やかなのは策瑛と鶴翼くらいのものだ。展可が黎基のところへ引き抜かれたのが面白くないのと、高嶺の花である袁蓮に軽々しく近づくのも腹立たしいという。わかっているが、いちいち気にしていられない。
「あら、どうしたの、展可?」
にこり、と艶やかに笑う。やはり美人だ。
美しい衣を纏い、琵琶を弾く袁蓮は天女のごとく麗しいだろう。それこそ、後宮の花として咲き誇れるだけの美貌を持つのだ。
――本人にその気がないだけで。
「ちょっと聞きたいんだけど、袁蓮って琵琶は得意?」
以前、破れた展可の服を繕ってくれた。気は強いが、そういう淑やかさもある。琵琶くらい弾けるだろう。
袁蓮は、展可の問いかけが突拍子もないことであったかのように目を瞬かせた。しかし、その意味を呑み込むと、あはは、と声に出して笑ってみせた。
「もちろんじゃない。この国で女に生まれたら、ある程度は仕込まれるものね。才色兼備のあたしにできないことなんてないわ」
「うん、そうだよね」
やはり、弾けるようだ。この答えを持って劉補佐のところに行ったら、何をするつもりなのか教えてくれるだろうか。
演出で使うとのことだが、果たしてどのようにして使うのだろう。
展可はなんとなく、青い空を眺めた。
邑を過ぎれば国境だ。国境を越えれば、そこはもう奏琶国ではない。
展可が国を出るのは初めてのこと。
外を知っている者の方が圧倒的に少ないにしろ、武真国は戦時中なのだから、こう和やかにはいられない。
気を引き締めなくては――。




