六十七.部屋に戻って、事のあらましを
部屋に戻って、事のあらましを聞いたカシムが呆れたような顔で笑った。
「やーれやれ、話になんないね。今んとこ拒否一択だよ」
「君もそう思うか」
ベルグリフは確認したように頷いた。アンジェリンたちは首を傾げる。
「どうして?」
「考えてごらん。まず、その話が本当かどうかという証拠がない。政変があったのは確かだろうが、内情の細かい所までは北部では情報が入らない」
「つまり、与太話でも誤魔化せちゃうって事さ。確認しようにも、わざわざルクレシアまで行くわけにもいかないでしょ?」
「……ヤクモさんたちが嘘をついているって事ですか?」
アネッサの問いに、カシムは肩をすくめた。
「さーて、どうだかね。そもそもロベール卿って本当に生きてんの? 本当に権力を取り戻した貴族なら、冒険者なんかに頼まないで自分で兵を出せばいいのにさ」
「そうだな。ロベール卿の名を騙った別人が依頼を出した可能性もある。ヤクモさんたちも騙されているのかも知れない。貴族からの依頼なら、封印の紋章さえきちんとしていれば、本人が出なくても信用される事もあるからね」
「いや、むしろ貴族からの依頼じゃ本人が顔を見せない事の方が多いよ。オイラもそんな事多かったしね。前金はずんでもらえれば、依頼人の素性なんか知らん顔の連中は多いね」
「ふむ……アンジェ、ヤクモさんたちはロベール卿本人に会ったって言ってたかい?」
「う、ううん……でも、したたかなおじさんだってルシールが言ってたから……会ってるのかも……知れない」
「へへ、もし会ってたとしても、そのロベール卿は本物かな? ヤクモたちが依頼の前にロベール卿の顔を知ってたならともかく、怪しいねえ……シャル、ロベール卿ってそんなに特徴的な顔してんの?」
シャルロッテは首を横に振った。
「普通のお顔……髪型もお髭も綺麗だけど、あんまり目立たなかった、と思う……」
「なるほどね。お前はそのおじさまの顔をはっきり思い出せるかい?」
「……ううん、ぼんやりと、だけ」
「ふふん、少しは付き合いのあったシャルでもこうだから、奴らがどっかで見たにしても、一度二度見かけただけの顔をそうそう覚えちゃいないでしょ。で、どう見る、ベル? 噂の浄罪機関が一枚噛んでるか、それとも反教皇派の別の奴らか」
「浄罪機関だとすれば、俺たちからシャルを引き離す為の策略。ロベール卿以外の反教皇派の貴族だとすれば、神輿に担ぐためだろうね。だが、反教皇派じゃない可能性もある。権力の簒奪を狙っている奴が他にいるかも知れない」
「へっへっへ、浄罪機関だか何だか知らないけど、オイラとアンジェが傍についてちゃ手が出せないもんね。別の貴族だとすれば、権威を保持するためのお飾りってわけだ。どっちにしても碌な事にはならないね」
「ただ、判断するには情報が足りないな……俺の感覚からすれば、ヤクモさんたちが嘘をついている感じはしない。それに、そもそも彼女たちの言っているのは本当の事かも知れないよ?」
「ま、今の段階じゃあらゆる可能性を疑った方がいいね。焦って変な方向に行っちゃうのはまずいからねえ」
「ひとまず、俺たちもヤクモさんたちと話をしてみようか。考えるのはそれからだ」
「さんせー。ここで話してても埒が明かないや」
「いいね、みんな?」
ぽかんとして見守っていたアンジェリンたちは、ただこくこくと頷いた。ベルグリフは頷いて立ち上がった。おどおどと落ち着かない様子のシャルロッテの頭に、ぽんと手を置く。
「大丈夫だよ、シャル。怖がらなくていい。一緒においで」
優しく頭を撫でられたシャルロッテは、幾分か安心したように表情を緩めた。ベルグリフは微笑むと顔を上げた。
「みんな、すまんが荷物を馬車に積んでおいてくれるかい?」
そうしてシャルロッテを連れ、カシムと連れ立って部屋を出て行った。
残された少女たちは呆然として顔を見合わせた。
「すごーい……ベテラン、って感じー……」
「ああ……二人ともあの情報から一瞬であそこまで推測したんだな……」
「……もっと頑張らないと、お父さんたちに笑われる」
アンジェリンの言葉に、アネッサとミリアムは苦笑交じりに頷いた。
「ちょっとボケてたな、わたしら。高位ランクに胡坐かいてたみたいだ」
「うん。少し考えれば変なのにねー……あー、まだまだだなー」
アネッサとミリアムは大きく息をついた。
剣の腕や、戦場における状況の読み合いなどにはまだ自信があったが、こういう戦いの場以外の判断をするにはまだまだ感情的になってしまう部分が多い。個人的な事で不安定になっていたから尚更だ。すんなりと相手の言う事を真に受けてしまうくらい、ヤクモたちと打ち解けていたのもあるだろう。
ランクこそ高いとはいえ、まだまだ自分たちも学ぶことが多いな、とアンジェリンは頭を掻いた。そして同時に、やっぱりベルグリフは尊敬できる父親だと嬉しくなった。
ビャクがくつくつと笑った。
「高位ランク冒険者が聞いて呆れるなぁ」
「うるさい。黙って見てただけの癖に、偉そうな」
珍しくアネッサが拗ねたようにビャクを小突いた。
○
扉を叩くと、懐手をしたヤクモが出迎えた。
「来る頃じゃと思っとったわい」
「へへ、話が早くていいね」
ベッドにルシールがちょこんと腰かけていた。
テーブルと椅子が一セットに寝床が二つ。小さな部屋である。シャルロッテは不安そうな顔をしてヤクモを見上げ、それからベルグリフの手を握り直した。
「椅子が足りんですまんが」ヤクモは口元に手をやって視線を泳がした。「その顔は拒否といったところじゃな」
「事情はアンジェたちから聞いたよ。けど、その話だけじゃ到底受け入れられない」
「はは……そうじゃろうな。娘っ子たちは頭から信じたようじゃが、流石は“赤鬼”と“天蓋砕き”よ」
「へえ、アンジェたちを試したんかい?」
「ふふ、あれを頭から信じるくらいなら儂らに預けた方が安心じゃからな」
ヤクモは悪びれもせずに微笑んだ。食えない相手だ、とベルグリフは思った。
「ともかく、もう少し詳しい事情を聞かせてもらいたくてね」
「願ってもない」
ヤクモはルシールの隣に腰を下ろした。ベルグリフは椅子に座ってシャルロッテを膝に乗せ、カシムは壁に寄り掛かった。
「で、実際どうなんだい? 依頼主がロベール卿っていう確証はあんの?」
「それはある。実際に本人が依頼を持って来たからのう。でなければ、儂らも受けようとは思わんかったじゃろうな」
ベルグリフは眉をひそめた。
「それは確かにロベール卿本人かい?」
「ふふ、疑り深いの。まあ、当然の疑いじゃな」
ヤクモは煙管を取り出して咥えた。
「そも、儂らもこの依頼は簡単なもんじゃと思っとった。国を追われた薄幸のお嬢様を悪人から助け出して連れ戻す……じゃから、依頼主がどうかなど考えもせんかったよ」
「詳細を聞いたわけではないんだね?」
「うむ。バルムンク卿の娘が生きているらしい、という事はまことしやかにささやかれておったからの。なんせこんな世の中じゃ、世間知らずの幼い貴族の令嬢を、何の下心もない善人が保護するなどはなから考えておらんかったし、よしんばロベール卿が偽物だったとして、見ず知らずの貴族の令嬢がどうなろうが、儂らには知ったこっちゃなかったしのう」
ヤクモは煙を吐き出して笑った。
「まったく、おんしらには呆れるやら感心するやらじゃ」
実に冒険者らしい考え方だ、とベルグリフは思った。
確かに、冒険者と貴族は折り合いが悪い。あくまで仕事のみの付き合いと割り切り、依頼主が善だろうが悪だろうが、きちんと依頼料さえ支払われれば後の事は知らぬ顔をするのは普通の事だ。貴族の政争に進んで関わりたがる冒険者などいない。
シャルロッテがおずおずと口を開いた。
「見つからなかったって言っても駄目なの……?」
「普通の依頼じゃったら、な」
「ははーん」カシムが顎鬚を撫でた。「裏から回って来たね?」
「御存じか。なればわかっておるじゃろ? 冒険者ギルドから正規に回された仕事ならば、失敗しても精々評判が落ちる程度で済む。拠点を変えればそうそう食いっぱぐれる事もない。じゃが、非公式に裏から回って来る仕事がある。依頼料は法外じゃが、その代わりまず失敗できん。冒険者稼業を続けるのも難しくなるし、最悪こちらの命が危なくなるでのう」
秘密裏に頼みたい仕事や、ギルドを通しては受理されない非合法な仕事など、裏には裏のネットワークがあるらしい。利が大きい分、リスクも高いようだ。
そちらの世界には疎いベルグリフは、やや困ったように眉をひそめた。
「一度受けた以上、半端にはできないって事か……」
「左様。まあ、依頼主が儂らを騙していたり、情報をわざと出し渋っていたりすれば話は別じゃが、今のところその確証はない。不確定の要素の為にわざわざルクレシアまで戻って確認もできんし、儂らもそんなリスクは負いたくないでのう。それに少なくとも、儂らはロベール卿本人に会ったし……これを預かって来ておる」
ヤクモは懐から何か取り出してテーブルに置いた。指輪だった。シャルロッテが手に取って見、息を飲む。
「おじさまの家紋……」
「そうじゃ。ルクレシア貴族の当主のみが持つ事を許されとる。ロベール卿も一家を構えるだけの貴族ではあったからのう」
ルクレシアの貴族であるという事は、ヴィエナ教の聖職者であるという事でもある。一家を構える程の身分になると、恩寵の証として特別な指輪が下賜されるそうだ。それがこれであるとの事らしい。
「偽物が指輪だけ手に入れた、というならばそれまでじゃが、少なくとも現状で依頼主の真偽を判断するには十分事足りると思うが、どうかな?」
「さてね。オイラたちはルクレシアの内情をよく知らないからなあ。お前らが自分に都合の良い事だけ言ってる可能性もあるしね、へへへ」
「少なくとも、現状は君たちの言葉しかルクレシアの事を知るすべがない。だからまだ判断でき兼ねるな……俺たちにとっても軽々しく扱える話じゃないからね」
ヤクモは肩を落とした。
「用心深い人たちじゃ……まあ、おんしらを簡単に説得できるとも思っとらんし、まして実力行使で勝てるとも思わん。じゃが、儂らにも通さねばならん筋があるし、悪人ではないと思っとるが善人でもない。そちらの事情ばかり加味しておれん。答えがどちらにせよ、結論は出してもらいたいが」
「……どちらにしても、俺たちはシャルを危ない目に会わせたくはない。万全でない限りは、首を縦に振るつもりはないよ」
「お父さま……」
シャルロッテが嬉しそうに上目遣いで見上げた。
その時、後ろでずっと黙っていたルシールが口を開いた。
「“覇王剣”パーシヴァル」
ベルグリフとカシムは目を剥いた。ルシールは目をぱちくりさせた。
「この情報と引き換えなら、どう?」
「……与太話じゃないの?」
「……前に知らないと言っていたね?」
ルシールはふんふんと鼻を鳴らした。
「情報は冒険者の武器……そう軽々となんでもかんでも教えない。しーくれっと」
「ハッタリかましたって駄目だよ」
「枯草色の髪」
ぴくり、と眉を動かした。
「……パーシーは英雄譚のある冒険者だ。それくらいは知っていてもおかしくない」
「喉がちょっと悪くて、いっつも匂い袋持ってる。カミツレ、アルメア草、ナツメモドキ……あとエーテルオイルがほんの少し」
「……まだ持ってるのか」
「おいおい、マジかー……」
カシムが山高帽を顔にずらした。その時部屋の戸を開けてビャクが顔を出した。
「馬車が出るぞ」
ヤクモが立ち上がった。
「儂らは焦ってはおらんよ、ベル殿。いい返事を期待しておるよ」
「……れったぐったいむろー」
二人は部屋を出て行った。シャルロッテは駆け出してビャクにすがりついた。ビャクは眉をひそめた。
「なんだ、お前は……話はついたのか?」
「いや、まだだ……シャル?」
シャルロッテは見返ってベルグリフを見、ぱたぱたと部屋を駆け出して行った。ビャクは怪訝そうな顔をしてその後を追って行った。
ベルグリフは嘆息した。カシムがぼりぼりと頭を掻く。
「駄目な大人だなあ、オイラたちは」
「……カシム、よしんば彼女らがパーシーの情報を持っていても」
「言うなよ。シャルと引き換えにするわけないでしょ。それはパーシーの話とは別もんだよ。しっかし、中々やり手だなあ、あいつら。攻め際引き際を分かってるよ。アンジェたちじゃ確かに荷が重かったね」
「……俺たちがしっかりしなくちゃいかんな」
ベルグリフは立ち上がった。何を見返りにされようと、不安要素のある所に引き渡すつもりはない。それをシャルロッテ自身にもきちんと伝えておかなくては。
カシムが山高帽子をかぶり直した。
「けど、まだあの匂い袋持ってるんだね、パーシーの奴」
「君とサティが調合したんだったな……物持ちのいい奴だ」
「へへ、ひとまずまだ生きてるらしいね。それが分かっただけでも儲けもんだ」
「ああ……行こうか、みんなを待たせてる」
○
シャルロッテはアンジェリンの膝に乗って、ずっと俯き気味に黙っている。アンジェリンは何と言っていいのか分からずに、落ち着かなげに視線を泳がしていた。アネッサもミリアムも同様だし、ヤクモはもちろんいつも騒がしいルシールまで静かだ。
今日は全員まとまって馬車に乗らなかったから、ベルグリフたちともヤクモたちとも少し離れた所に座っている。
ベルグリフは、シャルロッテを引き渡すつもりはない、とはっきり言った。きっとそうだろう。ヤクモたちがパーシヴァルの情報を引き換えにしても、きっとそんな事で意思を曲げたりしないだろう。
「……大丈夫」
アンジェリンはシャルロッテをぎゅうと抱きしめた。シャルロッテはくぐもった声を上げた。
「お姉さま……」
「心配しないで。あなたをルクレシアに戻したりしない」
「……うん」
それでも、シャルロッテは不安そうに俯いた。
隣に座ったアネッサが心配そうにシャルロッテを覗き込む。
「何かあるなら、溜め込まずに言いなよ? 一人で抱えてても辛いだけだぞ?」
「うん……ありがとう、アーネ」
シャルロッテはちらとベルグリフたちの方を見た。ベルグリフとカシムは、隣り合って何か話し合っているようだった。アンジェリンがその頭を撫でる。
「平気……お父さんたちに任せておけば」
「……わたし、邪魔になってないかしら?」シャルロッテは俯いた。「お父さまたちがパーシーさんに会う事を邪魔してるんじゃないかなって……わたしが素直にヤクモたちに付いて行けば、パーシーさんの情報も……」
「駄目だよ」
アンジェリンはシャルロッテの頬をつねった。
「そんな事考えちゃ駄目。そんな事してもお父さんたちは喜ばないよ……?」
「でも……でも……」
シャルロッテは涙ぐんで両手で顔を覆った。アンジェリンはそっとシャルロッテの頭を撫でてやった。
気持ちが分からないではない。そんな風に考えるのは、シャルロッテがベルグリフの事を好いている証拠だ。だからこそ意に沿わないルクレシア行きなど、アンジェリンとしても断乎として許せるものではなかった。
ルクレシアの事はよく知らないけれど、貴族の政争が激しいというだけで、アンジェリンの不信感は募った。エストガル大公の屋敷に行っただけでもうんざりしたのだ。国上げての政争など碌なものではないに決まっている。
ちらりとヤクモたちの方を見た。ヤクモは向こうの風景をぼんやりと眺めており、ルシールは干し肉のようなものをかじっていた。
ヤクモたちの事が嫌いなわけではない。こんな出会い方でなければ、素直に良い友達になれた筈だ。
それが却って辛い部分もあるけれど、だからといってシャルロッテを渡すなど嫌である。知らず知らずのうちにアンジェリンはシャルロッテに回した腕の力を込めていた。
日が暮れる前にボルドーの町が近くなった。乗合馬車はここまでだ。ボルドーでトルネラ方面の雪解けの状況を確認し、改めて旅程を組む。足止めを食らうかも知れないし、すぐに出られるかも知れない。しかし今のところは分からない。
ボルドー家の屋敷に行く事も考えたが、屋敷は町から少し離れている。まだ明るいけれど、荷物は多いし、行くには少し面倒な気がする。
それに、シャルロッテとビャクはボルドー家への挨拶が最重要課題だ。少し心の準備をしなくてはならないだろう。
「……色んな事が重なるなあ」
荷物を下ろしながらアンジェリンは独り言ちた。しかし、自分は当事者というわけではない。小さなシャルロッテの双肩にのしかかる重圧を考えると、何だかいたたまれなかった。
そこにベルグリフがやって来た。
「それで最後かな?」
「うん……ねえ、お父さん」
「なんだい?」
「……ルクレシアにはやらないよね? シャルは一緒にトルネラに行くよね?」
「ああ、大丈夫だ」
ベルグリフは微笑んでアンジェリンの髪の毛を乱暴に揉んだ。
「アンジェ、お前はあの子の傍にいてあげてくれ。自分の罪滅ぼしもあるし、きっと辛い筈だ。他の事はお父さんとカシムに任せておきなさい」
「……うん、分かった!」
きっとベルグリフに任せておけばいい。アンジェリンは足早に宿の中に入った。




