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九十二.張り出されたテラスから見下ろす


 張り出されたテラスから見下ろす往来で風が渦を巻いて、砂埃がくるくると舞っていた。手すりがあるだけのテラス席なのに、余程の腕利きの魔法使いが術式を組んだのか、冷房魔法(クーラー)が効いていて涼しい。しかし手すりの向こうに腕を突き出してみると、その向こうは途端に暑かった。見えない魔法の膜のようなものが張られているらしい。

 すっかり元気になったマルグリットが面白そうな顔をしてメニューを見ている。


「すげえ、名前見てもどんな料理か分っかんねえ! 何が出て来んのかな?」

「むー、こういう時お店だと困るねー。露店なら商品が見れるから分かるんだけどなー」

「カシムさんなら分かるんじゃないですか?」

「いやー、どうかなー。オイラもこっち来たの久しぶりだし、あんま覚えてないや」

「ダンカンさん、どれくらいイスタフにいるの? おススメある……?」

「イスタフにはもう二週間ばかりおりますが……食事は露店や宿で済ますばかりでして」

「……定食を頼めば間違いないですよ」


 イシュメールがそう言った。人見知りする性質なのか無口なのか、何となく陰気な感じを受ける男である。豪放磊落なダンカンと行動を共にしているのが何だか不思議な気がした。


 ともかく、適当に料理を注文して、先に運ばれて来た飲み物を手に取って乾杯した。


「二人はどこで知り合ったんだい?」

「ああ、先週イスタフで知り合いましてな。路銀を調達する為に参加した合同討伐依頼で一緒だったのです。ひょんな事で行き先が同じだという事が分かりまして、それ以来一緒に」

「どこに行くの……? 目的地は?」


 とアンジェリンが言った。ダンカンは少し身をかがめた。


「……ベル殿たちだから言いますが、実は『大地のヘソ』という場所がありましてな」

「えっ! ダンカンさんたちもそこを目指してるの?」


 アンジェリンが身を乗り出した。ダンカンは驚いた顔をして目をしばたかせた。


「まさか、ベル殿、アンジェリン殿たちもそこに?」

「うん、例の昔の仲間の一人がそこにいると聞いてね……はは、まさか君たちもそこを目指していたとはなあ」

「いやはや、天の配剤とはこの事ですな。これは心強い……」

「Sランク二人……大海嘯も近いだろうし、確かに頼もしいですね」


 イシュメールが小さく笑った。アネッサが首を傾げた。


「だいかいしょう……?」

「おや、ご存じない? ああ、『大地のヘソ』が初めてなら無理もありませんね……」

「ダンカンさんも知ってるのー?」

「いや、某も『大地のヘソ』は今回が初めてなのです。噂には何度も聞いていたのですが、後回しにしておりましてな。今回の旅を最後にしようと決めたので、一度行っておこうと思いまして」

「最後……?」

「……トルネラに人を待たせておりますからな」


 ダンカンはそう言って照れ臭そうに笑った。ベルグリフも微笑んだ。アンジェリンが変な顔をしている。


「ダンカンさん……そういうの死亡フラグっていうらしいよ?」

「な、なんですか、それは」

「この前読んだ本に書いてあった……」

「お前はヘンテコな本ばっか読んでるねえ」カシムがからから笑ってコップの中身を飲み干した。「で、大海嘯って?」

「ええ、『大地のヘソ』は大きな魔力溜りなのですが」


 イシュメール曰く、大海嘯というのは『穴』に渦巻く魔力の量が一定の閾値を超えた時、普段よりも強力な魔獣がさらに数を増して『穴』から溢れ出て来る現象の事を言うのだという。魔力量の増減は月の満ち欠け、星の運行などと関係もあるらしく、占星、魔力測定などの技術により、現在はほぼ正確に予測できるそうだ。


「要するに、次の満月です。それが終わると今度は来年になります」

「ふむ……それをわざわざ狙って来る連中もいる、と?」

「魔獣が強力になるという事は、つまり素材の質も上がりますから……皆さんもそれを目指しているのかと思っていましたが」

「いや、我々は人に会いに行くのが目的ですから……イシュメール殿はそれを狙って?」

「ええ、まあ。研究に必要な素材がありまして」


 アンジェリンがくすくす笑った。魔法使いはみんな同じだな、と思っているらしい。


「イシュメールさんは行った事あるの……?」

「ええ、過去に一度。二年前の大海嘯の時です」

「実際、どうなんでしょう? 危険はどれくらいあるものですか?」


 ベルグリフが言うと、イシュメールは難しい顔をして顎を撫でた。


「さて……その時々で現れる魔獣も違いますから。けれど、集まる冒険者も腕利きばかりですから、自分の身を第一に考えれば生き残る事自体は難しくはないかと」


 しかし、魔獣の素材などは戦いに於いて最も貢献したものが多くの権利を得る、という暗黙の了解がある。ゆえに、欲しい素材を狙うならば後ろでまごまごしている暇はないらしい。


「前に私が行った時は“紅蓮の魔術師”エステバンや“隻腕の勇剣”ヴァードルセン、“青牙”クリフォードなどのSランク冒険者がいました。大海嘯の時は名のある冒険者の数も増える傾向がありますね。今回はどうなる事やら……」

「どれも音に聞こえた実力者ばかりです。彼らを出し抜いて活躍し、素材を得る権利を獲得するのはかなり難しそうですな」


 ダンカンが神妙な顔で腕組みして頷いた。

 アンジェリンが水差しを手に取った。


「おじいちゃんに頼まれた素材って何だっけ……?」

「ああ、魔力の結晶だよ。ただ、特別なものらしくてね、ア・バオ・ア・クーという透明な魔獣の体内にあるものらしい」

「それは……随分と難しいものを頼まれましたね」


 イシュメールが呆れたんだか感心したんだか、曖昧な顔で笑った。カシムが髭を捻じった。


「やっぱそう? 名前は聞いた事あるけど、知らない魔獣なんだよね」

「確かSランク指定でしたよね」


 アネッサの言葉にイシュメールは頷いた。


「生きているうちは透明で見えない魔獣なんです。しかし、死ぬと姿を現す。ただ、自発的に人間を襲う事はないようですね。Sランク指定なのは、生息するダンジョンが軒並み高難易度と言う事、そしていざ戦うとなると恐ろしく強いという事が上げられます」

「『大地のヘソ』にはいるんですかー?」


 とミリアムが言った。イシュメールは腕を組んだ。


「いるらしいですが……穴の外には出て来ないらしいです。討伐するには穴を下ってア・バオ・ア・クーのいる所まで行かなくてはならないとか」

「ふむ……」


 これは確かに大冒険だ、とベルグリフは内心不安になった。しかしアンジェリンたちはむしろ楽しそうである。


「腕が鳴る……楽しみ」

「見えない魔獣かあ。へへっ、面白いじゃん」

「完全に見えないのかな? それともうっすら分かる程度なのか……」

「魔法効くかなー? Sランク魔獣なんか中々戦わないからねー」

「あ、そうだ。オリバーさんから頼まれたのもあるんだった……」

「オリバーさん?」

「ここのギルドマスター……色々手助けしてくれたの」


 少女たちは魔獣の対策だか何だか、あれこれと楽し気に話し合っている。カシムがにやにやしてベルグリフを小突いた。


「怖がってる暇はないぜ、ベル」

「……そうだな」


 自分が尻込みしてどうする、とベルグリフは頭を掻いた。やれる事を精いっぱいやるしかない。不安になっている暇などないのだ。


 『大地のヘソ』の事だけでなく、トルネラでの騒動や、ダンカンの旅路の話などで盛り上がっていると料理が運ばれて来た。しばらく自作の野外料理に親しんでいたベルグリフたちとしては、匂いからしてまったく趣が違うように感じた。

 細長い米を蟹の身をほぐしたものと一緒に炒めたものに、脂で揚げた川魚が載っている。そこに甘いような辛いような、不思議な味付けのソースがかかっていた。他にはサボテンの身だという変に柔らかい果肉のようなものが付いている。スープには香辛料がふんだんに使われていて辛い。

 馴染みがない分うまいかどうだかピンと来ないが、しかし嫌いではない。アンジェリンたちは美味しいと言って食べている。味付けが濃いのには少し参ったが。


 食べてからも長話に花は咲き、日が暮れかける頃に店を出て、ダンカンたちといったん分かれて宿に向かった。

 ぎらぎらと照っていた太陽は西の山陰に隠れ、まだ空気はもったりと温かいような気がしたが、夜の気配がひやりと背中を撫でて行くような気もした。


 次の満月まで二週間もない。その前には辿り着くようにダンカンとイシュメールは出発するそうだ。

 別にベルグリフたちは大海嘯を狙っていたわけではないが、どうせなら一緒に行く方が安全度も上がる。だからダンカンたちと一緒に出発する予定になった。


 少女たちと別れて部屋に落ち着き、荷物を点検した。馬車や旅の道具はもうギルドに返したから随分身軽だ。その分、道具の取捨選択が大事になる。徒歩での行軍だから荷物は少ない方がいいが、少なすぎても途中で困窮する。

 また、『大地のヘソ』での戦いでも何か必要になるものがあるかも知れない。目的地は町ではない。補給が十全に行くかどうか分からないのだ。

 唯一現場を知るイシュメールにアドバイスをもらうのがいいか、とベルグリフは顎鬚を撫でた。


「明日は準備だな……」

「何が要るんだろうね? 普段より強力ったって、オイラたち普段を知らないもんね」

「まあな。しかし、そんなに強力じゃ小細工が通用するかどうだか……それに、まずはきちんと目的地に辿り着かなきゃ」

「それは大丈夫でしょ。ここのギルドマスターから借りた魔水晶もあるし」

「俺も大丈夫だとは思っているが……油断はするなよ、命取りになるぞ?」

「分かってるよお。へへへ、君は容赦ないねえ」


 カシムは少し寂し気に笑った。


「……オイラ、ちょっと怖いよ。柄にもないけど」

「パーシーに会うのがか?」

「うん。参ったね。いざ会うのが近いと思うと、今までの楽しみさよりも怖さが湧いて来るよ。オイラですら捨て鉢だったからね。ヤクモたちの話じゃアイツもきっと荒れてるよ。オイラ、アイツに何かしてやれるかなあ……」


 ベルグリフは微笑んでカシムの肩を叩いた。


「気負うなよ。パーシーはパーシーだ。他人になったりしないよ」

「……そうだよな。へへ、素直に楽しみにしとこっと」


 カシムはごろりと寝床に仰向けに転がった。

 ベルグリフはくつくつと笑って、また荷物に向き合って一つ一つ点検を始めた。早く終わらせてゆっくりと眠りたい。

 不意に、ずきんと幻肢痛が疼いた。



  ○



「なあ、パーシヴァルってどんな奴だったんだ?」


 だらだらの山道を歩きながら、マルグリットが言った。あちこちに切り立った岩が屹立していて、そこに点々と緑の草が生い茂っている。

 足元を見ていたベルグリフは少し考えるように歩みを緩めた。


「……元気で自信に溢れた奴だった。実際に才能があったよ。剣であいつに敵う気はしなかったな」


 カシムが顎鬚を撫でる。


「確かに、パーシーとサティは強かったねえ。変な所でドジだったけどさ」

「例えば……?」と先頭を行くアンジェリンが振り返った。

「そうだなあ。素材を頼まれてるのに、目的の魔獣を倒したら満足して帰ろうとしたりな」

「あったあった! 何やってんだかって思ったよ」

「……いや、あの時は君もあっち側だったぞ。三人してさっさと帰ろうとするから俺の方が間違ってるかと思ったくらいだったもの」

「え、嘘? そうだっけ?」


 カシムは眉をひそめて頭を掻いた。殿のダンカンが愉快そうに笑った。


「その頃から大物だったのですなあ、“覇王剣”も“天蓋砕き”も!」

「……それをまとめていたお父さんが一番凄い」


 アンジェリンがそう言って、ふんすと鼻を鳴らした。ベルグリフは困ったように笑った。


「凄いかどうかは別にしても……まあ、確かに危なっかしい所はあったな」

「ふふー、マリーみたいなもんですにゃー」

「なんだと、ミリィコンニャロ!」

「きゃー」


 マルグリットがミリアムのほっぺたをつねり、ミリアムがきゃあきゃあと悲鳴を上げた。アネッサが呆れたように弓を担ぎ直す。


「何やってんだよ……足場が悪いんだからふざけるなって」


 一日休息、それからまた一日かけて準備を整え、いよいよイスタフから『大地のヘソ』を目指して山に入った。浅い所は鉱石や山菜などを採る人々がいるせいか、ある程度は整備されて歩きやすかったけれど、先に進む程に人跡未踏という感じになっており、さっきから段々と足場が悪くなっていた。最初は曲がりなりにも道のようになっていたけれど、次第に獣道のようになっている。

 先頭のアンジェリンが下げる魔水晶錐は方位磁石のように、同じ方向を指し続けているから、道は間違っていない筈だ。流石は人外魔境である、一筋縄ではいきそうもない。


 やがてごつごつした岩が増え、足の下も石がごろごろ転がるようになって来た。義足のベルグリフなどには余計に歩きにくくて仕様がない。バランスを崩さぬようにと思うと、どうしても歩みが遅くなった。

 アンジェリンが度々振り返りながら、心配そうにベルグリフの方を見やった。


「お父さん、大丈夫……?」

「ああ、すまん。参ったな」

「まだ先は長いです。少し休憩しましょう」


 イシュメールが言った。歩き続けで少しくたびれていた一行は一も二もなく賛成し、銘々に腰を下ろして水筒や携帯食を手に取った。

 魔水晶錐を手に持ったアンジェリンは、その切っ先の示す方を、目を細くして見ている。


「……もっと急。あそこを超えなきゃ駄目かも」


 切り立った急な斜面が先に見えた。そこを越えて向こう側に行かなければいけないらしい。マルグリットが水筒の蓋を閉めて立ち上がった。


「よし、ちょっと見て来てやるよ」


 そう言って軽い足取りで駆けて行った。斜面の手前を右に曲がり、大きな岩の方に回り込んでしばらく様子を探ってから、今度は逆方向に行って下り斜面の向こうに姿を消した。

 こんな時に義足なのが嫌になるな、とベルグリフは嘆息した。普通に歩く分には何の問題もないし、剣を持って戦うのにも何の障害にもならない。しかし、足場の悪さだけは別だ。やはり義足は生身の足とは違う。

 やがて戻って来たマルグリットは首を横に振った。


「駄目だな。あっちに行くにはあの斜面が一番マシだぜ。他は危な過ぎらあ」

「そうか……うん、ありがとう、マリー」


 回り道もなさそうだから、何とか頑張るしかあるまい。幸いにして、足場はありそうだから、急がずにゆっくり行けばよさそうだ。ベルグリフは考えるように視線を泳がし、荷物から布を出して義足の先端に巻き付け、外れないように紐で縛り上げた。クッションと滑り止めを兼ねたものである。


「行こうか」

「ベル殿、危ない所は肩を貸しましょうぞ」

「はは、ありがとうダンカン」


 一行はゆっくりした足取りで斜面を登り始めた。

 重い荷物を持っている上に、一々足場を確かめざるを得ないベルグリフと対照的に、アンジェリンたちは軽い身のこなしでひょいひょいと上って行ってしまう。そうして上の方からロープを投げ落とした。

 掴まって上れという事かとベルグリフが上を見ると、アンジェリンが叫んだ。


「荷物、先に上げる!」

「……ああ、そういう事か」


 合点が入って、ベルグリフは持っていた荷物をロープの先にくくり付けた。鞄の外に下げた大小の鍋が触れ合ってかちゃかちゃ音を立てながら上って行く。

 何度かそれを繰り返して、すっかり身軽になった。それからロープを掴んで、体を支えながら上って行けばいい。


「お父さん、来れそう?」

「ああ、大丈夫だ。ちょっと遅いけど、待っててくれ」


 ロープで体を支えられるようになって、かなり動きやすくなった。ダンカンたちの手助けもあって、何とか上まで上り切ると、ひんやりとした風が頬を撫でた。

 てんやわんやで日が暮れかけていた。距離としてはあまり進んでいないように思われたが、急斜面という難所を抜けたのは大きい。

 野営の支度もあるから、早めに進むのを切り上げた。アネッサとマルグリットが何か獲物を探しに出かけ、他の者で火を熾したり周囲の見回りをしたりした。


 ベルグリフは石でかまどを組みながら辺りを見回した。この辺りが高台になっていて、向こうは緩やかに傾斜して下り、そうして少し離れた所でまた上り坂になっている。

 一際大きな岩が妙に目を引いた。その他にも岩が多く、荒涼とした山脈地である。

 しかしあちこちに背の低い常緑樹が生えており、灌木の茂みもあった。薪には不自由しなさそうだ。汗で濡れた肌に風が心地よい。

 イシュメールが眼鏡の位置を正しながら呟いた。


「さて……夜になると魔獣の動きが活発になります。注意しなければ」

「そうだな。上手くローテーションを組んで全員が休めるようにしなくちゃ……」


 イシュメール曰く、ニンディア山脈の魔獣は『大地のヘソ』の魔力の影響もあって、他地域のものよりも強力な種が多いらしい。

 ベルグリフは煮立った鍋の湯に乾燥豆を入れた。


「しかし、それだけ魔力が多いのにダンジョン化しないものなのだろうか?」

「さて……もしかしたら既にかなり広大なダンジョンになっているのかも知れませんよ。現に、『大地のヘソ』を目指す者は少なくないのに、未だに決まったルートも開発されず、道すらもできていないんですから」


 成る程、それは確かにそうかも知れない。山脈自体の地形が変化するとすれば、道も作れず、地図も描けないだろう。腕利きの冒険者ばかりが分け入るというのに、安全なルートが開発されていないのも不自然だ。


「じゃあ、イシュメールさんが前に行った時と道が違うのー?」


 ミリアムの言葉にイシュメールは頷いた。


「そうです。私はもっと密林のように草木の茂る道を通りました。恐らく別の道だとは思いますが、その道も変化している可能性はあります」

「そうか……いずれにせよ、気は抜けないな」


 豆がくつくつ煮える頃、傾いて眩しかった太陽が隠れ、辺りがにわかに薄暗くなって来た。

 狩りに出ていたアネッサとマルグリットが戻って来たが、手には何も持っていない。どちらも変な顔をしている。アンジェリンが首を傾げた。


「何も獲れなかった?」

「ああ……というか、この辺生き物の気配がしないんだ。魔獣はおろか、獣や鳥すら見なかった」

「変だよなあ。岩鳩か野生の山羊くらいはいると思ったんだけどよ」


 マルグリットが詰まらなそうに頭の後ろで手を組んだ。カシムが顎鬚を捻じった。


「そいつは妙だね。なんかの縄張りかも知んないよ?」

「しかし、それにしては大きな魔力の気配もありませんが」


 イシュメールが言った。アンジェリンが頷いた。


「それが余計に変だよね……」


 強大な魔獣は下位種の魔獣を引き寄せる事が多いが、逆に縄張りを作って他の生き物を寄せ付けないものも存在する。

 しかし、それだけの魔獣ならば、強者の気配というものを漂わせている。アンジェリン始め腕に覚えのある冒険者がそれを察知できないのは妙だった。


「まー、小難しく考えたって仕様がないぜ。何か来たらぶっ飛ばす。それでいいじゃねーか」

「マリーは楽観的ですにゃー。でも、一理あるね。あんまり考え込んでちゃ、きちんと休めないよー」

「へっへっへ、それもそうだな。ま、飯にしようぜ。オイラ腹減ったよ」

「はーあ、肉食いたかったなあ」


 マルグリットが嘆息した。ダンカンが苦笑しながら荷物を引き寄せた。


「まあ、そんな時もあるでしょう。干し肉は多めに仕入れております故、今夜はこれで済ませてしまいましょうぞ」


 硬く焼しめたパンを、豆と干し肉のスープに浸して食べているうちに、日がとっぷりと暮れて夜になった。濃い目の花茶をすすりながら見上げると、晴れ渡った空に星が広がっている。高い所に来たからだろう、イスタフの町よりも星の数が多いように思われた。


 最初の夜番を買って出たベルグリフは、急激に冷え出した夜気に身を縮込め、たき火に薪を放り込んだ。陽が出ているうちは暑かったが、こうやって夜になると息が白くなるくらいに寒い。尤も、トルネラに暮らしていたから寒さには慣れている。ただ、昼間との温度差に少し体が驚いているようだ。

 同じく夜番のアンジェリンがもそもそとベルグリフにすり寄った。


「思ったより冷えるね……」

「そうだな……」


 星の光が淡くなったと思ったら、いつの間にか月が昇っていた。半月とまではいかないが、随分膨らんでいる。山肌の岩が月明かりで青白く照らされ、辺りが明るくなった。

 たき火にかけた薬缶がしゅうしゅうと湯気を噴く。


「お父さん、花茶飲む……?」

「ああ。ありがとう」


 濃い花茶は寒さも眠気も紛らわしてくれる。カップを口に付ける時に立ち上る湯気が、月明かりで変に浮き上がったように見えた。

 しかし本当に妙だ、とベルグリフは思った。静か過ぎる。昼間に獣が出ないのはまだしも、夜行性の生き物の気配すらしないのはおかしい。


 ふと、背中の大剣が小さく唸り声を上げた。

 ベルグリフは怪訝な顔をして周囲を見回し、そうして一点を見つめて目を細めた。


「ん?」

「……どうしたの、お父さん?」

「あの影……妙だぞ」


 ベルグリフの視線の先で、何か大きなものがゆっくりと動いているらしかった。今までは気付かなかったが、微かに地鳴りのようなものを感じる。アンジェリンがさっと立ち上がった。剣の柄に手をやる。


「起きて! 敵!」


 たき火の周りで寝息を立てていた仲間たちはたちまち跳ね起きて武器を手に取った。向こうも気取られたと分かったらしい、途端に隠していた気配を充満させた。

 岩と岩が擦れるような鈍い音がして、月明かりの下で岩の巨人が腕を振り上げた。まるで地鳴りのような低い唸り声が聞こえる。


 カシムが山高帽子をかぶり直した。


「ははあ、ギガント・ロックゴーレムかい」

「昼間見た大きな岩はあいつだったんだな……まさか完璧に岩に擬態するとは」

「むう、囲まれておりますな」


 ギガント・ロックゴーレムよりも小さいが、同じような形の岩の巨人が一行の周囲を取り巻いていた。アネッサが呆れたような顔をして笑った。


「こいつらの縄張りだから他の生き物がいなかったんだな……しかし、魔力も漏らさず、気配も出さず……本当にゴーレムか?」

「ある意味変異種だねー。はー、ホントに油断できないや」

「それだけニンディア山脈というのは特別な場所なんですよ……爆ぜろ」


 イシュメールの放った魔法を皮切りに、戦いが始まった。魔力が渦を巻き、一番近いゴーレムが砕け散った。カシムがひゅうと口笛を鳴らす。


「やるねえ」

「はは、“天蓋砕き”にそう言ってもらえるとは光栄です……雑魚は引き受けます。大きいのは任せましたよ」


 イシュメールはぱちんと指を鳴らした。途端に、何もない所から淡い光をまとった分厚い本が現れ、宙に浮いたままばらばらとページがめくれた。ミリアムが目を剥いた。


「魔導書召喚だ! すごぉい!」

「ミリィ、感心するのは後だ。わたしらも雑魚を片付けるぞ」

「前はおれに任せときなッ!」


 マルグリットが滑るような足取りでゴーレムに肉薄し、一気に数体を切り刻んだ。

 アネッサは素早く弓を引き搾り、一気に数本の矢を射った。矢はゴーレムに突き刺さるや炸裂し、ゴーレムは幾つもの岩になって転がった。ミリアムも杖を掲げて雷雲を呼び出す。

 流石に実力者揃いだ、危なげなくゴーレムを倒して行く。しかし、まるで山脈中の岩がゴーレムになったかと思うくらい、ゴーレムは次々と押し寄せて来た。


 一方のアンジェリンは、ギガント・ロックゴーレムの振り下ろした拳を軽くかわし、その腕に飛び乗るや肩まで駆け上がった。そうして横なぎに剣を振るう。しかしその気になれば鋼鉄さえも斬り裂く剣撃が、やや傷を付けただけで止まった。


「硬……ッ!」


 普通のギガント・ロックゴーレムと侮って力を抜いたか、とアンジェリンは顔をしかめた。ぎょろり、とこちらを向いたゴーレムの顔に当たる部分に穿たれた穴が、目のようにアンジェリンを見た気がした。

 怖気を感じてアンジェリンは飛び退る。その後を大槌のような石の拳が通り抜けて行った。


 カシムがベルグリフの肩を叩いた。


「どうする? 大魔法使おうか? デカブツはアンジェに斬れないくらい硬い。多分魔力のコーティングもあるね、ありゃ。となると魔法が早いぜ」

「どれくらいかかる?」

「んー……二十秒。ただ地形が変わるかも」

「……地形を変えない程度に威力と範囲を絞るとしたら?」

「一分おくれ」


 カシムはギガント・ロックゴーレムに指を向けた。魔力が渦を巻き、カシムの髪の毛を揺らす。

 ベルグリフは大剣を抜き放った。


「アンジェ! こいつの注意を引きつけてくれ! ダンカン、左足を頼む!」

「任されましょう!」


 ベルグリフは地面を蹴り、立ちはだかるゴーレムを斬り払いながら岩の巨人の右足へと近づく。アンジェリンはギガント・ロックゴーレムの体を足場にして、まるで宙を舞うように跳び回った。それが良い具合に巨人の注意を引いた。

 歩く時は義足のバランスが気になるのに、戦いの場となると意識せずにバランスがとれる。緊張感が義足との感応を高めているのか、と頭をよぎったが、そんな場合ではない。


 ベルグリフは剣を後ろに引いた。そうして裂帛の気合と共にギガント・ロックゴーレムの右足へと横なぎに振るう。大剣は唸り声を上げ、ゴーレムの太い右足を事もなげに切断した。

 ダンカンもその戦斧で思い切り左足を打ち据える。斬り裂く事はできずとも、ギガント・ロックゴーレムはバランスを崩した。そのままぐらりと傾く。


 素早く距離を取ったアンジェリンは、思わず目を剥いた。ダンカンは素早く離れたが、ベルグリフはまだ右足付近にいる。上からは巨大なゴーレムの体が落ちて来ている。


「お父さん!」


 アンジェリンが悲痛な声を上げるのと同時に、圧縮された魔力の塊が放たれた。強烈な光が辺りを照らし出す。

 思わず目を伏せ、開けた時には、ギガント・ロックゴーレムはわずかな足先だけ残して完全に消し飛んでいた。

 カシムが前に向けていた腕を下ろして、ふうと息をついた。


「タイミングばっちし……つってもちょっとドキドキしたな、まったく」

「お、お父さんは……?」

「ん? ほれ、あそこ」


 カシムの指さす先に、咄嗟に身をかがめていたらしいベルグリフが立ち上がっているのが見えた。アンジェリンが脱兎の勢いで駆け寄って抱き付いた。


「お父さん!」

「ああ、アンジェ……やれやれ、何とか倒せたな」

「もう……ビックリした! 潰されちゃうかと思った!」

「すまんすまん。でも気取られない為に動きを止める必要があったからね。それにカシムなら上手くやってくれるから」


 ベルグリフは周囲を見回した。ゴーレムも数を減らしている。どうやら暗闇で数が読めなかっただけで、それほど驚異的に数が多かったわけでもないらしい。それとも親玉が倒されたから逃げた者もいるのだろうか。

 カシムがやって来てからから笑った。


「あとは消化試合だね。けどベル、逃げるそぶりくらい見せてやらないと、アンジェが怯えちゃってたぜ」

「……怯えてないもん」

「ふぅん? 涙目になってるけど? へっへっへ」

「うそっ!」


 アンジェリンは慌てて手の甲で目をこすった。ベルグリフは大剣を鞘に収めた。殲滅戦は仲間に任せて大丈夫だろう。


 程なくしてゴーレムの群れは片付き、辺りには再び静寂が戻って来た。

 マルグリットが詰まらなそうな顔をして手先で剣をくるくる回した。


「ちぇ、あのでっかいのはおれが仕留めたかったのに」

「わたしが斬れなかったのに、マリーに斬れるわけない……」

「なんだとお? ってかアンジェお前斬れなかったのか? ははっ、ダセェ」


 アンジェリンは眉を吊り上げた。


「普通のゴーレムの硬度だと思って力を抜いちゃっただけ……本気でやれば斬れた」

「ふん、そんならおれだって斬れらあ」

「ほらほら、喧嘩しない。ちゃんと休まないと明日動けないぞ」


 ベルグリフに言われ、二人は渋々黙った。

 ゴーレムの破片を野営地から除け、改めて火を熾した。ふたたび夜番に起きるベルグリフとアンジェリンの他は横になって、ほどなく寝息を立て始めた。あれだけの戦いの後にも特段興奮する事なく眠れる。場数を踏んで来た実力者の余裕だろう。

 アンジェリンがふわわとあくびをした。


「……お父さんは、カシムさんの事信頼してるね」

「ん? ああ、短い間とはいえ命を預け合った仲だからな……」


 尤も、あの頃はどちらもここまで強くはなかったが、とベルグリフは笑った。アンジェリンはちょっと頬を膨らましてベルグリフに寄り掛かった。


「わたしの事も信頼してるよね……?」

「もちろん」

「えへへ……」


 アンジェリンは嬉しそうにベルグリフの肩に額を押し付けた。

 けれど、アンジェリンの事はどうしても娘だという事が先に立ってしまう。実力のある冒険者だと頭では分かっていても、心の内では守るべき対象として捉えている。

 自分よりも余程強いのにな、とベルグリフは自嘲気味に笑った。


 まだ山脈に入って一日。早速洗礼を受けたような気分である。『大地のヘソ』へ辿り着くまで、どれくらい戦闘があるだろうか。そして、『大地のヘソ』で待つ魔獣はどんなものなのか。

 あれこれ考えてしまって、次の夜番のカシムを起こして横になってからも、ベルグリフはしばらく眠れなかった。


 すっかり天頂に上った月が青白く輝いている。


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