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八十七.宿の裏庭に長い事置かれたまま


 宿の裏庭に長い事置かれたままらしい荷車と、そこに積まれた古びた樽に蜘蛛の巣が張って、そこに朝露がいくつも玉のようになっている。早朝の陽が照ると宝石のようにきらきらと光った。

 靄の立つ地面を踏んで、ベルグリフは剣を構えた。グラハムから預かった大剣だ。

 ぐんと握り込むとずしりと腕に重みが伝わる。それなのに一度振るとまるで鳥の羽のような軽さで自在に動かす事ができた。


 単純な素振りを何度かし、それから足も動かして演武のように取り回した。

 大剣はあまり経験がない分、下手をすると自分を傷つけてしまう。何とか扱いに慣れておかなくてはいけない。

 地面を斬らないように何度も振り回す。

 両手、片手、時には逆手に持ち変え、そして止めたい所でぴたりと止める。剣は応えるように縦横に動き、そして止まった。もはや義足である事は何のリスクにもなっていない。


 この剣を握っていると体まで軽くなったように感じる。

 実際、グラハムが長い事精錬し続け、剣の内部に高密度に渦巻くエルフの魔力が、ベルグリフの体に何らかの力を与えているのは確かなようだ。

 しかし、アンジェリンたちが言う剣の声は未だに聞こえない。ベルグリフは動きを止めて息をつくと、朝日を照り返す刀身をまじまじと眺めた。


「……君は何か言っているのかい?」


 剣は黙ったままである。

 ベルグリフは嘆息して大剣を鞘に収めた。それから長い相棒である腰の剣を抜く。剣は待ちくたびれていたように刀身に陽を映した。気のせいだか、少し不満げに見えた。


「安心しろ、ちゃんと使うから」


 傍らのガラクタに腰かけて眺めていたカシムがからから笑った。


「いやあ、やるなあ。けど今持ってるのに比べると、まだちょっとぎこちないね」

「ああ。こいつとは大きさが全然違うからな。自分を斬らないようにしなけりゃ」


 ベルグリフは抜いた剣を裏に表にして眺めた。それから片手でひゅんと振り、手先で器用に取り回して体の前に後ろに走らせ、そうして鞘に収めた。グラハムの大剣の時ほど体が軽くなった気はしないが、それでも二十年以上共に戦っている剣だ、取り回すのに何の不自由もない。

 しかし、だからこそ大剣を持った時の力は借り物だと思う。あまり過信するのも怖い気がする。


「アンジェたちは?」

「さあね。まだ寝てるっぽいよ。部屋に戻ってから女子会でもしてたんじゃない?」


 あり得るなあ、とベルグリフは笑った。若者は元気があっていい。

 ヨベムを出ておおよそ一日半、ベルグリフたちはマンサの町までやって来た。ヨベムの東側に位置しており、カリファまでの中継地点の町の一つである。

 ヨベムのギルドで山脈越えのルートを取る護衛依頼を探してもらったのだが、ヨベムから南に下る者、あるいはそれに類する護衛依頼は皆無だった。あったとしても山脈に分け入り、奥にあるダンジョンの素材が欲しいといった採集、探索系のもので、そんなものを受けては結果としてヨベムに戻らなくてはならないから二度手間になる。


 マンサの町からならば、時間を短縮するために南下する隊商や行商人がいるだろうとの事で、ヨベムのギルドからの紹介状を携えて、昨晩マンサに辿り着いたところだ。着いた頃には日が暮れていたから、今日これからマンサのギルドに行ってみる予定である。


 もうひと振りしておくかと背中の大剣を引き抜くと、アンジェリンたちがやって来た。今の今まで寝ていたらしく、髪の毛が寝癖でうねってくしゃくしゃしている。


「いっぱい寝てしまった……おはよう、お父さん」

「ああ、おはよう。よく眠れたかい?」

「快眠快眠。ここの宿、布団が柔らかかったなあ。あーあ、出るのが惜しかったぜ」


 マルグリットが両手を上げて伸びをした。確かに、安宿の割に布団がしっかりとして柔らかかった。あの寝心地では寝床から出たくならないのも分かる。

 ミリアムがふわわと大きくあくびをして目元の涙を拭った。


「ベルさんたちは相変わらず早起きですにゃー」

「俺の場合は癖だな。夜明け前には目が覚めちゃってね。それとも歳かな、ははは」

「ねえ、その理屈じゃオイラも歳って事になるんだけど」

「四十に足突っ込んどいて若者面するなよ。年相応ってのはあるもんさ」

「君は達観するのが早いんだよ。そんなんじゃ五十になる頃はじーさんになっちゃうよ?」

「ベルさん、既に仙人っぽいところありますもんね」


 アネッサがそう言って笑った。ベルグリフは頭を掻いた。


「世捨て人って事? そんなつもりはないんだけどな……」

「無位の剣豪、辺境の“赤鬼”……超カッコいい……」


 アンジェリンが恍惚とした表情で呟いた。マルグリットがげらげら笑う。


「いいなそれ! ティルディスでも広めて有名にしようぜ!」

「や、やめろ! それは本当にやめろ!」


 大慌てのベルグリフを見て、一同は愉快そうに笑った。



  ○



 朝食を終えて、ギルドが混み合う時間を避けるようにタイミングを見て出かけた。昼ちょっと前くらいである。

 マンサの町はヨベムほどの賑わいはないが、それでも旅の中継地点の宿場町として人の行き来は多いようだ。近くにダンジョンがある事もあって、冒険者の姿もかなり多い。その素材を扱う商人たちも行き交っている。

 石の土台に土の壁でできたギルドに入ると、窓から差す光で土埃が舞っているのが見えた。人の数はそう多くない。もう朝の依頼がはけたのだろう。


 アンジェリンはきょろきょろと辺りを見回し、奥の方の高位ランク専用の受付を見つけた。空いている。カシムと一緒に行ってみると、草原の民らしいやや赤らんだ肌の受付嬢がにっこりと笑った。


「こんにちは、どういったご用件ですか?」

「紹介状があるの……南に下りたいんだけど、そういう隊商か行商人はいないかなって」


 紹介状、Sランク冒険者のプレート、アンジェリンとカシムの顔を順繰りに見ながら、受付嬢は目をぱちくりさせた。


「そ、そうなんですね……分かりました、ちょっと調べてみますので、少しお待ちいただいていいですか?」

「うん。急いでないから、ゆっくり探してください……」


 それで引き返してロビーの空いた一角に腰を下ろして息をついた。

 土埃だけでなく、誰かが吸っている煙草の煙も漂っている。

 建物は壁も床も土だ。しかし所々に色とりどりのタイルでモザイク模様があしらわれている。当然だが、石畳に白亜の壁のオルフェンのギルドとは雰囲気が大分違う。


 マルグリットにはフードをかぶるようにさせてあるから、変に絡んで来る輩もいない。マルグリットは不満そうに口を尖らしている。


「ちぇ、こんなこそこそしなくても、絡んでくる連中をぶっ飛ばせば済むのによ」

「そうやって荒事で解決しようとしない……」


 ベルグリフは呆れたように目を伏せて髭を捻じった。

 アンジェリンはくすくす笑う。自分も駆け出しの時は居丈高にかかって来た冒険者を叩きのめした事があったっけ、と思う。

 冒険者は実力第一主義なところもあるから、一度力の差を見せられると、恥を掻かされるのを恐れて他の者も手だしして来なくなる事が多い。尤も、恨まれて余計に絡まれる事もないわけではないから、その辺りはさじ加減が大事である。

 ミリアムが頬杖をついた。


「わたしとアーネも駆け出しの頃はよく絡まれたよねー」

「そうだなあ。やっぱり子供だと舐められるし、女だし……」

「二人はどうしてたの? 喧嘩買ってた?」

「まあな。尤も、ステゴロは得意じゃないから、服の裾を矢で射って壁に縫い付けてやったり、持ってるコップを撃ち抜いてやったりしたよ」

「わたしは弱い雷の呪文で痺れさせてやったなー」


 二人はそう言って笑った。マルグリットが嬉しそうに腕を振る。


「そうだろそうだろ? やっぱさ、一度実力を見せてやるのが一番だって!」

「俺たちは喧嘩をしに来たわけじゃないだろう……よその土地に来て、そこのギルドのメンツを潰してもいい事なんかないぞ?」

「ぐむ……まあ、そうかも知れねーけど……」


 ふと、ベルグリフはどうだったのだろうと思う。アンジェリンは父親の顔を覗き込んだ。


「お父さんは? 喧嘩売られた?」

「ん? まあ、そりゃ絡まれた事はあったけど、お父さんはそういう喧嘩はした事はないよ」

「えー、ベルさんの武勇伝が聞きたかったなー」

「ちぇ、詰まんねーの。大叔父上もベルも大人しいんだから」

「いや、俺はともかく、グラハムは若い時は多分……」

「? おじいちゃんがどうしたの?」

「いや、まあ、うーん……多分グラハムも若い頃はマリーに似てたんだろうな、と」

「マリーとおじいちゃんが……?」


 意外な事を言うな、とアンジェリンは目を丸くしてマルグリットを見た。

 もしそうだとすれば、このお転婆なエルフの姫も、将来歳を取ったらグラハムのように物静かで落ち着いた性格になるのかしら、と想像してみるが、ちっともそんな姿が浮かばない。マルグリットはいつまで経ってもマルグリットである。そして、マルグリットのように血気盛んで暴れん坊のグラハムというのも想像ができない。


「……全然想像つかない。落ち着いたマリーとかあり得る気がしない」

「おれが大叔父上みたいに枯れるわけないだろ! 馬鹿な事言ってんじゃねーよ!」

「そうかなあ?」とベルグリフは笑っている。


 その時受付嬢が足早にやって来た。


「お待たせしました、あの、ギルドマスターがお会いしたいとの事で、少し御足労いただいてよろしいですか?」

「ん、いいよ。みんな行った方がいい……?」

「えっと、いや、あの、部屋が狭いのでSランクのお二人だけで……」


 受付嬢はアンジェリンたち一行をぐるりと見て申し訳なさそうに会釈した。


 それでアンジェリンとカシムの二人は案内を受けてギルドの奥に通される。

 廊下の窓から見える裏庭では、冒険者たちが集めて来たらしい種々の素材が分けられて、卸の商人らしいのが買い付けに来ており、小さな市のようになっていた。

 武器庫のような所の前を通り、書類を保管する部屋の前を通り、奥まった所にギルドマスターの部屋があった。壁にタイルが張られ、木の扉には鉄の装飾があった。

 その扉を開けて中に通されると、なるほど狭い部屋である。そこに書類棚が置かれているから余計に狭く感ずる。応接用の机はない。椅子を持って来て、奥にある執務机を挟んで向き合う形になるようだ。


 その執務机の向こうにギルドマスターらしき人物が座っていた。すらりとした体躯の中年の女性である。黒に近い紫色の長い髪を編み込んで、布帽子をかぶっている。肌の色は日焼けか地か褐色に近い。頬には不思議な模様の刺青があった。そして左目に眼帯をしている。

 歴戦の強者といった雰囲気と威厳を漂わせており、アンジェリンは思わず感心した。ギルドマスターはこうでなくちゃと思う。

 女性はアンジェリンたちを見とめると微笑んで立ち上がった。


「ようこそマンサの冒険者ギルドへ。歓迎しますよ“黒髪の戦乙女”殿。わたしはマンサのギルドマスター、シエラといいます。お見知りおきを」

「お招きどうも……アンジェリンです」

「ふふ、噂には聞いていたが、本当に若いなあ。羨ましい才能だ」


 シエラはくつくつと笑った。アンジェリンは何となくむず痒い気分になった。


「ええと、こっちはカシムさん」


 とカシムの方に目をやると、なぜか引きつった笑みを浮かべていた。


「シ、シエラ……? なんでお前がこんなトコにいんの?」

「それはこっちの台詞だがなあ、カシム?」


 シエラは不敵な笑みを浮かべて、カシムを見た。笑ってこそいるが視線は鋭い。怒っているようにも見える。アンジェリンはカシムとシエラを交互に見て首を傾げた。


「……知り合い?」

「まあ、うん」


 カシムが言い澱むようにして視線を泳がせると、シエラはひらりと執務机を飛び越してカシムの眼前に降り立った。そうして胸ぐらを掴んでにこにこ笑う。しかし額には青筋が浮いていた。


「お前の自分勝手は知っているつもりだったが、依頼をすっぽかしたまま姿を消すとはどういう了見だ? その上冒険者を引退だと? わたしらがどれだけ苦労したか分かってるのか、おい。髭なんか生やして、それで変装したつもりか?」

「ちょちょちょ、待って待って、悪かったってば。あの時のオイラは捨て鉢だったんだって」

「どういう言い訳だ、この阿呆。とりあえず一発殴らせろ、話はそれからだ」

「待て待て! お前に殴られたりしたらオイラ死んじゃうよ!」

「そのつもりだが、何か不都合でも?」

「ちょ! アンジェ、助けて!」


 ぽかんとしてこのやり取りを見守っていたアンジェリンだったが、ハッとしてシエラの腕を掴んだ。


「シエラさん、一応カシムさんはわたしの仲間だから……」

「……命拾いしたな、カシム」

「勘弁してくれって……何年前の話だと思ってるんだよ、もう」


 カシムは服の裾を払って困ったように笑った。アンジェリンはカシムをつついた。


「……二人はどういう関係なの?」


 カシムがバツが悪そうに頭を掻いた。


「まあ、なんだ……昔のパーティメンバーでね。帝都にいた頃だっけ?」

「ああ。もう十年は前になるか。“虚空の主”を討伐して……」


 “虚空の主”の討伐といえば、カシムがSランクに昇格する事になったきっかけの戦いである。その時の戦友なのか、とアンジェリンは改めてシエラをまじまじと見た。

 年齢を重ねて顔には皺が目立ち始めているものの、半袖の服から覗く刺青のある腕は筋肉質で張りがある。全身からみなぎる力強さは若者と変わりない。中年というよりは壮年といった方が的確な形容であるように思われた。


「お前が突然いなくなるから、後の穴埋めにどれだけ奔走したか……受けていた依頼も取り消さなきゃいけなかったし、カーターが台頭してパーティはがたがたになるし」

「だから悪かったって言ってるでしょ。大体、カーターどもがオイラを嫌ってるのはお前だって知ってたじゃないの。遅かれ早かれ抜けるつもりだったよ、オイラは」

「やかましい。それとこれとは話が別だ。わたしが迷惑を被った事に変わりはない。第一、あの時のお前の態度はなんだ。メンバーとの協調性も何もなしに、まともに話していたのはわたしくらいじゃないか。お前にも原因はあるんだぞ、この阿呆。ああくそ、思い出したら腹が立って来た」


 シエラは拳骨でカシムの脇腹を軽く殴った。カシムは悲鳴を上げた。


「お前馬鹿力なんだからやめろよー!」

「うるさい」

「痛い! やめろってばー!」


 いつも飄々としているカシムが嫌に恐縮しているのが可笑しくて、アンジェリンは思わず吹き出した。

 散々カシムを小突き回してひとまず満足したらしいシエラは、ふんと鼻を鳴らし、部屋の隅に置かれていた椅子を引き出して二人に座るよう促した。アンジェリンは笑いながら応接椅子に腰を下ろす。受付嬢がお茶を運んで来て、お辞儀して退室した。


 お茶はオルフェンの花茶とはまた違った香りがあって、中々うまい。

 カシムはお茶にも手を付けず、憔悴した様子でぐったりと椅子の背にもたれていた。


「こんな事ならロビーで待ってりゃよかった……」

「自業自得だ、愚か者め」

「ふふ……二人とも仲良しだね」

「そんな事はない、が」


 シエラは少し怪訝な顔をしてカシムを見た。


「カシム、何だかお前変わったな。悲愴感がすっかり消えたじゃないか」

「あん? そう?」

「ああ。前はおどけていても嫌に皮肉げだったが……今は心底楽しそうだ」


 カシムは山高帽をかぶり直し、お茶のコップに手を伸ばした。


「友達にね、再会できたのさ」

「……例のオルフェンのか」

「うん。へへへ、てっきり死んじゃったと思ってたけどさ、元気だったんだよ。こいつがその友達の娘」


 カシムはそう言ってアンジェリンの肩を叩く。


「ほう、そんなつながりが……」


 シエラは何となく寂し気な微笑みを浮かべ、お茶を口に運んだ。それから姿勢を正して執務机に手を突く。


「それで、友人の娘を連れて南に下りたいと? 何をやろうとしているんだ、お前は」

「そうそう、それだよ。ほら、オイラの昔の仲間は三人いるって話した事あるだろ? 一人は再会できて、もう一人も居場所が分かったのさ。それで会いに行く途中なんだよ」

「……なるほどな」


 シエラがどうにも面白くなさそうなのが、アンジェリンは気になったけれど、そんな事を追及しても失礼な気がするから黙っていた。

 ともあれ、そういう事情でニンディア山脈を目指しており、そこに至るまでの腕慣らしとして山脈沿いを進みたいという事を話した。シエラはしばらく腕を組んで考えていたが、やがて顔を上げた。


「今のところ隊商の護衛の依頼は特にない。マンサから南に下る者はまずいないだろう。危険に対して益が少ないし、どの商人もカリファを目指しているからな」


 何となく思った通りだなあ、とアンジェリンは眉をひそめた。マンサよりも大きなヨベムでも南下する商人はいなかったのだ。

 それに地図で確かめたところ、山脈沿いの大きな町は、かなり南に下ってからでないとない。そこは山脈に沿って行くよりも、カリファを回って行く方が安全で、貿易をするにしても大きな町を回る方が利益になる。

 冒険ならずか、とやや落胆した気持ちでアンジェリンが椅子にもたれると、シエラがにやりと笑った。


「尤も、別の依頼ならある」

「別の?」

「ああ」シエラは机に肘を突いて少し体を乗り出した。「護衛ではなく輸送だ」


 曰く、南の大都市のギルドへと書簡と荷物を届ける仕事があるのだという。

 カリファ経由で回ってもいいのだが、やはり遠回りになってしまう。真っ直ぐに南下できるならばかなり時間の短縮になるようである。急ぎではないが、早く着くに越した事はない代物であるそうだ。


「本来はギルドの関係者に任せるところだが……マンサも小さなギルドだからあまり人がいない。わたしが出るかと思っていたんだが、カシムならわたしも信頼できる。無論、アンジェリン殿もな」

「……いいの? 持ち逃げするかも?」

「ふふ、エストガル大公に勲章をもらうほどの冒険者がそんな事をする筈はないだろう。名のある者は下手に悪事を働く方がリスキーだという事くらいわたしにも分かる」


 アンジェリンはお茶を含んでしばらく黙っていたが、やがてシエラを見て頷いた。


「分かった。そんな事なら楽勝……まかせて」

「はは、頼もしいな。まあSランクが二人いれば間違いなどないか」

「あー、よかった安心した。ありがとな、シエラ」

「ふん、お前の為じゃない。アンジェリン殿の為だ」

「へっへっへ、照れるなって。お前は昔っから優しい奴だからなあ」


 何となく調子を取り戻して来たらしいカシムが笑うと、シエラはやれやれと頭を振った。


「まったく、人の気も知らないで……」

「ん? なんて?」

「何でもない。それで、どういった編成なんだ? まさか二人だけじゃないだろう?」

「そりゃ勿論。アンジェのパーティメンバーと、その父親、つまりオイラの友達と、あとエルフの娘っ子がいるよ」


 シエラがぴくりと眉を動かした。


「そうか……来ているのか」

「そりゃ、もう一人の友達に会いに行くんだもんね。そうだ、お前にも紹介するよ」

「ふむ……」


 シエラは目を伏せて指先で顎を撫でた。



  ○



 乳で淹れて香辛料を効かしたお茶は甘く、何だかお茶ではないようだと思った。

 ロビーに隣接してちょっとした食べ物を売る店があって、アンジェリンたちを待つ間にそこでお菓子やお茶などを買った。


「……うーむ、こういうものだと思えば」


 ベルグリフは甘い菓子に甘いお茶という合わせ技に、思わず眉をひそめた。女の子たちはちっとも苦にならないらしい、美味しそうに食べている。

 手の止まっているベルグリフを見て、マルグリットが目をぱちくりさせた。


「なんだベル、食わねーならくれよ」

「ああ、いいよ。しかし皆よくそんなに食べられるね……」

「いっぱい食べるのが元気の元なんだぞ。な、ミリィ」

「そうそう。ベルさんもいっぱい食べないと大きくなれないですよー?」


 女の子たちはそう言ってくすくす笑った。ベルグリフは頭を掻く。

 その時アンジェリンたちが戻って来た。


「お父さん……」

「ああ、アンジェ。どうだった? 何か進展はあったのかい?」

「うん……こっち、ギルドマスターのシエラさん。この人がわたしのお父さんのベルグリフ……」


 アンジェリンに紹介されて、褐色の肌の女が微笑んで会釈した。


「お初にお目にかかります、シエラといいます」

「や、これはこれは。ギルドマスター直々とは恐縮です。ベルグリフと申します」


 ベルグリフも立ち上がって頭を下げた。シエラは右の目でベルグリフを上から下までゆっくりと見ると、何か考えるように顎に手をやった。


「……ふむ、なるほど。あなたがカシムの旧友」

「おや?」


 カシムを知っているらしいシエラの口ぶりに、ベルグリフは首を傾げた。カシムがへらへらと笑う。


「オイラの昔のパーティメンバーなのさ。帝都にいた頃かな、五年くらい一緒に戦ったよ」

「なんとまあ……不思議な縁もあったものだな」


 ベルグリフは笑って顎鬚を撫でた。シエラは頭を掻き、目を伏せる。


 アネッサ、ミリアム、マルグリットもそれぞれに挨拶し、事の顛末を説明される段になった。

 ギルドの書簡と物品の輸送。そんな大事なものを、古い知り合いのカシムならばともかく、自分たちのような部外者に任せていいものなのだろうか、とベルグリフは目を細めた。


「委細は承知しましたが……我々に任せて大丈夫なのですか?」

「そこが少し困った所なのだよ、ベルグリフ殿。カシムはよく知っている。アンジェリン殿もSランク、素性は明らかだ。そのパーティメンバーも信用に値する。だが、失礼ながらDランクだというそちらのエルフのお嬢さんと、そもそも冒険者ですらない貴殿の扱いには慎重にならざるを得ない」

「ふむ……まあ、当然でしょう」


 ベルグリフは納得したように頷くが、カシムが怒ったように身を乗り出した。


「何言ってんだよ、オイラの友達だよ。信用できないってのか?」

「信用の問題じゃない、体裁の問題だ。ギルドが素性の分からない素人に依頼をした、そんな風に思われては反発は必至だからな」

「固い事言うなよお、ギルドマスターの権限で何とかなるでしょ、それくらい」

「ならん事はない、が……山脈沿いの道は正直危険だ。中途の渓谷には高位ランク魔獣の出没も確認されている。ランクという指標で計れない以上、実力の分からない者を安易に行かせるのは無責任なのでね」


 シエラはやや不機嫌そうな顔でカシムを睨み、それからベルグリフに目をやった。


「気に食わないとは思うが……どうか分かって欲しい」

「いや、当然でしょう。こちらが無理を言っているのは承知の事ですから、気になさらないでください」

「……だが、こちらとしても早めに荷が南に届くのはありがたい。だから依頼を受けて欲しいというのも本音なんだが」


 視線を向けられたアンジェリンは顔をしかめた。


「……お父さんとマリーを置いて行けって?」

「まあ、そういう事になるか……」

「冗談じゃない。そんなの絶対無理」

「さて、それを決めるのはあなたかな? それとも……」


 シエラは窺うような目でベルグリフを見た。申し訳なさそう、という風でもない。どことなく挑発されているような雰囲気もある。

 このギルドマスターの態度は先ほどから妙にちくちくとしていた。自分たちに気に食わない所があるのだろうかと思う。

 だが、言っている事は筋が通っている。危険な道に下位ランクの者や、冒険者でない者を行かせるのは気が進まないというのは当然の感情だろう。シエラはベルグリフとは今会ったばかりなのだ。


 さて、どうしたものかとベルグリフが考えていると、マルグリットが身を乗り出した。


「つまりおばさんよ、あんたはおれが弱いってそう言いたいんだな?」

「お、おい、マリー」

「ベルは引っ込んでろ。おい、おれがDランクなのはわざとそうしてるからだ。ベルだって冒険者じゃないのは実力がないからじゃなくてわざとだ」

「……何が言いたいのかな?」


 シエラは微笑んだ。だが目は笑っていない。マルグリットはふんと鼻を鳴らした。


「喧嘩相手になってやるってんだよ。あんたより強けりゃ文句ないだろ?」

「舐められたものだな……だが、そういうのは嫌いじゃない。それに、確かにわたしが実際に実力を計る事ができれば、特例で便宜を図るのも筋は通る」

「へへ、話が早いのは好きだぜ。よっしゃ、勝負だ。準備しろベル」

「……はっ?」

「なに呆けてんだよ馬鹿。このままじゃ置いてけぼりか大回りの詰まらねえ道だぞ。このおばさんを叩きのめしてさっさと南に行こうぜ」


 ベルグリフは顔をしかめて拳骨でマルグリットの頭をごつんと叩いた。マルグリットは悲鳴を上げた。頭を押さえて涙目でベルグリフを睨む。


「なにすんだよぉ……」

「……お前は失礼だぞ。血気盛んなのはいいが、礼儀を失うな」


 ベルグリフはシエラの方に向き直った。


「しかし、本当によいのですか?」

「ふむ? 気遣って下さっているのかな? 貴殿もわたしごときには負けないと?」

「まさか。ただ、そのように安直なやり方で後になって問題にはならないか、と」

「……それは貴殿の気にするところじゃない」

「シエラ、あのさ」


 何か言おうとしているカシムを無視して、シエラは身を翻して歩き始めた。何となく怒っているような感じがする。

 マルグリットが張り切った様子でそれを追いかけ、アンジェリン、アネッサ、ミリアムも顔を見合わせてからその後を追う。

 カシムが何となく悲しそうな顔をしてベルグリフの方を見た。


「なんかごめん……あいつ、ホントは良い奴なんだけど」

「はは、分かってるさ。きっと何か思うところがあるんだよ。こうやって手合わせを許してくれるだけでありがたい事だ」

「うん……はー、もう、シエラぁ……」


 カシムは大きく息をついて帽子をかぶり直し、すたすたと歩きはじめる。

 シエラはその佇まいからして強敵だろう。カシムの戦友なのだから、その実力は推して知るべしといったところだ。果たして認めてもらえるだけの戦いができるかどうか。


「……既に大冒険だ」


 ベルグリフは苦笑しながら背負った剣の位置を直した。


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