九十七.戦いの音が断続的に響いていた。夜が
戦いの音が断続的に響いていた。
夜が更け、ほとんど満月に近い月が地面を照らす中、幾つもの光魔法が打ち上げられ、白と黒の陰影の中で大小様々な影が動き回っていた。バハムートに始まり、魔獣はわずかの間を空けるのみで、ほとんどひっきりなしに『穴』から湧き出て来ているらしかった。
素材を採る為に戦いの場から引っ張って来られた魔獣の死骸が、建物の裏手の方にいくつも転がっていた。下界では一つで値千金ともいうくらいの高価な素材も、これだけ数が集まると何となく扱いがぞんざいである。
次第に空が白んでいた。所々に雲がかかって黒い影になってはいるが、概ね晴れていると言っていいだろう。涼風が肌を撫でていたが、やがて太陽が辺りを照らし始めると汗をかくような心持である。
もう大海嘯は始まっているのかも知れませんね、とイシュメールが言った。
「別に満月と同時に始めると誰かが決めたわけではありません。おおよそ、それくらいの周期で魔力と魔獣の溢れる時がある、というだけの事ですから」
「ふむ……しかし大変だな、これは」
ベルグリフは音を立てて首を回し、窓の外を見た。青い空に幾つもの雲の塊が浮かんでいた。
イシュメールが大きく欠伸をした。眼鏡を外して目をこする。
「さてと、私も少し寝かせてもらいましょうかね。流石にくたびれました」
「ああ、ゆっくり休んでくれ。こんな混戦では大変だったろう」
「そうですね。皆さんとはぐれた時はどうしようかと……」
イシュメールはぼさぼさ頭を掻いて苦笑した。見通しの悪い夕刻の混戦で、仲間とはぐれて戦っていたらしい。
ベルグリフは大きく息を吸い、吐いた。眠っているうちにすっかり霊薬が体に回ったようだった。倦怠感も疲労感も体の芯にわずかに残るばかりで、動く事はもちろん、剣を持って戦う事だってできそうだ。
「ベルさん、スープ飲みますか?」
仕切りから顔だけ出してアネッサが言った。ベルグリフは振り向いた。
「ああ、いただこうかな……アーネ、少し寝ておいた方がいいんじゃないかい?」
「いえ、さっき仮眠とったんで……あんまり熟睡できないですね、ここ」
確かに床は石で固い。徒歩での旅路だったから、寝具もそれほどいいものを持っているわけではない。荷物を丸めて枕にし、薄布を敷くか掛けるかするくらいである。眠ると却って体が石になったような気がするのかも知れない。
自分がしっかり眠れたのは霊薬のおかげかな、とベルグリフは改めてモーリンとトーヤに感謝した。
モーリンが茹でた蟹の残り汁が良いスープになっていて、それに具を足して簡単に味付けした。ホッとする味だ。体に染み渡るようである。
仕切りの中ではミリアムとマルグリットが並んで寝ていた。ダンカンも壁に寄り掛かって腕組みし、こっくりこっくりと船を漕いでいる。その脇でイシュメールも膝を抱くようにして寝息を立てていた。
陽が昇ってからは魔獣の襲撃も少し落ち着いたようだ。建物の外は魔獣の解体や、その肉を料理する連中でざわざわしている。
結局アンジェリンたちは戻って来ていない。魔獣と戦いに行ったのならばもう戻って来ても良い筈なのだが、と思う。
スープの湯気を眺めながら、一瞬だけ見たかつての仲間の顔を思い出す。
「……老けたな。まあ、お互いにだが」
アネッサが鍋を掻き回しながらベルグリフを見た。
「パーシヴァルさん、ですか?」
「うん……あんな風に険しい顔ばかりしていた奴じゃないんだがな」
「……わたし、正直怖いって思っちゃいました。凄く大きく見えて、息が詰まるみたいで……あ、すみません、友達の事、そんな風に」
「いや、構わないよ……ただまあ、本当はそんな男じゃないんだ。よく笑ったし、カシムと二人で悪ふざけして……ああ、サティも一緒になって三人で俺を困らせる事も多かったな」ベルグリフは小さく笑いながらアネッサを見た。「君がアンジェとミリィにからかわれるのに似てるかも知れないな。アーネ?」
「ああ、そう考えると……」
アネッサはくすくす笑ってスープを椀によそった。もそもそと衣擦れの音がして、ミリアムが起き出して来た。
「ふにゃー……寝辛いー……」
「なんだよ、寝ておかないと疲れが取れないぞ」
とアネッサが言った。ミリアムは頬を膨らましてコップを手に取った。
「だって逆に体が硬くなりそうだもん。イスタフの宿のベッド、柔らかかったにゃー」
「そういう事言うんじゃねえよ、余計に寝辛くなるだろ」
マルグリットまで起きて来た。眠そうに目をこすって欠伸をしているのに、首や肩をほぐすように回している。野営は野営でそういうものだという意識があるが、こういう建物の中で野営のように眠るのは、何となく感じがちぐはぐになっているのかも知れない。
それでも野営よりは遥かに寝やすい筈なのだが、『大地のヘソ』が持つ一種独特の緊張感が神経を刺激して、余計に眠らせなくしているのだろうか。
ずっと休んでいた反動か、パーシヴァルが傍にいる筈だと分かっているせいか、どうにも落ち着かない。ベルグリフはスープを飲み干すと立ち上がってグラハムの大剣を手に取った。
「少し外に出てみるよ。調子は悪くないし」
「あ、おれも行く。ちょっと待てよ」
「構わんが……マリー、休まなくて大丈夫か?」
「こんな所で寝てるくらいなら動いてた方がいいって。酒場行こうぜ、酒場。酒飲んだ方が元気出るぜ、絶対」
「ん、まあ、そうだな……とりあえず行ってみようか」
「わたしも行く行くー。お酒飲みたーい」
ミリアムも立ち上がって帽子をかぶった。ベルグリフは苦笑して大剣を担いだ。
「ほどほどにね……アーネはどうする?」
「え、あ、う、どうしよ……」
「いいじゃん、どうせする事ないし。ダンカンさんとイシュメールさんは寝てるんだし、行こ行こー」
「う、うん……じゃあ行こうかな」
鍋を下ろし、たき火に灰をかぶせて建物の外に出た。すっかり良いお天気で、夜明けの時にかかっていた雲は薄くなって、透明な月が浮かんでいるのが見えた。
あちこちで魔獣の解体が行われているせいか、どことなく血生臭い。
バハムートの肉はうまいようで、さっそく露店や酒場で色々に料理したものが出ていた。明け方までは命のやり取りをしていたのに、今はお祭り騒ぎだ。こんな所に集まる連中はたくましい。
少し行くと、道端に置かれたテーブルを挟んで、ヤクモとルシールが酒を飲んでいた。近づくとヤクモがにやりと笑った。
「おう、おはよう。おんしらも朝酒としゃれ込むんかの?」
「おれはそのつもりだぜ! ここの酒はうまいのか?」
「朝の一杯はなんでもうまし。ねくたぁ」
ルシールがそう言ってうまそうに喉を鳴らしてコップを空にした。
いずれにせよ当てもなく歩いていたのであるし、一も二もなく同席となった。マルグリットもヤクモとルシールとは既知となり、物怖じしない性格で異国の話を聞きたがった。
ミリアムがにやにやしながら言った。
「けど凄いよねー。昨日のバハムートの素材だけで相当の収入だったもんね。アンジェとパーシーさん様様ですにゃー」
「そうだな。わざわざ遠路遥々来る連中がいるのがよく分かったよ……」
アネッサがそう言ってコップを口に付けた。ヤクモが口から煙を吐き出した。
「流石、アンジェもあやつも大した腕前よの。あれに跳びかかって剣を突き込むなんぞ、考えただけで背筋が凍るわい。さぞ素材の分け前もあったんじゃろ? 金にするだけでなく、武器防具の材料にするのも有用じゃぞ」
「そうですね。バハムートの髭、弓の弦にするとしなやかでよく飛んで、しかも魔力の循環もあって、凄くいいんだって」
「へえ、よかったじゃん。おれも何かそういうの手に入らないかなー」
「大海嘯じゃからのう、まだチャンスはあると思うぞ」
「けどマリー、それで焦って前に出過ぎるなよ? これだけ実力者が集まってるから分からんが、本来高位ランク魔獣はかなり危険なんだからな」
「分かってるっつーの! ったく、ベルは説教ばっかだな!」
マルグリットは頬を膨らましてそっぽを向いた。ルシールがふふんと鼻を鳴らした。
「昔の人は言いました。親の心子知らず、だって見えないもん」
「おんしは静かにしとれ。で、ベルさん。あやつと話は?」
ベルグリフは黙ったまま首を横に振った。ヤクモがため息とともに煙を吐き、煙管をテーブルの縁で打って灰を捨てた。
「怖いような気になるような……こうなってはさっさと話をして欲しいもんじゃのう」
「俺もそうしたいんだが、どこに行ったのやら……」
不意に、担いだ大剣が小さく唸った。ベルグリフはハッとして空を見上げる。きらめく太陽を背に何か黒い豆粒のようなものがあると思ったら、たちまち大きくなった。何かが急降下して来た。
ベルグリフは立ち上がって大剣を抜き、怒鳴った。
「魔獣だ! 上から来るぞ!」
一斉に立ち上がってパッと散った後に、蝙蝠のような羽を生やした妙な魔獣が四つん這いに降り立った。上半身は人間だが、顔と下半身は山羊である。そうして首から笛のようなものをぶらさげていた。
周囲の冒険者たちがたちまち殺気立って武器を構えた。
「“堕ちた農神”じゃねえか! またSランクたァ景気が良いな!」
「なんにせよ、ぶっ殺す!」
「おい、笛に気ィ付けろ!」
誰かが叫ぶのと同時に、堕ちた農神は笛を吹き鳴らした。甲高い、鼓膜を刺すような音が響き、冒険者たちは思わず両手で耳を塞いだ。
同時に、周囲の地面がぼこぼこと小さく盛り上がったと思うや、次々と植物が芽を出し、恐るべき勢いで育ち始めた。だが、そのいずれも茎が曲がっていたり花弁が歪んでいたりして、嫌な臭いを漂わせていた。
「くそっ! 舐めやがって!」
「笛をぶっ壊せ、笛を!」
しかし農神は瞬く間に宙に舞い上がり、余裕の表情で眼下を睥睨した。
現れ出でた草たちは葉や茎、蔓を動かして冒険者たちに襲い掛かる。植物も高位ランク相当の戦闘力を持っているようだ。そこいらはあっという間に混戦状態になった。
アネッサが迫って来た蔦を短剣で斬り裂いた。
「ベルさん、どうします!」
「アーネとミリィはあの山羊の魔獣を狙ってくれ。マリー、俺たちは二人を守るぞ」
「よっしゃあ! 任しとけ!」
マルグリットは剣を振るい、軽々と植物たちを細切れにした。
アネッサとミリアムはすぐに宙に狙いを定め、魔法と矢とを放つ。
周囲の冒険者たちも流石に一流揃いだ、次々と矢や魔法が堕ちた農神を狙って飛んで行くが、魔獣は涼しい顔をして手を振り、その身に到達する前に次々と打ち落としてしまう。ミリアムが地団太を踏んだ。
「もー! ムカつく! 『雷帝』撃っちゃうぞ!」
「出し惜しみしてる場合か! さっさと撃て!」
「よーし、行くぞー!」
アネッサに言われてミリアムは詠唱を始める。ベルグリフは植物をまとめて斬り裂き、上空を見上げた。
「やっぱ大魔法しかないか……けどそう易々と撃たせてくれるか……」
あちこちで大魔法の詠唱が始まっている。だが、懸念通り農神は笛を吹き鳴らした。魔法使いたちはたまらずに耳を塞ぎ、詠唱は中断された。
バハムートといい堕ちた農神といい、最上位の魔獣ともなれば様々な対抗策を持っているらしい。
楽器を構えていたルシールが怒ったようにがうがうと吼えている。
「ただの雑音はロックではない!」
「馬鹿言うとらんで戦わんかい!」
ヤクモが怒鳴って手近な植物を槍で薙ぎ払った。
その時、周囲で火の手が上がった。火魔法を得意とする魔法使いが、植物たちに火を放ったらしい。元々乾き気味だったから火はたちまち燃え上がり、植物たちは炎に包まれて身悶えした。しかし冒険者たちの怒号も飛ぶ。
「バカヤロー! 俺たちまで燃やす気か!」
「誰か水魔法!」
ベルグリフは剣を振って炎ごと植物を吹き飛ばし、上を見た。堕ちた農神は地上の大騒ぎを愉快そうに見下ろしている。
「……油断大敵だ」
大きく息を吸って集中する。体の中の魔力が渦を巻き、大剣へと流れ込む。
剣の魔力とベルグリフの魔力が混じり合い、大剣が唸り声を上げて輝いた。そのまま体を捻って剣を後ろに引く。しかし切っ先は魔獣に向けたままだ。
そうして勢いよく左足を踏み込んで、引いた大剣を空に向かって突き込んだ。
途端、剣先から魔力が細くらせん状に伸び、さながら槍のような鋭さで堕ちた農神の胸を、下げた笛ごと貫いた。
農神は驚愕に目を見開いたが、叫び声と同時に吐血し、そのままぐらりとバランスを崩して落下し、どずん、と音を立てて地面に落ち込むと動かなくなった。
「……何とかなるもんだな」
ベルグリフは大きく息をついて剣を鞘に収めた。
冒険者たちは魔獣が仕留められたらしい事は分かったが、消火やらなんやらの大騒ぎで誰が仕留めたかまでは分かっていないようだ。誰だ誰だと騒ぎながら、魔獣の死骸を検分している。
マルグリットがベルグリフの背中を叩いた。
「やるじゃねーか! もう随分使いこなしてるっぽいぜ!」
「まあ、こいつを持つと体が軽くなるからね……剣のおかげだよ」
「それが“パラディン”の剣の威力か……大したもんじゃ」
ヤクモがやって来て、感心したように剣を見た。
「しかし、よう使いこなせるのう……ベルさん、おんしの腕もかなりのもんじゃの」
「……前よりはね」
頬を掻くベルグリフの袖を、ルシールが引っ張った。
「来た」
「ん?」
見ると、向こうからアンジェリンが駆けて来てベルグリフに飛び付いた。ベルグリフはたたらを踏んでアンジェリンを抱き留めた。
「お父さん!」
「お、おお、アンジェ。何処に行ったのかと……」
「やー、こっちまで魔獣が来たんかい。やっぱ飛ぶ奴は面倒だね」
カシムもからから笑いながらやって来る。ベルグリフは、その後ろに立つ男に視線を合わせた。獅子のたてがみのような髪の毛は枯草色で、鼻は気が強そうにつんと尖っている。眉根には深い怒り皺が寄っていた。長く顔をしかめて戻らなくなってしまったのだろう。
アンジェリンがぎゅうと腕に力を込めた。
「パーシーさん、だよ」
パーシヴァルはしかめっ面のままベルグリフを見た。
「…………よお、ベル」
ベルグリフはふっと微笑んだ。
「久しぶりだな、パーシー」
○
不思議に張りつめた空気が漂っていた。
ベルグリフとパーシヴァルは酒場のテーブルを挟んで向き合っていた。カシムがその脇に椅子を置いて座り、他の者たちは離れた席で息を呑んで見守っていた。
「……長かったな」
ベルグリフが言った。パーシヴァルが小さく頷いた。
「二十年以上にはなるか……」
「そう、だな」
パーシヴァルはちらりとベルグリフの義足に目をやり、閉じた。
「……十七の時だったか」
「そうだな。俺と君がそうで、カシムはまだ十五だったかな?」
「だったなあ。ベルとパーシーが同い年で、サティが一つ下、オイラが二つ下で」
パーシヴァルは嘆息して、ジッとベルグリフを見つめた。
「……どうして今になって来た。こんな所まで」
「過去の清算が必要だと思ったんだ。俺にも、君にも」
「清算、か」パーシヴァルは自嘲気味に笑った。「そんな事ができればな……」
「……君たちを置いてオルフェンを去った事、済まないと思っているよ」
「違う!!」
突然パーシヴァルは大きな声を出してテーブルを叩いた。置かれたコップが揺れて、酒がいくばくかこぼれた。カシムが驚いたように目を見開いた。
「な、なんだよ……何怒ってんの?」
「……お前が謝る事なんか何もない。あの時、俺がもっと奥まで行こうなんて言わなけりゃ」
「それはただの結果論だ、パーシー。Eランクのダンジョンだ、誰もあんな魔獣がいるなんて考えもしない」
「俺にはそんな風に都合よく考えられない」
パーシヴァルはぎろりとベルグリフを睨み付けた。
「お前が俺の代わりに足を失った事に変わりはないだろ?」
「……だが、そうでなければ君は死んでいた」
「死んでればよかったんだ」
「そんな事言うもんじゃないよ、パーシー!」
カシムが怒ったようにテーブルに両手を突いた。
「さっきベルが戦ってるのを見ただろ! ベルは足を失った事を枷になんかしてない! 君が気に病む事なんか何もないんだよ!」
「だからだよ」
パーシーはいよいよ病的な笑みを浮かべてベルグリフを見据えた。
「俺はお前たちの友人である資格すらねえ。なあ、ベル。俺はここで最初にお前を見た時、お前に憎悪を抱きさえしたんだぜ?」
「んな……」
カシムが驚愕の表情を浮かべた。ベルグリフは静かにパーシヴァルを見つめている。
「お前の為だなんて言い訳して自分を追いつめて……それでようやくお前を見た時に憎しみが湧くなんて……自分で自分が嫌になる!」
パーシヴァルは激高したように両手で頭を掻きむしった。
「カシムとサティと……足を治す方法を探した。強くなって、上に行って、自分たちの知らない魔法や技術を手に入れる事ができると思った。思えばあの時から俺は狂ってたのかも知れねえ。散々無茶をして、何度もカシムとサティを怒鳴り付けた。サティはよく泣いてたよ。ベルを助けるつもりがないのか、なんて追い詰めるような事ばかり言った。あいつが限界を迎えたのもよく分かる」
「けど、けど、それは……」
「黙ってろ、カシム。ベル、お前がいなくなってからは、死んだとばかり思ってた。悔しかったが、変にホッとした自分もいたんだ。もう自分を追いつめなくていいかも知れないってな。だが、そんな自分が許せなかった。だから無理矢理理由を作った。お前の足を奪った魔獣を追ってあちこちの魔獣を倒して回った」
「……見つけたのか? その魔獣は」
とベルグリフが言った。パーシヴァルは拳を握りしめた。
「見つかってりゃ世話はねえ。だが、見つからない事に安堵してもいた。理由を失わずに済むってな。俺は卑怯モンだ。お前の為だと言って、自分の為に剣を振るっていた。そうする事で、無理に生きる意味を作っていたんだ」
カシムが肩を落とした。
「……パーシー、オイラも似たようなもんだったんだよ。オイラはベルが生きてる筈だって思い込もうとしてた。足を治す方法をずっと探してた。けど、ベルは生きてて、娘もいてさ。何をこれ以上責任感じる必要があるのさ? いつまでも過去にしがみついてても仕方がないじゃない」
「言っただろう? 俺は卑怯モンだって。なあ、カシム、お前は良い奴だからベルが無事だったら素直に喜べただろう。だが、俺は違うんだ。今まで俺がして来た事がすべて無意味だと突き付けられたみたいだった。ベルが前を向いて歩いていた事が妬ましかった。なあ、分かるか? 俺は心の中じゃベルに死んでいて欲しかったと思ってたんだよ」
「そんな事……そんな事、思ってただけじゃないか!」
「思っただけかも知れねえ。だが、そんな事を思う奴が友達でいられると思うか? そんな資格があるとでも? 違うだろう!」
パーシヴァルは不意に顔を歪め、懐から匂い袋を取り出して口元に当てた。
「ごほっ……くそ……」
「……その匂い袋、まだ使ってるんだな」
ベルグリフが穏やかに言った。
パーシヴァルはぐっと唇を噛みしめた。ぐいと引っ張って紐を引きちぎり、そのままベルグリフに向かって突き出した。
「返す。もう必要ない」
「意地を張るな。そんな風に自分を恨ませようとしても無駄だよ」
パーシヴァルは眉根の皺を深くし、ベルグリフを睨み付けた。
「……恨みもしねえのか。そんな価値もねえか?」
「そう穿ったように見るなよ。それとも恨んでいて欲しかったのか? ここに来たのは君に恨み辛みを吐き出す為であって欲しかったと?」
「その方がずっと楽だった」パーシヴァルはテーブルに肘を突いて俯いた。「お前に死ねと言ってもらえれば、俺だって……」
カシムは言葉を失ったように呆然としている。パーシヴァルはしばらく黙っていたが、やがて顔を上げてベルグリフを見た。
「……過去の清算と言ったな?」
「ああ」
「ならこれで清算は済んだ。決別だ。お前らは帰れ。娘もいるんだろう? わざわざこんな所までご苦労だったが、俺はもうずっとこうだ。今更……許されるべきじゃねえんだ。何より、俺は俺が許せねえ……」
パーシヴァルはそう言うと俯いた。ベルグリフはふうとため息をついた。
「そうか……分かった」
「ベ、ベル……」
カシムが絶望したような表情でベルグリフを見た。
ベルグリフはにっこりと笑い、口を開いた。
「喧嘩するか。パーシー」
「……なに?」
パーシヴァルが怪訝そうな顔を上げたところで、ベルグリフは突然テーブルの上のコップを掴み、中の酒をパーシヴァルの顔にぶっかけた。
「ぶっ――!?」
ベルグリフはテーブル越しに身を乗り出し、ひるんだパーシヴァルの胸ぐらを掴んで立たせると、頬を思い切りぶん殴った。パーシヴァルはバランスを崩したが、即座に足を踏ん張る。テーブルがひっくり返り、椅子が後ろに転がり、カシムが驚いて立ち上がる。
「ちょ、ベル!?」
ベルグリフは何も言わずに足でテーブルを横に転がすと、今度はパーシヴァルの腹に拳を叩き込んだ。
パーシヴァルはたまらずに膝を突いたが、口からぷっと血を地面に吐くと、ベルグリフを睨み付けた。
「てめえ……っ!」
「建前ばっかり言ってるんじゃないぞ。俺が納得するとでも思ったか?」
「――ざっけんなッ!」
パーシヴァルはベルグリフに飛びかかった。
組手などというようなスマートなものではない、二人は髪の毛を掴んだり首を絞め合ったり、まるで子供同士がするように取っ組み合って地面を転がった。周囲の冒険者たちが驚いて目をやったが、なんだ喧嘩かとまた元通りに酒を飲み始める。
慌てて駆け寄って来たアンジェリンも手が出せずにおろおろしている。
「お、お父さん! パーシーさん! やっ、やっ、やめてよ! やめろーっ!」
しかし止まらない。二人は不格好に殴り合い、もつれるようにして砂埃にまみれた。
やがてベルグリフが仰向けに転がり、パーシヴァルがその上に馬乗りになって胸ぐらを掴む格好になった。どちらもすっかり息が切れて辛そうだ。
しかしベルグリフは苦し気ながらも妙に楽しそうに笑った。
「はあ、はあ……やっぱり勝てないか」
「ゼェ……ゼェ……ったり前だろうが……ッ! 何なんだよ……ッ! なんでお前は……!」
パーシヴァルの目が涙に滲み、頬を伝って顎から垂れた。
「お前はいつもそうじゃねえか! 自分ばっかり貧乏くじ引きやがって……足のないお前が気にするなって笑う度に、俺は辛かった! お前が偽物の笑顔を俺たちに向ける事が悲しかったんだよ! どうして怒ってくれなかったんだ! どうして助けを求めてくれなかったんだ! 俺は……俺たちは……寂しかったんだ……」
パーシヴァルは泣き崩れるように肩を落として震わせた。抑え込んでいた感情が溢れ出すようだった。
「やっと本音を言ってくれたな……いつつ……」
ベルグリフは殴られた所に手をやりながらも微笑んだ。
「……ごめんな。君はずっと、俺の事を友達だと思ってくれていたんだな」
「思ってなけりゃこんなに苦しいわけねえだろうが! ちくしょお……」
「……俺は聖人君子じゃない」
ベルグリフはそう言って、切れた唇から滲む血を指先で拭った。
「なあパーシー。俺もさ、冒険者を辞めると決めた時は君たちを恨みもしたよ。どうして俺ばっかり、って思ったもんさ。オルフェンでもあえて君たちを避けていた」
「……当然だ。やっぱり」
「けど、ずっと悔やんでた。何も言わずに去った事も、君たちを恨んでしまった事も……結局俺は自分が良い恰好をする事しか考えてなかった。自分の実力のなさを言い訳にして、これ以上自分が傷つくのが怖かったんだよ。君たちが傷つくのも当たり前だ。ちょっと考えれば分かりそうなものなのに、目を逸らしてたんだ」
「悔やむ必要なんかない……そんな事当然なんだ」
「違うよ。今となっては俺はむしろ感謝してるよ。もしオルフェンで冒険者を続けていたとしても……おそらく俺はあれ以上伸びなかっただろう。君たちに比べて剣の才能はなかった。だから焦ってたんだ。他の分野で何とか力になろうとして足掻いていたが……」
「……随分助かってたんだがな」
「はは、そうかな? けど、焦ってた。剣で劣等感を抱き続けてたからな……だからそのうち功を焦って前に出て魔獣に殺されてたんじゃないかと思う」
「そんなもの……今となっちゃ分からねえよ」
「そうだな。でも一つだけ確かなのは、俺は足を失って故郷に帰っていなければ、アンジェとは会えなかったって事だ」
「アンジェ……ああ」
パーシヴァルはアンジェリンを見た。
傍らに立っていたアンジェリンは、どきりとしたようにベルグリフとパーシヴァルを交互に見た。
「……強かったぞ。俺と肩を並べられる冒険者はそういねえ」
「だろう? 俺は幸せ者だよ。だからこそ、君たちから逃げるようにして来てしまった事が、ずっと心のどこかに引っかかってたんだ。君たちなら大丈夫だろうなんて自分に言い訳しながらね」
「長く……かかったな」
「自分勝手だったんだよ……今になってようやく過去と向き合う勇気が出たんだ。それもアンジェのおかげさ。あの子が沢山の縁を俺に運んで来てくれた」
ベルグリフは目を伏せた。アンジェリンがいなければ、パーシヴァルはおろかカシムにさえ会えなかっただろう。
「だが、俺はお前を憎みさえしたんだぞ……?」
「それでも構わないさ。君が完璧な人間じゃない事くらい、俺が知らないとでも思ったか?」
「くそ……やっぱりお前には敵わねえな、ベル」
パーシヴァルは諦めたようにベルグリフの上から降りて、地面にあぐらをかいた。そうしてふっと表情を緩めた。
「ったく……四十過ぎの親父が意地張って取っ組み合いか……恰好が付かねえな」
「はは、年甲斐がないのはお互い様だろ……もう自分を許してやってくれ。君は十分に頑張ったよ」
「……俺は、まだお前の友達でいていいのか?」
「仮に君がそう思わなかったとしても、俺はずっとそのつもりだ。これまでも、これからも」
ベルグリフは上体を起こし、にっこりと笑ってパーシヴァルの肩に手を置いた。
「長い事ごめんな、パーシー。生きていてくれてありがとう。また会えて嬉しいよ」
「……俺もだ……ありがとう、ベル。会いに来てくれて」
パーシヴァルはぎゅうと目をつむると、目頭を指で押さえた。
アンジェリンがベルグリフに飛び付いた。
「仲直り……?」
「はは、そうだな。アンジェのおかげだよ」
くしゃくしゃと頭を撫でられ、アンジェリンは嬉しそうに目を閉じた。
「コノヤロー!」
突然カシムがパーシヴァルの肩を蹴っ飛ばした。パーシヴァルはよろけてカシムを睨み付けた。
「何しやがる」
「うるせーッ! ハラハラさせやがって! この意地っ張り! 大体、昔っからそうだよ! いっつも我が強くてオイラの気も知らず……もーっ!」
「あー、分かった分かった、怒るんじゃねえよ……大体、お前も似たようなもんじゃねえか」
うんざりしたように首を振るパーシヴァルの肩を、ルシールがつついた。
「よかったね、おじさん」
パーシヴァルはぎくりとしたように表情を強張らせ、バツが悪そうに頬を掻いた。
「……その……悪かったな。色々と」
「どんうぉり。びーはっぴ」
「ふふふ、突然丸くなりおったのう。憑き物が落ちたようじゃ」
ヤクモがにやにやしながら煙管を咥えた。パーシヴァルはばりばりと頭を掻いて立ち上がった。
「うるせーよ。悪いか?」
「うんにゃ、良い事じゃと思うよ。のう?」
後ろの方で、アネッサとミリアム、マルグリットもホッとしたように頷いている。
ベルグリフが笑いながらパーシヴァルを小突いた。
「君、随分怖がられてたぞ? なあ、アンジェ?」
「うん……怖かったよ、パーシーさん」
「親子揃って俺をいじめんじゃねえよ!」
そう怒鳴りながらも、パーシヴァルの顔は嬉しそうだった。まるで少年のような快活な笑みが顔いっぱいに広がっていた。
何やら『穴』の方が騒がしい。また魔獣が這い出して来ているようだ。
大きく息をついたパーシヴァルが立ち上がり、腰の剣の位置を直した。落ちていた匂い袋を拾い上げ、懐にしまう。
「ベル、カシム。ひと暴れするぞ。そういう気分だ」
「よし来た! へへっ、嬉しいなあ! 次はサティを見つけようぜ!」
カシムが山高帽子をかぶり直す。ベルグリフは苦笑して立ち上がり、大剣を担ぎ直した。アンジェリンが嬉しそうにその横に立った。
「よかったね、お父さん!」
「ああ……本当に」
分かれていた道がまた一つ合流した、そんな気分だった。小さく細い縁が、少しずつ絡んで自分を導いてくれるように思う。あと一つ、エルフの銀髪が記憶の中で揺れている。
一行が歩き始めると、ふと思い出したようにパーシヴァルが後ろを向いた。
「そういやベル」
「ん?」
「アンジェが言ってたが……赤鬼ってのは何だ?」
「……アンジェ?」
アンジェリンは口笛を吹く真似をして明後日の方を見た。
風が雲を何処かへ押しやって、すっかり抜けるようないい天気だ。
七章終わりです。すっかり時間がかかってしまった……申し訳ないです。
八章は九月半ばか十月始め頃から再開できたらいいなあと思っていますが、何分予定は未定、作者の頭もスーパーコンピューターではないので、どうかご了承くださいませ。
あと三巻出るっぽいです。詳細はまたいずれ。




