(5)獅子奮迅
「君の狙い筋はわかっている。『あの駒』を攻めに使いたいんだろう? だったらこちらも、迎撃態勢を整えておかないとな」
「……ふん、バレてたか。じゃあもしかして、今銀を退いたのは」
「ああ。飛車道を開けるためだ」
桂馬を馬で取ったことで、銀を退く余地が生まれた。
飛車を横にも使えるようになったってことか。
「だったら。無理矢理にでも閉じてもらう」
私は馬を一マス下げ、王手を掛ける。
受けるには玉を逃げるか、左金を上げるか、間に駒を打つか。何でもいい。飛車道が閉じてくれれば、それで構わない。
「仕方ねぇなあ」
この期に及んでも、ショウは笑顔を崩さない。
玉が逃げ、狙い通りの展開になった。
お膳立ては整った。今こそ、『あの駒』を活用する時だ。
元より、攻めのためにある駒と言っても過言ではない。盤上では一際存在感を放つ。圧倒的な移動範囲の広さを持ち、文字通り縦横無尽に暴れ回るその姿は、一騎当千の猛者の様。取られれば負けが確定するとされ、玉よりも狙われることが多い。
──任せたぞ。
手にしたのは、今まで4筋で待機していた飛車。
今こそ、眠れる獅子を呼び起こす時だ。
「いよいよ来るか」
「そりゃ、もちろん。このチャンスを逃す手は無いでしょ」
「いいぜ、来な。受け止めてやるよ、全部」
がら空きの8筋に、飛車を振る。
炎が盤上を縦に走り、相手の桂馬に直撃した。
飛車が成り込めれば、ほぼ勝ちは確定する。
そうだ、成ることさえできれば──。
ショウは、馬を56の位置に戻した。次に83に歩を打たれれば、せっかく振った飛車の進出は叶わなくなる。
なら、打たれる前に飛車を飛び出してやる。85飛。
ショウは、馬を一マス左に移動させた。どうやら、本気で受け切るつもりのようだ。
させない。絶対に攻め切ってやる。
馬の守りは金銀三枚分というけど、確かに彼の馬は守りの要になっている。何としてでも、排除しなければ。
少し勿体無い気もするけど。直感を信じる。
ど真ん中に、銀を打つ。
「ほお……!」
感嘆の声を漏らすショウ。よし、悪くない手だったようだ。畳み掛けるぞ。
馬を88まで退くショウ。
私の馬と一マス開けて睨み合う形になった。更にこちらの馬のすぐ後ろには飛車が控えている。
今の形勢は悪くないはずだ、多分。
「面白くなって来たな」
なのに、彼は楽しそうに笑うんだ。もっと悔しがって欲しいのに。調子が狂ってしまう。
──そりゃまあ。面白いけど、さ。
釣られて笑い出しそうになるも、懸命に自制する。
これは道場で指す将棋じゃない。決勝進出を懸けた、大事な一戦だ。しかも相手は、人間じゃない。
ここで、仕留める。
馬を76にズラし、飛車先を開放する。
ターゲットは相手の馬、そしてその背後に隠れる桂馬だ。
突破し、飛車を成り込むんだ。
「俺は玉を囲えていない。先に飛車を成り込ませれば勝てる。もしかして、そう思っているんじゃないか?」
「うん」
彼の言葉に反射的に頷いてしまってから、私は慌てて首を振る。
だから駄目だって。まともに相手しちゃ。
「その認識は、半分正解だ」
笑って、ショウもまた馬を一マス右にズラした。
半分正解……?
微妙な言い回しが引っ掛かる。つまり、半分は不正解ってことか?
確かに、今すぐの飛車先突破は難しくなったけどさ。あ、そういう意味での半分正解?
強引に馬を交換して龍を作る手も考えたけど、持ち駒の香桂を上手く使われて無効化されそうだしなあ。
それより、向こうからの攻めが速い気がする。さすがに一旦受けるべきか。
『対話する余地を与えず、攻め潰すんじゃなかったのか?』
私の中の鬼が問い掛けて来る。そうだけど、そうしたいのは山々なんだけど。
残念ながら今の私の棋力は、ショウを一方的に攻め潰せる段階までには至っていないようだ。
ごめん、ここは一旦受ける。受けないと、先に飛車先を突破されてしまう。敗北が確定してしまう。玉を囲えていないのは、私も同じなのだから。それだけはさせちゃ駄目だ。
左銀を、上げる。
「お、受けて来たか。そうだな、攻めと受けのバランスが大事だな。特にこの手の、力戦将棋はよ。
なら、遠慮なく攻めさせてもらうぜ」
宣言と共に、飛車先の歩を突いて来るショウ。同歩とする手もあるけど、銀一枚じゃ心もとない。左金も応援に出そう。
23歩成を、同銀と取るも。すかさず24歩が来る。
くっ、やっぱり自陣が薄い。受け切れる自信が無い。
銀を14に上げてかわす。その銀を狙って、今度は端歩が伸びて来る。放っておけば、銀がタダで取られてしまう。
せっかく序盤で築き上げたアドバンテージが、呆気なく覆されてしまった。
──攻めと受けのバランスが大事。
先程の彼の言葉が頭をよぎった。
受け切れないと思ったなら、無理に受け続けずに攻める。
そうだ、思考を柔軟に切り替えるんだ。
さっきは強引に馬交換する手を厳しいと思ったけど、ある程度自陣を整備した今なら、やれるんじゃないか?
馬を掴んだ右手に、焔が宿る。
大丈夫だ、きっとやれる。指し手の感触を信じろ。
87馬とぶつける。
同馬なら同飛成として龍を作る。馬をかわす手なら、構わず69の金を取り、次に89飛成を決める。
当然そんなに上手くいく訳が無く、ショウは返し技を用意しているだろうが。こっちだって、更に切り返す手はある。
果たして、彼は88に歩を打って来た。
これで、馬交換しても飛車は成れなくなった。
「さあ、どうする?」
「簡単。馬交換しない」
「ほう。なら、馬を逃げるのか」
「逃げない」
切り返す一手を放つ。左辺が駄目なら、右辺を狙う。相手が飛車先を突いて来た手を、逆に利用してやる。
27歩打。ショウの飛車の頭に、歩を打ち込む。
「なるほど、そう来たか」
上手いね、と彼は呟いた。
これに対し同飛なら、54に馬を退いてぶつける。その後、28飛なら更に27歩打で押さえ込み、26飛なら25歩打で追い返す。そうなればはっきり優勢だと思う。
だから、きっと──彼は、違う手を指すはずだ。
「この局面での飛車角交換は、果たしてどちらが有利と思う?」
彼は飛車を動かさず。代わりに、歩で馬を取った。
なら、こっちは飛車を取る。
さすがにと金は放置できなかったか、同銀と取り返すショウ。
その銀の頭に、もう一度歩を打ち込む。同銀なら、28飛車打の王手銀取りが決まる。それは嫌だと、彼は歩を取らずに銀を退く。
そこに更に追撃。26に、取ったばかりの飛車を打ち込んだ。
どうだ、これなら。
これなら、勝て──ない?
右手に宿ったはずの炎が、いつの間にか消えていた。優勢と思い込んでいたけど、もしかして、違うのか?
「うん、良い攻めだ。もう少し持ち駒があれば、恐らく突破されていただろうな」
余裕を感じさせる口調でそう告げて。
ショウは、86に香車を打ち込んで来た。
しまった……!




