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七十七.早朝の家の中はまるで水の底のように


 早朝の家の中はまるで水の底のように静かだ。ただ寝息ばかりがそこここから聞こえて、それが却って静けさを助長するようだった。


 まだ夜が明ける少し前である。

 東の山の稜線が明るくなり、薄雲がかかった空は白々として、しかしまだ太陽は顔を出していない。けれども家の中にまで不思議な薄明かりが入り込んで、薄紫のヴェールを一枚隔てたように見えた。


 ベルグリフが体を起こすと、アンジェリンが既に起き出してごそごそと身支度をしていた。ベルグリフが起きたのを見て、にんまりと笑う。


「わたしの勝ちだね、お父さん」

「ああ、早起きだな……」


 ベルグリフは目元を指先でこすり、肩と首を回してほぐした。そうしていつものように義足を注意深く付けて立ち上がる。

 段々と日が長くなり、朝も夕方も明るい時間が増えている。

 早朝も肌寒さを感じるくらいで、身を固くして無理矢理に寝床から這い出すような寒さはもうない。しかし隙間風があるのか、何だか冷たい空気が時折肌を撫でた。


 アンジェリンが部屋の中を見回して首を傾げた。


「……ミトは?」

「なに?」


 ベルグリフも外套を羽織りながら辺りを見回した。皆が暖炉周りを中心に思い思いの場所で眠っているが、確かにミトの姿がない。ベルグリフは眉をひそめた。


「外かな……」

「外だ」


 突然別の声がして、親子は驚いてそちらを見た。壁に寄り掛かって眠っていると思っていたグラハムが片目を開けていた。


「ついさっき出て行った。遠くには行くまい」

「そうか……夜明けでも見たいのかな」


 アンジェリンがちょんちょんと背中をつついた。


「髪、編んで」

「ああ、はいはい」


 これも毎朝の日課になりつつある。寝癖で少しくしゃりとした髪の毛に櫛を入れ、大きな三つ編みに編んでやる。もうすっかり編み慣れて大して時間もかからない。前髪にはベルグリフの買ってやった銀の髪飾りを付ける。

 編み終えて、アンジェリンは嬉しそうに立ち上がる。


「お父さんも編む? ふふ……」

「いや、いいよ」


 いい加減で髪を切ってしまおうか、なんて事を真面目に考えてしまう。


「よし、わたしたちも行こう、お父さん」


 身支度を終えたアンジェリンがそう言って外套の裾を引っ張った。ベルグリフは頷いて、ゆっくりした足取りで家を出た。


 外はより明るさが辺りを包んでいた。

 山の向こうの空は朝焼けで真っ赤になっている。そこから黄金の光が放射状に噴き出していて、薄雲の向こうは微かに青くなっているようにも思われた。しかし天頂の方にはまだ夜の薄闇が残っていて、いくらかは星も瞬いている。


 家の先の柵に腰かけて、ミトがぼんやりと空を眺めていた。アンジェリンが駆け寄って行く。


「ミト」

「ん」ミトは振り向いた。「おねえさん」

「もう……いないからビックリした」

「おそら、きれいだよ」

「そうだね」


 アンジェリンはミトの横で柵にもたれて、同じように東の空を見上げた。

 ほんの少しの間に、もう空はその装いを変えてしまっている。焼けたような赤色が次第に金の光に押されているらしかった。もう少しで太陽が顔を出すだろう。鶏の鳴き声が聞こえる。

 ベルグリフは髭を撫でながら二人に近づいた。


「行かないかい?」

「おひさまでたら、いく」

「うん」

「そうか」


 ベルグリフは笑って柵に体を預けた。

 三人が並んで東の方を眺める。じわり、と水が湧き出て来るように光の塊がにじみ出たと思ったら、そこいらがより一層明るくなった。つんと目の奥が痛くなり、何だか目を細めたくなるようだ。


 トルネラに帰ってから、何だか胸のつかえが取れたようだとベルグリフは思った。しかし、まだ過去の清算は終わっていない。しかし、ここ最近の穏やかな生活はひどく愛おしいものに思えた。

 ちらと横目でアンジェリンとミトの方を見る。二人とも嬉し気な様子で上って来る朝日を眺めていた。

 こんな時がいつまでも続けばいいのだがと思う。しかし、そんな事は自分の勝手なのかもな、とベルグリフは頭を掻いた。

 足元から後ろに影が伸びて、朝露に濡れた緑が朝日を照り返して白く光っている。


「……さて」


 行こうか、と言いかけた所で、後ろの家の戸が開く音がした。振り向くとアネッサ、ミリアム、シャルロッテが出て来た。シャルロッテが駆け寄って来てベルグリフに飛び付く。


「もう、起こしてねって言ってるのに!」

「はは、すまんすまん。でも起きられないのに無理して起きる必要はないんだぞ?」

「いや、習慣になるまでは多少の無理はしないと」

「そうそう。早起きも練習だー……ふわあ」


 ミリアムは大きくあくびをした。アンジェリンがくすくす笑う。


「じゃあ、皆で行こう……」

「昨日罠を仕掛けたんだ。見に行きませんか、ベルさん?」

「ああ、そんな事を言ってたね。村の周りを見回ったら行ってみようか」


 ミトが両手を伸ばして身じろぎした。


「おとうさん、かたぐるま」

「ん」


 ベルグリフはミトを抱き上げて肩に載せた。ミトは満足そうに両手でベルグリフの髪の毛をくしゃくしゃ揉んだ。アンジェリンがむうと口を尖らせる。


「特等席……まあいい。譲ってあげる。わたしはお姉ちゃん」


 と言いつつも、アンジェリンはやや不満げにベルグリフを見た。


「……お父さん」

「なんだい」

「後でわたしも肩車して」

「……まあ、いいが」


 シャルロッテがぴょこぴょこ跳ねる。


「わたしも!」

「アーネもしてもらえばー?」

「わたしはいいの!」


 ベルグリフは笑いながらとんとんと義足で地面を鳴らした。


「さて、行こうか」


 話しているうちにも、辺りはますます明るさを増していた。また一日が始まろうとしていた。



  ○



 すっかり新緑に彩られた森の中、萌え出た春の新芽を食んでいた鹿が、不意に顔を上げたと思ったら地面を蹴って駆け出した。同じ方に向かって鳥や小さな獣たちも向かって行く。何かから逃げて行くようだった。

 彼らが来る先からは、枯れた小枝を折るような音、青々とした葉が擦れ合ったり風に揺れたりして立てるような音がした。それらは少しずつ大きくなった。何かがこちらに近づいているのである。


 木の間を縫うように駆ける牡鹿に追いすがるようにして、濃い灰色の体毛をした狼が駆けて来た。普通の狼よりも体が大きく、目はギラギラとした悪意に満ちていた。グレイハウンドという魔獣である。

 狼は牡鹿に躍りかかった。その鋭い牙は鹿の肌を引き裂き、血しぶきをまき散らした。そうして事切れた鹿を乱暴に食い荒らしている。


 森の木々の葉が萌え出たばかりの新緑から、次第に年を経た老木の如き深い緑色へと変わって行く。木々は苦悶に悶えるように枝を揺らした。

 その間を捻じれた木がやって来た。

 根を足のように動かし、そこに元からある木を押しのけるようにして進んで来る。老木にまとわりつく苔や地衣類が、元の森の木に這い上がってたちまち覆い尽くしてしまう。樹上性蘇類が枝から垂れ下がり、枝の間から差し込んでいた柔らかな陽光を遮ってしまった。


 木々の進む陰鬱な音に混じって、低い地鳴りのような音がずっと響いている。

 だが、よく耳を澄ましてみれば、それはうめき声だという事に誰もが気付く筈である。まるで、地の底に生きたまま埋め込まれてしまった者たちが、それでいて未だ死ぬ事も出来ず、ただひたすらに苦悶の声を上げ続けているような、そんな声だった。


 ――いえ、いあ、いう、いぃうえぃぁうぃあぁ……うぇうぃあぅああ……。


 憤怒、悲愴、怨嗟、憎悪、そんなものが混じり合って、聞いているだけで気分が悪くなるような代物だった。

 古森から山を越えてやって来た木々は、確実に北へと根を伸ばしていた。その上には、まるで古代の龍を思わせる巨大な影が覆っていた。


 ――ワレ……カイ、ホウ……サル、ベ……シ……。


 うめき声に混じってそんな声がした。凛とした、森をそよぐ風のような声だった。



  ○



 もうじき保存用の玉葱を収穫する頃だ。新しい柔らかな玉葱は甘くておいしいが、柔らか過ぎて保存が利かない。外の皮がすっかり乾いて固くなる頃に収穫して干せば、冬を越す間も食べる事ができる。

 ミトを肩車したベルグリフは、ケリー達農夫と一緒に玉葱畑を歩いていた。

 玉葱もよく使う野菜だ。一昔前は共同の畑で作る事はなく、それぞれの家庭で作るにとどまっていたが、不作の年や、体を壊して畑に出られない者たちの為に、こうやって共同の畑で大きく作って保管しておくようになった。

 玉葱に限らず、長期の保存が可能な野菜は、少しずつだが共同の畑で作られる事が増えている。


「この辺は来週には採っちまおうか」

「そうだな。採ってからしばらく干さにゃならんし」

「今年は太るのが遅かったなあ……麦刈りに重なっちまいそうだ」

「仕方がないさ、自然の事なんだから」

「まあ、そりゃそうだがよ」

「さーて、また忙しい時期が来るぞ」

「おてつだい、する」


 ベルグリフの肩の上で、ミトが張り切ったように両腕を振った。農夫たちが愉快そうに笑い声を上げる。


「まったく可愛い奴だな、お前はよ!」

「それでベルよ、例のルメルの木の事なんだが」

「ああ、どうしようか? 一度苗木を採りに行ってみるか?」


 新しい村の産業として、薬草になるルメルの木を植える計画があるのだ。開拓地はもう耕されて、肥料にする為の屑麦がまかれているから、実際に苗木を植え付けるのは来年からになる。麦の若葉をそのまま鋤込んで、さらに落ち葉と家畜の糞とを腐らした堆肥をたっぷりと入れる。元が肥沃なトルネラの大地は、そうする事でさらに惜しみない恵みを与えてくれた。


 ケリーは腕組みして頷いた。


「そうだなあ。こっちの土に合うか、少し試してみたいんでな。いくらかは鉢植えにして、根だけ出さしてから植え付けてもいいしよ」

「都合よく苗にできる木が多けりゃいいが」

「そうでなけりゃ挿し木で増やすしかあるまいよ」

「それも含めて一度色々試してみないとな」

「場所は分かってるのか?」


 ベルグリフは頷いた。


「それは大丈夫さ。少し奥まった所だから、行くのに小一時間かかるが……」

「ま、それくらいは仕方がねえ」

「それに、森の奥だろうと“赤鬼”さんが一緒なら心配いらんだろ!」


 そう言って農夫たちは笑った。


「おとうさん、あかおに!」


 ミトが嬉しそうにベルグリフの頭をぺしぺし叩いた。それを見て農夫たちの笑い声が大きくなる。


「そうだぞ、ミト。お前の親父は大したもんだぜ!」

「はっはっは」


 ベルグリフは苦笑して頬を掻いた。


「からかわないでくれよ……で、どうする? 早速行ってみるか?」

「そうだな。まあ、色々準備があるから昼済まして午後からにしようや。広場に集合でいいか?」


 誰からも異論が出なかったから、ひとまずその場で解散となった。昼餉の支度を始めるのにも丁度いい時間だ。尤も、ベルグリフの場合はもう誰かが支度を始めているかも知れないのだが。


 家に戻ると、木槌の音が響く庭先でアンジェリンとサーシャが剣を鞘ごと持って相対していた。

 数合剣を交えた後に、アンジェリンの剣がサーシャの剣を弾き飛ばした。サーシャは慌てて後ろに飛び退るが、アンジェリンは逃さずに一歩踏み込んで首元に剣を突きつけた。そうしてふんと鼻を鳴らす。


「……動きが直線的」

「むうぅ……少しは追いつけたと思ったのですが……流石はアンジェ殿……」

「でも前よりいい感じだと思う……あ、おかえり、お父さん!」


 サーシャと向き合っていたのが、たちまちベルグリフの方に駆けて来た。


「ああ、ただいま。昼の支度は? まだ?」

「アーネたちがやってる……シャルも張り切ってるよ」

「はは、それはいいね。サーシャ殿、お疲れ様です」


 ベルグリフは駆け寄って来たサーシャに頭を下げる。サーシャも慇懃に頭を下げた。


「お邪魔しております、師匠!」

「相変わらず熱心ですな」

「はは、その熱心さで少しは皆さんに追い付ければと思うのですが……流石にSランクの壁は厚いようです」


 比較対象が規格外過ぎるだけで、サーシャ自身の実力は十分だと思うのだが、とベルグリフは肩をすくめた。


 ボルドー姉妹と測量士たちが来てから三日ほど経っていた。ずっといい天気が続いて、測量士たちの作業も順調に進んでいるらしい。

 セレンは毎日測量士たちの仕事を横で確認し、村の家々を回って話をして交友を深めたり、子供たちの相手をしたり、時には農作業に手を貸す事もあった。

 今まではボルドー領でありながら顔を出す事がなかった分、村人たちと積極的に交流しようというセレンの意思が見て取れた。ヘルベチカの代役で来ている、という思いが、より彼女を動かしているのだろう。村人たちは当然これを喜んだ。


 サーシャはそのセレンと共に同じ事をしながら、毎日空いた時間にはベルグリフの家に通って来て、アンジェリンやグラハムと手合わせした。

 傍目から見るとサーシャは圧倒されっぱなしなのだが、相手が相手なだけに誰も彼女を侮りはしなかった。そも、アンジェリンやグラハムとまともに剣を交えられる相手などそうはいないのである。


 行商人の護衛でやって来た三人の若い冒険者たちも、折を見てちょくちょく顔を出す。

 カインはすっかりカシムにぞっこんで、あれこれと話し合って知識を深めていたし、ジェイクとソラの剣士二人組は、昨日あたりからは朝の素振りにまで付き合う始末だ。


 何だか、段々とトルネラも賑やかになっているな、とベルグリフは思った。

 昔ながらの静かな生活を好む老人たちがどう思っているのかは分からないけれど、彼個人としては悪い気はしなかった。

 どの道、いつまでも変わらずにいられる事などないのだ。時代が変わるほどに、個も変わらざるを得ない時が来る。そうして歴史の影に消えて行った多くの変われなかった者たちがいるのだろう。


 どうにも思考が飛躍して困るな、とベルグリフは髭を捻じり、肩に乗っていたミトを地面に降ろした。


「サーシャ殿、昼はいかがなされますか? よければご一緒に」

「喜んで――っと、そう言いたいところなのですが、セレンを待たせているので……」


 サーシャは残念そうに頬を掻いた。


「じゃあ、セレンも一緒に来れば……?」

「いや、今日は測量士たちと話し合いがあるそうなのです。また別の機会にでもよろしいでしょうか?」

「それはもちろん。公務を優先なさってください」

「わたしは参加してもよく分からないのですが、セレンは姉より厳しいもので……はあ」


 サーシャは苦笑して肩をすくめた。アンジェリンがくすくす笑う。


「セレンは真面目……」

「ええ、そこが良い所でもあるのですが……皆さんは午後はどういったご予定なのですか?」

「私は森に行きますが……アンジェ、お前はどうするんだい?」

「お父さんが森に行くならわたしも行く」

「ふむう」とサーシャは顎に手をやって撫でた。「ご一緒したいところですが……」

「セレン次第……ね?」

「はは、そういう事です」


 サーシャはそう言って笑い、踵を返した。


「では失礼いたします!」


 去って行くサーシャの背中を見送ってから、ベルグリフはアンジェリンの方を見た。


「アンジェ、サーシャ殿に怪我させなかっただろうね?」

「大丈夫……でも段々手加減が難しくなってる」

「はは、そうか。それじゃあそのうち負けるかも知れないな?」


 アンジェリンは鼻を鳴らした。


「それはない。サーシャがどれだけ強くなろうと、本気でやれば絶対負けない」

「そ、そうか」


 頼もしいんだか恐ろしいんだか、娘の実力にベルグリフは少し身震いした。

 ミトが服の裾を引っ張った。


「ぼくも、つよくなりたい」

「お、そうか。頑張ろうな」

「うん」

「ふふ、お姉ちゃんが教えてあげるもんね……」


 アンジェリンが言うと、ミトは少し眉をひそめた。


「おねえさんより、おとうさんのほうが、おしえるのじょうず」

「ぐ」


 アンジェリンは悔しそうに唇を噛んだ。自分でもそう思っているから言い返せないらしい。

 しかしお姉さんぶりたくもあるようで、ベルグリフに任せるのがいいと思っているのと、自分で教えたいというのとがぶつかって、じれったいようだ。

 ベルグリフはくつくつと笑いながらアンジェリンの頭をぽんぽんと撫でた。


「一緒に教えてやろうかね」

「! ホント!?」


 アンジェリンは顔を輝かせてベルグリフを見上げた。


「ああ。ま、今日は忙しいから明日からだな……」

「うん! えへへ、楽しみ……ミト、お父さんとわたしが教えてあげるからね」

「……おとうさんだけでいい」

「もーッ!」


 アンジェリンは頬を膨らました。ミトはほんの少しいたずら気に口端を緩めてアンジェリンの腕に抱き付いた。


「じょうだん。いっしょにおしえて……」

「もー……」


 アンジェリンは口を尖らしたままミトの髪の毛をくしゃくしゃと揉んだ。そのまま二人して家の中に入る。

 何だかミトもすっかり人間らしくなって来たな、とベルグリフは微笑ましい気分だった。


 少し薪を入れておこうと薪置場でごそごそやっていると、グラハムが帰って来た。午前中から子守で広場におり、昼が近くなったから各家に子供たちを送って来たのだろう。

 寡黙であるにもかかわらず、妙に子供から慕われているグラハムの存在はトルネラでも大助かりで、特に農作業が忙しい時期には、母親たちも畑に出る事ができると大いに喜んでいた。


「おかえり、グラハム」

「うむ……」


 グラハムは少し難しい顔をしていた。年を経たその顔には、普段からやや不機嫌そうな皺が彫り込まれているけれど、今日は何だかいつもに増して彫りが深い。

 ベルグリフは怪訝な顔で首を傾げた。


「何かあったのかい?」

「……分からぬ。ただ、妙な胸騒ぎがする。何かよからぬものが近づいているような……」

「ふむ……? 君が言うと本当に聞こえるが……」

「いつものように取り越し苦労であればいいのだが……」


 これまでもグラハムがそんな事を言う事は何度かあったけれど、それほどの問題にはならなかったり、取り越し苦労だったりした。だが、今回は何だか深刻さが違うように思われた。

 エルフという種族が本来持つ自然との感応性と、グラハムが長い冒険者生活で培った勘とが、彼に不安を告げているらしかった。

 ベルグリフは薪を抱え上げた。


「……少し気を付けておいた方がいいかもな」

「すまぬ。不安にさせるつもりはないのだが……」

「はは、君がいたずらでそんな事を言う筈がないのは分かっているさ……午後から森に行くんだが、大丈夫だろうか?」


 グラハムは目を伏せた。


「……何とも言えぬ。だが、警戒するに越した事はないだろう」

「そうか……まあ、ひとまず昼飯にしようか」

「そうだな」グラハムは嘆息して頭を掻いた。「……参った」

「そんな顔するなよ、本当に不安になるだろ?」


 おどけるように笑うベルグリフを見て、グラハムも小さく笑った。

 少しずつ、南から薄雲が青空を覆い始めていた。


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