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八十八.ギルドの建物の裏手に、小ぢんまりとした


 ギルドの建物の裏手に、小ぢんまりとした修練場のようなスペースがあった。空き地という感じで、矢の的や巻き藁などが並べてある。

 やや浮き立っているマルグリットを制して、ベルグリフが先に相手になる事にした。高揚するのは構わないが、頭は冷静でなければ駄目だと怒られ、渋々譲った形である。

 尤も、ベルグリフとシエラの立ち合いを見て、相手の実力を正しく計れるか試すぞ、と言われたので、今は真剣な表情で場を見守っている。


 どちらにしてもシエラが戦いたいのは自分だろう、とベルグリフはやや強引にマルグリットを押し留めた形になった。しかし止むを得まい。この立ち合いの本質は実力云々の問題ではないからだ。

 アンジェリンが少し不満そうな顔をしてベルグリフの袖を引っ張った。


「ねえ、お父さん」

「なんだい、アンジェ」

「わたしが言うのも変だけど……依頼を受けなきゃ済むんじゃないの? 別に確約してるわけじゃないし、シエラさんの言ってる事も分かるけど……ちょっと無理があると思う」


 あの理屈じゃ依頼の為に案内人を雇うのもできないし、とアンジェリンは言った。

 ベルグリフはくつくつと笑ってアンジェリンの頭を撫でた。


「そうだな。その通りだ」

「じゃあなんで……? あ、お父さんも冒険したくなったの?」

「そうじゃないよ、カシムの為さ」

「カシムさんの……?」


 アンジェリンは怪訝そうな顔をして、後ろの、少し離れた所に立つカシムを見た。どうしていいのか分からない様子で、ややムスッとした顔で視線を泳がしている。

 ベルグリフは腰の剣、背中の剣の位置を正し、腰の道具袋などを外した。


「……どうせカシムの事だ、シエラ殿たちとパーティを組んでいた時だって、相手の気持ちなんか考えずに俺やパーシー、サティの事に捉われてたんだろう」

「そう、なのかなあ……?」


 アンジェリンは道具袋を受け取りながら首を傾げた。


「そういう奴なんだよ。一つの事にこだわると他が見えなくなる……でも、あいつだって、俺やパーシー、サティとの過去だけしかないってわけじゃない。もう四十年も生きてるんだからな。あいつにはあいつの清算すべき事柄がある。ここで知らん顔して通り過ぎるわけにはいかないよ」

「むう……分かんない」

「はは、そうか。まあ、カシムも捨て鉢だったらしいから仕方がないとはいえ……何よりシエラ殿がちょっと気の毒だ。依頼を断ってさようなら、なんて素っ気ない事は、お父さんにはできんなあ」

「それと戦うのと何か関係あるの……? お父さんなら、まず話し合おうってなると思ってた」

「冷静になるには少し暴れた方が手っ取り早い事もあるんだよ。心配するな、何も殺し合いをしようってんじゃないんだから」


 ベルグリフはそう言って肩をすくめた。アンジェリンは全部は分かっていないようだったが、ともかくベルグリフが嫌がっていないらしい事は分かったらしく、ホッとしたように表情を緩めた。


 シエラとてギルドマスターを任されるくらいだから馬鹿ではないだろう。無茶を言っているという事も理解している筈だ。

 ただ、突然現れたカシムという過去に戸惑いがあるのだろう、とベルグリフは思う。感情のやり場のなさが、ある意味理不尽な怒りになってこちらに向いて来ているのは何となく理解できた。きっと、彼女にとってカシムというのは一種特別な存在なのだろう。


 人間らしくていい、とベルグリフは小さく笑った。

 頭で分かっていても、感情が止められない。そんな事は生きていればいくらでもある。それを押し殺すのはひどく辛い事だ。

 自分が足を失った時、辛さを隠して笑っていたように、それはいつか取り返しのつかない事を引き起こしてしまう事だってある。

 あの時も、変に取り繕わずに素の自分をさらけ出していたら、何かが変わっていたのだろうか。怒りとやるせなさを仲間たちと共有できていたら……。


 手助けしてやろうなどと自惚れるつもりもないが、自分やカシムに清算すべき過去があるように、シエラにもある。気持ちが分かる分、それを突っぱねる事などできない。

 ここで理不尽だと自分の都合で無視して通り過ぎてしまえば、彼女はきっと苦しむだろう。ひと暴れして落ち着くのならば、それくらい協力してやるのは何の苦にもならない。


 それに、単純に実力者に対して今の自分の力がどれほど通用するのか、という好奇心もある。

 冒険者に戻るつもりはなくとも、剣の道を止めるつもりは毛頭ない。あれこれ理由を付けても、強者との立ち合いに歓ぶ心があるのは確かである。

 結局自分の為か、とベルグリフは自嘲気味に笑った。


 シエラはあくまで憮然とした様子で立っていたが、結んだ口許が微かに震えていた。怒っているようだが、その怒りが自分自身にも向いているかのような、何処となくやるせない表情である。


「……女心って奴かね」


 カシムには後で説教だな、とベルグリフは眉をひそめて顎鬚を撫でた。

 シエラがとんとんとつま先で地面を蹴った。


「……準備はよろしいか?」

「いつでも」


 大剣を鞘に収めたまま構える。柄を握り込むと、途端に体が軽くなったように感ずる。視界が明瞭で、相手の動きが実によく見えるようだ。

 対するシエラは徒手空拳である。腰に短刀をぶら下げてはいるが、手に取る気配はない。魔術式らしい腕の刺青といい、チェボルグと似たようなタイプの戦い方なのかも知れない。


 ベルグリフもシエラも、しばらくは動かずに相手の出方を窺っていた。

 相手の一挙手一投足を見落とさぬように鋭い目線で相手を刺し貫く。夏の温かな風が吹いて、汗ばんで来た肌を撫でた。額に玉のように浮いた汗がついと流れる。

 目元。

 一瞬の瞬き。

 シエラが地を蹴った。


「やッ!!」


 深い踏み込みと同時の正拳突きだ。

 だがベルグリフも即座に反応し、大剣の腹でそれを受ける。しかし受けたはいいが凄まじい衝撃である。剣を持つ手がびりびりと震え、その振動がつま先にまで伝わった。

 それでも力任せに剣を振りぬいた。拳を押し返され、シエラは後ろへ飛び退った。


 相手が体勢を整える前に、とベルグリフは地を蹴った。低い体勢から大剣を振るう。シエラはさらに地面を蹴って空中に舞い上がった。軽業師のような身のこなしだ。

 だが飛ぶのは悪手だ。ベルグリフは軽く地面を蹴ると、空中のシエラに向かって剣撃を放った。


 当たった、と思った。

 しかし、驚く事にシエラは向かって来た大剣に足をつくと、それを足場にそのままベルグリフの後ろ側へと跳ぶ。ベルグリフが剣を振り抜くよりも早く着地し、拳を握り込んだ。

 ぐんと踏み込む。シエラの腕の術式が輝き、矢が放たれるかのような勢いで拳が撃ち出された。


 入った、と思っていたであろうシエラの右目が驚愕に見開かれた。

 ベルグリフは咄嗟に腰の剣を取って背中を守った。そうして拳の衝撃を受け流すが如く、その勢いを利用して義足を軸に回り、シエラの方に向き直る。

 シエラは呆れたような感嘆したような表情で、やや距離を取った。


「その大剣を片手で扱えるのか……」

「……まだ不慣れなのですがね」


 右手にグラハムの大剣、左手に愛用の長剣を構え、ベルグリフはシエラを見据えた。大剣を持っているせいか、愛用の剣もいつもより軽いように感じる。シエラの方も大きく息を吸って拳を構え直した。


 ほとんど同時に地を蹴った。

 剣と拳がぶつかる。衝撃で土埃が舞い上がった。

 シエラは恐ろしいほど身軽に飛び回って縦横無尽に攻撃を放つが、ベルグリフはどっしりと構えてそれを受け、時にはかわし、そうして反撃した。


 チェボルグほどの力はないが、速さはそれ以上だ。しかしアンジェリンと比べればそう脅威ではない。しかし流石に戦い慣れており、中々決定打を与えあぐねている。

 シエラは左目に眼帯をしているから、その死角を狙おうとベルグリフは何度も隙を窺うが、自分の弱点に気付いていない筈はない、却って誘い込まれて危うく拳を受けかけた。


 だが、シエラの方も感情が揺らいでいるせいか動きがやや粗く、中々ベルグリフを倒し切れないようで、剣と拳は何度も打ち合わされた。相手の手数が多いから、ベルグリフは剣二本で守りに重きを置く。

 しかし、気づくと知らず知らずのうちに愛用の剣ばかり振るっていた。

 慣れか、とベルグリフは顔をしかめた。これではいけない。


 しかし、そんな事を意識し始めると変に動きがぎこちなくなるような気がした。

 大剣だけ振るっているならばともかく、手に馴染んだ剣を同時に扱っていると、無意識にそちらばかり使ってしまう。これでは剣二本の意味がない。長剣を手放して、大剣一本に絞るべきか?


 だが、そんな事を考えていて相手になるほどシエラは甘い相手ではない。その一瞬の隙を突いて、鋭い拳が襲って来た。

 ベルグリフは慌てて大剣の腹で受ける。シエラは拳を捻るようにして下へと打ち下げた。拳に引っ張られるようにして、体勢が崩れる。大剣の鞘も外れて地面に転がった。


 ベルグリフが体勢を整える前に、次の拳が左肩を捉えた。咄嗟に魔力に衝撃を伝わせるが、それでも物凄い威力だ、思わず左手の剣を取り落とす。

 だが無意識にだろうか、拳を受けるのとほぼ同時にカウンター的に右の大剣が横なぎに振るわれた。鋭い白刃が、拳を振り切ってわずかに無防備さを見せたシエラに向かって行く。


 いや、まずい。これでは斬ってしまう。


 ベルグリフは咄嗟に剣の勢いを緩めようと腕に力を込める。大剣はその意思そのままにシエラの手前でぴたりと止まった。

 と同時に顎に微かな衝撃を感じた。

 シエラの拳がベルグリフの顎を掠った。それでも衝撃が顎から脳髄に伝わり、ぐらり、と視界が揺れる。


 困惑した表情のシエラが見えた、と思うや、意識が暗転して何も分からなくなった。



  ○



 目を覚ますと、木造りの天井が見えた。下げられたランプに火が灯っていて、そこいらを淡い光が照らしていた。

 しばらく瞬きして、それから上体を起こす。向こうに開け放たれた窓が見える。宵闇が次第に降りて来ているらしい、見える路地は薄紫のヴェールがかかったようだ。

 顎を撫でる。掠っただけだから痛みはない。

 まともに打たれた左肩を動かしてみるが、こちらも大して痛みはない。咄嗟に衝撃を魔力に伝わせて逃がしたのがよかったようだ。しかし却ってそのせいで手先に必要以上に衝撃が伝わり、剣を落とす羽目になったようだが。


 まだまだ鍛錬が足りないなと思っていると、不意に柔らかなものが抱き付いて来た。アンジェリンが抱き付いたまま上目遣いにベルグリフを見上げた。


「大丈夫、お父さん? 肩、痛くない……?」

「ああ、アンジェ……大丈夫だよ」


 ベルグリフは微笑んでアンジェリンの頭を撫でると、改めて周りを見た。どうやら取っている宿の部屋のようだ。アネッサ、ミリアムが並んで座っていて、マルグリットとカシムは姿がない。

 ふと、アンジェリンの横に座っていたらしいシエラと目が合った。彼女はさっと立ち上がると深々と頭を下げた。


「申し訳なかった。本当にごめんなさい……怪我は……」

「や、まるで大した事はありませんよ。いやはや、しかし流石の腕前ですな。私もまだまだのようです」


 ベルグリフが笑うと、シエラは泣きそうな表情で俯いた。


「何をおっしゃる……完全にわたしの負けですよ。手加減できなかったばかりか、手加減してもらった。あなたがあそこで剣を止めていなければ今頃……ギルドマスターともあろう者が一時の感情でこんな……どんなにお詫びすればいいのか」


 彼女は自分の言動をかなり恥じている様子だった。肩を落として小さくなっている。立ち合いまでは多分に感ぜられた怒りの感情がすっかり消沈して、完全に頭が冷えたようだ。

 次に控えていた筈のマルグリットとは勝負していないらしい。気を失ったベルグリフが心配で、ずっと傍らに控えていたそうだ。


「そうか……やれやれ、随分長く寝てしまったな。情けない」


 それにしたって、誰が宿まで運んでくれたのかと思う。ベルグリフは長身でしっかりした体だから、運ぶにも重いだろう。そう言うとアネッサがシエラの方を見た。


「シエラさんが宿まで運んでくれたんですよ」

「ベルさんすっごく大きいのに、シエラさん力持ちだよねー」


 ミリアムがそう言って笑った。


「そうだったのか……いや、ご迷惑をおかけしまして」

「いえ、何の迷惑もありません。短慮から喧嘩を吹っ掛けたのはこちらですし、どうか気になさらないでください……うう」


 シエラは両手で顔を覆った。ベルグリフは苦笑して肩を回す。音を立てて体がほぐれるのを感じた。

 手合わせは昼前だった筈だから随分寝ていたようだ。旅の疲れも相まって、却っていい休息になったようにも思う。


「カシムとマリーは?」

「お父さんが起きないからって何か買い物に行った」


 ベルグリフは頭を掻いてシエラの方を見た。


「あいつと話はできましたか?」


 シエラは首を横に振った。怒りが消えて冷静になった分、軽率な行動を恥じる心の方が強くなって、カシムと話をするどころではなくなってしまったようだ。カシムの方もシエラに何か話したわけではないらしい。

 ベルグリフは嘆息した。


「仕様がない奴だ……」

「ねえねえ、シエラさんはあれなの? カシムさんにゾッコンみたいな?」


 ミリアムがにやにやしながらシエラをつついた。シエラはバツが悪そうに口をもぐもぐさせた。


「そう……なんでしょうね。自分じゃ認めたくなかったんですが」

「おお……恋する乙女……なるほど」


 アンジェリンが面白そうな顔をして頷いた。アネッサが手を伸ばしてこつんとその頭を小突いた。


「はは、そんな大したものじゃないよアンジェリン殿……諦めが悪いだけ、なんだろうね」


 シエラはそう言って頭を掻いた。


「ベルグリフ殿の事、それからパーシヴァル殿、サティ殿の事はあいつから何度も聞きましたよ。普段は変に皮肉げで厭世的なのに、その話をする時だけあいつは妙に嬉しそうでね……今の仲間はわたしたちなのにって苛立った時も何度もありましたよ」

「……まったく、あいつは」

「いや、カシムの気持ちも分かるんです。あんなに強いのに悲し気で、何とか力になってやりたいと思って……けど駄目でした。わたしじゃあなたたちの代わりにはなれなかった。あいつが勝手にパーティを出て行って、冒険者もやめたって聞いて……それで諦めたつもりでした。けど、こうやって思いもよらず再会して、そうしたらあなたたちが一緒で、あいつはひどく楽しそうで……」


 シエラは悲し気に微笑んだ。


「踏ん切りは着いたと思っていたんですよ。けどベルグリフ殿、あなたを目の前にしてしまったら、どうして自分じゃ駄目だったのかなんて醜い思いがどんどん大きくなって、カシムが嬉しそうなのが余計に気に障って……気付いたら自分でも驚くほどの憎しみが言葉に乗ってしまっていた……本当に申し訳ない……ごめんなさい」


 シエラは泣き顔を隠すように深々と頭を下げた。ベルグリフは微笑んでシエラの肩に手を置いた。


「何も気にする事はありませんよ、シエラ殿。正直に話していただいてありがとうございます。それに、きっとカシムもあなたには感謝している筈ですよ」

「そう……でしょうか。けど……あいつはわたしの事なんか見ちゃ……」


 シエラは何か言いかけたが、また浮いて来たらしい涙を拭い、俯いて嗚咽した。

 カシムは確かに十分に苦しんだ。しかし、その苦しみから来た捨て鉢さで、こうやって苦しむ人が他にいる。何だかやるせない気分だ。

 ベルグリフは嘆息し、窓の向こうに目をやった。外に満ち満ちて部屋にまで入って来ようとしている夜の闇を、天井から下げられたランプの光がかろうじて押し留めている。


 その時、部屋の戸が開いてマルグリットが入って来た。両手いっぱいに食料品を抱えている。


「よー、お待たせ。あれ、ベル起きてんじゃん、丁度いいや。酒買って来たぜー」

「いやー、すっかり暗くなっちゃった。ベル、大丈夫かい? シエラの拳は強烈だろ?」


 マルグリットに続いて入って来たカシムを、アンジェリン、アネッサ、ミリアムの三人がどことなく非難めいたジトッとした視線で見た。


「鈍感者」

「甲斐性なし」

「ばーか」

「え、なになになに」


 カシムは焦ったように部屋の中を見回した。ベルグリフは呆れたように目を伏せた。


「今回ばかりは俺も君の味方はしないぞ、カシム」

「ちょ、なに? オイラがいない間に何の話してたの?」

「てか雰囲気が()れーぞ。おばさん、何泣いてんだよ」

「マリー、シエラさんはおばさんではなく乙女……」

「あん? 何言ってんだ? まあいいや。腹減ったよ、色々買って来たから飯にしようぜ」


 マルグリットはいつも通りの調子で、テーブルに買って来たものを並べた。露店で買ったらしい種々の食べ物がある。中には湯気を立てているものもあった。

 何だか話の腰を折られたような気分だが、それでも腹は減っている。ベルグリフは嘆息してひとまず寝床から足を投げ出し、腰かけるようにした。

 マルグリットと同じように抱えていたものをテーブルに置いていたカシムが、包みの一つを取り上げた。


「ほい」

「……え? わたし?」


 シエラがぽかんとした顔でカシムを見上げる。カシムは何となくバツが悪そうにシエラの手に包みを押し付けた。紙の包みの隙間から焼き菓子らしいのが見えた。甘い匂いがする。


「これ、好きだっただろ、お前」

「あ……ピニシェケーキ……」


 色々な乾燥果物とスパイスを羊の乳を使った柔らかめの生地に混ぜ、型に入れて焼き上げた菓子である。マルグリットが覗き込んで指さした。


「あ、それそれ。カシムがよー、見つからない見つからないって市場を行ったり来たりするから、こんな遅い時間になっちまって」


 カシムは鬚を捻じりながら苦笑した。


「お前の好きな干しイチジクは少なめっぽいけど……」


 アンジェリンが目をぱちくりさせた。


「なんだ……カシムさん、ちゃんとシエラさんの事見てたんだ……」

「カシム……」

「あー……まあ、その、なんだ」カシムはぼりぼりと頭を掻いてシエラの方を見た。「オイラさ、一つの事に夢中になっちゃうと周りが見えなくなるもんだから……その、ごめんな。オイラの中じゃ全部解決した気になってて……」

「ち、違う。わたしがまだ引きずってただけで、その……」


 互いに何とも言いあぐねている様子を見て、ベルグリフは苦笑した。


「……林檎酒が飲みたいなあ」

「あ、こっちにあるよ」

「えっ、あるの? ……いや、そうじゃなくて、それじゃ足りないだろう。その、マリーがいるし」

「えっ、今日はいっぱい飲んでいいのか!?」

「ああ、まあ……カシム、ちょっと買って来てくれ」

「オイラが行くの?」

「シエラ殿、手伝ってやってください。道案内も要るだろうし」

「か、構いませんが……」

「でもさ、ベル」

「ああもう、うるさいな! いいからさっさと行って来いってば!」


 珍しく怒鳴られたカシムは目を白黒させた。そうして同じように困惑しているシエラと一緒に出て行った。

 ベルグリフはぐったりと肩を落として大きく息をついた。


「まったく、世話の焼ける……」


 笑いを押し殺していたらしい女の子たちが遠慮なくけらけらと笑った。


「ふふふふ、お父さん、ちょっとやり口が強引……でもぐっじょぶ」

「にゅふふ、ベルさんは変な所で不器用ですにゃー」

「無茶言わないでくれ、こういう役回りは慣れてないんだから……」

「でも結果的にはよかったですね。ちゃんと話ができるといいけどなあ」


 未だ状況が分かっていないらしいマルグリットが口を尖らした。


「なんだよ、何があったんだよ。おれだけ仲間外れはやめろって」

「大人のラブストーリー……マリーはお子ちゃまだから駄目」

「んだとコンニャロ! てか恋バナか!? おれそういうの大好きだぞ! まぜろ!」


 マルグリットまで交じっていよいよ姦しくなって来た。ベルグリフは苦笑しながら酒瓶に手を伸ばし、紙包みにくるまれたパンや肉などをつまんだ。


 カシムは置き去りにした過去を取り戻したいと言った。自分の事も、パーシヴァルやサティの事もあくまで過去の事だ。清算するべき事柄ではあるが、過去は過去でしかない。

 それがすべて済めば、カシムを先に進ませる役目はもしかしたらシエラが担っているのかも知れない。そんな事を思う。


 じゃあ、自分は?


「……まあ、俺にはアンジェたちがいるしな」


 娘を含め、慕ってくれる若者たちがいるというのは悪い気はしない。友人だっている。孤独に苛まれていたカシムとは状況が違う。過去の清算が済めば、また元の日々の生活に戻るだけだ。トルネラに帰ればシャルロッテにビャク、グラハムにミトだっている。


「未来か……」


 過去に向かって行く自分たちと違って、目の前の少女たちは可能性に満ち満ちている。

 カシムとシエラの話で盛り上がっている女の子たちを見て、ベルグリフは眉をひそめた。


「……人の話ばっかりじゃなくて、君たちも自分の相手を見つけなきゃ駄目なんじゃないのか」


 ぽつりと呟いた言葉は、誰に聞かれる事もなく消えた。


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