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(16)焦燥

「許さないって。将棋指しなら皆憧れることでショ?」

「プロを、侮辱するな……!」


 何故アマがプロの将棋に憧れるのか? 何故魅せられるのか? 何が違うのか?

 思うに、プロの先生方の将棋には魂が込められている。血と汗と涙、たゆまぬ努力を続けた結果が、あんなにも気高く尊い棋譜を生み出すのだ。

 そこに、この女は土足で踏み込もうというのか。努力によって得たものではなく、他人から強制的に奪った力を使って。

 身体の奥底が熱い。これ程の強い怒りを感じたのは久方振りだ。平常心を保とうとしたって、無理がある。


「侮辱ゥ? とんでもなイ。尊敬し、崇拝しているからこソ、目指しているのだヨ」


 だからこそ、ここまで御膳立てを整えたのだ、と。彼女はそう答えて。

 ──ぱちん。

 俺の陣地目掛けて、駒を打ち込んで来た。静かに、深く、抉り込まれる。

 思わずうめく。なんという、懐の大きい一手なんだ。まるで大海に放り込まれたような感覚。途方に暮れてしまう。


「言っとくけド、生半可な気持ちじゃないかラ」


 煮えたぎる感情に、冷や水を打たれた気がした。

 雰囲気が変わった。瘴気の放出が止み、瞳の色も変わっている。鮮血のような赤色から、深い緑色へと。

 怒りのまま指しても勝てないと直感する。こいつがやろうとしていることは到底許しがたいが、盤上に私情を持ち込むべきではない。

 憎しみを、純然たる殺意に変換しろ。


 どんなに怒った所で、勝たなければ負け犬の遠吠え。勝って暴挙を食い止めるんだ。さあ、殺意を研ぎ澄ませ──確実に相手玉を仕留める手順を構築しろ。

 ぱちん。波風を立てない一手を指す。大海原で立ち往生している現状、無駄に体力を消耗すれば、溺れるだけだ。今はまだ、我慢の時だ。


「園瀬流、ねェ」


 桂花はぽつりと呟く。彼女は俺の棋風を知っているのか。もしかしたら、親父のことも?

 そう思った矢先に、


「想像以上。なんて練度の低い矢倉なんダ。所詮はアマチュアの考案したB級戦法カ」


 小馬鹿にした口調で、彼女は笑い捨てて来た。

 ぱちんと、更に踏み込む一手が放たれる。我慢をとがめられる。


「怖れているネ、修司クン。あたしと指し合った瞬間に、その身を切り刻まれるんじゃないかト。だから距離を取り、反撃の機会を窺っていル。違うかナ?」


 新緑の瞳に捉えられる。木綿麻山桂花。こいつの発言は信じないが、その強さは確かなものだ。わずか数手の応酬でも理解できた。俺の、遥か高みに居ると。

 この感じ。穴熊さんと指した時に似ている、が違う。

 穴熊さんはどんと振り穴に構えて、俺の攻めを全て受け止めてくれた。俺の意思を尊重し、準備が整うのを待ってくれていた。

 だが、桂花の場合は。なかなか攻めて来ないのなら容赦無く殺すと、脅しをかけて来る。一切の猶予が与えられない。

 仕掛けを急かされ、焦りを覚える。この状況は極めてマズい。

 普通じゃない。普通は、仕掛けをとがめられるもの。少しでも攻めが遅くなる手を指されるものだ。それが逆に急かされるだなんて。

 ──どうしてだ?

 性格、棋風の違いを考慮しても。穴熊さんと桂花の将棋には、明確な差がある。一体何がそこまで。

 彼らに共通しているのは、俺よりも棋力が上だということ。しかし何故か、桂花の将棋からは強者の余裕を感じない。焦っているのは俺だけじゃない、彼女もまた、何かに焦燥を感じている。

 ──そうか、だから。早く決着をつけたくて、俺の攻めを催促しているのか──。

 気づいた所で、状況は変わらないが。


「あいにくと、園瀬流を継承できてないもんでな。練度が低いのは当然さ。何しろ、今日始めたばかりなんだから」


 ぱちん。考えてもわからないことは考えるな。盤上にこそ、唯一無二の真実が在る。誘いには乗らない。ここは凌ぎの一手だ。


「何そレ。ナメてんノ?」

「俺はいつだって本気だぞ?」


 ぱちん。来ないのなら殺すと指された強烈な一撃を、

 ぱちん。何とかぎりぎりでかわす。受けが間に合わなければ即死。紙一重で凌ぐ。


「ヘェ。今のを受け切るなんて、なかなかやるじゃン。アマチュアにしては、だけド」

「自信は無かったけどな」


 内心冷や汗をかきながらも、笑みを浮かべてみせる。

 彼女の棋力が本当にプロに及ぶ程のものかどうかまでは、級位者の俺にはわからないが。一撃の重さ、鋭さは肌で感じ取れた。首の皮一枚残して、ざっくり抉り斬られた気分。生きた心地がしない。

 ──が、確かにかわせた。

 一息つく間もなく、追撃が来る。致死の連撃が、俺の玉へと迫る。瞬く間に守備駒が弾き散らされる。

 ──かわせ。

 受ける。逃げる。持ち駒を消費しながらも、追い込まれながらも、何とか。自ら矢倉から抜け出し、右辺へと逃げ込む。意地を見せろ。凌ぎ切れ、修司。


「無駄ダ。もうキミの玉は射程距離に収めていル」


 破壊と蹂躙。弾丸が雨のように降り注ぐ。戦火の真っただ中にあって、俺の玉は──ひたすら逃走を続ける。

 どんなにみっともなくとも、情けなくとも。今はまだ、その時ではない。

 桂花の攻めを受け切り、得た持ち駒で反撃に転じる。それとて至難の業だが、他に選択肢は無い。

 彼女の『焦り』の正体が何なのか未だに不明だが、焦らせるだけ焦らしてやる。


「いい加減に、観念しロ!」


 ばちん! 強打が繰り出される。

 あっと、思わず声が漏れそうになった。

 退路を断つ金打ち。もはや逃げることすら許されないか。

 ならば受ける。徹底的に。持ち駒を惜しみなく盾として使い、打ち込まれる白刃のことごとくを受け止めていく。長くは保たないとわかっていても、どうしようもない。攻めに転じた瞬間に、一刀両断される未来が見える。


「どうしタ? このままじゃ潰されちゃうヨ? あたしのこと、許さないんじゃなかったノ?」


 桂花の挑発には乗らない。そうだ、こいつのことは許せない。りんの身体を奪い、俺とりんの対局を妨害し、あまつさえプロの世界に挑戦しようとしている。遥か高みへと昇り詰めて──。

 ん? ……いや、待てよ。

 そこまで考えた所で、妙なことに気づいた。


 それは、プロに匹敵するかもしれない棋力の持ち主と、俺が平手で指し合えている事実。本来なら瞬殺されてもおかしくない手合い差のはずなのに、辛うじて逃げ延び、こうして今も受け続けられている。

 この大会を通して、確かに俺の棋力は向上した。だが、それだけじゃ説明がつかない。

 まさか、こいつは。頭に浮かんだある考えにハッとする。もしそうだとすれば、彼女の正体は。

 ぱちん。確かめる。限界まで受け続けた先に、答があるはずだ。

 ぱちん。痛烈な一撃。構築した矢先に削り取られる守備陣。

 ぱちん。構うな。迷わず指し続けろ。一手でも攻めを遅らせるんだ。紛れろ。乱れろ。

 局面をグチャグチャにかき乱す。筋の悪い手をあえて選ぶ。わかり易くしない。少しでも難解な方向へと誘導していく。

 ──棋力の差を考えれば、俺のやろうとしていることは悪手だ。難しくなればなる程、地力の高い方が有利となる。


「……何を考えていル?」

「気にするな。ただの悪あがきだよ」


 そう、一見してただの悪あがき。形勢は悪くなる一方で、詰まされるのは時間の問題だ。

 そうだ。詰むはずなのだ。目の前に居るのが、本当に木綿麻山桂花なら。睡狐と鬼、それに四十禍津日の力を得た彼女なら。どんなに難解な局面だろうと、最善手を導き出せるはず。

 ばちん! 強打が、玉頭に迫る。

 これは際どい。詰むかもしれない。内心冷や汗をかきながらも、投了はしない。もし、この猛攻を凌ぎきれたなら。その時こそ、真実が見えて来る。


 ざんっ!


 死神の鎌が振るわれる。鋭い斬撃が、俺の首を抉り切る──皮一枚を残して。

 ぎりぎりだが、またしてもかわせた。

 ふう、と溜めていた息を吐く。


「どうしテ」


 か細い呟きが漏れた。『桂花』は右手で額を押さえ、顔をしかめ、荒い呼吸をしている。よく見ると、両肩が小刻みに震えていた。

 どうして。その問いに答える義務は無い、が。


「頭痛がするんじゃないか?」


 代わりにそう尋ねると、彼女はコクンと頷いた。頭が割れるように痛い、と。

 やはり、そうなのか。

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